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別になにか大きな教訓を得るわけでもなく(教訓譚、なんて今昔で出尽くしたでしょ?)、
特に大きな収穫があるわけでもない(新しい趣味や目的地が出来たりもしない)。
感動に震えて身をあらためるわけでもなく(三日坊主になるまでもない)、
感情移入して泣くわけでももちろんない(その点RPGとか
...続きを読むのが泣くかも)。
たかが小説である。
そう、たかが小説である。
けれど、序盤から流れるように巻き込まれ、引き込まれ。
無駄口ばかり叩いているかのようなことば、ことば、ことばの中に、ひやりと煌めく刃のようなものが。
それはミステリ的な手掛かりを見落としそうになるひやり、であり、虚構が現実を抉るひやり、であり、そして自分を試されているようなひやり、でもあって。
そうやってどんどん気が抜けなくなっていって、転げ落ちるみたいに物語を追って、
終わる終わる終わる、ってもう早く終わってほしいのか終わらないでほしいのかわからない混乱のまま、
読み切ったところでうわああああって呻き声をあげながら両脚をばたばた空中のペダルを漕ぐみたいに空気をかき混ぜてしまうこれがたかが小説である。
なんの為に読むのか、という話は以前にも少ししたけれど、それはまぁ例えば生きるためとかでいいとして、よく考えたら本当に生活のために本を読んでいる、読むことで生計を立てている、っていうひともいるわけで(羨ましいんだかどうだかわからんけど)、では逆に生きるために書いているということが、書くことで生計を立てていることとイコールで繋がるかというとそれも怪しい。
書くため、書き続けるためには不断の努力が必要なのは前提として、
そうまでして書かせるものというのは、一体何なのか?
そのこたえのひとつ、こたえというのは真理とかそういうことではなくて格好が付く返答のひとつが、描かれているように見えた。読めた。
そのへん津田伸一を主人公として読んだ場合、であって、実はこの作品自体を幸地一家失踪事件の副産物と捉えれば物語の主題も大きく変わってくるのだけれど、そんなこと云ったら小説って大概そうか…
また面倒な(?)ことに、個人的にどのキャラクタにも肩入れしてしまう要素があるからより、そういう読み方にもなってくる。
お前佐藤正午の小説に出てきそうな奴だなぁ、とか云われたいもんだ。
思い付きには、理由があって。
もっと云えば、それをいま、自分が思い付いたことにも理由があって。
誰の言葉も「いま、ここ」のものであるように、それを物語ることのできるのは自分だけ、なのかもしれない。
同じことを、いつかどこかで、誰かが語ってくれたとしても。語られてしまったとしても。
さてその上で、では今度は想像力の製造責任、ということになってくる。
「あなた」の想像力には、責任が伴うのだ。
ティンクの生殺与奪を握るくらい重要な責任が伴うのだと。
それを自覚して、もっといろんなことを想像、してみよう。
だんだん怖くなってきた。
☆4.4