佐藤正午のレビュー一覧
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いつの時代にも女にだらしないダメ男はいる。太宰治の小説にもよく出てくる。というよりも太宰治自身もそんな感じだが。女をとっかえひっかえして、挙句の果てに妊娠させてしまう。そんなダメ男が『個人教授』の主人公・松井英彦だ。佐藤正午の小説の中でもNo1のダメ男だと思う。松井英彦はとにかく女にだらしなく、色んな女性と関係を持ち、ついには妊娠させてしまう(しかも2人も!)。しかも清々しいまでに自己中心的な男で責任も取らず、休職して仕事もせず夜な夜な飲み歩いている。まさにゲスの極み。タイトルが『個人教授』となっているように、ダメ男松井英彦の師匠である「教授」という人物も出てくるのだが、こちらもダメ男である。この「教授」なる人物は定職につかず、夜な夜な飲み歩いている。「教授」と呼ばれているが、実際は教授ではなく、松井英彦が一方的に慕っていて「教授」と呼んでいるのである。この主人公・松井英彦と「教授」の一方的な師弟関係は夏目漱石の『こころ』の「私」と「先生」の関係を彷彿とさせる。
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タイトルを一瞥するや、てっきり現役作家による名作の解説本と思い、読むもストーリーにはさほど触れない。さてさて、どういうこと?
本の扉の紹介文を読む。完全な思い違い。本書は漱石〜開高健まで近・現代作家 総勢24名の作品を丹念に読み解きながら、『小説の描かれ方』ではなく『小説「家」の書き方〈技巧・癖・こだわり等〉』を考察した一冊。
そう、本書は新手の文章読本。文章読本といえば、谷崎・川端・三島・丸谷ら名だたる作家が著しているが、本書はこれまでのものと一線を画す。大上段に振りかぶった『文章指南』ではなく『随筆』という体を取っていること。
一貫して、初読時に抱いた印象や作品と出会った際の個人的体験や思い出からアプローチ。その着眼点は実に細かい。よくぞ見つけましたな的文章上の癖・性向に着目し、本丸である『作家の本質』を射抜く粘着性のある考察を提示。この帰納法的考察が実にユニークで、随筆の愉しさを堪能できる。警視庁特命係 杉下右京の口ぐせ『細かいところまで気になってしまうのが僕の悪い癖でして〜』というアレを想起し、苦笑い。
例えば…
太宰治『『人間失格』
「無頼派の作家はみんな結婚している」という書き出しで、まずは無頼派 代表作家をいたぶり、結婚しているからこそ、家庭を蔑ろにできたり家庭の幸福を踏みにじれる…と、学歴無用論を唱える人は決まって高学歴みたいな『あるある論』を述べる。
三島由紀夫『豊饒の海』
4部作からなる豊饒の海の特徴として、おびただしい量の直喩が登場する事に触れ、その最後の直喩が「数珠を繰るような蝉の声」であると。その比喩から三島の文体をめぐる考察を開陳。
芥川龍之介『鼻』
芥川作品は何回読んでも読み上げた気がしないのなぜか?読み返すたびに初めて読むような印象を持つ。芥川龍之介に対する印象を直言。その理由が実に明晰で目からウロコ状態。
森鴎外『雁』
どんな小説だったか記憶にないと坦懐しつつ、ただ小説に出てきた『サバの味噌煮 』のことだけは鮮明に記憶していると。いまだにサバの味噌煮を食べる度に『雁』を想起と語る。
ひとつの文章の成り立ちや使われている語句の選択にこれだけプロの作家はこだわっているのかを知れると同時に、〈鳥の目 虫の目 魚の目〉をもって射ぬかんとする作家のサガも知れる、一粒で二度美味しい一冊。 -
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好きな作家のひとりである佐藤正午の第一随筆集。現在64歳のベテラン作家の30歳半ば〜40歳〈1989年〜2000年〉の頃の身辺雑記『小説家の四季』には、著者の等身大の日常がユーモラスに綴られている。
僕は随筆しかり小説しかり、話の本筋にはさほど重要でない 、その当時の世俗や流行や余談の下りに遭遇すると、ついつい関心はそちらに向かってしまう癖がある。あたかも見るとはなしに見た昔の月9の再放送の中のひとつのシーンを通じて当時の自身のことが数珠つなぎで想起されるように。本書にも、ワープロ・パソコン通信・モデム・ニフティー、自社さ連立政権や2000年問題…など「懐かしッ!」の連続だった。
ちなみにタイトルの『ありのすさび』の意味。漢字では「在りの遊び」と書くそうな。あるに任せて、特に気にせずに悠然、鷹揚の姿勢を言う。本書を一読すれば、このタイトルが示すように「飄々かつ泰然自若とした姿勢」で日常を遊泳していることが手に取るようにわかるはず。
佐世保に居を構え、ひたすら執筆に励む。取材や打合せで上京することはほとんどなく、取材が不可欠となれば編集者に依託するほど、ほぼ365日、佐世保駅近マンション7階の自室と半径数キロ内の生活圏にて事足りる暮らしが、あたかも世界の中心のように綴られている。
執筆での呻吟・懊悩に疲れると街を歩き、行きつけの喫茶店で、飲み屋で、定食屋で、しばしの時間を過ごす。
そこには対立軸や対抗意識や文壇-対東京、同世代作家の動向-などは眼中になく、「俺はただただ書きたい小説を書くだけ」というひとつの覚悟がドカンと居座るのみ。
創作に励む日常に時々紛れ込む知人との交流がおかしい。「女性がイチコロとなるスパゲティのレシピを教わり、それをマスターすべく毎日キッチンに立ったり」、「卵を冷蔵庫に仕舞う際、どちらを下にするのが正しいのか…」といったことに悩んでみたり、とにかく健全かつ晴朗である。これが村上春樹なら、ロッシーニの『泥棒カササギ序曲』を聴きながらパスタ茹でたりするんだろうけど、佐藤正午の日常には雑音さえ出てこないし、時には気取ることもあるのかなと勘繰ってみたくなるほど。
「孤高」でなく、何かに「背を向ける」こともなく、もちろん「厭世」的でもない。時折顔を覗かせる「偏屈さ」がユーモアと結びつき、随筆の絶妙なエッセンスになっている、作家の日常を堪能できる一冊。 -
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「何してるのだれからだれ出かけるのどこへ。いいかげんにしてくれよ朝っぱらから。クエスチョンマークで頭のなかを引っ掻かれてるみたいだ」
『そのころ自分の脚を使って歩くのは子供とまだ生き足りない老人だけのように思えた。ぼくたちの眼は車の中から、若い女の顔しか捜さなかったし、ぼくたちの頭には、彼女たちのからだのふくらみやくぼみのことしかなかった。たぶん当時のぼくたちの世界には、子供とまだ生き足りない老人と、そして若い女と男だけしか存在しなかったのである。世界は狭く、ルールは単純だった。寝るか寝ないか、当りかはずれか、生きているか死んでいるか。』
『どんな恋愛も男次第だよ、と叔母は言った。覚えときなさい。だからこのつぎの恋をしたときはあんた次第なんだよ。』
『しかし人生で四度めの涙は女の眼から流れなかった。彼女はもう三年以上、夜の仕事をつづけている。仕事の途中でアイラインを引きなおした経験は一度もなくても、口紅を塗りなおした夜は数えきれぬにちがいない。』
「あんたなんのために十歳も年をとったの。ただ大人になるためかい。したいことをせずに我慢できる大人になるためかい」
「彼女は女だよ。思い出と付き合うことは女の仕事なんだから」
『行為のあとぼくはいつもひとりぼっちになった。言葉にする気力は使い捨てたコントームのようにしなび、意味はコンドームの中身のように白く濁った。終ったあとでも女に背中を向けないのが愛情なら、ぼくは女に対していちども愛の感情を持ったことがない。』
『「いいかい」とぼくはいま受話器を耳にあてている二人の人間に向かって言った。』
『「最後よ。これが本当に最後よ」
しかしぼくは女が口にする最初や最後は信じないという態度をつらぬいた。』
「ひとりだけいればいいのね。信頼できる人間が、どこかで見守ってくれていると信じられる人間がひとりいれば幸せなんだわ。あのときのことを思い出すとなんとなくそう思うの」
「何も隠しちゃいない」
「僕の知らないことを知ってるでしょう」
「いつも言ってるだろ。あんたがいま知らないことは無理に知らなくてもいいことだよ」
「だって…」
「またビコーズかい」
「……?」
「だって…とほのめかすのは英語でビコーズって言うんだよ。女の台詞だよ」
「…この店の名前?」
「察してちょうだいってあたしがつけたんだけど」
「そうだったんですか」
「そうよ、何だと思ってたの」
「なぜならば」
「中学生じゃあるまいし」 -
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どこまでホント?!
作家が巻き込まれた事件を小説にしていく過程を描いた斬新な構成。
どうでもいいようなことがつらつら描写してある箇所が多いのだけど、それがまたリアリティがあって、本当に起こったことのように思えて読み進んでしまう。
登場人物も案外多くて途中くじけそうになりましたが、最後にはちゃんと伏線も回収されるので、登山した気分になれた一冊(上下あって結構長いので二冊?)でした。