門田隆将のレビュー一覧
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津波と原発事故という圧倒的な『死』と戦い続けた吉田昌郎氏と現場のスタッフの壮絶な記録です。読んでいて圧倒されてしまいました。吉田氏と彼の下でともに戦った人間たちの功績があったからこそ、現在があります。
福島原発第一発電所が「3・11」の際にメルトダウンを起こした際、現場にいた当事者たちはあの時、何が起き、何を思い、人々はどう闘ったのか。その生々しいまでの記録です。読み終えた後に、僕は思わずため息をついてしまいました。ここに描かれているのが圧倒的な「死」に果敢に立ち向かっていく所長(当時)の吉田昌郎氏をはじめとする人たちの記録です。
現場の総指揮を取った吉田昌郎氏は、当時の様子を1年4カ月をへて筆者に語ったのだそうです。それは吉田氏自らが病と壮絶な闘いをしている病床でのことでした。それを皮切りに、今まで口をつぐんでいた現場の当事者たちが堰を切ったように事故当時の様子を語り始めたのだそうです。
吉田氏の頭によぎった「最悪の結果」とは「チェルノブイリ×10」。想像だに出来ないような被害をもたらさないために全電源喪失という過酷な状況下で暴走する原子炉を必死になって止めようとする現場の奮闘。
放射能という目には見えないものが渦巻く原子炉の中に男たちを突入させた動機は「郷土愛」と「使命感」だったのだそうです。後に「フクシマ・フィフティ」と呼ばれた人々のことなのだそうです。
吉田氏は本書によると、東工大の大学院を出て東電に入社するという生粋の「理系畑」の職業人生を歩む一方で、宗教や哲学にも明るく、独自の「死生観」を持った方なのだそうです。吉田氏はインタビューの中で
『こいつなら一緒に死んでくれる。こいつも一緒に死んでくれるだろう、と。』
幾度となく『死』という言葉が彼の口をついて出てきたのだそうです。生か、死か。ギリギリの状況下で大きな決断を何度も下さなければならなかった男の姿がここにはありました。
その一方で首相官邸や東電の本店ビルの混乱した様子や、菅直人首相(当時)の暴走振りによって現場がかき回される様子も余すところなく描き出されていて、当時の緊迫した様子が思い出されました。
先の見えない原発事故の収束ですが、吉田昌郎という一人の男と、彼とともに『使命』に賭けた男たちの姿は、心に留めておきたいと考えております。
※追記
本書は2016年10月25日、KADOKAWAより『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発 (角川文庫)』として文庫化されました。また、本書の主人公であり、福島第一原子力発電所事故の収束作業を指揮されていた吉田昌郎氏は2013年7月9日、食道癌のため慶應義塾大学病院にて逝去されました。享年58歳。謹んで、この場をお借りしてご冥福をお祈りいたします。合掌 -
Posted by ブクログ
プロジェクトXでオウム真理教と対決した監察官の話を興味深く観ていました。その流れでこの一冊を手に取った。
今更ながら驚くことが多かった。オウム死刑囚と一括りに思い込んでいましたがこんな純粋で心の綺麗な人がいたとは!
この人の詩とか手記には心を揺さぶられるものがあります。
又再審への流れがあったにもかかわらず唐突な死刑執行を指示した上川法務大臣。前夜は懇親会に参加していたそうですが本当に考え抜いて死刑執行書にサインしたのでしょうか?又サリンを撒いた林郁夫は無期懲役なのに井上嘉浩はなぜ死刑なのか?1審は無期懲役なのに2審は死刑で最高裁は控訴棄却は何故なのか?
日本の司法にも疑問を感じた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「アンパンマン」の歌は大人になってその意味を考えると、とても胸に迫るものがあります。
それは作者やなせたかしさんの戦争体験に由来するものと知り、歌詞に込められた本当の意味に近づけたような気がします。
夏、終戦記念日が近づくと何か戦争関連の本を読もうと決めていて、今年はこちらを手に取りました。
戦争を経験した2人の人生を追う形で進んでいく本書は、歴史に埋もれていった当時の若者たちの存在をリアルに感じさせてくれます。
そして、それはその後ろにある無数の犠牲のほんのひとかけらであることも
失われた若者たちは、戦争がなければきっと日本の発展に大きく寄与してくれる優秀な人たちがほとんどだったろうと思います。
歴史にたらればはあり得ませんが、若者を戦地にしかも最前線に送ることを、もっと慎重に判断できる人間が指揮官の中にいたら、と考えてしまいます。
やなせ氏の話に戻ると、きっとアンパンマンを描く間は、やなせ氏は弟の千尋とずっと一緒だったのだろうと思います。
アンパンマンが子どもたちに人気なのは、きっと誰1人として置いていかないアンパンマンの優しさに気づいているからではないでしょうか。
今も子どもたち大好きですよね。アンパンマン。
戦後70年以上経ち、どんどん当時を語ることができる人は減っています。
本書のようなノンフィクションが、もっと世間の人々の目に留まってほしいなと思います。 -
Posted by ブクログ
あのときの現場の人達が何を考えてどう行動したのか
文字通り命懸けで闘ってくれたことが分かった
ただただ感謝
以下メモ
地震の揺れを感じている時にスクラム(欣喜停止)すると直感をした
実際に揺れのあとすぐスクラムした
ちゃんとスクラムして逆に安心した
地震による停電で電源がなくなってしまった
しかし 非常用電源があったので活用した
そういう場合の訓練は頻繁に行っていたので 落ち着いて対応できた
非常用電源は海抜10m のところにあった
10m あれば絶対大丈夫と思われていた
なぜなら 過去1000年以上 そんな大津波が来たことはなかったから
しかし 津波はそこに来て なんと非常用電源もなくなってしまった
電源が全てなくなってしまって何もわからなくなってしまった
圧力などの監視システムが全て使えなくなってしまった
原子炉をとにかく冷やす必要がある
電源がないので水を直接入れて冷やす必要がある
消防車のホースを使うことを考えてすぐに消防車を手配した
そして水を入れられるように弁を開けた
すぐに この判断ができたことがとても良かった
なぜかと言うと 数時間後には人間が近づくことができないレベルの線量なったので
格納機の圧力がどんどん高くなっていった
爆発してしまうので軽く ガス抜きをすること つまりベントをすることが必要になった
ベントするために 原子炉に向かったが 線量計が振り切れてしまった
その辺りで水素爆発が起きた
そんなこんなでただでさえ 忙しいのになぜか 菅総理が現場に来ることになって説明しなくてはいけなくてさらに大変になってしまった
さらに 官邸からなぜか海水注入を中止しろと言われた
塩が残る などの影響がありリスクがあるからだという
しかし現場では冷やすためには 海水を入れるしか方法がないことが分かっていた
なので 命令について分かったと言いつつ 実際には海水注入を続けることにした
現場の人は死ぬ覚悟で戦っているのになぜか 官邸には東電が撤退するつもりだと伝わってしまっている
伝言ゲームって怖い
いよいよ 危なくなって現場の建物にいた 600人いたが そこから最低限の人数を残して退避することになった
幹部の人たち など50人ほどが残った
そこで 悲壮感の雰囲気になると思いきや 意外と 和やかな雰囲気になった
死んではいけない人間がいなくなって死んでいい人間だけになったから
自衛隊の協力で遠くから 強力な消防車が来てくれて 水もたくさん来てくれてホースで水をたくさん入れて原子炉の 暴走を止めることができた
もし 暴走してしまえば人間はもう近づくことができない
なので福島原発は10個あるのでチェルノブイリ×10の被害がある
そうなれば 東日本には人は住めなくなり人が住めるのは東北や 北海道 あとは 西日本になるはずだった
実はアメリカでは9.11のテロ 移行 原発が全電源停止することを想定したマニュアルを作った
それは日本にも伝えられたのだが 日本ではテロは起きないと考えられ そのマニュアルは整備されなかった
原子力安全委員会は30分以上の長時間の全電源喪失について考慮する必要はない という指針を取っていた
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Posted by ブクログ
ネタバレ今もなお、尖閣諸島周辺の日本領海に中国海警局の船舶が侵入し続けている。(2023.12.18現在、2023年に入り42日)
中国によるこの領海侵犯の状況に何らの排除行為も取らない自公政権がいる。
許すまじ、覇権主義中国共産党、習近平、親中自公政権。
「魚を捕るのではないから許可は出ません、などと言われて「はあ、そうですか」と、引き下がれるはずがなかった。
そもそも日本人が「日本の領土」に上陸できないなどと誰が決めたのか。髙吉は「ふざけるな」という思いだったのである。」(245頁)
という状態は今も続いているのだ。
「「ひとのことはいくらでもしなさい」
珍吉は息子にそう教えていたというのである。私はそれを聞いて、凄まじい珍吉の行動の数々の光景を思い浮かべた。
沈没する船から人々を救い出し、銃撃で壊れたエンジンを直し、魚釣島に人々を上陸させ、そして決死隊となって、ついに石垣島への助けを呼ぶことに成功した男――その金城新吉が息子に伝えていたのは、「人のことはいくらでもしなさい」という素朴でシンプルな言葉にほかならなかった。」(271頁)
「尖閣戦時遭難事件は、それだけで尖閣列島が「日本である」ことを示すものである。
古賀辰四郎が「真水」を開拓してこれを確保し、人が住めるようにした「業績」は、時がどれほど経とうと、忘れられていいものではない。
本書に記したとおり、古賀辰四郎のその「真水」によって、多くの命が救われた。そのことを日本のジャーナリズムが描かなければ、尖閣に食指を動かす側の思いどおりにされてしまうことを私は思った。
本書でお届けしたのは、中国側がひと言も触れることができない、言い換えれば、絶対に触れてはならない決定的な「歴史の真実」にほかならない。
本書をもとに、尖閣の真の歴史を知って欲しいと切に願う。そこで頑張った先人たちの姿に、どうか思いを馳せていただければ、と思う。」(291頁 エピローグより)
(作品紹介から)
「命」を救ったのは「真水」をたたえた日本の領土だった――。
知られざる「尖閣戦時遭難事件」の史実が“中国の噓”にトドメを刺す
事件から「78年」という気の遠くなるような歳月の末に緻密な取材で浮かび上がった苦悩と感動の物語。
なぜ「尖閣列島」は日本の領土なのか。そのことを示す、ある遭難事件。中国はなぜこの事件に触れられないのか。すべてが今、明かされる。
1945(昭和20)年6月末、石垣島から台湾に向かって最後の疎開船が出た。沖縄本島で日本軍が米軍に敗北し、八重山への米軍の侵攻を恐れてのことである。
だが、200人余の疎開者を乗せた2隻の船は東シナ海で米軍機の攻撃を受け、1隻は沈没、1隻は奇跡的に魚釣島に辿りつく。「あそこに行けば真水がある」との疎開者の進言があったからだ。
明治時代に“無主の地”魚釣島で真水を開拓した実業家・古賀辰四郎。それに伴い国際法に則って日本の領土に編入した明治政府。疎開者たちの多くの「命」を救うことになる真水をたたえた魚釣島は、同時に食べる物がない飢餓の島だった――。
餓死者続出の中、石垣島に助けを呼ぶため若者たちによって「決死隊」がつくられた。疎開者たちは夜を日に継いでサバニ(小舟)を完成させ、決死隊を送り出す。決死隊の若者の額には「赤い鉢巻」が締められていた。その鉢巻の意味と、そこに込められた疎開者たちの思いとは……。
奇跡がいくつも重なり合ったこの遭難事件と救出劇が、なぜ尖閣の日本領有を示すものになるのか。哀しく、悲惨で、目を背けたくなる出来事は、同時に、どんな逆境でも信念と矜持を失わなかった日本人の「希望の物語」でもあった。
なぜ尖閣は日本の領土なのか。尖閣と無縁な中国が、なぜ、かくも理不尽な主張をくり返しているのか。
「本書を読み終わった時、その答えを知ると同時に、人間とは“極限”に追い込まれても、使命感と不屈の精神さえあれば、とてつもない底力を発揮することを知っていただければ嬉しい。そして、毅然と生きることが、日本人にとっていかに大切か、是非、思い出してほしいと願う」(「はじめに」より)