門田隆将のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ちょうどこの3.11のタイミングで、この本と出合いました。
当時の出来事が思い起こされます。
地震発生。避難。会社から歩いて帰宅。
TVで中継されていた福島原発の様子。
そして爆発。
そんな中、現場で対応し続けた人たち。
ドキュメンタリながらも、そのリーダビリティも素晴らしく、あれよあれよと読み進めることができます。
あの時、福島では何が起こっていたのか。
そこにいた人たちの戦い。思い。
理解することが出来ました。
そして、胸が熱くなりました。
後半は電車の中では読んではいけません!
当時も思っていましたが、本書を読んで思うのは、やはり政府のダメダメさ。菅直人の行動、無能さ。
しかし、本書 -
Posted by ブクログ
大東亜戦争時のバシー海峡は「魔の海峡」と呼ばれ、数多の輸送船がアメリカの魚雷攻撃を受け、10万から20万とも言われる兵が海に沈んだ。
そのうちのひとりが『アンパンマン』の作者やなせたかしの弟。
一方、海に投げ出されながらも奇跡的に助かった中嶋秀治。中嶋氏は12日間も筏に掴まりながら漂流を続け、日に日にひとりまたひとりと仲間が力尽きて海に沈んでいき、最後生還したのは中嶋氏たったひとりだけだった。
仲間の慰霊の為に捧げた人生。なんとしても死んでいった仲間の無念を後世に伝えなければと、著者の取材に応じ語った事実は涙無くしては読めない。
そんな先人たちのおかげで、今の私たちがいると言う事を忘れずに、慰 -
Posted by ブクログ
津波と原発事故という圧倒的な『死』と戦い続けた吉田昌郎氏と現場のスタッフの壮絶な記録です。読んでいて圧倒されてしまいました。吉田氏と彼の下でともに戦った人間たちの功績があったからこそ、現在があります。
福島原発第一発電所が「3・11」の際にメルトダウンを起こした際、現場にいた当事者たちはあの時、何が起き、何を思い、人々はどう闘ったのか。その生々しいまでの記録です。読み終えた後に、僕は思わずため息をついてしまいました。ここに描かれているのが圧倒的な「死」に果敢に立ち向かっていく所長(当時)の吉田昌郎氏をはじめとする人たちの記録です。
現場の総指揮を取った吉田昌郎氏は、当時の様子を1年4 -
Posted by ブクログ
プロジェクトXでオウム真理教と対決した監察官の話を興味深く観ていました。その流れでこの一冊を手に取った。
今更ながら驚くことが多かった。オウム死刑囚と一括りに思い込んでいましたがこんな純粋で心の綺麗な人がいたとは!
この人の詩とか手記には心を揺さぶられるものがあります。
又再審への流れがあったにもかかわらず唐突な死刑執行を指示した上川法務大臣。前夜は懇親会に参加していたそうですが本当に考え抜いて死刑執行書にサインしたのでしょうか?又サリンを撒いた林郁夫は無期懲役なのに井上嘉浩はなぜ死刑なのか?1審は無期懲役なのに2審は死刑で最高裁は控訴棄却は何故なのか?
日本の司法にも疑問を感じた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「アンパンマン」の歌は大人になってその意味を考えると、とても胸に迫るものがあります。
それは作者やなせたかしさんの戦争体験に由来するものと知り、歌詞に込められた本当の意味に近づけたような気がします。
夏、終戦記念日が近づくと何か戦争関連の本を読もうと決めていて、今年はこちらを手に取りました。
戦争を経験した2人の人生を追う形で進んでいく本書は、歴史に埋もれていった当時の若者たちの存在をリアルに感じさせてくれます。
そして、それはその後ろにある無数の犠牲のほんのひとかけらであることも
失われた若者たちは、戦争がなければきっと日本の発展に大きく寄与してくれる優秀な人たちがほとんどだったろうと -
Posted by ブクログ
あのときの現場の人達が何を考えてどう行動したのか
文字通り命懸けで闘ってくれたことが分かった
ただただ感謝
以下メモ
地震の揺れを感じている時にスクラム(欣喜停止)すると直感をした
実際に揺れのあとすぐスクラムした
ちゃんとスクラムして逆に安心した
地震による停電で電源がなくなってしまった
しかし 非常用電源があったので活用した
そういう場合の訓練は頻繁に行っていたので 落ち着いて対応できた
非常用電源は海抜10m のところにあった
10m あれば絶対大丈夫と思われていた
なぜなら 過去1000年以上 そんな大津波が来たことはなかったから
しかし 津波はそこに来て なんと非常用電源も -
Posted by ブクログ
ネタバレ今もなお、尖閣諸島周辺の日本領海に中国海警局の船舶が侵入し続けている。(2023.12.18現在、2023年に入り42日)
中国によるこの領海侵犯の状況に何らの排除行為も取らない自公政権がいる。
許すまじ、覇権主義中国共産党、習近平、親中自公政権。
「魚を捕るのではないから許可は出ません、などと言われて「はあ、そうですか」と、引き下がれるはずがなかった。
そもそも日本人が「日本の領土」に上陸できないなどと誰が決めたのか。髙吉は「ふざけるな」という思いだったのである。」(245頁)
という状態は今も続いているのだ。
「「ひとのことはいくらでもしなさい」
珍吉は息子にそう教えていた