米川正夫のレビュー一覧
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ネタバレ思想的なことがメインなのかなと思ってたけど、もっと純粋に、物語として面白かった
下巻でぐーるぐるうごくやん、展開気になりすぎて一気読みした。
主人公どうなんの?っていうのを軸に周りの人の人生もからまって、そのどれもが目まぐるしい。
最後まで主人公の考え方は変わらなかった、それがほんまの最後の最後に理屈じゃなくて情的な面で動く。たぶん主人公の考え方だけに的を絞ってたら、結局そうおさめるのねって冷めてたかもやけど、登場人物それぞれの意見をたくさんからませて、主人公自身も善意と個人思想の間でずっと揺れ動いていたのがあったから、この終わり方に好感をもてた。
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カラマーゾフの3兄弟+妾腹の子をめぐる長編の第三巻。この巻は二巻で示唆された「重大な事件」が発生し、ほぼ3分の2はそれに費やされる。事件発覚前のパーティや発覚後の尋問部分がもうドラッグやってるんじゃないかってくらい支離滅裂な部分があって、読者もいろいろ振り回される。残りはアリョーシャの話に戻るが、戻るときに別人物の視点から語られ始めてしばらくこれがどうやったら本編につながるのかわからず戸惑った。全体的にどこに連れていかれるのか予想のつかない巻だった。
残すところ四巻のみとなったが、家族読書会の課題図書を読まねばならぬので、それが終わるまでおあずけ。 -
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カラマーゾフの3兄弟+妾腹の子をめぐる長編の第一巻。米川正夫訳が入手できたので読んでみた。この巻はカラマーゾフ父と息子たちとの関係に始まり三男アリョーシャが長男の暴行の尻ぬぐいをしようとするところで終わる。全然家族として機能していないカラマーゾフ家で父親と長男の関係が最悪だが、今まで家族として暮らしてきてもいなかったのだから無理もないかとも思う。それなのに兄たちを愛するだとか兄は必ず謝罪するとか兄に確認もせずに言う三男アリョーシャに「おまえ大丈夫かい?」と言いたくなった。
米川正夫訳の日本語がかなり古い日本語で、その日本語自体が味があって良い感じ。翻訳は1917年から18年にかけて出版されたそうで、100年以上前のものだ。 -
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最近死についてよく考える。そこで遥か昔に読んだこの本を再び手に取ってみた。ある裁判官が不治の病に罹り、死に至るまでの過程が極めて鋭く描かれている。
文庫でほぼ100ページの短い作品なのだが、さすがはトルストイ、様々なことを深く考える機会を与えてくれた。以下、特に印象に残ったテーマを列挙し、考察してみよう。
すべての人は人間が必ず死ぬことを理解しているはずだ。だが『自分も必ず死ぬ』ことまでしっかり認識している人が、果たしてどれくらいいるだろうか。
トルストイの提示はこうだ。
それぞれの人は、人間が死ぬことを理解していながら、その『人間』の範囲から自分をこっそり外している。それゆえ自分だけは死ぬことはない、と思っている。そういう節があなたがたのどこかにも、ありはしないか?
もがき苦しむ主人公イワン・イリッチの陰から、読者にそう鋭く問い詰める著者トルストイの姿が見える気がした。
このように人は自分だけは死ぬことがないと認識しているから、親族などの死に際してもどこか他人事のように考えてしまう。そして当事者に対して暗喩的にそれを表現することになってしまうのだ。
明示されていたわけではないが、僕にはそのように読み取ることができた。そしてそのような冷たい他者の存在は、当事者にとてつもないストレスを与えるものであるらしい。
この辺り、身内の死を近くに抱えているかもしれない僕としては、今後しっかりと弁えておく必要があると感じた。
生死に真摯に向き合ってこそ、人は本当の生を生きることができると言う理念がトルストイにはあるようだ。
多種多様なライフイベントは、生死に直接向き合うことから人の目を逸らさせる。それも裕福で贅沢、いわゆる高級な生活をしている人ほどその傾向が強いようだ。
イワン・イリッチが、身分のあまり高くない人たちの素朴な人柄と暮らしぶりに、安楽を見出したのは偶然ではなかったのではないだろうか。
イワン・イリッチがいよいよ死に瀕した時の描写には、鬼気迫るものがあった。人は死に際の苦しみ、それとも死そのもの、どちらを主に恐れているのだろうか。その恐怖から解放されるにはどうすればいいのだろうか。
最終幕で彼が悟ったこと、これは是非とも僕の言葉ではなく本文で読んでほしい。敬虔なキリスト教の概念は見え隠れするものの、そこには死すべき宿命を抱えた、ありとあらゆるの人の魂に響くものがあるだろうから。 -
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苦しい。ひたすらに苦しい。不治の病に身体と精神が蝕まれていく苦痛。死へと確実に向かっていく恐怖。そしてそれを誰も理解してくれないという孤独。これらが刻銘に描かれているだけの物語。トルストイは、なぜこんなに苦しい物語を書いたのか。
というより、なぜこれを私は読んだのか。本はほかにいくらでもある。どうせ読むなら、心が躍るような、知らなかったことが知れるような、仕事の役に立つような、そんな本を読んだほうが、客観的に、有意義ではないか。それにもかかわらず、この本を選び、時間を掛けて、私は読んだのだ。このことがとても大事なことのように思える。
自分のものでない苦しみを読むのはなぜか。この問いはペンディングしておこう。考える端緒は、許される感覚。幸福や達成感といった、前向きなことがなくとも、人生は存在してよいということ? -
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三島由紀夫、小林秀雄、村上春樹、平野啓一郎、…
ドストエフスキーを読んで人生が変わった、影響を受けた、と随筆などで書いている作家や著名人を今に至るまで、本当に多く見かけてきた。
時代に関わらず普遍的なメッセージがあるんだろうなぁ、とは思いつつ、これまで何度もトライしては挫折している。
まず、本筋から外れるエピソードが多い。今時のストーリーを追うものではないと分かってはいるが、それにしても話が進まない。
また、登場人物の名前が分かりにくく、同じ人が複数の呼び名で登場する。
齋藤孝氏は、登場人物の個性的なところにも注目すると良い、などと著作の中で触れていたので、今回はそういうところを含めてじっくり時間をかけて読んでいこう、と思い再トライ。普段は上下巻になっている場合、下巻を読み終わってからまとめて感想を書くが、今回は忘れないうちに、と思い現時点の感想を。
一つは、酒、そしてそれによる酩酊状態の場面が多い。ロシア人はウオトカを日常的に大量に呑み、アルコール依存が社会問題になっていると聞くが、それはここでもベースになっているのではないか。
また、上巻後半までは冗長な表現が多く、読み進めるのになかなか忍耐力が求められたが、ラスコーリニコフの書いた論文のくだりに入って、それまで感じていた「なぜラスコーリニコフが殺人を決意したのか?」というモヤモヤが晴れて、一気に引き込まれた。
下巻が楽しみだー!
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金持ちで地位の高いイワンイリイッチが死ぬまでの過程を描いた話。
序盤は退屈だったけど、後半からはイワンイリイッチの心理描写にのめり込めて面白かった。
別に心の中では悪い事しようとしてる訳じゃないのに、周りの家族から蔑まれるのが辛いね。最後の力が出なくて「許してくれ」って言えないシーンが悲しい。
最後は死の恐怖を克服し、幸せな気分で消える事が出来て良かった。
あとイライラとかだんだんとかの単語を、「むらむら」って表現するのがちょっと気になった。
主人公は今までの人生振り返り、歳をとるにつれ、加速度的に辛くなる事に気が付いた。そこそこ楽しいと感じていたこれまでの人生だけど、振り返ってみると、無意味で穢らわしいものに思えて来るらしい。
自分は死ぬ間際に、これまでの人生を振り返ってどう思うのだろうか? 後悔しないように海外行ったり色んなバイトするようにしてるけど、最近はそれがなんなんだ?って気持ちになる。海外行けば目新しい感じになって人間的に成長した気はするけど、結局帰ってこれば特に何も変わってない。変わってた所でも別にそれがなんなんだ?とはなる。
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長いし、人間関係が複雑だし、随分前に端役だと思っていた人物が突然現れるし、キリスト教の倫理観と歴史が理解しづらいし、唐突に愛称で呼ぶし…というなかなかハードな本だった。人物一覧表を作りながら読んだ。
ただ、名作と呼ばれるだけあって人間の心理描写力が非常に優れていると感じた。
カチェリーナの、ミーチャやグルージェンカへの愛憎渦巻く複雑な心境。コーリャ少年の背伸びと自尊心。ラキーチンの世の中を小馬鹿にしたような皮肉。スメルヂャコフの嫉妬など…枚挙にいとまがない。
また、(当時の)キリスト教の考え方と倫理観について、微量ながら理解することができたと思う。
本書で取り上げられている問題はキリスト教だけの問題ではないし、過去の問題でもないと思う。
科学の発達によって薄れた信仰心。ヒトは「神からの赦し」を捨てて生きることができるのか?
人間がどこまで行っても捨て去ることのできない問題と人間臭さがこれでもかと凝縮された本だった。