米川正夫のレビュー一覧
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ネタバレドストエフスキーによって、彼がシベリアに流刑される前に書かれた九篇が収録された短篇集
良い気持ちになる作品は基本的に無いけど、ある種の滑稽劇(ファルス)が繰り広げられてるから面白くはある
ロシア文学らしく感情/感動が大袈裟に表現される分、登場人物たちがどういったことにどう心動かされたのかが分かるし、それに同調する形でこちらも心動かされる
ただ心が疲れてる時は読まない方がいいかもね、特に「白夜」とか大変なことになっちゃう
内容で言ったら「弱い心」が一番好きだけど、文章として面白かったのは「九通の手紙に盛られた小説」かな、悪口の語彙がすごい
好きな作品
「プロハルチン氏」
「ポルズンコフ」
「弱い心」
「白夜」 -
Posted by ブクログ
シラミ一匹を殺して、大勢の人間を救えるなら、殺人は正当化できるのではないか。
というラスコーリニコフの殺人の動機は、いかにも愚かで。まるで、コロナ禍でパチンコやる人のこと弾圧してる人間の論理と一緒のような気がしました。
殺人を犯したあの日から何も感じないように、そうやって自分自身までも殺して生きていくんですけど、その内面と向き合わなければ、苦しくて苦しくて生きていけない。
ソーニャの父親の事故によって、ソーニャと再会し、「善行」を施し、ソーニャの兄弟から感謝されることによって、ラスコーリニコフは、罪と善行の均衡がとれたような、そんな気がしたんだろうかな。そのとき、死刑の直前に恩赦を受けた気分になったと記述がある。
でも、これは、ほんの一瞬の光であって、彼はまだまだ闇の中。
しだいに、ソーニャからの無条件の愛によって、初めて自分の罪と向き合うことができ、だからこそソーニャに殺人を告白したのだろうかと。
告白を聞いて、最初怯えていたソーニャも告白を受け入れ自首を促す。その後も、ラスコーリニコフの手を取り彼の肩に頭をのせて愛らしい仕草をとるソーニャ。
殺人の告白をしても、なおも、自分を愛するソーニャによって自首の覚悟がつくんだろうと。
でも、その一方で苦しくて自殺したのがスウィドリガイロフ(やはりラスコーリニコフ同様殺人を犯してる)で…ラスコーリニコフとの対比が印象的です。
自首後のシベリアへの流刑…
ラスコーリニコフが囚人との間に溝があったのは、おそかく彼が信仰を見つけていなかったからかと。その後、ソーニャを通じてその母なるロシアの大地にその愛を根付かせる。そのことによって、やっとラスコーリニコフは蘇ったんだと思います。ここで殺人を告白した時にソーニャがラスコーリニコフに読み上げたラザロの復活に繋がっている。ほんとにそんな壮大な物語でした(涙) -
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ネタバレトルストイ56歳の作品だ、しばらく休筆した後でもう死を見つめたのか。彼は壮絶なイリイチの死を内側から見ている。気力のあった頃に大作の後で読んだのだが、その頃はあまり記憶に残らなかったが、再読してみた。
まず、イリイチの死が知らされ、裁判所の同僚の噂話から始まる。彼らの関心は空いた椅子に座る人物についてだった。イワン・イリイチはまだ45歳の判事だった。
イリイチがどんなに俗人であったか、トルストイは容赦なく述べる。
彼は秀才で礼儀正しく順調に地位を登っていった。しかしそれには用心して人と付き合い、尊敬され好ましい人物と思われるように、要領よく仕事をした。そのための努力を惜しまずに、方法を自然に身に着けた。
家庭を持ち、妻と子供に恵まれ新しい家を買った。見栄えのよい部屋をあつらえたが、どんなに品よく飾り立てても所詮自分が満足するありふれた範囲から出ることはなかった。それでも十分快適で、俗人であることには気が付かなかった。
気に入っていた妻と、子育ての煩雑さで溝が深まるまでは。
彼の不運は、カーテンを吊るために上がった梯子が倒れ脇腹を打ってから始まった。重苦しい鈍い痛みが次第に強まり舌に変な味がし始めた。
医者は命に別状はないと診断した、不安に駆られ医者を変えて様々に検査をしたが、はっきりとした病名はなく、薬を処方されるだけだった。
だが痛みは増し、死におびえイライラと落ち着かず、すべては周りのせいにした。
気難しい夫を妻も持て余し気味で、家庭も荒れて来た。
動けるうちは見栄もあり生活のためもあって苦痛にさいなまれながら働いていたが、回りの人々の気配も変わってきた。発病して三か月たって、彼は自分の病気を自覚した。
彼の慰めは下男のゲラーシムの変わらない献身だった。痛みの苦痛は増してきたが医者の絶望的ではないという言葉にある、一抹の希望にすがっていた。だがもう耐えられなくなってきた。
心の声と対話を始めた。彼は人生を遡って思う、自分は坂を上っていたつもりが下っているのではないか。次第に命が離れていく。
苦しみながら死ぬのは何か間違ったのだろうか。
二週間後に長女の結婚が決まった。
妻の眼に憎悪を見た。「お願いだ静かに死なしてくれ」
のたうちながらアヘンをのみ束の間の平安の後にまた苦しみ、希望と絶望が交互に襲って来た。
三日間苦痛にうなり続けて彼はやっと気が付いた。
死んだらみんな楽になるのだ。
許してくれというつもりが伝わらなかった。そして今まで苦しめられて来た死という思いが体から離れていき代わりに光が訪れた。
なんてむごい死にざまを書いたものだろう。トルストイという人にとっても、平凡な俗人が死ぬ間際になって初めて光を見出すという、彼の信仰の一つの形が書かれている。
我々は今の人口と同じ数の死の上に生きているという記事を読んだことがある。歴史上に名を遺した人々も、名を遺したという時にはすでに肉体を持っていない。イワン・イリイチの死は誰にでも訪れる普遍的な避けられないものであると同時に一つの典型でもある。
再読にもかかわらず、深い感銘を受けた。
余談だが、夫人が観劇に行くシーンがある。サラ・ベルナールを見に行くという。
そういう時代だったのか、ならその舞台のポスターはミュシャだっただろう、と何か現実味を感じた。 -
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ネタバレ青空文庫にて。
読むのにかなりかかったけど思ったより面白かった。
序盤〜中盤は殺人の動機がよくわからず本当にただの気狂いなだけでは?と思ってた。でも、金はないのに慈善的なこともするし躁鬱病的なものかなと。
終盤あたりでナポレオンなどの非凡な人間は殺人を正当化できる(自分もそうである)と信じての行動だったけど、凡人のように気に病んでしまった。だけど、それを認めることができなくて悩んでた。と理解できた。それが「罪」の意識。
で、最後には「罰」を受け入れることでソーニャの愛に救われる。ソーニャが聖女すぎる。
それぞれのキャラクターも何のために出てきてるか中盤まではよくわからなかったけど、終盤にはちゃんと役割が確立してた。
長いしよくわからないところもあり、ちょっとめげそうになったけど最後まで読んで良かった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレあーーー良かった。今読みたい本だった。痒いところに手が届く本だった。
イワンはバカだなあと思う気持ち(イワンのバカなだけに)と、果たして自分は絶対にイワンのようにはならないとは言えるのか、不安になった。怖くなった。
イワンは本当にバカだ。世間での評価しか頭になくて、本当に自分が大切にしたいもの、魂の声を全く聞いていなかった。世間の評価がなぜ大事なのか考えたこともなかっただろう。俗っぽい、つまらない人生。
でも、魂の声を聞き続けるのも大変。そんなのすぐに答えが見つかる問いではない。聞き続ける、探し続けることその自体に意味がある、その行為自体が目的になってしまうようなことだと思う。自分はまだ声を聞ききれていなくて、何が大切かもわからなくて、何をしたいかも不明瞭だしできるかもわからないし、そんな中で余命宣告なんかでもされたら相当の恐怖。なんならお腹が痛くなるたびに将来大腸癌で死ぬ妄想をしてゾッとする。まだまだ死ねない。満足がいく最期を迎えたい。美しく死にたい。そのためには魂の声を聞き続けなければならない。
一つ救いがあるとすれば、こんなイワンでも死ぬ直前には希望の光が見えたこと。直前まで苦しくて辛かったけど、最後の最後で辛くなくなったのはよかったね。ろくでもない人間でも最後に救いがあるというのは素晴らしい。
トルストイ面白かったな、他の作品も読んでみたいな。 -
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ずっと長いこと名作と呼ばれている作品を読まなきゃと思いつつも、放置してしまっている。年末の休みを利用して罪と罰を読破しようと思った。
のだけれど、思ったよりも長かった。
とにかく長かった。ずっと何ページにもわたって一人の人が喋り続けている。わりと重大なことかと思ったらそうでもなかったりする。とにかく描写が細かく、長く感じた。読んでて辛い気持ちになるエピソードもあって(マルメラードフ関連のエピソードが辛すぎた…)なかなか思ったよりスピードが出なかった。
以下、章ごとのメモ。
・第1篇〜第2篇
うんざりするような暗澹たる描写が続く。
とくに自分をうんざりさせたのは、弱った牝馬を群衆たちが寄ってたかって蹴り殺す場面だった。なんだってこんな酷い場面を描写したのだろうと暗い気持ちになった。
そもそも、好感の持てる人物はここまでで出てこなく、人間の嫌な面ばかり描写され、そして、一人一人の話が長い。大して興味が持てないか、もしくは聞きたくもない話をずっと聞かされ続けられている、そんな気分になってくる。そういうことって現実でもある。
・第3篇~第4篇
ラスコーリニコフの母と妹、妹の婚約者がペテルブルクに到着し、さらに友人たちも現れて、役者が揃ってくる。が、やはり彼らのエピソードに興味が持てない。興味が持てず、なかなか読むスピードが上がらず、集中力が保たなかった。
とにかく長い。主人公の妹のドゥーニャの結婚のエピソードが差し挟まれ、その間に人事不省になってふらふら出掛けたり、ヒロインであるソーニャと出会ったりして、個人的に好感の持てる人物でもなかったので、ひたすら退屈だった。
わりとすぐに精神状態が悪化してふらふらあっちに行ったりこっちに行ったりする。
まったく好感の持てない人物ばかり出てくるドストエフスキーのなかでも、ラズーミヒンだけはいい奴で癒やしになっている。いつも主人公を気にかけて、色々と世話を焼いてくれる。青春モノの作品にありがちな気のいい友人ポジションだ。
「ナポレオンのような非凡な人間は人を殺しても咎められないので自分だって人を殺したっていいじゃないか」というのが、主人公の軸となる主張なのだけれど、、、その一方で、我が国では前首相が殺され、その結果としてこれまで隠されていたことが明らかになった。世界に目を向けてみれば、それこそロシアとウクライナが戦争をしている。たくさんの死がそこにはある。人殺しそれ自体は良くないことだが、そうでもしないと動かない物事であったり、自分自身や家族、大切な人を守るために人殺しをしなければならない人もいたりする。
そしてこんなことも思い出した。宮台真司を襲った犯人も、今こうして、この物語の主人公のように怯えて暮らしていたりするのだろうか。
・第5~6篇
とくに興味が持てずにここまでやってきてしまったが、第6篇のスヴィドリガイロフとドゥーニャの対決のシーンがすごく面白くてびっくりした。ここだけ別の小説を読んでいるのではないかと思うほどだった。このシーンのためにスヴィドリガイロフがとても好きな悪役となった。悪いこともしているが、それでも、人を助けるような善きこともし、そして、非業な死を遂げる。好き。
このシーンが読めただけでもこの小説を読んだ価値があった気がする。
・まとめ
ずっと「退屈」だとか「興味が持てない」みたいなことを書いてしまったが、結果としては読んでよかったし、満足感もあった。
かつて、「カラマーゾフの兄弟」を読んだことがあるのだけれど、その際は、文字が滑ってしまって「ただ目を通してページをめくった」だけだったのだけれど、今回の罪と罰は、話の筋が理解できたし、それなりに楽しく読むことができた。
確かに人間の描写はすごく上手かった。キャラクター描写としても上手いし、そこにホンモノの人間らしさも表現されている。会話劇だけで盛り上がりを見せるのもすごく上手かった。
これだけ長い作品なので陰鬱としたエピソードもあるし、笑えるようなエピソードもあったり、笑ってたら大変なことになるエピソードもあったり、起伏があって面白かった。
確かに文学史に残る名作だろうし、影響を受けるアーティストの多さも分かった気がした。
長いから大変ではあるけど、青春モノとして読むと一級品であることは間違いない。読み通すことができてよかった。
冬休み。
罪と罰を読破した。(恥ずかしながらずっと未読だった…)
とにかく思っていたよりも長くて冬休み中ずっとこれにかかりっきりになってしまった…
長い小説だったけど、青春小説として、とても面白かった。
(カラマーゾフの兄弟はずっと意味が分からなかったけど罪と罰は、それより遥かに分かりやすかった) -
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『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』といった大長編で有名なロシアの文豪トルストイだが、もしかすると晩年に書かれた本作こそが彼の最高傑作ではないかと疑いたくなるほどの名作である。
短い作品である。文庫本にして100ページにも満たない。四冊にまたがる『戦争と平和』等の大長編と比較して、見劣りしないと言ったら嘘になるだろう。だがその中身は、トルストイの全キャリアが凝縮されているかのように濃くそして重い。
とはいえ何かドラマチックな事件が起こるわけでもない。主人公イワン・イリイチという一介の役人が死ぬだけの話である。死ぬだけ? なるほど死は、三人称の死は日常茶飯事に過ぎない。しかし一人称の死は? 主人公を三人称にとどめたまま一人称の死を描くトルストイの手腕は秀逸である。
冒頭はイワン・イリイチの葬式から始まる。訃報を聞いた友人たちはみな一様に驚いたような振りをする。驚くわけがない。人が死ぬのは当たり前である。友人たちはみな一様に悲しいような振りをする。悲しいわけがない。死んだのは他人であって自分ではない。喜びの方がむしろ大きい。ハイデッガーの『存在と時間』で明らかにされる頽落が、これほど見事に描かれている場面はほかにない。
死の直前イワン・イリイチの病に関し、医者がさまざまな議論をする。イワン本人は何を言われているのか全く分からない。自分の生死という存在にかかわる問題と、身体の疾患という事物にかかわる問題が同列に扱われていることの矛盾。哲学における死と医学における死の絶対的な断絶は永遠に解決不可能であろう。
最後のシーン、死におけるイワン・イリイチの幸福感は、しかし読者を慰めることはない。そんなものがフィクションに過ぎないことくらい読者には分かっている。しかし私の死はフィクションではない。本書によってそれに気づかされてしまった読者は眠れぬ夜に悩まされることになる。他人に薦めるのもはばかられるほどの恐るべき傑作である。 -
Posted by ブクログ
ここにはトルストイの幾つものメッセージが込められています。まず自分が他人にした事はいずれ形を変えて自分にも返って来るという事。
凡人が陥り勝ちな自分の欲望を最優先に追い続ける生き方をするといつか後悔する時がくるということ。人間はどんな状況でも生きている限り他人の為に出来ることがあるということ。死にたくないという本来の生存への執着ですら持つ事が本当ではないということ。自分の生活が法にかなって作法に外れてさえいなければ正しいわけではない。
イワンはそれに気付くために病気になって苦しむ必要があったのだと思う。ただ生きるのではなくどう生きるかが大事なんだと思いました。
素晴らしいです。何度も読み返してさらに深く気付いたらまた追記します。