植島啓司のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
共感のレッスンに関する知識を得ようと思い、手に取ったが、やや私の方向性とは違う本だった。
しかし、対談形式で進む各テーマにおけるトピックのあふれんばかりの知識はすごく面白かった。
対談形式で知識が発散していくのが共感のレッスンだったのか、その辺は不明だが、教養を深めたいとか知的刺激を得たいとかの要求には答応えられる本だと思う。
【目次】
はじめに 「とりあえず脳や心のことはパスしよう」
第1章 グローバル・ブレイン
第2章 自己免疫反応 自己と非自己はどう区別されるのか
第3章 なぜ人が感じていることが分かるのか
第4章 遺伝子なんか関係ない
第5章 「わたし」は身体の内にも外にも存在してい -
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「MENSA」の会員だったケヴィン・ラングドンの作成したパズルなどを紹介しながら、知性と「ひらめき」について著者自身の考えをつづったエッセイというべき本です。
論理パズルのような内容を期待した読者は、おそらく不満を感じるのではないかという気がしますが、著者の考えをあえて好意的に解釈するならば、人間的な地平における知性とそれを超えるものとの接点として「ひらめき」をとらえてみたい、ということであるように思います。ただそうした主題をあつかうのであれば、パズルやクイズの本のような体裁で提出すのではなく、著者の本領である宗教学プロパーのテーマとして論じたほうがよかったのではないか、と思えてなりません。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ著者は、『安岡正篤一日一言』から次の言葉を引用している。
「『幸』というものは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたにすぎないもの」を指している。それに対して、「原因を自己の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力によってかち得た幸いを『福』という」のだと指摘している。
そして、「徳」というものは、多くの人と交わるなかで初めて養われるものであり、そのためにはいつも自分が多くの人々に向かって開かれていることが必要となってくる。としている。
この本を読んで、私が紹介したいと思った一節は、安岡正篤の言葉であった。少々残念な感じもするが、学者さんと言うものは、過去の偉人が残し -
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この世の中の出来事は、偶然なのか、必然なのか。
交通事故を合うのは、偶然か
勉強すれば、テストのできるのは、必然か
よくわからなかったな。
ただいえるのは、
この世にどうにもならないことがあることを理解して、くよくよせず、起こったことを客観的に分析することが大切だということだ。
未来が見えない今、どうすればいいのか。
自分で選択せず、「世の中にはどうにもならないこともある」と一歩引いて考える
偶然に翻弄されずに、「起こったことをすべて必然と考える」習慣を持つ、ありのまま受け取る。
くよくよしない。「われわらの社会では、起こることは、起こるし、起こらないことは決しておこらない。