堀川惠子のレビュー一覧
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ものすごく感動した。胸ふるわせながら読んだ。
その世界では有名な元検察官で法科の教鞭もとっていた土本武司さんのもとを別件の取材で訪れた著者は土本さんから手紙の束を見せられる。40年以上前に自分が死刑求刑し、最終的に死刑になり、執行までの間に長谷川武さんから送られた数通の手紙。恨みつらみなどなく、じっくり話を聞いてくれたということへの感謝が綴られていた。この背景を著者は丁寧に追っていく。一人の人間が死刑になった背景が明かされるとともに、死刑制度のあり方にも迫る一冊。
読んでいて思ったのは、長谷川さんの周囲には誠実な人がたくさんいたんだなということ。土本さんは多忙ななかでも自分が死刑を求刑するかもしれないとして、長谷川さんの話をとことんまで聞こうとした。それが長谷川さんが土本さんを慕うことにもなった。死刑判決が出た長谷川さんとは手紙のやり取りを続け、さらには手紙から長谷川さんの更生を信じ、職務上冷静であるべき立場を半ば忘れたかのように減刑に向けた働きかけまでした。長谷川さんがこの世を去った後のことだが、検察官として知っておくべきと死刑執行の場に立ち会うことまでした。
二審の国選弁護人を務め、上告では選任弁護士を務めた小林健治さんも、自分の持ち出しで弁護を務めたようなもの。長谷川さんとの手紙のやり取りも多く、子どもたちもがしっかりと記憶していた。
長谷川さんは強盗に入った先で主婦を殺害したのだけど、事件の犯人として出会った土本さんや小林さんだけでなく、事件以前から長谷川さんの周りにも誠実な人たち。
近所で学校が同じで大学教授になった清水透さん。一時は同じく長谷川さんを知る友人たちと長谷川さんの減刑嘆願をしようとした(被害者の気持ちを考えろと諭され実行しなかったけど)。さらに、長谷川さんを雇ってその腕を買っていた加藤義男さん。加藤さんは一審で弁護側の証人にもなった。殺人したのは明らかなのに、それでも長谷川さんに肩入れしようとしたのはなぜだろうか。
結局は、長谷川さんが手紙に書いたことを信じれば不幸にも殺してしまったわけであり、そして場合によっては死刑判決にならないような事件だったのに、偶然やタイミングで死刑判決が出てしまったというように読めた。
では、検察側や裁判官が怠慢だったかというとそういうわけでもないように読める。彼らは彼らの職務を責任をもって果たしたように思える。それでも、本来、死刑になるべきでない人が死刑になった(ようにこの本を読んでいると思ってしまう)。でも個別のことだったり時代の空気間とか世間の関心度とかにもよってなので、死刑になるべき/なるべきでないとはどうにも決めようがない。言い換えれば、死刑という執行してしまえば取り返しのつかない極刑があることが問題だろうか。
土本さんは著者に「死刑というのは、命を奪うこと、つまり本来なら神様しかしてはいけないことを、法の名の下において人間がやっているわけですから。それは単なる謝罪という次元を超えた最大の償いなんです。命を差し出すのだからこれ以上のことはない。それに対して謝罪してほしかったというのは本来、筋が通らない話です。それほど死刑というのは重いものであるはずなのに、多くの人はそれを理解していない」(p.16)と話していて、これはつまり、死刑になるということは反省などしなくてもいい。言い換えれば反省していない/反省しないと審判されたということではないだろうか。
だとすれば、逮捕当初から殺したことを認めていた。途中までは控訴もせず死刑を受け入れるつもりだった(小林さんが必死に生きるよう諭した)長谷川さんは、死刑になる人ではなかったように思える。
獄中からの手紙はどんどん浄化されていくかのようで、執行が決まり朝を迎えるまでに土本さん、小林さんに書かれた手紙は涙なくして読めなかった。埋もれてしまいそうな一件を著者は長谷川さんの生い立ちや兄弟のその後まで追っている。少々野次馬根性で読んでしまったけど、こうした周囲の状況を知ることでこの一件を、こういう生い立ちだからといった同情論でなく、多くを知ってなお長谷川さんの清らかさを信じることができる。この本によって長谷川さんは少しはうかばれたのではないかなとも思い、いや、長谷川さんはそんなことを超越していただろうと思い直す。
この本は、死刑があることの是非、死刑が絞首刑であることの是非、また刊行当時始まろうとしていた裁判員裁判の是非なども含んでいる。罪を犯しただけで敬遠されたり非可視化され、世論が死刑を求めるかのような空気になる時代。裁判員裁判も実際に行われているのだろうが、全然話題にならない。三権分立は成り立っているのかというような判決を聞くことも増えた気がする。敬遠しがちだけど、みんなで理解し考えないといけない課題が織り込まれている。 -
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八田元夫さんも丸山定夫さんも全く知らなかったが、著者の手により、読んでいる間ずっと生き生きとわたしの中で存在した。たくさんの人が出てきたが、それぞれ背景や出来事が丹念に描かれ、その人たちの性格や暮らしぶりや、内面の苦悩や喜びが手に取るように伝わった。
どの職業の人も戦争の間、不条理な目にあったことがたくさんあろうかと思うが、演劇人の苦労は、表現の自由が奪われ、官憲との戦いもあり、収監されたり、拷問を受けたり、特別なものであった。読んでいて苦しくなる。
そして「桜隊」の悲劇。そこに辿り着くのはわかっていたが、いざ原爆の日が近づくとドキドキしてきた。そして想像以上の恐ろしい結果だった。なんの罪もない人が、一瞬にして死に絶える。なんとか助かったと思えた人たちが、1、2週間のうちに亡くなる。普通の生活に戻れ何年が過ごしたのち、原因不明の調子の悪さで亡くなったりする。
"いったん国が戦争することを許してしまえば、それに抗って生きることは容易ではない。もし、同じ時代が再び来れば、自分はまた同じことを繰り返してしまうだろう。人間はそんなに強くない。だからこそ、平和と言われる時代にあっても、無関心にその時代の行列に並ぶのではなく、自分が正しいと思うことに向かって意思を示し続けなくてはならない。それは演劇であってもいいし、デモでもいい。とにかく傍観者にならないことが自分たちに課せられた義務なのだと、晩年の八田は若い俳優たちに繰り返した。それが、戦禍の中を生き延びた1人の演劇人、ガンマ線に貫かれた1人の被爆者として辿り着いた道だった。"
次々と戦争を知る人たちが亡くなっていく。14年という長い期間丹念に取材され、資料を読み込まれ、著作にされた。そのことの意味をしっかり受け止めたいと思う。 -
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それはまだ「永山基準」と呼ばれる死刑基準が出来る前の
ことだ。1966年に強盗殺人事件の容疑で逮捕されたのは
長谷川武、22歳。
ほとんど弁明もせずに、彼は一審での死刑判決を受け入れた。
しかし、母には受け入れがたい判決だった。母からの熱心な
懇願で、小林健治弁護士は二審の弁護を引き受ける。
だが、一審の死刑判決が覆ることはなかった。1971年11月9日、
9時32分。28歳になった長谷川武は「従容として」刑場に消えた。
本書は、別件の取材で検事・土本武司の元を訪れていた著者に
獄中から届いた手紙を見せられたことから始まった、死刑制度を
問う作品だ。
それは、一審で死刑求刑を書いた土本へ、獄中の長谷川が
書き送った手紙だった。恨みつらみが書かれているのではない。
手紙には土本への感謝が綴られていた。
彼はどうしてこれを書いたのだろう。
既に長谷川本人はこの世にいない。世間を騒がせた重大事件では
ない。悪い言い方だが、ありふれた強盗殺人事件だ。多くの
資料が残されている訳もない。
それでも著者は関係者を探し出し、長谷川の生い立ち、彼に影響
を与えたであろう母のルーツを探し当てる。そして、幼くして
養子に出された長谷川の弟さえ探し出した。
長谷川が手紙を送っていたのは土本だけではなかった。二審を
受け持った小林弁護士、事件直前まで勤務していた会社社長の
元へも手紙が送られて来ていた。
本書には長谷川が残した手紙全文が多く引用されている。そこ
には自分の犯した罪を自覚し、罰を受け入れることで強盗殺人
事件の犯人とは思えないほどの心の穏やかさがあった。
人は、変われる。長谷川の手紙を読んでぼんやりと感じていた
ことが確信に変わった。
勿論、古い事件だけに著者の取材でもはっきとは分からない
部分もあり、もやっとした気持ちになることもあったが根気よく
綿密に取材が行われたのが分かる良書だ。
死刑囚の待遇も、今よりは緩かったこともわかる。人間的に
接することで何かが変わることがあるのではないかな。
「悪い事をしたら罰を受ける、人を殺したら命で償うという
のは分かりやすいロジックではあるけれど、死刑は法律が
認めた、いわば国家による殺人と言ってもいい。目の前で
動いている、生きている人間を殺すことなんですから。
死刑は本来、究極の選択でなくてはならないんですがね……」
死刑維持派と言われる土本の言葉だ。究極の選択をしなければ
ならなかった検事の苦悩から、もう一度、日本の死刑制度を
見直してみてもいいのではないか。
死刑は、命ばかりか更生の可能性さえ奪ってしまうのだから。
骨太のノンフィクションはやっぱり読みごたえがある。 -
Posted by ブクログ
堀川惠子(1969年~)は、広島県に生まれ、10年に亘る広島テレビ放送での報道記者・ディレクターのキャリアを持つ、ドキュメンタリーディレクター、ノンフィクション作家。『死刑の基準~『永山裁判』が遺したもの』で講談社ノンフィクション賞(2010年)、本作品で大宅壮一ノンフィクション賞(2016年)を受賞している。本書は2015年に単行本が出版され、2018年文庫化。
本書は、広島の原爆供養塔に纏わる佐伯敏子さんの生涯と、その意思を継いで自らが携わった被爆者の遺骨を肉親に届ける活動を通して、著者が見、聞き、感じたことを綴ったノンフィクションである。
佐伯敏子さんは、1919年広島市に生まれ、自らも被爆しながら、広島平和記念公園内で被爆者たちの遺骨を供養する原爆供養塔の清掃活動を自主的に30余年に亘り続け、2017年に亡くなったが、「原爆供養塔に行けば、佐伯敏子さんに会える」と広島を訪れる人々の間に口伝てに広まり、晩年は“広島の大母さん(おおかあさん)」とまで呼ばれた方である。その証言は、平和教育の題材として日本全国で幅広く活用され続けているという。
広島の原爆で亡くなった方は14万人(広島市発表)とも20万人(『広島県史』)とも言われ、原爆供養塔には無縁仏7万柱が納められているという(原爆投下当時の広島市の人口は推定45万人)が、その大きさ・重さを簡単な言葉で表すことは難しい。
本作品の単行本出版後、2016年にはバラク・オバマ氏が現職の米国大統領として初めて広島を訪問し、2017年には「核兵器禁止条約」が国連で採択され、かつ、国際NGOのICANがノーベル平和賞を受賞したものの、北朝鮮の核開発を巡る情勢は実質的には好転していない(本日時点)し、世界には様々な価値観を持つ集団が存在しており、価値観の相違が対立に繋がり得ることは否定しようのない事実である。
しかし、私はこれまでも、『黒い雨』、『いしぶみ~広島二中一年生全滅の記録』、『散るぞ悲しき~硫黄島総指揮官・栗林忠道』、『今日われ生きていあり』、『野火』、『火垂るの墓』など、戦争をテーマとした多数の本を読んできて、読み終わるたびに、「戦争は正解ではない」と感じたし、著者が「文庫版あとがき」で語っている、「人類史上、初めて核兵器の犠牲者になった死者たちが眠る、原爆供養塔。そこで家族の迎えを待つ万という人々の思いにふれた者として、悪を悪で制する核抑止論に賛同することは難しい。」との思いには強く共感を覚える。
戦後生まれの我々が語り継がなければならない、原爆・戦争の悲惨さを再認識させる力作である。
(2018年8月了) -
Posted by ブクログ
ネタバレ読みながらふと、終戦から自分が生まれるまでよりも長い年月を私は生きてきたのか、と気づき、戦争ってつい最近のことなんだなとひしひし感じ、ずーーーっとキリキリお腹が痛い読書時間だった。父親が生まれたのなんてまだGHQ占領下だものなぁ。
著者の緻密な取材には頭が下がるばかり。自分が生まれるたった数十年前の出来事なのに、知らないことだらけ。それなのに、戦争を知らない世代からあれよあれよと「憲法改正」だの「抑止力としての核兵器」だのいう声が出てくることに、うすら寒いものを感じずにはいられない。抑止力としての核兵器とか寝ぼけたこと言ってる方々は、自分でこの広島や長崎の地獄を味わう覚悟があるのか?と問いたい。
こんな兵器を作ってしまったら、人間は使わずにはいられなくなるんだよ。だから作っちゃいけないんだよ。なぜ生きていくために、人を殺す兵器や軍隊が必要なんだ。
終戦記念日前に、いろいろと考えさせられる本でした。 -
Posted by ブクログ
広島の平和記念公園は設計者の丹下健三氏の思想から、原爆ドームを悲劇と平和の象徴として中心に据えることを意図してつくられており、訪れた人が平和の祈りを捧げる目線の先にドームがくるように周辺施設は配置された。
しかしその原爆ドームから少し離れた場所に原爆供養塔という、原爆の犠牲になった七万柱の遺骨が安置されていることは、あまり知られていない。
広島や原爆に関する本は少なからず読んできたと思っていた自分も、原爆供養塔というものがあることを初めて知った。見た目は巨大な土饅頭で、一見してもなんだかわからない。古墳と説明されても納得しそうな外観だ。
昭和33年のある日、被爆者のある女性が平和記念公園に立ち寄った。その折に公園の片隅にあった土饅頭と呼ばれる塚の前に立った。この塚の下には何十万人もの原爆犠牲者の遺骨が安置されていると聞いていた、しかし、そこは掃除がされている様子もなく、草が伸び放題だった。原爆慰霊碑には手を合わせていく人は多いのに、原爆供養塔には誰も手を合わせない。原爆慰霊碑には原爆犠牲者の名簿は納められているが、遺骨は原爆供養塔のほうにある。なにか違和感があった。
その日から彼女の供養塔への日参がはじまる。一年中休むことなく。それが犠牲者への供養となり、生きのびたことへの自責の念を浄化させることにつながるように思えたから。
彼女の名前は佐伯敏子。何十年にもわたって体が動く限り、原爆供養塔の祈りと日々の清掃を続け、安置所内の遺骨を家族のもとに帰す活動を続けた人だ。病気で動けなくなってからも常に気にかけ続けた。
彼女の原爆体験は壮絶だ。被爆直後に母親を探すために中心部へとむかった彼女は、ひどい熱傷で顔の判別がつかなくなった多くの被爆者の足を踏みつけ、痛みで声をあげさせた。顔では判断できないから声で母親を見つけようとしたのだ。
その当時は必死で、ごめんなんさいと言いながらも、仕方ないことと心を傷みることもなかったが、時間が経つにつれて、なんて酷いことをしたのかと心を痛めるようになった。
被曝の後遺症で、下痢や嘔吐を繰り返して痛みでのたうちわまって死んでいった兄を、看取ることもなく牛小屋でひとりで死なせてしまったこともあった。当時は感染のリスクがあるからと納得していたが、あんなにやさしくしてくれた兄にひどい仕打ちをしてしまったという悔いは時がたつほどに募った。
あるとき供養塔の内部の遺骨を掃除すると、骨壺のなかには名前や被爆時にいた場所、住所まで書かれているメモがあることに気づいた。どうしてここまで詳しいことがわかっているのに、この遺骨は家族のもとに帰れないのだろう、と不思議に思った。そんな骨壺は無数にあった。
「もしかしたら、ここに遺骨があることを知らないのではないか」
彼女はそれらのメモ書きのなかで比較的近い場所を訪れてみようと決めた。彼女のこの些細な行動から、家族の帰りを待ちつづけた多くの遺族のもとへ、遺骨が帰る大きな物語へとつながっていく。
詳しくは本書を読んでいただきたい。
平和記念公園が整備計画が進むにつれて、行政は供養塔の維持管理をほっぽらかし、存在なんて無くしてしまいたいかのように扱う。
佐伯さんは「平和公園」という言葉を使いたがらなかった。あそこは「地獄公園」だ、と言っていた。なんでもかんでも平和というきれいな言葉にして、原爆慰霊碑に眠る七万体もの犠牲者と、その苦しみを忘れさせようとする、その言葉が佐伯さんは気に入らなかった。
この言葉が自分には一番響いた。
平和への祈りはもちろん大切だ。平和記念公園の存在意義が否定されているわけでもない。 しかし、平和を最も希求した被爆者たちの、地獄が、苦しみが後世に薄らいで伝っていいはずがない。薄らいだ分だけ、平和への願いも薄らいでいく。もしかしたら、そのうち原爆は必要悪だったなんて言葉が広島からも聞こえてくるようになるかもしれない。
この本、第47回大宅賞を受賞したのに、全国的には全く売れていない。
広島や原爆を語る上で、もっと広く読まれていい本だ。文庫化されて手に取りやすくなったことだし、大人だけじゃなく、夏休みの課題図書に選定して、高校生にも読んでほしい。 -
購入済み
上質なミステリーのようです
世の中に「死刑」の是非をめぐる論争は数多ありますが、この本はそうした枠を超えて、読むものに命の大切さや人を裁くことの難しさを訴えていると思います。堀川惠子さんの作品は4作目ですが、どの本も取材が行き届き、著者の切なさや温かい心が込められています。これからもどんどん書いてください!
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Posted by ブクログ
教誨師・渡邉普相の生涯を、事実をもとに描いた作品。
そこに美談が語られているわけではない。「教誨とは何か」「教誨師はどうあるべきか」という問いに、生涯を通して苦悩しながら向き合った一人の人間の姿が描かれている。
死刑囚は許されざる罪を犯した者であり、死刑制度があるこの国では、その刑を受けなければならない。それでも、彼らが一人の人間であることに変わりはない。
罪を悔い、自らの人生を見つめ直し、最後をどう迎えるか。死刑囚にもその時間を生きる権利はあるのだと、本書を読んで強く感じた。
そして教誨師に必要なのは、「救ってあげる」ことではなく、相手を一人の人間として認め、対等に向き合うことなのだと思う。
渡邉氏は、ある時から自分には死刑囚を救うことなどできないと苦悩するようになる。そんな彼が自身のアルコール依存症を死刑囚たちに打ち明けたことで、彼らとの間に少しずつ信頼が生まれていく。弱さを抱えた一人の人間として自分をさらけ出したからこそ、彼らもまた渡邉氏を対等な人間として受け入れたのかもしれない。
「死を突きつけられた人間に対して、他者がそう簡単に『救い』など与えられるものではない」。
この言葉が、とても印象に残った。
死刑囚たちは被害者やその家族に深い苦しみを与えた加害者である。一方で、彼ら自身もまた、幼少期に不遇な環境で育ち、十分な愛情を受けられなかったなど、人生の早い段階で「被害者」となっていた場合がある。
彼らの犯した罪が許されるわけではない。それでも、罪を犯してしまうところまで人を追い詰められることを、もっと早い段階で食い止められる社会であってほしいと思った。
死刑制度の是非について、答えはまだ分からない。ただ、この本を読んで、罪を犯した人間をその罪だけで見てはいけないのだと感じた。