それはまだ「永山基準」と呼ばれる死刑基準が出来る前の
ことだ。1966年に強盗殺人事件の容疑で逮捕されたのは
長谷川武、22歳。
ほとんど弁明もせずに、彼は一審での死刑判決を受け入れた。
しかし、母には受け入れがたい判決だった。母からの熱心な
懇願で、小林健治弁護士は二審の弁護を引き受ける。
だ
...続きを読むが、一審の死刑判決が覆ることはなかった。1971年11月9日、
9時32分。28歳になった長谷川武は「従容として」刑場に消えた。
本書は、別件の取材で検事・土本武司の元を訪れていた著者に
獄中から届いた手紙を見せられたことから始まった、死刑制度を
問う作品だ。
それは、一審で死刑求刑を書いた土本へ、獄中の長谷川が
書き送った手紙だった。恨みつらみが書かれているのではない。
手紙には土本への感謝が綴られていた。
彼はどうしてこれを書いたのだろう。
既に長谷川本人はこの世にいない。世間を騒がせた重大事件では
ない。悪い言い方だが、ありふれた強盗殺人事件だ。多くの
資料が残されている訳もない。
それでも著者は関係者を探し出し、長谷川の生い立ち、彼に影響
を与えたであろう母のルーツを探し当てる。そして、幼くして
養子に出された長谷川の弟さえ探し出した。
長谷川が手紙を送っていたのは土本だけではなかった。二審を
受け持った小林弁護士、事件直前まで勤務していた会社社長の
元へも手紙が送られて来ていた。
本書には長谷川が残した手紙全文が多く引用されている。そこ
には自分の犯した罪を自覚し、罰を受け入れることで強盗殺人
事件の犯人とは思えないほどの心の穏やかさがあった。
人は、変われる。長谷川の手紙を読んでぼんやりと感じていた
ことが確信に変わった。
勿論、古い事件だけに著者の取材でもはっきとは分からない
部分もあり、もやっとした気持ちになることもあったが根気よく
綿密に取材が行われたのが分かる良書だ。
死刑囚の待遇も、今よりは緩かったこともわかる。人間的に
接することで何かが変わることがあるのではないかな。
「悪い事をしたら罰を受ける、人を殺したら命で償うという
のは分かりやすいロジックではあるけれど、死刑は法律が
認めた、いわば国家による殺人と言ってもいい。目の前で
動いている、生きている人間を殺すことなんですから。
死刑は本来、究極の選択でなくてはならないんですがね……」
死刑維持派と言われる土本の言葉だ。究極の選択をしなければ
ならなかった検事の苦悩から、もう一度、日本の死刑制度を
見直してみてもいいのではないか。
死刑は、命ばかりか更生の可能性さえ奪ってしまうのだから。
骨太のノンフィクションはやっぱり読みごたえがある。