堀川惠子のレビュー一覧
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死刑囚に教誨師という存在があることは知っていたが、色々と考えさせられる本だった。
多くの死刑囚が、社会なり親なりからの被害者感覚があるという点。誰か一人でも罪を犯す前に理解者がいれば犯罪者にならなかったのではないかという人物。
やるせない話が多く、なかなか読み進められなかった。
教誨師である僧侶の渡邉普相はとても謙虚な人物だと感じた。だが、最後のウイスキーのくだりではちょっと笑ってしまった。僧侶とはいえ、苦悩も弱い部分も受け入れた、人間味にあふれた人物だったのだろうと思う。
死刑の是非の議論とは別に、渡邉普相の教誨を受けられたことは死刑囚にとって救いだったと思う。
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読んで良かった。体験部分の第一部は患者・家族の言葉や感情が刺さり、追加調査の第二部は医療従事者として働いていたけれど気付かなかった問題点がたくさん指摘されていた。とても読みやすい文章で、読んでいて頭が整理された。
「腎不全患者のための緩和ケアガイダンス」が2025年に出たこと、2026年診療報酬改定で末期腎不全が緩和ケア病棟の対象になったこと。深い意味があるし、改めて勉強しておこう。
数年前まで仕事で関わる場面があった、透析患者の終末期。透析困難になりそうな局面のたびにカンファレンスを開き意思決定を重ねていった上司の姿を思い出した。良い手本を見ていたと思う部分と、十分な説明が患者・家族にとっていかに大切かを改めて感じた。もう退職してるけど、復帰するならバイブル的にしたい一冊。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ教誨師という職業に興味があり、この作品を読み始めた。
死刑囚のイメージとして、到底許されざる犯罪行為を行なった、私のような一般市民とは通じ合うことが出来ない人種というイメージを抱いていた。
だが、本作品を読み進めていくうちに死刑囚達は「怪物」ではなく選択肢を間違えてしまった、そう生きていくしかなかった私達とは何も変わらない人間なのだという事がわかった。
私達にもその立場になり得る引き金は近くにあるはずで、その引き金を何かの弾みで引いてしまう事があるかもしれない。
だから著者がこの小説に残したように、「人は弱い。
だからこそ、それを許し、時には支え、見守ってくれる寛容な社会であることを心から願う」という社会を目指すために私の心にこの言葉を刻みたいと思う。
素晴らしい作品をありがとうございます。
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Posted by ブクログ
とんでもない本に出会ってしまったと、自分の中で納得できない、でも読まずにはいられない一冊でした。
教誨師は、ざっくりいうと罪人を社会復帰させるための手伝いをする仕事となるのでしょうが、既に死刑を宣告されているいわゆる死刑囚に、死ぬ前の心構えや懺悔、そして死との向き合い方を説いています。
罪人たちからの言葉は少なめではありますが、彼らにも救いが必要だと真意に向き合う教誨師の姿勢に心打たれました。
死刑囚ということは、必ず被害者がいるということで、被害者家族は加害者に救いや悔い改める時間などいらないと思うかもしれないので、すごく複雑な気持ちになりながら読み終えました。 -
Posted by ブクログ
教誨師(きょうかいし)とは、刑務所や少年院などの矯正施設で、受刑者や少年たちの更生と心の安定を目的として、宗教的な教えを説いたり、相談に乗るなどして、犯罪者の人間性の回復を支援することで、罪と向き合う手助けをボランティアで、すなわち無報酬で行っている民間の宗教家(僧侶、牧師、神職など)をいうそうです。現在、全国の拘置所、刑務所、少年院には約1,800人の教誨師が活動しているそうです。
刑事被告人が裁判の判決が確定するまでの間、勾留されるのが拘置所という施設で、ほとんどの者は実刑判決確定後すぐに刑務所へと送られます。
しかし、死刑判決を受けた者だけは、死刑執行の日まで、そのまま拘置所に留め置かれ、面会や手紙など外部とのやりとりを厳しく制限されて、独房で独り過ごすことになるそうで、そんな死刑囚たちと唯一自由に面会することを許された民間人が、教誨師ということになります。
教誨師は、実務的な部分でいうと、死刑確定者と定期的に面接して悔悟(過去の過ちを悪かったと悟ること)を促すことが主な役割ですが、死刑の執行に立ち会うという非常に過酷な役割も担うそうです。
精神的な部分でいうと、「死」について考えることは、残された「生」を考えることであり、死刑囚の教誨師は、その点について死刑囚たちと向き合うことになります。
この作品は、半世紀にわたって、そのような教誨師として死刑囚と対話を重ねた僧侶(渡邉普相)の告白を綴った、ノンフィクション作品です。
この作品を読んでいる中で、ハッとさせられる部分がありましたので、紹介しておきたいと思います。
それは、人を殺めたり傷つけたりした加害者に対しては、裁判で罪を犯すに至った経緯を詳しく調べ、加害者の言い分も聞き、法律に基づいて判決を下し、刑に服させることになりますが、その一方で、軽率な言葉の刃物で相手の心を突き刺し、治らない傷を刻みつけ、その人生をも狂わせてしまう者を罰する法律は見当たらない、見えない傷は法律では裁けない、しかも、軽率な言葉を吐いた側の多くは、自分がそんな大変な事態を招いていることに気づいてもいない、という指摘でした。
この作品が発表された2018年当時と違って、最近でこそ、酷い誹謗・中傷の投稿は名誉毀損や侮辱罪で刑事事件として取り締まりの対象となっていますが、実際に刃物で生命や身体を傷つける場合と、言葉の刃物で心に深い傷を負わせ、悩み苦しんだ末の自殺という形で生命をも奪いかねない場合とで、同じようには扱えない法律の不十分さを考えさせられる指摘でした。
さて、話が脇道に逸れてしまいましたが、「教誨師」というタイトルにある通り、教誨師として面接した多くの死刑囚たちの実話が出てきます。そして、幾度かの面接により死刑囚との間で信頼関係が築かれたゆえの驚きの事実や、教誨師としての悩みや苦しみも描かれています。
例えば、連続殺人で死刑判決を受けた死刑囚の話。
彼は一審で死刑判決を受けると弁護士が勧めるのにも関わらず控訴取り下げます。新聞などマスコミは深く反省しているからなどと報道しましたが、控訴を取り下げた理由について、本人は教誨師にこう告白しています。
「私はもう二度と外に出てはいけない人間なんです。外に出たら、私は必ずまた殺ります。自分の中から衝き上げてくる衝動を抑えられないのです。だから、私のような人間は死刑になるより道は無いんです。」
この死刑囚は2人を殺害し3人目に重傷を負わせたところで逮捕されたのですが、実はもう2人殺害していたことを教誨師にだけ告白します。1件は酒に酔って入浴していた女性の頭を押さえつけて溺死させたものの、酒に酔って誤って溺れた「事故」として処理され、もう1件は5歳の女の子の首をハサミの先で刺殺したものの、無関係な小学生の男の子が加害者とされ、その男の子と被害者との偶然な衝突による「過失事故」として処理されたということです。
驚きの告白を受けた教誨師であるこの僧侶は、この2件が果たして真実なのか確信が持てなかったこと、また教誨師に守秘義務が課せられたていたことから、口外することはなかったそうです。
そしてもうひとつは、20代で殺人を犯し、無期懲役で服役して仮釈放された後に、再び別の殺人事件を起こし、死刑判決が下された死刑囚の話。
実はこの死刑囚は12歳から少年院生活が始まり、その後は、刑務所を出たり入ったりで、人生の半分以上を刑務所で過ごした人物でした。
人格形成の背景としては、幼い時に親を失い孤児として育ち、小さい時から人間らしく扱われた記憶がなく、あらゆる関係性に絶望し孤立して、人を信じることのない内側の世界に閉じこもっていたという過去を持つ人物でした。
しかし、死刑囚として何度かこの僧侶の教誨を受けるようになり、ようやく、おそらく人生で初めて正面から向き合って会話ができるようになり、教誨師であるこの僧侶のことを慕うようになっていたそうです。
死刑執行は裁判で死刑判決が下されただけでは執行されず、法務大臣が死刑執行命令書にサインして初めて死刑が執行されるのですが、この山浦が死刑判決を受けた当時の法務大臣は田中伊三次という人で、10月下旬から11月上旬にかけて、何と27枚もの死刑執行命令書に一気にサインをしたそうです。それまでは、年に5人程度で推移していたということなので、いかに異常な多さであったのかということがわかります。
そんな時の、この死刑囚と教誨師との面談で、死刑囚が「あの田中とかいう大臣はとんでもない男ですね。いくら死刑囚だって、虫けらを殺すんじゃあるまいし、次から次へといくら何でもやりすぎです。」と言ったそうです。
それに対して教誨師は軽い気持ちでこう返したそうです。「まあ法務大臣もそれが仕事だからな、職務熱心なんだろうよ。」
そう言った途端、一瞬の沈黙があって、死刑囚はしばらく無言のままでいたが、急に立ち上がって、あっという間に部屋から出ていったそうです。
この死刑囚はその後、2度と教誨師との面接に来ることはなく、死刑執行の時も一切の教誨師の立ち会いを拒否して、独りで逝ったそうです。
この死刑囚にしてみたら、教誨師のたったひと言に、「この人は、本当は自分のことを全く分かっていない。死刑なんて他人事だと思っている。」と絶望したのだろうと、後に教誨師は振り返り後悔します。
教誨師としては、これまで人を信じたことのない男がようやく信頼してくれたのに、自分の軽率な言動で、死刑囚をたった独りで逝かせてしまったことを深く後悔したということでした。
読み終えて思ったことは、死刑執行は法で認められているとはいえ。明らかに「人殺し」であり、決して国民のためになること、あるいは国家のためになることとして、積極的に肯定されるべきことではないと思います。
従って死刑執行に立ち会う人たちは、誰も喜んでそれに携わっているわけではなく、死刑執行の生々しい場面も出て来ますが、殺す側も心に葛藤を抱きながら、みんな仕方なしにやっていることがわかります。それは、死刑というものがある限り、誰かがやらないといけないからです。
私自身、死刑の存在を否定あるいは反対するつもりはありませんし、被害者遺族の感情を思うと、命をもって罪を償うということは、ある意味でやむを得ないことかと思います。但し、死刑判決を下すには当然ながら極めて慎重であるべきと思います。
この作品に書かれた教誨師の告白を読むと、死刑囚と何度も繰り返し面談する中で、判決文には表れていない、犯行に至った背景や死刑囚の人柄が見えて来て、それが教誨師を苦しめることの多いことが分かりました。
現在の日本の制度では、立法府が作った法律に基づき、司法が死刑判決を下し、行政府(法務大臣)が死刑執行を決定する、ということになっていますが、死刑判決は人の命を奪う行為であること、ということを、考え方の中心に据えて慎重に運用して欲しいと切に思います。 -
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肝臓と腎臓に疾患を持つ夫の終末期における自身と医療の関わりから始まる話。夫が亡くなってからも取材を重ね終末期の透析とはを問うている。
夫の闘病の時に医療者との縁がなかったと後に記している。医療者は患者家族に寄り添い適切な情報提供をし患者と家族が決定していくのを助け、納得する人生を送れるように支えることだ。患者家族のため研究をし新しいこと(病院を立ち上げる、腹膜透析に挑戦する)に挑戦し続ける業界にもあたまがさがる。
日本の医療システムが遅れている、とは、そういう立場にならないと分からなかっただろう。この本を読んで現状を知ることができたし、現状に満足せず常に新しい視点で物事をみないとと自身を振り返るきっかけとなった。
どう生きるか、どう死ぬか、医療のあり方に問題提起をしているとともに、人ごとにせず自分事として考えたい。
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約50年、
死刑囚と対話を重ねて、
死刑執行にも立ち会い続けた教誨師の渡邉普相。
「わしが死んでから世に出してくださいの」
と言う約束のもと、
初めて語られた死刑の現場とは。
ずっと取材を拒み続けていた渡邉さんが、
著者にだけ話し、託したこと。
教誨師ってキリスト教のイメージがありましたが、
様々な宗教家が担っていらっしゃるんですね。
渡邉さんの生い立ちや教誨師になるまでも描かれ、
死刑囚たちと対話を繰り返す日々が描かれています。
また、その死刑囚たちの執行にも立ち会う。
人が死ぬ瞬間に立ち会うことは、
とても生々しくて、重くて、圧倒されました。
だけど、それを人に語ったり吐露することは許されない。
自業自得もあるかもしれないけれど、
たくさんの「たられば」に、
ひとつも出会えなかったと言うか、
私が日常で見過ごしていたことは、
とても恵まれている、
運が良かったのかもしれないと思わされました。
私自身は仕事が忙しくて、過緊張が続いていて、
物語の世界に入りきれないけど、
本を読まないとストレスになるという状態で。笑
ガザの本を読んでから、
ノンフィクション読みたいな〜、
でも合うかわからないからなあ…、
それなら中古で安く買えないかな。
とネットで探してたんですが、
ノンフィクションて意外に送料入れると
新品と変わらない値段が多くて。
本書はそのなかでも手に取りやすい値段でしたが、
新品で買ってもよかったと思うぐらいの内容でした。 -
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10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断せざるを得なかった夫を看取った著者による医療ノンフィクション。第一部は夫との闘病生活を描いた記録。第二部はその後著者が取材した透析業界の現状、腹膜透析とその選択肢によるQOLの向上、より良い治療のために努力する医師や看護師、介護業界の人々などを描いた内容。
透析については全く知識はなかったが、年を取るにつれて自分にもその可能性はあり、血液透析の末期の苦痛や緩和ケアが保険適用されないこと、腹膜透析という可能性など参考になった。
前半の著者の夫との闘病生活については、大変さや苦痛などは十分伝わったが、一方で夫の体育会的な前時代的感覚やそれを是とする著者の感覚には違和感も感じた。
共にジャーナリストである著者夫妻が、本書の後半で取材した内容を闘病中に自身のために調査できなかったのはこうした性格が災いしたのかなとも思った。
本書自体は記録としても問題提起としても非常に良い本だと思うし、この本を契機に透析治療の問題点も改善に向かってほしいと思う。
【目次】
序章
《第一部》
第1章 長期透析患者の苦悩
第2章 腎臓移植という希望
第3章 移植腎の「実力」
第4章 透析の限界
第5章 透析を止めた日
《第二部》
第6章 巨大医療ビジネス市場の現在地
第7章 透析患者と緩和ケア
第8章 腹膜透析という選択肢
第9章 納得して看取る
献体――あとがき
解説 南学正臣(日本腎臓学会理事長)