堀川惠子のレビュー一覧
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ネタバレ本屋で見かけて気になったので。
原爆の話と想定して購入したし、実際原爆について勿論触れているのだが、大半は「海上輸送」の話だった。
これがまた自分が想定していた以上に興味深い内容で、なかなか分厚い本ながら最後まで楽しく(と書くと不謹慎かもしれないが)読むことができた。
輸送、特に兵器や兵糧など兵士以外の運搬について戦争の話をする際に意識することがあるだろうか。
つい兵士たちのエピソードに目が行きがちで、運搬のことまでは注目しないのではないだろうか。
それが戦中の、当時の人たちですら、運搬に関わる人以外は注視していなかったのだから、無理もあるまい。
島国の日本は輸送をどうしても船に頼らざるを得 -
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ネタバレ死刑について考えるときに、加害者と被害者にばかり目がいきがちだけど、死刑を執行する人がいる、ということにも目を向けなくてはいけないな、と気付かされた。
以前ツイッターで安楽死の議論があるが殺すことを医者に丸投げしていることに誰も気づいていない。自分は立場的にもし安楽死が可能になったら殺す立場になるだろうけど心底嫌だ、みたいな意見を見かけて、それを思い出した。
あと、加害者は心情的に自分を被害者だと思っていて(生い立ちの不幸などから)それを取り除かないと自分が殺した人への謝罪や反省の気持ちなんて持ち得ない的な事を渡邉さんが言われていて、なるほどと思った。確かにそうかも。
でもそれがいかに困難な -
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常々疑問に思っていた死刑という制度について、改めて考える作品であった。
死刑についての話を考えると、気分が落ちてしまい嫌になるのに、どうしても気になって読んだ。自分には関係ないと思っている自分がいたが、これはやはり日本に生きる人が真面目に考えなければならない問題であると思う。
残忍な殺害が行われて、自分の親族がその被害者となったことがないからあくまで想像になってしまうが、その人が死刑になったからと言って自分の気持ちが晴れることもなければ、なんの解決にもならないと思う。
毎日後悔しないように生きていきたいと、生と死に対しても考える作品であった。
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ものすごく感動した。胸ふるわせながら読んだ。
その世界では有名な元検察官で法科の教鞭もとっていた土本武司さんのもとを別件の取材で訪れた著者は土本さんから手紙の束を見せられる。40年以上前に自分が死刑求刑し、最終的に死刑になり、執行までの間に長谷川武さんから送られた数通の手紙。恨みつらみなどなく、じっくり話を聞いてくれたということへの感謝が綴られていた。この背景を著者は丁寧に追っていく。一人の人間が死刑になった背景が明かされるとともに、死刑制度のあり方にも迫る一冊。
読んでいて思ったのは、長谷川さんの周囲には誠実な人がたくさんいたんだなということ。土本さんは多忙ななかでも自分が死刑を求刑するかも -
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八田元夫さんも丸山定夫さんも全く知らなかったが、著者の手により、読んでいる間ずっと生き生きとわたしの中で存在した。たくさんの人が出てきたが、それぞれ背景や出来事が丹念に描かれ、その人たちの性格や暮らしぶりや、内面の苦悩や喜びが手に取るように伝わった。
どの職業の人も戦争の間、不条理な目にあったことがたくさんあろうかと思うが、演劇人の苦労は、表現の自由が奪われ、官憲との戦いもあり、収監されたり、拷問を受けたり、特別なものであった。読んでいて苦しくなる。
そして「桜隊」の悲劇。そこに辿り着くのはわかっていたが、いざ原爆の日が近づくとドキドキしてきた。そして想像以上の恐ろしい結果だった。なんの罪もな -
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それはまだ「永山基準」と呼ばれる死刑基準が出来る前の
ことだ。1966年に強盗殺人事件の容疑で逮捕されたのは
長谷川武、22歳。
ほとんど弁明もせずに、彼は一審での死刑判決を受け入れた。
しかし、母には受け入れがたい判決だった。母からの熱心な
懇願で、小林健治弁護士は二審の弁護を引き受ける。
だが、一審の死刑判決が覆ることはなかった。1971年11月9日、
9時32分。28歳になった長谷川武は「従容として」刑場に消えた。
本書は、別件の取材で検事・土本武司の元を訪れていた著者に
獄中から届いた手紙を見せられたことから始まった、死刑制度を
問う作品だ。
それは、一審で死刑求刑を書いた土本 -
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50年に渡り死刑囚に教え諭し、死刑執行に立ち会い続けた教誨師への取材ルポ
教誨師 渡邉普相
「わしが死んでから世に出して下さいの」という約束のもとで語られた教誨の現場
教誨師は、死刑囚と対峙して対話を重ね、死刑執行に立ち会う宗教家
仏教系、キリスト系各宗派からボランティアで行われている
教誨を行うことと、どの宗派を選ぶかは死刑囚に委ねられている
教誨師は、面会の制限が厳しい死刑囚に会うことのできる数少ない一般人
本作は浄土真宗僧侶 渡邉普相への取材によって語られた内容が綴られている
浄土真宗といえば親鸞
そして、「歎異抄」であり「悪人正機」という説が本作で重要な意味を持つ
「善人なほも -
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教誨とは、受刑者が改善更生し、社会に復帰することを支援する仕事。しかし、本書が扱うのは「死刑」の教誨。これは大変な仕事と思います。
未来のある懲役囚ならまだしも、死刑囚に神仏の教えを諭したり、人生に絶望しきっているような人間の心を救うことが果たしてできるのか。本書は50年のあいだ、死刑囚と対話を重ね、死刑執行に立ち合い続けた教誨師・渡辺普相の生涯を描くノンフィクション小説です。
本書は死刑囚の人となり、死刑囚の日々の苦しみと孤独感、後悔や怒り、死刑囚との対話や交流における悩み、そして執行の際に見せる死刑囚の言動を詳細に描きます。教誨という仕事により、渡辺は悩み、アルコールの力を借りるようになり -
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ネタバレ教誨師という言葉、仕事を知らなかった。
死刑執行のとき、僧侶が立ち会うことは知識と知っていたが、これほどのことだとは。
P98
一方で、教誨師の存在が批判されるたびに持ち出される実話。
「自分は冤罪だからと再審を請求しようとする収容者に対しても『これは前世の因縁で、たとえ無実の罪であっても先祖の悪業の因縁で、無実の罪で苦しむことになっている。その因縁を甘んじて受け入れることが、仏の意図に沿うことになる』と再審の請求を思いとどまらせるような説教をする僧侶がいる。こんな世の因果をふりかざして、再審請求を妨げる僧侶が少なくない」
冤罪が確定して釈放された免田栄獄中記の中の文章。
P188
つまり -
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メディアで取り上げられる凶悪犯罪者に対して
「死刑になればいい」そんな思いを誰もがいだいたことがあるだろう。
教誨師という職業を通して、死刑制度について思考させられた作品。
死刑囚は毎日死と隣り合わせ。
残された時間を自分の犯した罪と向き合い、残された遺族と向き合う。
この作品で取り上げられた人々は、描写のせいか
更生したように感じ、死ぬ必要はないのではないかと。同じ過ちは犯さないのではないかと思ってしまう。
閑話休題
死刑制度があるならば、それに携わる人間がいる。
そして、執行する人間も同じく「人殺し」をしている。
同じ人殺しで人間が人間を捌く制度。
とてつもなく矛盾している。