「哲学入門」で「意味」「機能」「目的」などの「存在もどき」を自然主義・唯物論的に記述するという壮大な試みに挑戦した著者。本作のテーマは人間の恐怖をはじめとした「情動」一般だ。総花的な「哲学入門」よりはテーマも絞られている上有名なメジャーどころのホラー映画が題材に選ばれており、引用も豊富で具体的なイメージが掴みやすい。一方で「哲学入門」同様、ハードプロブレムの回避の仕方にご都合主義な側面が感じられるのがどうしても気になってしまった。
構成としては、恐怖の本質は何かを探る第Ⅰ部、我々はなぜ恐怖を抱くのかについての第Ⅱ部を経て、情動に伴う「感じ」や「意識」の唯物論駅記述を試みる第Ⅲ部に至る。無論この第Ⅲ部が本論だ。
第Ⅰ部は、恐怖ならびに情動一般の在り方を問う諸説の比較考量が主体。その中から情動が身体的反応に起因するとする「身体説」と、中枢の認知に起因するとする「評価理論」のハイブリッドであり、ダマシオの「ソマティックマーカー仮説」を一部内包した「身体化された評価説(プリンツ)」が以降の議論の軸に置かれる。ここで用いられる、情動を状況(「中核的関係命題」)をいかに情動が表象するのかについての議論は「哲学入門」で紹介されているミリカン「目的論的意味論」がベースとなっている。第Ⅱ部もその大部分が「哲学入門」と重なっており、同書を読んでいれば議論の流れを掴むのは容易だろう。最後に第Ⅰ部とつながる形で、身体的反応を知覚する「扁桃体」が恐怖と快楽の座であるため、恐怖と快楽を峻別できないまま身体的反応を「感じ」ていることが、我々がホラー映画に恐怖を感じつつ楽しめる理由だとされる。
そして山場の第Ⅲ部は、詰まるところあの古き良き「ハードプロブレム」を扱うものだ。正面からこの問題を扱うにはページが少ないな、と思ったが、結論からいうと本著でも「哲学入門」同様、「真正面からハードプロブレムを解くことは労多くして功少なしであるので、少しでも果実の多い答えが得られるよう問いを立て直そう」という、ルース・ミリカン「理論的定義」の枠組みに沿った議論が展開されている。つまりここで議論の対象となっているのは通常の意味でのハードプロブレムではないのだ。確かにプラグマティックではあるが、こういった「『得られるべき答え』を超越論的に問いに前置するやり方」を多用するのはあまりフェアでないのではないかという疑念が、どうしても頭をもたげてきてしまう。
確かに表象に伴う「感じ」の現象的説明は困難だろう。「感じ」を現象的に説明しようとするとどうしても無限後退に陥ってしまうし、正面から向き合っても実入りが少ないというのも理解できる。そのため著者は鈴木貴之という哲学者の「意識の表象理論」に基づき、「表象に伴う感じは表象対象のもつ性質に他ならない」とし、「感じ」を知覚体験から切り離すことでこの問題を回避するのだが、問題はこの説に説得力があまり感じられないところにある。結論に合わせてあらかじめお膳立てされた設定に思えてしまうのだ。確かに「感じ=対象の性質」とすることで志向性の自然化はし易くなるだろうが、これで得られた知見に本当に汎用性があるのだろうか。
同じ疑念は著者が「反物理主義ゾンビ」を扱う場面でも感じられた。著者は、我々が反物理主義ゾンビが「ありうる」と考えてしまうのは「意識」に関しての知識蓄積が十分でないからだとし、むしろ「意識」の概念を反物理主義ゾンビ問題が生じないよう改定すべし、とするのだが、僕のような素人にはどうしてもこれが「ズルイ」と思えてしまう。
ただ、プリンツの「AIR理論」と「身体化された評価説」を組み合わせた、身体的反応をひとまとまりの「感じ」として保持した中間レベルの表象が生み出され、それが熟慮の場であるワーキングメモリに送られることで「意識」が生ずるという説明には共感を持つことができた。もちろん前述の通り「感じ」が身体的反応側にあるという部分には説得力を感じないのだが、そのような「自分が自分をモニターする」というフィードバックループが意識の座であるという考え方は、ダグラス・ホフスタッターの思索ともオーバラップするところが多いように思えた。全くの素人考えだが、「意識」だけでなく「感じ」もこのフィードバック機構全体に根拠を求めることで、意外に問題がクリアになるのでは、と思ったり。
結局、著者が「意識には現時点で既に神経科学的根拠があり、感じには今のところない」と結論づけるほどには、現在の神経科学がまだ発達していない、ということなのではないだろうか。その未だ未発達な見地から、唯物論的・自然主義的な説明をミリカンのロジックを多用して捻り出したとこで、さほど説得力あるものが出てこないような気がする。僕は基本的に唯物論的説明にシンパシーを感じる立場で著者のファンだが、問いを立て直した上での「用意された」結論よりも、正面からの議論のぶつかり合いをもっと見てみたいと思うのだ。