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なぜわれわれはかくも多彩なものを恐れるのか? ときに恐怖と笑いが同居するのはなぜか? そもそもなぜわれわれは恐れるのか? 人間存在のフクザツさを読み解くのに格好の素材がホラーだ。おなじみのホラー映画を鮮やかに分析し、感情の哲学から心理学、脳科学まで多様な知を縦横無尽に駆使、キョーフの正体に迫る。めくるめく読書体験、眠れぬ夜を保証するぜ!
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Posted by ブクログ
借りたもの。 ホラーを観る(楽しむ)ということ、そこにある「恐怖とは何か」を、哲学の表象として読み解いていく本。 目次を開いた地点で、文庫なのにその情報量の多さに驚愕……それだけ内容が濃い。 著者曰く「アラコワイキャー」という一連の流れ、“恐怖”が様々な感情の複合であることに始まり、その“本質”は...続きを読む何かを模索していく過程に、哲学史における表象の解釈の変化をも垣間見る。 心理学や生物学、脳科学の話にも触れ、哲学という抽象概念を扱っている分野からも少し離れつつ、それを丁寧に検証していく。 恐怖というものが、自身に迫った脅威の表象から、身体的な知覚表象を越え、実在しないものを恐れるようになる等、高度な認知行動を伴っている事を明かにする。 フィクションであるホラーだが、それを見て感じた恐怖は本物である。 しかしホラーは虚構であるという信念が逃避する行動に「待った」をかけること、怖さそのものが快楽をもたらす等…… 恐怖に限らず、ホラーは「人間とはいかなる存在か」を考え直す上で示唆に富んでいる事を明確にする。 口語調で書かれた文体で、時折、例としてメジャーなホラータイトルが挙げられている。 『スクリーム』など、教材のように文中には出てくる(笑) ‘『スクリーム』は、ホラー映画であると同時に、ホラー映画についての映画(メタホラー)でもある’(p.182)ためらしい。 私でも観たことがある、メジャー作品ばかりなので、イメージを共有しやすく「なるほど」と思ったり、哲学の話に限らず、ホラー映画談義をしている気分になる。
相変わらず面白い。恐怖、ホラーがメインテーマであることは間違いないのだが、さもすると陳腐な結論で終わりがちな、「人間とは何か」を問う書でもある。参照される思考体系の接続、一歩引いて考え直すタイミングなど改めて感心。小利口な文体と難解な単語で悦に浸っている輩はアホやなと思いながら読み終えたら、あとがき...続きを読むの最後で笑った。 「魂があるから、理性があるから、言語があるから、人間は特別なんだとハナから決めてかかるヘッポコ哲学者には、彼らの思惑に反して、人間のユニークさは決して理解できないだろう。そういう哲学者の首をチェンソーではねてまわりたい、と思う今日この頃。」 帯の意味不明だった絵はこれを描いていたようである。戸田山の根底にある思想を表していると思えば本書の白眉とも言えるのか。
ホラーを「楽しむ」ということについて、我々人間は何をやっているのかを哲学や生物学的に検討していく本。 なかなか歯応えがあった。 結論としてはホラー作品を楽しむということは、生存本能に根差したリアクションである恐怖を味わいながらも、その恐怖は現実的脅威ではないとい上位的な認知をかけることで、ホラー作...続きを読む品に狂乱や逃走することなく、恐ろしさを楽しむという振る舞いをしているのだ。 そしてそれは、なかなか倒錯した楽しみであり、あるいみ人間らしい楽しみなのである。
「哲学入門」で「意味」「機能」「目的」などの「存在もどき」を自然主義・唯物論的に記述するという壮大な試みに挑戦した著者。本作のテーマは人間の恐怖をはじめとした「情動」一般だ。総花的な「哲学入門」よりはテーマも絞られている上有名なメジャーどころのホラー映画が題材に選ばれており、引用も豊富で具体的なイメ...続きを読むージが掴みやすい。一方で「哲学入門」同様、ハードプロブレムの回避の仕方にご都合主義な側面が感じられるのがどうしても気になってしまった。 構成としては、恐怖の本質は何かを探る第Ⅰ部、我々はなぜ恐怖を抱くのかについての第Ⅱ部を経て、情動に伴う「感じ」や「意識」の唯物論駅記述を試みる第Ⅲ部に至る。無論この第Ⅲ部が本論だ。 第Ⅰ部は、恐怖ならびに情動一般の在り方を問う諸説の比較考量が主体。その中から情動が身体的反応に起因するとする「身体説」と、中枢の認知に起因するとする「評価理論」のハイブリッドであり、ダマシオの「ソマティックマーカー仮説」を一部内包した「身体化された評価説(プリンツ)」が以降の議論の軸に置かれる。ここで用いられる、情動を状況(「中核的関係命題」)をいかに情動が表象するのかについての議論は「哲学入門」で紹介されているミリカン「目的論的意味論」がベースとなっている。第Ⅱ部もその大部分が「哲学入門」と重なっており、同書を読んでいれば議論の流れを掴むのは容易だろう。最後に第Ⅰ部とつながる形で、身体的反応を知覚する「扁桃体」が恐怖と快楽の座であるため、恐怖と快楽を峻別できないまま身体的反応を「感じ」ていることが、我々がホラー映画に恐怖を感じつつ楽しめる理由だとされる。 そして山場の第Ⅲ部は、詰まるところあの古き良き「ハードプロブレム」を扱うものだ。正面からこの問題を扱うにはページが少ないな、と思ったが、結論からいうと本著でも「哲学入門」同様、「真正面からハードプロブレムを解くことは労多くして功少なしであるので、少しでも果実の多い答えが得られるよう問いを立て直そう」という、ルース・ミリカン「理論的定義」の枠組みに沿った議論が展開されている。つまりここで議論の対象となっているのは通常の意味でのハードプロブレムではないのだ。確かにプラグマティックではあるが、こういった「『得られるべき答え』を超越論的に問いに前置するやり方」を多用するのはあまりフェアでないのではないかという疑念が、どうしても頭をもたげてきてしまう。 確かに表象に伴う「感じ」の現象的説明は困難だろう。「感じ」を現象的に説明しようとするとどうしても無限後退に陥ってしまうし、正面から向き合っても実入りが少ないというのも理解できる。そのため著者は鈴木貴之という哲学者の「意識の表象理論」に基づき、「表象に伴う感じは表象対象のもつ性質に他ならない」とし、「感じ」を知覚体験から切り離すことでこの問題を回避するのだが、問題はこの説に説得力があまり感じられないところにある。結論に合わせてあらかじめお膳立てされた設定に思えてしまうのだ。確かに「感じ=対象の性質」とすることで志向性の自然化はし易くなるだろうが、これで得られた知見に本当に汎用性があるのだろうか。 同じ疑念は著者が「反物理主義ゾンビ」を扱う場面でも感じられた。著者は、我々が反物理主義ゾンビが「ありうる」と考えてしまうのは「意識」に関しての知識蓄積が十分でないからだとし、むしろ「意識」の概念を反物理主義ゾンビ問題が生じないよう改定すべし、とするのだが、僕のような素人にはどうしてもこれが「ズルイ」と思えてしまう。 ただ、プリンツの「AIR理論」と「身体化された評価説」を組み合わせた、身体的反応をひとまとまりの「感じ」として保持した中間レベルの表象が生み出され、それが熟慮の場であるワーキングメモリに送られることで「意識」が生ずるという説明には共感を持つことができた。もちろん前述の通り「感じ」が身体的反応側にあるという部分には説得力を感じないのだが、そのような「自分が自分をモニターする」というフィードバックループが意識の座であるという考え方は、ダグラス・ホフスタッターの思索ともオーバラップするところが多いように思えた。全くの素人考えだが、「意識」だけでなく「感じ」もこのフィードバック機構全体に根拠を求めることで、意外に問題がクリアになるのでは、と思ったり。 結局、著者が「意識には現時点で既に神経科学的根拠があり、感じには今のところない」と結論づけるほどには、現在の神経科学がまだ発達していない、ということなのではないだろうか。その未だ未発達な見地から、唯物論的・自然主義的な説明をミリカンのロジックを多用して捻り出したとこで、さほど説得力あるものが出てこないような気がする。僕は基本的に唯物論的説明にシンパシーを感じる立場で著者のファンだが、問いを立て直した上での「用意された」結論よりも、正面からの議論のぶつかり合いをもっと見てみたいと思うのだ。
哲学という記載はありますが、人が何故恐怖を欲するのか等に関して重点的に記載しております。 何故怖いのは嫌なはずなのについ見てしまうのか、そこには脳みそから興奮作用をもたらす成分が分泌されているからということがわかりました。 かなり分厚い書物で敬遠される方もいらっしゃるかと思いますが著者の独特な書きぶ...続きを読むりにより飽きることなく読み通すことが出来ました。
「哲学入門」並みの分厚さだが、「哲学入門」よりも具体的な問題設定であるため、わかりやすい。 緻密な、というか「いやもうそこは”常識”で飛ばしゃいいじゃん」ってとこまでしつこくしつこく突き詰める論理展開は、ああ、これって哲学の醍醐味だなあ、と思わせる。本書もまた形を変えた「哲学入門」なのだ。
ヒトは何故、怖さを愉しもうとするのか、 また、 フィクションだとわかっていながら 真剣に怖がることができるのか ……という疑問に哲学的にアプローチする本。 ボリューミーだが 砕けた話し言葉で綴られているので読みやすい。 ヒトは進化によって 現前に迫る恐怖の対象だけでなく、 実在しないものまで恐れる...続きを読むことが可能になったので、 ホラー映画を観て虚構と承知しつつ 本物の恐怖を体感することが出来るが、 虚構だという信念が行動を制御するから、 怖がりながらも 映画館から逃げ出しはしないのだし、 ホラーを愉しめるのは 怖さそのものが快楽をもたらすからだ――等々。 そして、怖がることによって 危険を回避しようとするアクションは 脳の働きが生み出すものだ、という話。 ヒトの行動を司るのは「魂」なんかじゃないよ 「脳」なんだよ、と。 > 唯物論というのは、大雑把に言うと、 > 心身の二元論を否定する立場のことだ。 > 脳のような物質の他に、 > 心という実体が存在するわけではない。 > だから、意識も含めて、 > 心のさまざまな性質は究極的には > 物質だけがこの世に存在するという前提に基づいて > 理解できるはずだ、と考えているなら、 > その人は唯物論者である。 (p.341) それなら私もそうです。 以前、目の前に実在しないものを見てしまったとき、 処方薬の副作用だと直感し、 ああ、脳が誤った信号を発したのだなと 納得した経験がある。 決して「心」が「魂」が、 どうにかなってしまったのではない、と。 ちなみに、後日主治医に報告したら 薬の量を減らされ、結果、 面妖な物体を目撃することはなくなったのだった。
ホラー映画を分析するようなことだけど、これをわかったところで恐くなくなるわけでもなく、さほどオススメではない。
恐怖という「感じ」を手がかりに感情や意識について。 おもしろいのだけど、快・不快のいわゆる快原則と恐怖の因果が中心で「他に恐怖と結び付けられるものはないの」と途中で思ってしまった。 自分はたのしめたけど、ホラー(映画)が好きでないとおもしろくないと思う。最後まで読んで思ったのだけど、認知のところ...続きを読む中心だったら、取り上げる映画は『スクリーム』の1本だけでよかった気もしないでもない。
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