佐野洋子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
母と娘との間、また家族間にある溝や確執。
世の中、この手のものに無縁の人の方が多いらしく、そういう人々には、上記のような家族関係は理解不可能。そして、そんな人々から出てくる言葉は、「家族なんだから云々かんぬん×××」という類の無神経でつまらないもの。
だから、本書に共感したタイプの人の中には、自身がもつ家族間の確執やネガティブな思いを持っている事実を恥ずかしいと思い、口外もあまりしていないのでは。。。と思う。
しかし、本書はそんな人々に大いなる安らぎを与えてくれる。自分は責められるような人間ではないと許された心持ちになった人は多いのではと思う。人の心をやさしく救ってくれる、すばらしい本!
また数年経ったら、再読したい。また違う気持ちで読めると思うし、のめり込み方も変わっていると思う。 -
Posted by ブクログ
「100万回生きたねこ」を描いた人。
私が小学校2年生の時に、母が「よい絵本だ」と聞いて私に買ってくれた。
私は読んでみたけど、別に良い絵本だとは思わなかった。
よい絵本がなんだかよく分からないし。
愛とか死はもちろん「猫が死んでかわいそう」とかも思わなかった。
みんな猫が死んで悲しんでるのに、猫は悲しまないで、なんだか猫に怒ったらいいのか、猫が死んだことをやたらに悲しむおばあさんや海賊に怒ったらいいのか、気持ちの持って行き場がよく分からなかった。
だから、何も感じていないような気持ちになった。
白い猫に死なれて、オス猫が生き返らなかったことはすごく当たり前のことのようにも思えた。
大きくなって、いわゆるサブカルっぽい友達が「100万回生きたねこ」やばい!と言い出したので、そうか、あの本はやばい(良い)本なのかとか、なんとか。思うようになっていた。
佐野洋子さんのことは「100万回生きたねこ」でしか知らない。
勝手にすみれ色のおばちゃんを想像していた。
柔らかい、でも人生を透徹した鋭い目を持っている人。
でも、この本読んだら全然違った!
鋭い目じゃなくて、鋭い心を持ってた。
決して柔らかくなんかなかった。
このエッセイを読んで、佐野洋子さんが幼かった私を諭そうとして「100万回生きたねこ」を描いたのでないことはよくわかった。
まだ子どもだったときの私には佐野さんの動揺が伝わっていたのかもしれない。
死んじゃうって…(オロオロ…)
死んじゃうと悲しいって…(オロオロオロオロ…)
佐野さんはそんな風にして自分の心伸びやかいっぱいに絵本を作ってたのではないか。
心伸びやかは決して、健康なことではない。
人が感じることには不健全なこともたくさんあるからだ。
でも、それが人だろ。
私が驚いたのは、佐野さんがあまりにもたくさんの子ども時代の記憶を抱えていることである。
私は、きっとエッセイを書けと言われても、こんなにたくさんの子ども時代を引っ張りだせない気がする。
愚鈍に生きていたのかもしれない。
でも、佐野さんが言うように、子どもの頃の私は毎日懸命だったな。
自分でも知らないことだったけど。
「100万回生きたねこ」に今の私が初めてであっていたら、
「何かを感じなくてはいけない」ことに必死になったかもしれない。(良い本だって言われてるのを知ってるから)
子どものときに初めて出会えて、漫然と感じるだけの感じ方で良かったと思う。
あの頃、出会えて良かった。
それがたぶん私の精一杯の感受性だったのだから。それでいいのだ。 -
Posted by ブクログ
画家で、「100万回生きたねこ」の作者としても知られる佐野洋子さんの63歳から65歳の頃に書かれたエッセイ。
63歳の佐野さんが88歳の痴呆の母親に年を尋ねたら「そうねェー四歳くらいかしら」佐野さん自身が衝撃を受けながらも同時に可笑しさが込み上げて来る様子が手に取るようにわかる。
佐野さん、その他に出てくる佐野さんの友人たち、すべての人たちが面白くて個性的に思える。それはそれぞれの人たちが魅力を持っているだけでなく、佐野さんのフィルターを通して描かれているからなんだろうなあと思えた。
生きていること、次第に年を取って心身ともに変化していくこと、老いていく自分に抗わず、ありのままに受け止めること。
真っ直ぐな心情が、読んでいて心に響いてくる。オイラもこんな風に真っ直ぐに年を取りたいものだなあと思う。 -
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母と娘。
老後を見てもらうなら、実の娘がいいと言われますが、一説にはお互いに本音でぶつかり合うから、わがままの言いたい放題、したい放題になってしまう、という話を聞いたことがあります。
『100万回生きたねこ』の作者で絵本作家でもあった佐野洋子さんも
そんな母と娘の葛藤を体験した一人でした。
同じ娘でも何人もいたら気の合う子とそうでない子がでてくるものです。
佐野洋子さんとお母さんの関係は、はっきり言って最悪でした。
歯に衣きせぬ物言いの文章を書く佐野洋子さんが、
この作品の中で何回も何回も
「母はキライだ」と、めった斬りにしています。
佐野さんのお母さんは、
父が亡くなった後、弟の嫁さんに実家を追い出され、
仕方なく長女である佐野洋子さんの元へ転がり込みますが、
気の合わない母と娘です。
何回も何回もケンカして、最後には、
痴呆のはじまったお母さんを佐野さんは有料老人ホームに入居させます。
佐野さんは入居させたお母さんを見舞いながら、
母への自責と罪悪感を感じていました。
この作品は佐野さんが、自分の幼少時代を振り返り、
お母さんとの思い出を書き綴ったものです。
母はキライ。でも、ぼけた母はかわいい。
ウソもだましもない、
佐野さんの本当の気持ちが切実と書かれてありました。
そういえば、長女である私も佐野さんと同じ立場。
母とは仲よしですが、
いつかこんな日が来るかもしれないと
読み終わって、密かに覚悟をした作品です。 -
Posted by ブクログ
読んだ私は不惑ど真ん中。
視力に筋力に記憶力に、生活の至るところに己の経年劣化を意識し始めて数年。
まだまだ序の口なのだ、『老い』の。
読みながら、ざわざわした。
『史上初めての長寿社会での私達は、生き方のモデルを持たずに暗闇を手さぐりしながら云々……』
というくだりが、どうにも頭から離れない。
朝目が覚めてカーテンを足で開けたり、ATMでもたついて後ろの人の舌打ちされたり、、、
20年後ぐらいの私もきっとこんなん。
どうしよう…この先の、老いた自分の暮らしが急に現実味を帯びた。
この著者の生き方、というか老い方は、これから老いていく者にひとつの見本となる。