川端裕人のレビュー一覧
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前にこの作者の『川の名前』と言う作品を読んで面白かったので。電車のつり革広告を見てあ、新刊出てる〜と発見し、買いに行きました。
相変わらずこの人は少年たちを書くのが上手いなあ… それほど大人でもなく、子供でもない。と言うかそんなステレオタイプの人間なんて存在しないと言う辺りとか。適度に子供で、でも大人で。登場人物のキャラクターとその存在感で比べたら自分的に評価はバッテリーや一瞬の風になるの登場人物たちよりも上、ですね〜
自分は小学生時代から球技が大嫌いで。何故かって球って当たると痛いじゃあないですか。ドッジボールとか大嫌いだった。何であんな野蛮な球技が皆好きなんだか。多分、あの球技で自分は球、と言うものに対するトラウマが出来たのではないのかと思うのですよ。うんうん。←良く当てられたので…痛かったよなあ…
スポーツって何でもそうですが上手になると嬉しい。思うように動けると嬉しい。上手な人を見ているのも楽しい。あまりに軽々やっているから自分でも出来るような気になる。(実際、そんな簡単に出来るものではないのですが…)この本を読んで、その昔初めてNBAのバスケを観たときのこととか、ウィンブルドンの中継を見たときのこととか、サッカーのワールドカップを観たときのあのわくわく感を感じました。面白い。でも実際プレイするのが一番楽しいはず。だってスポーツに国境はないし、どんなスタープレイヤーだって足は二本以上はないのだから。
でも正直最終目標があそこか〜と言うところでちょっと。まあ最終的にあれが目的でもよいのですが、国際試合の決勝で…ねえ。ちょっと失速した感じがします。
自分はアマリージョ戦が一番好きだったかな。面白かったです! -
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良いよ、なんか。多分著者と自分の考え方が近いんだろうなって思う。夏のロケットの時も思ったのは知識のすごさ。今回も多摩川水系の歴史的な話から始まってペンギンの生態他とても詳しく調査したことが感じられた。夏のロケットのロケットに関する知識よりもやはり生態系の知識の方が自分には受け入れやすいんだなって実感し、納得もする。この著者の作品を好むことに対して哀愁的な現実逃避とか言われがちだ。確かにそう考える向きもわからないではない。でも、いつまでも子供でいたい自分にとってはこうした主人公に若者を使ったとても受け入れやすいテーマなのだ。哀愁的であることは悪いことではない。変化するだけが発展ではないわけで。ただただ、変わらなきゃって感じで過去を清算せず切り捨て、前だけを未来だけを見つめる
ことを前向きと呼びあたかも絶対的な善とするような風潮がある。でも、成功体験を踏襲し、過去の反省を活かしてこそ素晴らしい成果が待っていると思うのだ。 -
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手放しで絶賛します!すごく面白かった。
両親が離婚して、世界中の自然を撮影するのが仕事の父親と暮らしているためひとところに長く居られない小学生の男の子が主人公です。
発達障害の妹がいるゴム丸、物静かで内向的な河童、文武両道でちょっと憎たらしい手嶋、謎の呪文のような言葉を叫んでは校庭で喇叭を吹き鳴らす喇叭爺、と、登場人物はみんな魅力的。
タイトルの「川の名前」は、自分の暮らす場所を、行政が勝手に引いた県とか区とか市とかの人間が後付けで勝手に作った呼び名ではなくて、元々自然にある川、どこの海に流れるどこの水系の川で、表そうじゃないか!、という、生物学の岸由二教授が提唱した考え方だそうです。 -
Posted by ブクログ
初期の猿人から猿人、原人、旧人、そして現生人類へ。
昔々、学校でも、アウストラロピテクスが現れ、その後ジャワ原人、北京原人が現れ、ネアンデルタール人が出てきた、なんて勉強したような。
しかし、なかなかそれに興味を持つというところまではいかなかった。
それが、近年、大きな発見があったりして、ずいぶんと分かってきたことがあるらしい。
新聞報道などもあり、特に人類学に興味がなくても聞こえてくる、ホットな分野であるようだ。
そして、監修者である海部陽介さんも、テレビで何度も見る機会もあった。
本書は、しかし、海部さんが書いているのではない。
サイエンスライターで作家の川端さんが、海部さんを取材して研究を紹介していく構成となっている。
聞きなれない専門用語は、すかさず解説が添えられる。
図示により理解を助けてくれる。
おかげで、あまり予備知識がない自分にも最後まで読み切ることができた。
前半はジャワ原人の研究の歴史。
植民地時代から続く発掘は、すでに長い歴史を持つ。
第二次世界大戦期は、出土した化石の保管にとっても困難な時代であったことも知った。
咀嚼器官の縮小は、人類の進化の指標なのだそうで、原人の歯、下顎などを3Dスキャンなど、新しい技術を取り入れながら、細かくデータ化し、比較していく。
その過程では、現代人500人の歯型を収集したりもする。
後半は新たな発見に関わる話。
ホビットのあだ名を持つ小柄なフローレス人、そして台湾の海から漁師の網にかかって見つかった澎湖人。
一つ一つの話が自分にとっては新しい。
そういえば、表紙になっているのは科博(ということは海部さんたち)が作成したフローレス人の復元模型の顔の部分。
何かとても賢そうに見える。
ちなみに、本書の中には他の研究者(エリザベット・デネスさん)による復元像もあり、かなり印象が違うのが面白い。
当たり前のことかもしれないが、復元模型には研究者の想定や見解が含まれていて、同じ化石から復元したとしても同じ像になるとは限らない。
そんなことも面白く感じた。
フローレス人の研究では、これが他の原人の子どもや、身長が伸びない病気にかかったホモサピエンスではないことをいかに立証するかが焦点だったとのことだ。
子どもでないことは、歯の数などの違いでわかる。
病気でないということを確かめるために、海部さんは国立成育医療センターの医師の協力を仰ぐ。
発見されたLB1という標本の頭骨の変形は変形性斜頭症という、比較的よくみられるもので、成長を阻害するものではないと結論づけたという。
他の所でも感じたが、マイクロCTや3Dデータづくりなど、人類学って、多くの研究者の協力で進む大プロジェクトなんだな、と知る。
さて、「我々はなぜ我々だけなのか」というタイトルになる問いについては、終章で扱われる。
どの種族がどれくらい他のものと時期的に重なって生存していたのかはまだわからないことも多いとはいえ、特にアジアにはたくさんの原人たちがいたという。
それがいつ「我々」=ホモ・サピエンスに置き換わったのかはまだわからないそうだ。
ただ、現生人類との間の接触や混血の可能性があり、「我々」は「我々」だけなのだけれど、「我々」の内部には「彼ら」がいるかもしれない、と結ばれていた。
たしかに、この先、どんなことが分かっていくのか楽しみになってくる。 -
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ネタバレ2020年に起きたコロナウイルスの蔓延とその後遺症による社会の変化、多くの人に閉塞感や悲しみを与えた
この小説に出てきた万葉高校地学部の面々もそうであった。地学オリンピックの中止と東京オリンピックの延期。地学とクライミングの両方のオリンピックが潰えてしまった。
しかし、そんな中でも何とかできないかと模索し、世界を巻き込んだ地学とクライミングの祭典を計画し実行した。
大人も未来に希望を見いだせなくなっていた時期であったが、未来を先導する若者たちが道を示してくれ、一筋の光が指した。
青春と地学、クライミング、コロナと様々なものを題材にした小説で結末を読んで、これからの力強い希望の灯りとなってくれるそんな1冊でした。 -
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いや~奇書ですね。そして面白い。
『不思議の国のアリス』や『ドラえもん』にも登場する、かつてモーリシャス島に生息していた絶滅鳥類ドードー鳥と、同じドードー科の孤独鳥を追いかける「絶滅動物小説」です。
全編、主人公の手記という形で進みます。そのルポルタージュ感が素晴らしいと思ったいたら、この本に先行して『ドードーをめぐる堂々めぐり――正保四年に消えた絶滅鳥を追って 』と言う同作者によるノンフィクションが出版されていました。つまり、この小説は先行したノンフィクションの上に物語を載せて小説に仕立てたもの。実際、この小説の第3章は「堂々めぐり」と言うタイトルであり、第4章の初めにはノンフィクション本を出版した話が出て来ます。
自然豊かな房総半島南部の町で過ごした小学生の頃から絶滅動物を偏愛してきた主人公は、成人して新聞社の科学部記者になる。通常業務の合間に個人テーマとして絶滅動物を追い続けるなかで、子供の頃からの夢であるドードー鳥の跡を世界中で探し続けるためにフリーになり、やがて南蛮人によって日本に連れてこられたドードー鳥の存在を知る。そして・・・。
人間の手で絶滅された動物たち、ステラ―カイギュウ、オオウミガラス、リョコウバト・・・・。そしてそれらをゲノム編集で復活させることの倫理的問題点。
分野が違いますが、直木賞を受賞された伊与原新さんのような「理系小説」です。著者の川端さんは東大教養学部卒。理系、文系の境が無い学部ですが、どうも理系の話を一般の人に分かりやすく紹介することに長けておられるようです。
370ページ。箱入りの豪華な製本ですが、なんかそれが似合う作品でした。 -
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ネタバレ仕事中に眺めたダ・ヴィンチでおすすめされていた本。
物語で読める古生物学入門!という感じで新鮮だった。知らない知識がいっぱい。と思ったらノンフィクションも書いている作家さんでした。なるほど。この本の前にドードー鳥のノンフィクションも書いているようだ。ボーちゃんとケイナちゃんが当たり前のように読んでいた基礎文献とかもいつか読んでみたい。
事実と物語が入り混じっているので読み慣れるまではちょっと時間がかかった。
終盤、北海道の神社の社宝が孤独鳥だとわかったからこそ連絡しなかったことが判明したシーン、ボーちゃん視点の読者にあまり開示されていなかったケイナちゃんの内面がついに開示されたようで、心がいっぱいになった。ドードー鳥と孤独鳥が自分達みたいだと言って過ごした鮮やかな時間がボーちゃんだけでなくケイナちゃんにとっても色褪せて無いことがとても嬉しかった。
命をめぐる科学ってむずかしいなとかも思ったけど、古生物学とか遺伝子化学?の話から自分を探す2人の物語とノンフィクションとフィクションの混ざり具合が絶妙でおもしろく読めた。
比喩表現の言葉が好きだな。 -
Posted by ブクログ
小学生の頃、父親の静養のために千葉の学校に転校した望月環ことボーちゃんは、ちょっと変わった子と思われていたケイナちゃんと仲良くなる。自分たちを絶滅した飛べない鳥、、ドードー鳥と孤独鳥になぞらえ、自然の残る百々谷で奔放に過ごす。しかしケイナちゃんは転校してしまう。
二人の小学生時代の第一章、社会人になったボーちゃんが研究者となったケイナちゃんと再会する第二章。そして研究の過程で暴走し始めるケイナちゃんと、それを止めようとするボーちゃんの姿と進んでいく。
ゲノム解読が進み、絶滅した動物が再生できるのでは、という話は現実の世界でもいろいろ取り上げられているが、倫理的問題や権利関係など慎重に進めなければならない問題がたくさんある。
二人の少女の成長と友情の物語である一方で、こうした様々な問題も提起されている。科学的・歴史的な解説が完全に理解できたわけではないが、とても面白かった。最後は、この後どうなっちゃうの?と思うのだが…