川端裕人のレビュー一覧
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自分は小学生の時に学校の検査で赤緑色覚異常と言われた。中学では、何人かが別室に呼ばれ、就職で制限があるからと説明を受けた。化学、生物、工学でも色々な色の電線を扱う電気工学の分野は難しいとか言われて、自然に進学の方向を数学、物理の方向にせざるを得なかったな。この本は色はどうやって感じるのかから始まって、色覚異常の検査とその歴史と問題、現在の色覚検査、眼科医による認識、再度の学校での検査の開始可能性などが述べられ。色覚は異常・正常ではなく、広範な連続性があるものととらえていこうとしている。自分で不便と感じるときは、白いハンカチやシャツを買ったつもりでも、それピンクだよ!って家人に指摘されるときかな。
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人間の視覚のうちで色の認識は、客観的な外的事実の認知ではなく、あるスペクトラムの光をある色として認識するいわば錯覚であり、個体差が大きい。したがって、色盲、色弱と言われるカテゴリーと正常色覚を明確に区別することはできず、色覚の弱い人から、スーパーノーマルと言われる極めて色覚能力の高い人までなだらかな正規分布をなしており、正常と以上の間にギャップがない。
また、現在行われている石原式色覚検査は、偽陽性の発生頻度が極めて高く(男子で46%、女子では97%)、スティグマの弊害が大きい割に、メリットが小さく、一律に実施するのは妥当ではない。
という内容。健康診断におけるエビデンスベースの考え方を色覚検査に応用した議論であり、説得力がある。 -
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色覚の検査、小学校の頃にやった記憶がある。
結果、「異常」の可能性ありと判定されたクラスメイトがいたことを覚えている。
たぶん、僕は、色がわからないことがどういうことか理解ができず、興味本位で彼に質問しただろう。どんな風に色が見えるのかを。
彼はニコニコしてあまり気にしていない風だった記憶がある。でも、心ではどう思っていたのだろう。
今から考えると、みんなの前で色覚について正常か異常かを診断する差別的な検査だった。
しかも「色覚異常」に治療法はないときている。
「色覚異常」が遺伝性のため結婚について注意を促したり、就ける職業を制限したりするための検査。
なんのために、そんな重荷を小学生に負わせなければならなかったのか?
この本は、「色覚異常」がはたして「異常」なのことなのか?を問う書だ。
人が色をどう認知するのか、わかりやすく掘り下げていく。そうした中で、色覚に関しては決して「異常」があるわけではなく、連続しており、多様であり、広い分布があるもの、と認識に至れる。
そして、たとえ色覚の認識が弱かったとしても、みんな自分の持っている感覚を総動員して生きているわけで、1つの感覚の性能のみで全体を語るのには慎重でなくてはならない。
ただし、カラーユニバーサルデザインについてはしっかり環境を整備する必要がある。未だに黒板に赤いチョークを使う教師がいるらしい(ほんとか?)。誰もが認識しやすい色を用いることを心がけることは重要なことだ。
光そのものに色はついていない。絶対的な色なんてない。光をどう捉えるか、ただそれだけだ。
つまり、人によって無数の色認識がある。
たぶん、僕とあなたの色認識は違う。
僕が見える色は僕オリジナルのもの。
そう考えると、日常の何でもない風景の色が、とんでもなく愛おしくかけがえのないものに見えてくる。
発見がとても多い本なので、ぜひ皆さんに読んでほしい。 -
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日本には政府から独立し、しかも政府に提言できる科学者集団(アメリカのCDCのような)ものがないというのはこういうことか、と暗然たる思いになった。
突然国立感染研から北海道大学の先生が呼び出され、そのつてで何とかコロナ対策班を作る。急拵えで、しかもボランティアに支えられているというお粗末さ。
この西浦先生は今はアドバイザリーボードにいるようだが、第一線でずっとやってくれている尾身先生は本当にご苦労が絶えないと思う。科学的な分析結果をどのように伝えるか、どのように判断するか、誰が決断を下すか(これは政治に決まっているが)、はっきりしていなかったことに驚きを覚える。 -
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海外にいたこの1年間で、コロナ対策に関して日本でどのようなことが起きていたのかキャッチアップの意味も込めて読みました。
いわゆる第一波といわれる初期の混乱の中で、著者の一人である西浦教授がどのように行政に「巻き込まれ」(敢えての表現)、時の人となりつつも専門家として熱意をもって仕事をされていたのかが伺えました。
前半で述べられている、行政とメディアに挟まれるサイエンティストとしてコミュニケーションに苦心されていた問題は多角的に議論できると思います。複雑な問題をマネジメントするリーダーの立場であれば、サイエンティストとしてのバックグラウンドであってもコミュニケーションへ投下するリソースが多くなってしまうのは止むを得ない事実でしょう。一方、人員不足のため専門家としての実務も同時にこなさねばならなかったという事情は、著者達も述べていますが、この分野ににおける教育の課題を社会へ投げかけていると感じます。
また、特に後半で論じられている「卒論」は医療政策のみならず今後の日本における行政とサイエンスとの関わりに対して実体験を基にした重要な洞察が述べられていると思います。
「責任範囲と役割の明確化」を行った上で、行政とは一定の距離を置き専門家グループとして活動を行うという提言は根本的な課題として早急の改善が必要かと思います。本の中でも繰り返し論じられている責任の押し付けの問題は、行政に限らず、迅速で的確な意思決定を阻害し、決断と実行の先延ばしを生むことでネガティブなインパクトのリスクを高めます。
欧米諸国のコロナへの対策がうまくいっているとは言い難いですが、本によれば欧米では行政とサイエンスの組織的役割整備がある程度できていると報告されています。今回のコロナの経験を踏まえ、本邦でもリスクマネジメントの一環として速やかに同体制が整うことを期待します。
最後に、現在は京大に移られた西浦教授には「えぐいくらいの研究」をどんどん進めていただき、今後の同分野のリーダーとしてご活躍されることを応援していきたいと思います。 -
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新型コロナウイルスへの対応で数理モデルがどのように活用されたのかに興味があり、この本を読み始めた。
前半は、西浦さんをはじめとする多くの人たちが、どのように行動していたかが書かれており、とてもワクワクした気持ちで読むことができた。
想像以上に泥臭い現場であったかがよくわかった。
後半は、政府や政治家とのやりとりにおける現場の葛藤が書かれている。
なぜここまで政治に関する話が出てくるのか?と疑問を抱えながら読んだが、あとがきを読んでその理由がよくわかった。
それは、数理モデルの活用をする上で、いろいろなチャネルとのコミュニケーションがいかに重要かということだった。
最後に、西浦さんと自分の性格というか特徴が似ているるように思えたところがおもしろいところでもあった。 -
Posted by ブクログ
本書は八割おじさんこと西浦教授が新型コロナウィル騒動の前夜である2019年の12月(一年前だ!)をプロローグに本格的に騒動が始まった2月のダイアモンドプリンセス号の対応から第一波を乗り切るまでのクラスター対策班の中心人物として過ごした体験を記したものです。殺害予告まであったようなので、政治家や官僚のとの軋轢も相当なものと思われますが、そのあたりはとてもソフトな書き方をしているのがとても印象的、もう少し毒があったほうが面白かったかもです。感染症の危険があまりなかった日本では感染症疫学の研究者は少なく、とりわけ感染症の数理モデルを扱える研究者は西浦教授とその研究室しかなかったようです。大変お疲れ様でしたm(_ _)m
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Posted by ブクログ
テーマとしてはシンプルに「現在、研究の最前線を走る研究者の方々にお話を聞き、その研究内容の全貌と展望、そしてそこにたどり着くまでの彼らの道のり」が丁寧に語られる。
あとがきで著者が語っていたが、この本のタイトルを目にした読者の多くは「研究室」という言葉になんとなく理系的な雰囲気を感じ取るかもしれない。だが中身を読んでみると、たしかにいわゆる自然科学の研究室に多く触れているが、その内容を読んでいくと文系的な側面も多数見られる。
フィールドワークを行なう上で向かった先での生活や営みについて思いを馳せたり、研究対象を調べる中で哲学的な分析を行ない始めたり……。最終章の地理学者の研究に関しては、「地理学」というものがそもそも文理融合というか、そういった垣根が無意味であることを感じさせる複合分野の話も語られる。
あとがきにおいて著者は次のように述べている。
『理系と文系の区別は、高校から大学への流れの中では絶対のように見えるが、実際の研究の現場は、違う理屈が働いている。(中略)…実際には存在しない仕切りの中に、自分を閉じ込めることになるのだから。』
我々は、大学教養課程まで、すなわち初等+αの教育までは、体系に分けられた知識の整理とその理解に努める。だが、専門分野とその最先端へ向かえば「この研究がどこに属しているか」はほとんど意味がなくなり、「この研究は結局何を研究しているのか」という対象への意識こそが重要になる。対象を調べる際に理論とか工学とか、数理だとか哲学だとか、そういった区別は意味をなさなくなってゆくのだ。
この本ではそういった「研究の最先端において境界が曖昧となり、融合した状態」の面白さも記されている。それらの融合領域の、もちろん一般書であるゆえに理論的な厳密さやそこから生まれる真の美しさなどを感じ取るのは難しいだろうけれど、だとしても、入り口から覗き込んだ奥深さ・遠くに見える光の残滓、そういったものでも感じ取れれば、この本を読んだ意味は十分にあるといっていい。
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「人類学系の読み物として最高の一冊」
第2章の中盤からは次のページをめくる指が止まらない。それくらいに私たちの祖先への興味が1ページ毎にかき立てられる一冊。他のブルーバックスのように「専門を学ぶ入門書」というものよりは、「専門を旅する読み物」といった感覚の1冊。
私たちを私たちたらしめているのはテクノロジーであって、テクノロジーの進化によって種としての進化を代替している訳でもある。そしてそのテクノロジーは、世界をひとつにし、世界からガラパゴスをなくし、均質なものとすることで、種としての進化のストッパーにもなっている。
著者も問題提起していた現代の我々の大きな命題である「ダイバーシティ・アンド・インクルージョン」。果たして我々は「生物」として、この命題に取り組む必要はあるのだろうか?もしかすると1万年後、我々は全員が同じ感覚を持つ種となっているかも知れない。 -
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ネタバレ【動機】
川端裕人さんにて未読だったため
【内容】
小学五年生の少年たちの川をめぐる一夏の冒険。
鳳凰池にやってきたペンギンの家族たちを中心に巻き起こる様々なできごとと、少年たちのアイデンティティの話。
【所見・まとめ】
この作者の小説が大好きで、当時大学の学部を決めたのも『リスクテイカー』という小説を読んだことがきっかけ。
本小説もとても面白かった。
ドキッとしたのはタイトルにもなっている「川の名前」の概念。
自分がどこに立っているのか、どこから来てどこへ行くのか、そしてどこに帰るのか、そんなことを考えたことは一度もなかった。
普段使用している住所が人間が作ったもので、街とか番地でしか自分の居場所を表現できないとか、気にしたこともなかった。いわんや、自分がどの川の流域にいるなんて、をや。
自分がいかに好奇心が欠如しているかわかる。考えているつもりでも、欠けている。自分のことについても、周りの環境についても。
川は海となり、世界へつながる。
自分がどこのカワガキなのか、わからない。わからないまま旅をしているのかもしれない。
これまで獲得したと思っていたアイデンティティと居場所は本物か?自然か?そんなことを考えてしまう小説だった。