栗原康のレビュー一覧
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アナキズムの本だけど黒くなくて紫の可愛いイラストつきカバーで、やっちゃう、やっちゃえ、やっちゃった、て踊りながらイラストちゃんが言ってるので、なんか、伊藤耕とか江戸アケミぽい語呂合わせだね、と思わず買います。いざ読み出したら手触り、軽さがとても良い感じ。紙の本バンザイ!
第一章さよなら国畜、39ページ、いまが最高だところがっていこうぜ。て、いやいやもう、じゃがたらでしょ。アケミでしょ。フリーダムの語源はフレンドッテ。アケミを感じる。なかなかアナーキーだな。もうこの時点で百点満点です。ギブギブギブギブは相互扶助、無意識な本能。おしゃべりをするのは人間の自由をおもんじるのとおなじことだ。
平岡正明 あらゆる犯罪は革命的である。
66ページ、フールズ伊藤耕の獄中死。 監獄の特徴は完全な密室、外からわからないから恐怖となりか権力側の力が絶対的となり従うのが当たり前となり従順な身体が作られる。伊藤耕は心も体も権力に従順じゃないから医療を受けられず死んでしまった、殺されてしまったということ。
決定不可能性に身を投じる。
ブラックブロックという闘い方。匿名性を武器にする。我を忘れて暴れて忘れて助ける。ゼロに引きどす。自分をゼロにする。統べるも統べられる自分もない。
いかに支配されない、そして他者をなにものをも支配しない支配の罠にハマらないように気をつけること。ガンジーの塩の行進のように収奪者から収奪されたものを取り返す、たちあがりその力を民衆がみせつけること。まさに今ヘイトや排外主義に簡単に加担したりひきよせられるひとがおおくなってきたいまか、権力側もそれを利用している今工夫を凝らした行動繋がり連鎖が必要。向井孝は塩の行動を非暴力直接行動とよび、無支配
資本主義は形を変えた奴隷制度。
向井孝の非暴力直接行動、支配のない日常を自分たちの力で取り返す
直接行動 自分のことは自分でやる
コンスピラシー 共鳴共謀伝染巻き込む力、思ったり思われたり助けたり助けられたりすること
テロル、テロリズムとは
テロル=恐怖を用いて民衆を支配する国家の常套手段
なんでもかんでも簡単にテロとか暴力、暴力反対とか言ってしまうマスコミマスメディアやさらに劣悪なネット空間に対抗する、世間話の中で、それでも平和的に、とか静かにとか安全に抗議してほしいとかそういう言説を対してほんとに支配という圧倒的暴力をまずは暴力と認めろよって言いたい。
暴力は暴力じゃない暴力、という理解で本当に良いと思う。
匿名になること。バカでずるな奴がネット空間で匿名になるのとは大違い。ストリートで、匿名になる。ブラックブロック。皆黒いパーカーを着て、黒の上着覆面をして塊になる。己はだれかわからない、から敵からも、権力からもわからない。名を捨てる。黒はなににも染まらない。
しなきゃいけないなんてない。
いくら教育で日本の皇国史観みたいなものを植えつけようとしてもそれだけじゃ説得力がない。でも戦争をやると、がぜん説得力がちがってくる。
205ページ。これなんだよね、今ネトウヨとか、軍事オタクで懸念された石破総理なんか全く問題なくて、過激にネトウヨ、極右な高市政権シンパの馬鹿どもが考えてるのはこれなのか。
戦争は侵略。国家にも誰にも人を殺す根拠なんかない。
だから戦争も、死刑制度もだめなんだ。
じぶんのおどりをおどれとか、転がっていこうぜとかほんとにアケミの言葉がそのまま出でくるけど、亡くなっているアケミはもはや1人のアケミじゃなくてみんなの心のなかに生きてみんなのアケミかもしれないけど伊藤耕のことは書いてあるからアケミの名前やじゃがたら詩集、アルバムなんでも良いからアナーキーに行き抜けたひとりとしても言及あればよかったと思う、もし読み飛ばしてきづいてなかったらごめんなさいだけど。
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ネタバレいくぜ極楽、なんどでもっていう話。
少し冗長に感じる部分はあったけど、文体に勢いがあって独特で読んでいて楽しかった。
p. 153はかなしなしばしかばねのくちぬほど
野原のつちはよそにみえけり
ひとはかならず死ぬんだ、その屍は杉ちはてて、野原の土にかえっていく、はかないことだ。でも、みんな自分と土とは無関係だとおもいこんでいる、おろかなことだ。
むしろ、こうおもわなくちゃいけない。どうせひとは土になるのである。それなのに現世に執着して、財産をためこんだって意味がないじゃないか、そんなのぜんぶ捨てちまえ、土になれ、なんにもなくなったまっさらな大地からもういちどやりなおすんだと、そういっているのである。 -
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アナーキズムという単語を起点に、現代の様々な権力により構成された自由の効かない社会を皮肉的に、自由な描写で書き上げたエッセイである。バクーニンやホッブスのリヴァイアサン、マルクスやレーニンを上げながら、人間は自由に生きていくというシステムに支配されているという観点に嘆きを入れる。日本では1000万人が参加したとされる米騒動を例に挙げ、革命の躍動感と歩みを自由に書き上げた、詩であるとも言える作品で、評価するのは個人的に非常に難しいが、ルソーの社会契約など、馴染みの深い偉人の考え、フランスの十月革命などを含んだ社会の変遷を非常にわかりやすくコミカルに、ドラマチックに描いているという点で素晴らしいと言える。
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ネタバレ昔はエコの人たちダサくてゆるくて過激さがなくてカッコ悪いって思っていた。日本ではそうでもない(進歩してない)みたいだけど、欧米では、エコの人らが一番の過激派になっていてかなりラディカルなことしてる。それはそれでなんか違和感。その違和感をすっきり解消してくれてるとこなんかいいね。たとえば、
今やられているのは、人間による人間の支配だ、それがより強力になっただけなんだ、「地球」って言葉が使われて、みんなのためにお前ら従えよって言われてるだけなんだよと。
ほかにもいろいろ抜粋。気分爽快なところや、ゴロが良かったところ。
例えば、今、ぱっと思い浮かんだのが、三里塚闘争だ。もともと、三里塚、成田周辺てのはめっちゃ農業が盛んだった。でも、ある日、突然、そこに成田空港を作りますよって国が言ってきて、そんでもって嫌だったら、てめえら邪魔なんだよ、立ち退かないやつは、国益に反しているんだよ、非国民なんだよって言って、農民たちを排除しにかかったわけだ。チキショウ国家、マジヤクザ。
くそでも何でも武器にして、いつだって、何度だって叩き潰してやれ。我々は都会のインディオだ。CO2削減って叫びながら、車を燃やし、マックを焼き討ちにしては、マックグリドルソーセージエッグを食らう。
てめえの自然を手放すな。てめえの体を制御させるなてめえの理想にだって縛らせちゃいけない。何度でも何度でも振り出しに戻って生きていきたい。
フランスのアナキスト集団 不可視委員会の文章をよく読むんだけど、彼らに「いまこそ(仮)」って本があってね、その中に、「経済は尺度の警察ポリスである」ってフレーズが出てくる。これ文字通りなんだよね。金は生きる尺度だって言っておいて、従わない奴らを取り締まっていく、使えない奴は、こき下ろして、働かない奴が叩き出せポイポイってね、アナルコ・キャピタリズムの精神だ。みんな警察だよ。
それまで自分ができないって思っていたことができるようになる、あれもできる、これもできる、何でもできる、もっともっとって、自分じゃない自分を手にすることが大事なんだ、そういう力を示すことが大事なんだって。それを自分で感じとることが大事なんだって、それだけが大事なんだ。もっとアホになれ、もっとアホになれ!もしもそれ以上の何かをさせようとするならば、コンセンサスだろうと男だろうと、そんなもんは、ただの政治だ、支配だ、権力だ。(ブラックブロックの精神)
サイバネティクスの論理=絶えず無駄を除去して適正化、自動修正。サイバネティクスはファシズムの土台である。
リュック・ボルタンスキー、エヴ・シャペロ「資本主義の新たな精神」資本主義批判には2つの方がある。
1社会的批判 2芸術家的批判
社会的絆は、この世の中に貧富の格差があるのはおかしい不平等を正しくましょうって言うもの。労働組合の運動のようなもの。
芸術家的批判は、支配はいらない、この社会のヒエラルキーをぶち壊してやれ、大事なのは、自立と自己統治だ、命令なんていらない、自ら進んで面白いことをやっていく、新しいものを創造していくんだ。一人一人がアーティストになるだと言う若者の動き(60年代)
1966年、ベトナム反戦直接行動委員会(ベ反委)
ベトナム反戦運動におけるアナキストの団体
ないものを発見する
アナキストは無駄がいのち。
アナルコ・サンディカリズム、結局カネなんかに縛られないで、メタクソに好きなことをやりまくって来て言ってやるぜって言うこと
プルードン
「あなたがされたくないことを他人にしてはいけない。いつでもあなたがされたいと思った良いことを他人にするのです」(労働者階級の政治的能力)
ジョン・ホロウェイ(革命‐資本主義に亀裂を入れる)
為すことドゥーイングと労働レイバーをはっきり分けて考えましょう。なすことはこれをやったら面白いとかこれをやったらあいつが喜ぶだろうなと言う事労働とは見返りをもらうために何かをするってこと。=大杉栄の「生の拡充」
レイバーのほうは、工場の中の主人と奴隷みたいな関係。
アナルコ・サンディカリズムの山で1日とはフランス語で労働組合のことサンディカリズムで労働組合主義。資本家がいなくても、政治家がいなくても、労働者だけで労働組合だけでやっちまおうぜというのがサンディカリズム、労働組合の組織作りも会社みたいなヒエラルキーにしない。統一された組織である必要もない。どこの組合とか関係なくゆるやかにつながっていつでも支援に入ったり駆けつければ良い。大正時代に日本でサンディカリズムをガンガンやっていたのが大杉栄。
アナルコ・サンディカリズムは、労働組合の自主と言う縛りがあるため、純正アナキズムと論争になる、日本の大正時代なら、サンディカリズムの大杉栄と純正アナキズムの八太舟三。
多分うちらが当たり前だと思っている自分は、他人によって強いられた自分である。
大杉栄たちのサンディカは労働組合ではなく、街の中間共闘集団。得体の知れない無数の集団、無数の生命力。できるできるもっとできる、何でもできる。誰かが行けるところまで行ってみる。やること。成すこと根拠なし。なぜそんなことを始めたのかわからない。制御できない力がある「自然とは暴動である」ので、サンディカとは、人を自然に近づけようとするもの。衝動がある。しかし命令は無い。共鳴はある。しかし統一はない。バラけることを前提にして、人が群れ集まる。人は1人で群れだ。潜在的に人は無数の自分を持っている。アナルコ・サンディカリズムとは、一丸になってバラバラに生きろ。
そして、第4章で、さすがの船本洲治登場。この人、栗原さん、ここまでもそうだそうだと読み進んできたが、めっちゃ信頼できる。
「暴動は下層労働者の自己表現である」自らの弱者性を抑圧された存在状況を武器にしろ。トイレットペーパー勝ち取りのための新聞紙トイレ詰まらせ作戦。やられてとやられてなくてもやり返せ。まさかの船本からのアナルコ・フェミニズム展開へ。エマ・ゴールドマン。すごい武勇伝だらけの人生で70歳まで活躍したすごい人。
魔女狩りの政治性経済性、、、家事労働の担い手確保のための正義。夫、配偶者のことを自分でダンナさまとかダンナとか言ってる人が日本には多くていちいち訂正したくなるけど、この無意識もしくは説教的奴隷マインドは痴漢とか性犯罪の多さや密室性とも関係してそうだ。伊藤野枝、友情はアナーキー。命のダンス、そうさせてやまないもの。
アナルコ・コミュニズム
どこにでもではないかも知れないが昔の、伊藤野枝の時代の田舎には普通にあった相互扶助が振る舞いとして自然であったこと。無政府は事実、という。おっしゃる通り。
最後はドイツのアウトノーメ、スクウォットの話から秩序、奴隷の生、集団の権威からはみ出せ、秩序をはみだし、無償の生をいけ。コミュニズムとは絶対的孤独
はみ出していこうとする力、相互扶助(無政府)は犯罪であり、アナーキーと
こんなにわかりやすく希望に溢れるアナキズム入門はない。しなやかで良いし、好きということがとても良い、大事。 -
Posted by ブクログ
栗原康のことはまったく知らず、本屋で表紙を見てなんとなしに買ってみたのだが、これがびっくりするくらいおもしろかった。
アナキズム研究が専門で大学の非常勤講師をやっているとのことだが、文体はまるで町田康のような、ふざけているのか真面目なのかわからない、いや絶対にふざけているのだけど、ちょうどいい塩梅のふざけっぷりで、良い。文体だけでなく、自らの情けなさと滑稽さを魅力的に書けるあたりも似ている。
文体や語り口もいいのだが、そもそも主張がわたしの好きなものだったので、おもしろく読めたのだと思う。ちょっと過激な主張ではあるけど、賛同する人はけっこういるんじゃないだろうか。
主張と文体が、合ってる。 -
Posted by ブクログ
いや、やっぱり栗原康は最高です
自分の中にあるあらゆる支配をぶち壊してくれる
「岩波新書」は格式高い?そんな知ったこっちゃないと言わんばかりの暴れっぷり
栗原康の思想の真髄を知る上で、最も適切な一冊目になると思います
無政府は事実だ!
あらゆる相互扶助は犯罪だ!
やられてなくてもやりかえせ!
できっこないをやらなくちゃ!
ちなみにここにあるレビューの大概は的外れなので参考にしないほうがいい
文体?んなこた知ったこっちゃねぇんだよ
栗原康さんは栗原康さんの書きたいように書くんだよ
そんなこともわかんねえなら初めから読み直せ
自分のなにかを捨てる覚悟で読まないならそれは永遠の奴隷です -
Posted by ブクログ
暴力はいけない。そう思っているのに、しびれるように美しく思うことがあるのはなぜだろう。拳や足蹴りを見ながら、胸が熱くなるのはなぜだろう。美しい暴力とそうでない暴力があるのはなぜか。そもそも暴力とはなにか。
暴力とは、自分の人生を自分でかたちづくることであり、自律的に生きていこうとすること。
誰かが何かから解放されようとして暴れる力を目にすると美しく思い、押さえつけ縛りつけるために行使される力を醜く思う。
「ひとのことたたいちゃダメっていうくせに、なんでお母さんはそういうえいがが大すきなの?」といつか聞かれたとしても、これでちゃんと胸張って答えられる。
自分が自分に正直に生きるために暴れる力。「暴力はいけない」?自発的に生きるだけで人はみんな暴力をふるっている。自覚すること。自覚して意識的に生きていけば面白いんじゃないか。だって毎日毎日みんな息を詰めて、なんなんだ、と思う。人生の手綱を他人に預けて、「生き延びさせられている」。他人の押し付けるモラルを守って従順に生きることは自分に不誠実ではないのか。そして第4章には泣かされた。伊藤野枝は凄い女性だな。
栗原さんの本、バカだなーと思いつつ(いきなり「はだしのゲン」の雑なあらすじを7頁に渡って話し始めたのには堪えきれずに爆笑した)すごく共感してしまうんだけど、このままいくとわたしはアナキズム研究会の講演とかに足を運ぶことになってしまうかもしれない。……それはそれでいいか。