栗原康のレビュー一覧
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岩波新書にしては思い切った装丁に惹かれて手に取る。政治思想は元来不勉強分野だが、「アナキズム」についてまとまった形で読むのは本書が初めて。登場する思想家・活動家中、辛うじて名を知っていたのは大杉栄くらい、あとは和洋問わずほとんど聞いたことのない名前の連続でやや戸惑ったが、内容は新書らしくシンプルでわかりやすく、著者の思いがストレートに伝わってくる良書だと思った。
本書を一読して我が身を振り返れば、自分の信条を体現しているわけでもない国家や組織の価値観をいつの間にやら内面化し、当初は確かにあった衝動を忘れてしまったことに無自覚な自分に思い至り、冷や汗が出る。この「他人の自我」に従属する奴隷状態から「棄脱」するには、衝動に基づく行動や共鳴に基づく無償の「相互扶助」を通じて、自分にも制御できない自分の力を取り戻すしかないというのが著者の主張。
研究者として書きたいことを書く地位を得るため、その自分の書きたいことの代わりに周りから評価されることを書かねばならないことの矛盾を良しとせず、伝統的な研究者としての地位に甘んじることなく非常勤講師の道を選ぶという実践を、著者自身が踏んでいるだけに一定の説得力がある。しかも、ここには「アナキズム」という言葉から連想されるようなストイックな堅苦しさや偏狭さは感じられない。それは賛否あろうが「個人に開かれたアナキズム」ともいうべき著者の信条をわかりやすく体現する文体に依るところが大きいのだと思う(やや紋切り型な一人称「おいら」や意外にバリエーションに乏しい間投詞は少々気になったが)。
本書の内容を実践に移すのは簡単ではあるまいが、「ユートピアを志向し続ける意志の力だけはどのような立場に置かれている人間であっても忘れてはならない」という著者のメッセージはクリアーに伝わってきた。今年から高校に行く息子に読んで欲しい。ま、無理に読ませて本当に読むような人間であれば、そもそも本書でいう奴隷根性へ一直線、ということになるのだろうが。 -
Posted by ブクログ
気が付けば、バブルがはじけてからこの方20年以上もずっと不況だ。
ならこれは不況ではなくて、通常なのでは?
いつかこの不況から脱却できると思うから、いろいろ我慢や辛抱をしたけれど、もしかしたらこれを通常とあきらめて、生活のあり方を考え直さなければならないのでは?
なんてことを、何の根拠もなく考えていたけれど、それに根拠を与えてくれる社会学者の著書。
といえば堅苦しいが、非常に軽く、いささか軽薄なほどに軽く、生活に即して考察した本なのだ。
1979年生まれの大学非常勤講師。
両親とともに埼玉の実家で暮らす。
今でこそ年収は80万くらいあるようだが、年収10万くらいの時に、稼ぎのない著者に代わって両親が年金を年17万円も支払わなくてはならないことに憤る。
年収10万円の人から17万円も年金を搾り取ることのどこが福祉だ!相互扶助だ!
“ニュースでは、いつものように企業閉鎖や労働者の悲惨さがとりあげられ、経済破綻がさわがれている。字面だけみると、新自由主義がふつうに批判されるようになっており、労働者に同情的な声がひろがっているようにもみえるが、その内実をみるとびっくりしてしまう。不況だからクビ切りはいたしかたない、国民一体となって不況をのりきろう、失業者は低賃金でもはたらきたがっている、どんな仕事でもはたらけるだけましだ、と。ひどいものだ。これはどういうことなのか。どう考えても、みんな企業のせいでたいへんなおもいをしているのに、その責任を問うどころか、むしろ企業のために必死ではたらくことが推奨されている。過剰なまでにふくれあがっている労働倫理。”
アリとキリギリスに例えると、遊び暮らしていたキリギリスが、冬になって食べるものがなくなると、夏の間にせっせと働いてエサを蓄えていたアリを食べ、なおかつ貯めこんだエサをもいただいてしまうという、今の世界はこんな感じではないか、と。
“いろんないいかたはあるが、わたしたちをとりまくこの社会は、いちおう認知資本主義とよばれている。世のなかがカネもうけでうごいていることはいまもむかしからかわらないが、その最たる手段が人間の認知能力、ようするに情報になったということだ。大切なのは、なんらかの情報がはいってきたら、期待されたとおりの反応をしめすこと、けっして迷わないこと、躊躇しないこと。(中略)ようするに、上から命令されたら、それにしたがえということだ。”
情報量はあふれんばかりにあるのに、それのしめすところは消費の勧めだ。
“おおくの国が不況になって、とにかく売れるものだけをつくらなくてはならなくなった。消費されるものだけをつくる。消費されるときにだけひとをやとう。これが非正規雇用だ。(中略)おそろしいのは、結果、大多数のひとが貧乏になったのに、それすらショッピングのように自分で好んでえらんだ結果だといわれるようになったことである。フリーターになるのも個性、ニートになるのも個性、ホームレスになるのも個性だ。そして、かれらは仕事をもつことを放棄したといわれ、世間から倫理的な非難にさらされる。なぜなら、それは消費を放棄することにひとしいからだ。仕事をもたない、もてないということは、自分で人間じゃない、市民じゃないといっているにひとしいのであり、反社会的な行為なのである。自己責任だ。とうぜん、国家はカネをださない。”
生活のために働いていたはずが、いつの間にか働くための社会的パーツに成り下がってしまった私たち。
そんなことのために生きているの?
いや、はたらかないでたらふく食べたいのだ。そしてもてたい。
労働力と貨幣の等価交換という名のもとに、お金に隷属させられたくはない。そしてもてたい。
“たいていの場合、借りたものは返せなくなっているし、ひとりでも共同でも、都市部にいても地方に移住してでも、手軽な場所をみつけ、なるたけカネをかけないで生活しようというひとはけっこうおおい。きっともうすこししたら、なるたけテマをかけずに、自給できる方法だってどんどん発明されてくることだろう。はたらかないで、たらふく食べたい。社会が狂うのか、それとも自分が狂うのか。” -
Posted by ブクログ
大杉栄を尊敬する日本のアナキスト研究家である著者の願いは「はたらかないで、たらふく食べたい」ということ。やりたいことしかやりたくない。満員電車に乗ると吐いてしまう。その結果、30代独身、年収80万円。両親の家と年金をあてにすることで生きている。
そんな著者が古典文学や歴史にふれながら、自分の願いや境遇を納得させようと試みたのが本書。
いい年をして、はたらかない理屈をこねまくる著者だが、それが本心なのか、笑いのためなのか、他の野望があるのか、イマイチはっきりしない。
なんだかんだ言いながら、大学の非常勤講師とこうした本の印税で収入を確保しつつ、ニートを笑い飛ばす、ゆるい社会派エッセイとして、読むべきなのか。 -
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ニートのphaさんの本とか坂口恭平の本とか好きで読んでるけどそれとはちょっと毛色が違って、書いてるのがアナキズム研究者の人なのでやさしいアナキズム入門みたいなところもある。ただ根っこのところは「べつに金稼げる奴が偉いわけじゃないだろ、働かない奴も飯を食える社会のほうがいいだろ」ということで共通している。
基本はエッセイ調、著者の日常をコミカルながらも切実に描いている。結婚するために「ちゃんとした人」に頑張ってなろうとして、なれなくて婚約者に振られるところなどあっけらかんと描写しているが切ない。
よく読むとん?と思うところとか物騒なこともちょこちょこ言ってるけど(アナキズムの人に物騒なことを言うなというほうが無理だろう)、全体的にゆるいノリでひらがなが多いのでさくさく読める。
読んでると不思議と前読んだ消費社会論の本(著者とは対極の、資本主義のど真ん中みたいな元マーケターの人の本)とも意外な共通点があったりして面白かった。いいかげん消費するために働くみたいなノリじゃなくなってきてるというのもそうだし、そもそも消費って何だ、労働とかもそんなにいいもんなのかってのもみんな考えてる。 -
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同じ本を読んでも受け止め方はそれぞれなんだなぁと思った。この文体がまぁまぁ苦手で、笑。
なかなか内容が頭に入ってこなくて苦戦したけど、酔っ払ってる時はなんか、わかるわかるーって思ったんだけど、素面で読むと、なかなか。しかも文体とは別に作者はすごくちゃんと本読んで勉強してるってのが伝わってきて。ハチャメチャしろ!って言うてるけど、ちゃんとしてますやん。ても思った。
なんでも学問になるんだなぁ。研究したら。
わたしはこの本読んで、やりたいことやるのは誰でもいつでもどこでもできる!今しかないから。明日から、来年から、そんなこと言うてたらいつまでもなんも変わらない。正しいか間違ってるか、そんなことはどうでもよろしい。自分の衝動に従うまでだ!
みたいなこと感じたんだけど、わたしの相方は、自分の、世間の当たり前を疑えってことがこの本の主題だろ。って言うてた。
ま、それぞれが受け取ったものをそれぞれが大事にするのがいいよね。みんな違ってみんないい。読書はアナーキズムじゃないですか。 -
Posted by ブクログ
飲み会などの会合などで、主義思想を問われると リバタリアンであると答えてきた。 リバタリアンがポケモン的に進化するとアナーキストになるということは理解している。それゆえ大杉栄にはその周りの時代の騒々しさも含めてくすぐられたため、いくつか本作の著者の本を読んできた。
ひらがなの多い投げやりでやけくそな文が面白くて、その威勢よさとたまにテレビで喋っているところなどを見ると繊細で弱々しい、そのギャップも気に入っている。
ただ 本作の主張は多くの箇所で共感することはできない。 まあ 当たり前だ。
暴力が良い悪いとか倫理的にどうかとかいうことの前にあらゆる権威への不服従 がアナキズムであるはずなのに、デモやテロリズム、大衆の蜂起も含めて、それ自体が権威化している、そのウロボロス的矛盾が許せないことに尽きる。 実際の行動に移らないでもその思想自体が 権威化してそれに従うことはやはり不自由の極みなのだ。
ハト派のアナキズムというものはあるのだろうか。あるとすればそれが自分の思考には一番沿っているのだが。どうもそれは 隠遁生活をするしかないようにも思う。ソローとか良寛とか鴨長明になるのだろうか。 -
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アナキズムについてもっと知りたくて読みました。荘子、ソロー、伊藤野枝、などなど先人たちの思想に、著者の私生活についての思考が挿入されつつ、少し毒どくしいとも言える文体が読みにくいのか読みやすいのか、どちらとも言い難いですが、「自由に書きたいように書きたい」というのが、著者の主張であり、根はとても真面目な考えなのだと感じました。
稼いでいなければ、消費してそれにより「自己実現」し、個性を表現しなければ、人でなしのように扱われるこの資本主義社会の中で、生きているだけで負い目を背負わされ、正しさ地獄の中でがんじからめになり、いつしかその基準を自己の精神の中に内面化し、自由のカケラさえうしなってしまう苦しさ。(後書きより)
労働と消費の社会学についてもっと学び、精神を自由にしたいと思いました。フェミニズムについても。
人間、本来の面目はもっと自由であるはず。 -
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独特の文体に、最初ちょっと面食らう。
が、自分のツボには結構はまった一冊だった。
老後のために貯蓄。
明日ちょっと楽になるために、今日のうちに準備しておく。
こういう考えを美徳として育った。
今日も、明日も、きっとこうしていくのだろう。
ところが、それで長い間やっていくと、ふと気づく。
いつ「楽ができる」未来が来るのか。
このまま終わってしまうのではないか。
自分が何かに囚われている。
金銭に?
あるいはものを所有することに?
それどころか、労働そのものに?
年を重ねていくと、年々この気持ちはリアルに切迫してくる。
こんな心境でいると、この本の記述は刺ささること、刺さること。
筆者のようなアナキストが信じる共同体に、相互扶与の関係で社会がうまく回っていくのかに、にわかには信じられない気持ちが、正直に言えばある。
自分は海賊にもなれないし、ラダイトたちと一緒に運動もできないだろう。
だからこそ、かな。
何かこの本に心が揺さぶられる気がする。 -
Posted by ブクログ
はたらかないで、たらふく食べたいという気持ちには共感するけれども、皆がそうしたら社会は成り立たない。それこそ著者の好きなタバコもビールものめなくなっちゃう。
しかし、別にこういう人がいたっていいのである。働きたくないけど、主義は曲げず楽しく生きたいというのは明治なら「高等遊民」と言われたのに今はニートだヒモだと言われて気の毒である。
妻になる人に扶養される気満々だが、「専業主夫」ができるほど家事ができるわけでもない。いざというときの役にも立たなそう。でも、彼女がいつもいるってことは、稼ぎがなくても、なんというか、可愛げがあるんじゃないか。そういう男を養ってあげたいという女性もいるだろうし、二人が納得していれば良い。しかし、この本で一番面白いのは結婚しようと思っていた女性にフラれる部分である。
アナーキスト、政治学者として口を糊しているわけだけど、文章は独特で面白いし、ダメ男の哀れな滑稽味もよく出ているから、私小説家としてもいけるんじゃないかな。
TA(ティーチングアシスタント)をしていたとき、サボりまくって金だけもらい、「いまさらながらわるいことをしたとおもっている。すぎたことだ。」(p113)なんて太宰治みたいじゃん。お前が言うな、っていう。
この本を書き始めたときは年収10万だったのが、書き終わる頃には200万と20倍に爆上がりしたそうなので、もしかすると今はもっと爆上がりして、妻や親に扶養してもらわずに生きていらっしゃるのかもしれないが、是非このダメ男感は失くさずに書き続けてほしいものです。 -
Posted by ブクログ
NHKBSで「英雄達の決断」という番組をやっていて、あるとき取り上げられていたのが一遍上人。そしてそのときコメンテーターとしてこの本の著者が出演しており、かれの“アナーキズム研究家“という珍しい肩書きと解説のわかりやすさに惹かれ、彼が一遍について描いた著書を読んでみることにした。
一般的な伝記とは異なり、独特の文体で描かれているので最初はやや面食らう。なんだろう、町田康みたいな感じ。
さすがアナーキストというか。ロックな感じというか。
一遍がいかにして浄土宗に帰依し、そして踊り念仏に目覚めて時宗の開祖となり、諸国を漫遊していくのかをきちんと史実に沿って描きながらも、おそらく著者が一番強調したい、一遍のメンタリティ「すべてが無常であるならば、いっそすべて捨ててしまえ。すべてを捨てて踊ってしまえ」という部分をロックな解釈を踏まえてダイナミックに記述している。
仏教のおしえについても、わかりやすく解説してくれていて、教養書としても読み物としても楽しめた。
すべてが無常だとしたら、いっそ捨ててしまうことが果たしていいことなのかどうかはわたしにゃわからん。
ただ、困ったら「南無阿弥陀仏」と唱えてみようとは思った。時宗は、信心があってもなくても、念仏を唱えれば救われるというのが教えで、そういう楽ちんな心のよりどころはとてもいいと思う。