栗原康のレビュー一覧
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気が付けば、バブルがはじけてからこの方20年以上もずっと不況だ。
ならこれは不況ではなくて、通常なのでは?
いつかこの不況から脱却できると思うから、いろいろ我慢や辛抱をしたけれど、もしかしたらこれを通常とあきらめて、生活のあり方を考え直さなければならないのでは?
なんてことを、何の根拠もなく考えていたけれど、それに根拠を与えてくれる社会学者の著書。
といえば堅苦しいが、非常に軽く、いささか軽薄なほどに軽く、生活に即して考察した本なのだ。
1979年生まれの大学非常勤講師。
両親とともに埼玉の実家で暮らす。
今でこそ年収は80万くらいあるようだが、年収10万くらいの時に、稼ぎのない著者に代わ -
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大杉栄を尊敬する日本のアナキスト研究家である著者の願いは「はたらかないで、たらふく食べたい」ということ。やりたいことしかやりたくない。満員電車に乗ると吐いてしまう。その結果、30代独身、年収80万円。両親の家と年金をあてにすることで生きている。
そんな著者が古典文学や歴史にふれながら、自分の願いや境遇を納得させようと試みたのが本書。
いい年をして、はたらかない理屈をこねまくる著者だが、それが本心なのか、笑いのためなのか、他の野望があるのか、イマイチはっきりしない。
なんだかんだ言いながら、大学の非常勤講師とこうした本の印税で収入を確保しつつ、ニートを笑い飛ばす、ゆるい社会派エッセイとして -
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ニートのphaさんの本とか坂口恭平の本とか好きで読んでるけどそれとはちょっと毛色が違って、書いてるのがアナキズム研究者の人なのでやさしいアナキズム入門みたいなところもある。ただ根っこのところは「べつに金稼げる奴が偉いわけじゃないだろ、働かない奴も飯を食える社会のほうがいいだろ」ということで共通している。
基本はエッセイ調、著者の日常をコミカルながらも切実に描いている。結婚するために「ちゃんとした人」に頑張ってなろうとして、なれなくて婚約者に振られるところなどあっけらかんと描写しているが切ない。
よく読むとん?と思うところとか物騒なこともちょこちょこ言ってるけど(アナキズムの人に物騒なことを言う -
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アナキズムについてもっと知りたくて読みました。荘子、ソロー、伊藤野枝、などなど先人たちの思想に、著者の私生活についての思考が挿入されつつ、少し毒どくしいとも言える文体が読みにくいのか読みやすいのか、どちらとも言い難いですが、「自由に書きたいように書きたい」というのが、著者の主張であり、根はとても真面目な考えなのだと感じました。
稼いでいなければ、消費してそれにより「自己実現」し、個性を表現しなければ、人でなしのように扱われるこの資本主義社会の中で、生きているだけで負い目を背負わされ、正しさ地獄の中でがんじからめになり、いつしかその基準を自己の精神の中に内面化し、自由のカケラさえうしなってしま -
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独特の文体に、最初ちょっと面食らう。
が、自分のツボには結構はまった一冊だった。
老後のために貯蓄。
明日ちょっと楽になるために、今日のうちに準備しておく。
こういう考えを美徳として育った。
今日も、明日も、きっとこうしていくのだろう。
ところが、それで長い間やっていくと、ふと気づく。
いつ「楽ができる」未来が来るのか。
このまま終わってしまうのではないか。
自分が何かに囚われている。
金銭に?
あるいはものを所有することに?
それどころか、労働そのものに?
年を重ねていくと、年々この気持ちはリアルに切迫してくる。
こんな心境でいると、この本の記述は刺ささること、刺さること。
筆者のよう -
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はたらかないで、たらふく食べたいという気持ちには共感するけれども、皆がそうしたら社会は成り立たない。それこそ著者の好きなタバコもビールものめなくなっちゃう。
しかし、別にこういう人がいたっていいのである。働きたくないけど、主義は曲げず楽しく生きたいというのは明治なら「高等遊民」と言われたのに今はニートだヒモだと言われて気の毒である。
妻になる人に扶養される気満々だが、「専業主夫」ができるほど家事ができるわけでもない。いざというときの役にも立たなそう。でも、彼女がいつもいるってことは、稼ぎがなくても、なんというか、可愛げがあるんじゃないか。そういう男を養ってあげたいという女性もいるだろうし、二人 -
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NHKBSで「英雄達の決断」という番組をやっていて、あるとき取り上げられていたのが一遍上人。そしてそのときコメンテーターとしてこの本の著者が出演しており、かれの“アナーキズム研究家“という珍しい肩書きと解説のわかりやすさに惹かれ、彼が一遍について描いた著書を読んでみることにした。
一般的な伝記とは異なり、独特の文体で描かれているので最初はやや面食らう。なんだろう、町田康みたいな感じ。
さすがアナーキストというか。ロックな感じというか。
一遍がいかにして浄土宗に帰依し、そして踊り念仏に目覚めて時宗の開祖となり、諸国を漫遊していくのかをきちんと史実に沿って描きながらも、おそらく著者が一番強調したい -
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以下、引用
●アナキズムというのは、ギリシア語のanarchosからきていて、(中略)ていねいに訳していくと、「だれにもなんにも支配されないぞ」とか、「統治されないものになれ」ってのがアナーキーになる。
●権力の暴走はアナーキー?(中略)アナーキーってのは、いつでもそういう権力をぶちぬいてやるぜってことだ。もうちょっといえば、かりに権力の横暴に反対しても、それがまた権力になっちまったら、いつだって、そいつもぶちぬいてやるぜってことだ。
●前日のあの大会議はなんだったっていうことさ。だってさ、すんげえ苦労して、何時間もかけて1万5000人で全員一致のコンセンサスをとっておいて、いざ本番になったら -
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こんなに熱い本を初めて読んだ。
筆者の栗原さんの言葉を使えば、共鳴して、震えた。
アナキストとか、資本主義の奴隷とか、よくわからない。でも、間違いなく、私は一般常識(と思い込んでいるもの)とか、敷かれたレールとか、古き良きとか、あるかもわからない将来とか、そういうものに縛られて生きていたことがわかった。そのために今我慢しちゃあだめだよねってことも、頭ではわかった。(実行に移せるかはこれから。)
個人的には、ちょっと熱すぎて共感できない部分があった。暴動を、反逆を、破壊を、やれやれ!というような書き方はあまり好きではないな。まあ、言いたいことを我慢して、何もしないのは良くないけど。
労働に