森本あんりのレビュー一覧
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おもしろかった。反知性主義は平等の理念から来るアメリカ大衆の反権威的な思想。アメリカ社会が解った気になれる良い本。
反知性主義というと知性を否定する愚かな思想と誤用されるが、著者は本来の反知性主義は社会の健全さを示すポジティブなものだったと主張する。良い反知性主義があるのはまあ理解できる。著者はあとがきで知性に優れた真の反知性主義者の活躍に期待している。でもそれって反権威の知性主義者のことではないか。
知性に優れた真の反知性主義者=反権威の知性主義者
知性に劣った偽の反知性主義者=ただの愚か者
こうなるともはや反知性主義という呼び方自体が不要では。とにかく反知性主義というネーミングは悪いなぁ。著者のせいじゃないけど。
本書の内容は次の引用で概ねまとまっている。
(p264から引用) リバイバリズムは、ピューリタニズムの極端な知性主義への反動として生まれ、独立期には信教の自由を求める政治家と宗教家との連合を作り出した。そしてジャクソニアン・デモクラシーとアメリカの自然志向を背景に、ビジネス的な実利精神と融合してキリスト教を大衆化し、フィニーやムーディやサンデーといったヒーローたちを輩出した。反知性主義は、その後も現代に至るまでアメリカに固有の現象として定着し、知性の越権行為が疑われるところでは敏感にそれを察知して批判力を発揮する。 -
Posted by ブクログ
加藤喜之『福音派』から、アメリカのキリスト教の源流をもう少し知りたくて、森本あんり先生の『キリスト教でたどるアメリカ史』を手に取り、ここのところニュース解説動画を手当たり次第に読んだり見たりしています。複数のアメリカ専門家のなかでも、森本先生の穏やかで平易なお話しぶりが格段に理解しやすく、心に沁みます。本書もそんな本でした。
なかでも、上野千鶴子先生と森本あんり先生の対談なんて、とても希少なのでは?作家、社会学者、数学者、自然科学者という4人の大家と森本先生の対談がどれもすっと胸に収まり、教養人の力、リベラルアーツの懐の深さを実感することのできる読書体験となりました。学歴のみならず、教育や教養が人生ゲームの武器かのように位置付けられている今、本を読むとは、勉強とは、大学とは何かを冷静に考えさせてくれます。
私もChat GPTに負けず、一生をかけてこのような教養を深めて行きたいと、心から思いました。 -
Posted by ブクログ
ロジャー・ウィリアムズというひとりの人物を通して、宗教から現れるアメリカの性格がとてもよくわかる本。難しい話でしたが、ロジャー・ウィリアムズが魅力的すぎて飽きずに読めました。
個人的にはウィリアムズ、嫌いじゃないです。
現代の価値観に照らすと、過激すぎるところはもちろんたくさんありますが、たとえ自分が理解できなくとも、それを大事にしている人がいるならそれは尊重すべきだし配慮すべきだというのは一理あります。
そして、この感覚をある種の権利であるかのように勘違いして主張している人間が多すぎるのが現代のような気がします。
というか、これ、ウィリアムズの時代と同じですね(笑)書いていて気づきました。
そいつらはまさしく不寛容です。
寛容しろー!は不寛容であるという話がありましたが、お客様は神様理論をお客様が振りかざしてるのと似ているなと思いました。 -
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ネタバレ反知性主義:
アメリカが生んだ「熱病」の正体
今流行り?の「反知性主義」って何?ということが知りたくて読んでみました。
一言で言えば「長いものには巻かれるな!」的なアメリカンスピリットのことのようです。
そういった心意気がどうやって育まれて来たのかをキリスト教の伝道過程を丁寧に追っていくことによって解説しています。
「反知性」とは、知性に対して反対しているわけではなく、知識を独占している階級に反抗する姿勢を指しています。
その点を誤解すると、言葉の意味が全く変わってしまうので注意が必要です。
意外だったのは、アメリカの政教分離が、より重要な宗教と政治を切り離すために行われたというくだり。
なんとなくではありますが、アメリカ人のポジティブスピリットと信念を大切にするメンタリティの源泉を理解できた気がしました。
竹蔵 -
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ネタバレ一つ一つがとても知らない世界だらけで、
引き込まれながら読みました。
何だか全然関係ないような細かい話のようで、なんでか読み進めてしまう、素晴らしい書き手・語り手の技でした。
森本あんりさんの子どもの頃のこと、どんな子だったか、名前、
懸賞論文への応募と新聞社の論調に合わせた作文で勝ち取った豪華旅行(やっぱすごい、小さいときから書ける人だったのですね)、
どうやって大学(ICU)に行くことになったか、
ガールフレンドが教会に行っていたからクリスチャンになった、
交換留学での出会い、
プリンストン神学大学に行くことになったか、
その5年間のアメリカ生活での豊かな人間関係、
四国で牧師さんになったり、
もうなんだか物語のような人生、
でもそれは本書のメインテーマではなくて、
いろいろな章に散りばめられた森本あんりさんのいろいろな過去が、
少しずつ明らかになりつつ、
実際の主役は、ボナエ・リテラエー良い書物。
本と言っても、気軽に手に取れないものが多い、
著者の紹介なしには、垣間見ることもあまりなさそうな偉大な知の書物というか、
こんなふうに本とともに自分を振り返られるって素敵だなーと思いながら、
そんなふうにもしかしたら私たち一人ひとりも、自分の思考が形作られてきた過程を本を通して他者に伝えられるかもしれないですね。こんなに知的ではなかったとしても。おもしろそう。 -
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世の中では寛容が良いことで、不寛容は悪いことだという風潮がある。しかし、寛容であるはずのリベラル層が不寛容な言説に染まったり、一神教は不寛容だが多神教は寛容なので日本人はやさしいといった、寛容の意味合いを履き違えた話も散見される。
寛容という言葉には、前提として評価する側の絶対的な正しさがある。間違っているけど赦す、という一方的な立場を正当化する危うさは、時には戦争や排斥を生み出すロジックとなってきた。寛容の起源にキリスト教の異教徒や異文化に対する理解という流れがあり、聖書や教義が絶対的に正しいという立場が見え隠れする。
この本では、アメリカ建国にまつわる寛容・不寛容の流れをもとに説明されている。ロジャー・ウィリアムスという主役が登場すると、話は俄然面白くなる。新大陸の土地利用に対してなぜ教皇の許可を得なければならないのか、公職に就くためにどうして宣誓しなければいけないのか。ヨーロッパ由来の既存の秩序に対して空気を読まずに反論を繰り出す彼の存在が、先住民族や女性、奴隷といった多様な社会での寛容を形成していったのだ。
これは事勿れ主義や長い物には巻かれよという日本社会においても大いに参考になる話だ。既存の秩序を守り、権威者の言うことに波風を立てないといった、個人レベルでの寛容な行動が実は社会レベルでの不寛容に繋がっている。異質や立場の弱い者への配慮に優先して、化石のような昭和システムが温存されているのは随所で見られる。
ロジャー・ウィリアムスは先住民族との交流を通じて、この不寛容に対する糸口を見出していた。自分の価値観の尺度を正しく持ち、外側には敬意と礼節を以って対応すること。多くの日本人にとっては、前者はアメリカからの借り物であり、後者は同質性を好みなかなか他の価値観に触れる機会が少ない。だからこそ不寛容な社会になってくるとマズいのだ。 -
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感染症におけるマスクの有効性や進化論を否定したり、地動説を唱えたりする人たちは、どうしてそういう考えに至ったのかを納得したくて読み始めたんだけど、完全には納得できなかった。
ざっとこの本の結論をまとめると、アメリカは、ヨーロッパの権威から逃れてきた人たちから成立した国なので、反権威主義としての反知性が根本的な気質として備わっている。
また、封建主義を歴史的に経験していないため、知識人が社会の権威者としての存在に近かったことも大きく影響している、となる。
そういう意味では、日本という国の成り立ちが、周辺諸国(古代においては中国、近代においては欧米)から知識を取り入れることで成長してきたことから、反知性はあまり馴染まないのかもしれない。
でも、科学を信じることは「権威主義」なのか?
有名大学の著名な教授が言っているから何も考えずに信じているとでも?違うだろ!
ニュートンは、自分が大きな科学的前進を成し遂げられたのは「巨人の肩にのっていたから」と書いた。
例え科学者であっても、全ての科学的知識を自分で確認している人はいない。
誰かが行った実験結果、誰かが行った観測結果、誰かが証明した説を前提に次の仮説を立てる。
誰もが自分の頭で考えるというのは、素晴らしいことのように思えるけど、それは原始人では。
この本の中では、反知性主義が異なる文脈では異なる側面を表示している。
トクヴィルがアメリカで普通の市民が「ヘンリー五世」を読み、国際政治を論じるのを目にして、驚愕する。
「トクヴィルがここで注目しているのは、単に高等教育を受けた知的エリートが存在しない、ということではない。それを代々世襲で受け継いでゆく「知的特権階級」が存在しない、ということである。」
「反知性主義の原点にあるのは、この徹底した平等主義である。本書の冒頭で説明したように、反知性主義は、知性そのものに対する反感ではない。知性が世襲的な特権階級だけの独占的な所有物になることへの反感である。つまり、誰もが平等なスタート地点に立つことができればよい。世代を越えて特権が固定されることなく、新しい世代ごとに平等にチャンスが与えられれば良いのである。」(p235)
知りたかった進化論については、「彼らの反対は、進化論という科学そのものに向けられているのではなく、そのような科学を政府という権力が一般家庭に押し付けてくることに向けられているからである。」らしい。
でも、「進化論と政治が結びついている」という主張は根拠がないように思える。
例えば、「政治と温暖化(気象学)が結びついていて、太陽光発電の利権を分け合っている」なら理屈(だけ)は通るけど、進化論を信じることによって政府に都合がいいことがあるかというと思いつかない。
逆に、膨大な地質学的証拠(北米には状態の良い恐竜の化石も多い)の前に、教会(これも権威だ)が主張しているだけの進化論を信じているのは権威主義以外の何ものでもない。
で、この本を読む前は、この本にはアメリカでなぜ反知性主義が生まれたか、それを避けていくにはどうすればいいのかが書いてある本なのかと思ったけどそうではなかったです。後書きに「日本にも、そういう真の反知性主義の担い手が続々と現れて、既存の秩序とは違う新しい価値の世界を切り拓いてくれるようになることを願っている。」とあるので。
ここでいう「真の反知性主義の担い手」は、知性がありつつ権威に縛られない人、という意味らしいけど、それって普通に知性主義では。
というか、こーいう感じで反知性主義を礼賛することが、「権威を壊すこと」を主張して、単に人目を集めるだけのヤクザを増やしている気もする。
(と、最近のイーロンマスクとか見てると思います)
おもしろかったけど、なんかいろいろ納得がいかない。 -
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ネタバレアメリカの反知性主義の「ヒーロー」たちの歴史を追った本。学歴や派閥や権威にとらわれず、自分の力で聖書を読んで人々にわかりやすく伝える、というあり方はある種理想的にも聞こえるし、イエス自身が律法学者を批判しているように反知性主義的なところがあるので説得力もある。けれども、それが行き過ぎると結局悪い意味で世俗的であったり、現世利益的であったり、排外主義につながったりする。というか、それまで積み重ねてきた学問研究とか教養というものへのリスペクトがないよね。宗教が権威的になったり、権力と癒着するのはたしかにもっての外ではあるけれども。ジャクソン大統領とか若干のトランプみを感じた。ポリティカルコレクトネスは、民衆の本音とは乖離していることが(少なくともアメリカ社会では、いや日本も?)多々あるのだろう。功利主義との親和性は確かに高そう。ゆえにこそアメリカ的。
キリスト教ウイルスは宿主によって変異していく、という比喩で語られていて、たしかにそれは分かりやすい。キリスト教の亜種か…だとしたら原種はむしろどこにあるのだろう。
いずれにしても、反省を忘れた権威的キリスト教への反骨、は分かるとしても、神学や語学やその他聖書研究を知ろうとせず、むしろ開き直ってそれを批判するような態度は、反知性主義というか単純に知性がないように思えて危険だと思う。反知性主義の人たちが皆説教がうまくて、パフォーマンス力に秀でているというのもまた危ない。日本も、変なところ学歴社会なくせに、あるいはその反動かもしれないけど、ネトウヨとかそういうところで同様な危うさあると思う。学問や教養に、そして己を振り返る知性に価値を置き、謙虚であろうとする姿勢が政治にも人々にも大事。
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アリストテレスが、1つの徳だけに秀でるのは良くない(≒ギフテッドではなくラウンデッドであるべき)と考えていたという話は興味深い。スペシャリストやエキスパートであることが称揚されるが、そうなるなという教えは結構衝撃を受ける。
人々を挑発する知がリベラルアーツだという宣言は、森本あんりらしくて好きかもしれない。また、教養というのはアクセサリーのように付けたり外したりと「身につける」ようなものではなく、自分の中で育むものだというのはおっしゃる通りかと。
後半の4人の識者との対談も面白いけれど、AIの捉え方が画一的というか、執筆時期も関係しているのかもしれないけれど、ちょっと敵対的に見る傾向が強いなと思った。全てをAIに委ねてしまおうとするのは色々と問題がある気がするけれど、気づきを与えてくれたり、さらに学びを深めようという気持ちにさせてくれたりする側面もあると個人的には感じているので、そういう点では教養を深めることにも有用なのでは?と感じた。
藤原正彦さんとの対談で新渡戸稲造について触れている。1906年に一高の校長についたあと、西洋的教育を推進して逆に武士道精神を日本から遠ざけたと指摘されているのは面白い。それでも、新渡戸の一校時代の教え子の田中耕太郎(文部大臣)や南原繁(東大総長)が日本の戦後の教育改革や、一般教育の導入という形でのリベラルアーツの振興を率いたというのは、単に西洋vs日本みたいな図式では表しきれない、知識の広がりの奥深さを感じる。
また、生まれが明治20年(1887年)を境として、国柄を重視する知識人と西洋を見据える知識人とに二分されるという指摘も、厳密にはどうなのか分からないけれど、興味深い。 -
Posted by ブクログ
森本あんり先生が、五木寛之、藤原正彦、上野千鶴子、長谷川眞理子という、錚々たるメンバーと教養について対話する本。
情報が氾濫し、価値が揺らぎ、予測不能なこの時代に本当に必要なものは決してファスト教養のようなペラペラの外観ではない。真の教養とは何か、AIが台頭してきている世の中で我々は何を考えるべきか、これから社会が必要とする力はどのようなものであり、教育は何を果たすべきか。碩学たちの熱い思いが伝わってくる良書。
「何かを解決するためではなく、そもそも解決など不可能だということに気がつくために考える。答えを見つけるためではなく、探し続けるために問う。
人間がどんな時にも人間性を失わずにいることができるのは、そういう人間存在の本質にごく一部ながら自分もあずかっている、と信じられるからです。絶対的なものはない。だかそれでも、はるかに高く憧憬の矢を射るよう、人びとを挑発する。」
「たんに知識を得ることではなくて、自由を獲得するためにな「戦う技術」と言えそうです。」
「生前の岡崎久彦さんに「外交官として最終的に大事なものは何ですか」と尋ねたら、言下に「教養と人間性」と答えていましたよ。」
「多様な分野を股にかけ、多元的な価値尺度をもって学び、知識を蓄積していくことで、ノイズの発生装置をつくる。」
「リベラルアーツや教養の基本は、いま教えられている常識をそのまま受け入れず、「なぜ」と問いかける批判的精神です。」