森本あんりのレビュー一覧
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アメリカの反知性主義について書かれた本。
社会的病理・ポピュリズム・ナショナリズム等で象徴的なキーワードとして聞いたことがあったが、その根底にあるアメリカ独自のキリスト教思想や歴史について記載されていて、非常に面白く興味深い内容だった。
■アメリカはもともと中世の無い社会、王様のいなかった社会だった歴史から、知識層が大きな力をもってきた。それに対抗するものが反知性主義。
■アメリカではキリスト教が独自の解釈で広まった。神との契約とは、神からの無償の慈悲を指すモノから、自らもしっかり信仰しないといけないという考えに変わる。これが信仰復興運動につながる。
■アメリカキリスト教の副産物として、極端 -
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ネタバレ"知性にせよ信仰にせよ、旧来の権威と結びついた形態は、すべて批判され打破されねばならない。なぜなら、そうすることでのみ、新しい時代にふさわしい知性や信仰が生まれるからである。その相手は、ヨーロッパであったり、既成教会であったり、大学や神学部や政府であったりする。反知性主義の本質は、このような宗教的使命に裏打ちされた「反権威主義」である。 (p.140)"
現代日本において反知性主義と言えば、"最近の若者は本を読まなくなったとか、テレビの低俗な娯楽番組で国民の頭脳が毒されているとか、大学はレジャーランド化して単なる就職予備校に成り下がったとか(p.3)" -
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ネタバレアメリカはプロテスタントが作った国。
ほんとこれに尽きるんだなぁと思った。
プロテスタントとは、富と権力を欲しいままにして肥大化したカトリック教会に反抗した人々。
同時の最高の学問は神学で、中世以前のヨーロッパでは支配者階級たちが独占していた。神の教えは聖職者によって民衆へ与えられるものだったが、その教えが本当に正しいのか疑問を持ち、自ら聖書を読んで旧い土地を去ったのが彼らだ。
反知性主義は決して知性そのものに反対しているのではない。知性が権力を持ち、自分たちを支配してくることに反対をし、平等な社会を希求している。ヨーロッパ的キリスト教世界を脱した彼らの社会は、社会の建設を志す一団とその支 -
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近代や現代の寛容論ではなく、その源流とも言える中世の寛容論を下敷きに、米国建設前(植民地時代)の人物でもあるロジャーウィリアムズに焦点をあて、彼にとって寛容が如何なるものだったのかを中心に論じている。
彼が重んじた「礼節」について、「マナー」に通じるところがあると感じつつも、「マナー」よりもより深層にあるような、所作や心情の向け方まで表したものであるように感じた。
ウィリアムズみたいなちょっとおかしな(褒め言葉のつもり)人達が社会から少しずつはみ出ることで、漸進的に社会が変わってきたのだと感じる。もちろん、そういうおかしな人たちを下支えしてきた他者や社会があってのことだけれど。 -
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正統と異端に関して、カトリックをベースに社会現象も含めた議論は非常に難しかったが、基本的な考え方に関して多くの切り口を備えておくことの重要性を再認識させられた.キリスト教を基に議論が展開されていたが、仏教の話も出てきて著者の目のつけ方の深さを実感した.宗教的な、特にカトリックでいう「正典」「教義」「職制」の議論は正典である聖書の成立過程を追うことで正統との関連性を解き明かしてくれた感じだ.異端がでてくるから正統が確立していくという、やや矛盾した論理は最後に述べられた次の文に集約されるのではなかろうか."日本に真正の異端が生まれ、その中から腹の据わった正統が生まれることを願いつつ、筆を
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トニ・モリスン「他者の起源」の日本語版序文の解説を読み、著者に興味が湧いたので読んでみた。
著者のフィールドであるキリスト教史において「正統・異端」がどのように生まれ、機能しているかから始まり、ゆくゆくは現代のアメリカや社会を覆う正統なき異端の時代を、見事に読み解いている。
「正統・異端」という宗教性を持った構図は宗教(キリスト教やイスラム教)に限定されず広く社会全体の仕組みに根差していると前置きをした上で、私たちが盲目的に信じている正統や権威を成り立たせているのは、キリスト教でいう教会や聖書(正典)にあるのではなく、背景にある信憑性構造(どこでも、いつでも、誰にでも信じられている、かのよ -
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反知性主義とは知性に反対する主義ではなく、知性が権威を不当に行使している構造をチェックしようとすること。また、チェックしようとする過程で新たな知的創造が生み出される可能性もある、というのが本書のポイント。なので、都市文明を大学の外から鋭く批判したエマソンやソローも反知性主義。また、フィニーという反知性主義者が創立したオベリン大学も、米国初の男女共学大学であった。
一方で、反知性主義の抵抗精神は、独善的で自己中心的な世界観に籠る人びとを生み出す可能性も有している。今のところこちらに大きく傾いているようにも見える現代の反知性主義は、どのような知的創造を生み出すことができるだろうか。 -
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反知性主義とは知性の欠如を礼賛するものではなく、むしろエスタブリッシュメント化した知性に異を唱え本質への議論を巻き起こす、極めて知的な営みが出発地点だったということがわかる。
アメリカにおけるキリスト教の在り方、変遷を学ぶという観点でも実に興味深い内容。
インテリの2時間かかる難解な説教より、身振り手振りとユーモアを駆使した俗な説教のほうが耳目をあつめるというのはさもありなん。
反知性主義も、批判的視点に立脚している限りはその大義を果たすことができるのだろう。しかし耳目を集めることが目的化してしまったり、単に知性から目を背けた無知性主義にどうしても陥ってしまう。
そういった最適解のなさこそ、歴 -
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トランプ大統領就任のころからよく目にするようになった反知性主義だが、その意味合いがよくわからない。
まえがきにある、佐藤優の「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解しようとする態度」と定義が一番実感に近いように思う。
本書は、反知性主義という社会問題を説明・分析するようなものではないため、そのようなものを期待すると肩すかしを食らうことになる。本書は反知性主義がアメリカにおけるキリスト教から発生した歴史、その際の反知性主義のヒーローを紹介する。難しくなく、読み物としてもすごく面白い。
ヨーロッパにおいてカトリックへの対抗としてプロテスタントが興ったが、プロテスタント(ピューリタ -
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最近話題(?)の反知性主義の本。読む前は反知性主義を単なるインテリに対する妬み嫉みの類だと思っていたけれど、信仰の問題だと考えると反知性主義という言葉がまた違った様相に見えてくる。信仰はインテリだけのものではなくて、みんなのもの。インテリだってそうじゃなくたって、信仰を持ったっていいじゃない。信仰心は知性とは必ずしも結びつかないから、もっと信仰をみんなのものにしよう!という前向きな意味として反知性主義を捉えれば、それは決してダメなことではないと思う。
最近日本で言われる反知性主義は、「感情でイケイケどんどん、理屈やエビデンスなんて糞食らえ」みたいな意味で使われていることが多いと思うので、ちょっ -
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反知性主義という言葉自体はここ最近、トランプ政権の誕生や各国家での保守派の台頭を指したものとして聞かれるものだった。そうした風潮に「反知性主義」という批判を浴びせるという文脈で使われていた言葉。
しかし、この本を読むと「反知性主義」という言葉はむしろ褒め言葉のようにも思えて来る。
反知性主義は、知性の越権行為を監視するもの。知性が学問以外の領域に進出し、影響力を持つことに対する反感。また、単純な反感だけではなく、知性が特定の人々のものになり、世襲化し固定化することに対する反感であること。
アメリカの場合、その根底には社会の階層に囚われない平等という概念があること・・(また、さらに平等の根底に -
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ネタバレ一つ一つがとても知らない世界だらけで、
引き込まれながら読みました。
何だか全然関係ないような細かい話のようで、なんでか読み進めてしまう、素晴らしい書き手・語り手の技でした。
森本あんりさんの子どもの頃のこと、どんな子だったか、名前、
懸賞論文への応募と新聞社の論調に合わせた作文で勝ち取った豪華旅行(やっぱすごい、小さいときから書ける人だったのですね)、
どうやって大学(ICU)に行くことになったか、
ガールフレンドが教会に行っていたからクリスチャンになった、
交換留学での出会い、
プリンストン神学大学に行くことになったか、
その5年間のアメリカ生活での豊かな人間関係、
四