河崎秋子のレビュー一覧
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ネタバレ釈迦は、菩提樹の根元で悟りを開いた。そして蔦であるその菩提樹のことを別名「シメゴロシノキ」と呼ぶそうです。
この小説はミサエという女性の一代記ですが、ミサエの孝行先の家族がとにかく酷い人たち。同じ集落に暮らす人々も同様。
ミサエがどんなに努力家で立派な人物であっても、この環境で暮らすうちに、どんどん締め殺されていく・・・
明るいところやカタルシスがほぼないし、長編なので疲れました。
私は、河崎さんのリアリティ表現がとても好きなのですが、それが発揮されたのは娘の自殺を発見したシーン・・・何とも・・・
そして血縁関係がドロドロです。横溝正史かっ!
蔦が巻き付いて、生きながら死んでいく・・・そんな設定が読んでいてとても辛かったです。
雄介は自ら根室に戻ると言うけど、そんな責任とか義務とか言う前に、アメリカのロードムービーを1回見た方がいいっしょや! -
Posted by ブクログ
WEB本の雑誌の「オリジナル文庫大賞」の候補作の中から、大賞ではなかったが、選評を読んで良さげに思えたので買ってみた。
200頁あまりの中にお話が2つ。
【鯨の岬】
札幌の二世帯住宅に暮らし共稼ぎの息子夫婦の子どもの面倒を押しつけられた生活に倦んでいる老年の主婦・奈津子が、病気の母を見舞いに行った釧路で思わず乗ってしまった電車で小学生の頃に住んでいた町を訪ねてしまうところから転がるお話。
そこでどんどんと過去の記憶が甦ってきて、かつての捕鯨の町・霧多布での鯨の肉や油や解体や臭いや爆発などについての挿話はなかなか強烈だし、湿原や町の施設の描写には主人公のみならず読んでいるこちらまで日常から離れた心持ちを感じる。
そのことと「自分の中には何か欠落した大きな空洞がある」という彼女の想いとがどう折り合っていくのだろうと思っていたが、札幌に帰るのをもう一日遅らせてまでも知ろうとした記憶の正体があれだったことが、私の中ではちょっと腑に落ちなかった。
先日、淀川に迷い込んで亡くなった鯨が、ガスを抜く作業を施された上で沖に運ばれ沈められたが、死骸は放っておくとお腹の中にガスが充満し爆発するし臭いもひどいということを散々ニュースでやっていたので、物語の中の鯨が爆発する話はすんなりと頭に入ってきた。
久し振りにくらさきの鯨かつが食べたくなった。(と言ったら、配偶者から「あなた、この本読んで、よくそんなこと思うね…」と呆れられた)
【東陬遺事】
江戸後期の蝦夷地・野付に資源調査のため赴任した平左衛門が、仕事の傍ら、通行屋の下働きの家族とも親しくなり、ということで進むお話。
根室半島と知床半島の間にああいう面白い形の半島があること初めて知った。Google Mapで多くの画像を見ることが出来たが、綴られた文章はそれら以上に過酷な自然-流氷で覆いつくされる海、木々の枝が地に伏すように伸びる風の強さ、何もかもしっとりと湿らせてしまう海霧、鼻毛も凍る気温の低さ、獲物を狙う猛禽たちの翼、等々-をしっかりと感じさせる。
終盤、立て続けに事件が起こるが、この結末に作者の意図したところを推し量るのが私には難しかった。
二作とも、北海道のそこにしかない自然や町の佇まいに対する描写には感じ入ったが、お話の顛末にはいささか消化不良という感じになった。 -
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『〝クジラ〟強調月間始めました!』4
第4回は、河﨑秋子さんの『鯨の岬』です。
表題作「鯨の岬」の主人公は、初老の主婦・奈津子。孫や夫の世話等で、鬱憤が溜まっています。
ある時奈津子は、腐敗したクジラの腹が発酵して爆発する動画を目にします。クジラの腐敗臭と一緒に遠い記憶が蘇るのでした。
小学生時代に暮らした道東・霧多布の町、クジラの霜降り肉やクジラの油のかりんとう、優しい家族…。温かな思い出が、やがて意識の中のぽっかりと空いた空洞に埋め込まれた衝撃的な記憶につながります。
日々の自分の生活・家族について、独りで静かに見つめ直す意味を示し、前に後押ししてくれる作品だと思えました。性別・年齢を問わず、非日常や知的体験の欲求は、時に大切だなと考えさせられました。
もう一編の「東陬遺事」は、江戸後期の道東・根室の北、野付の物語です。氷に閉ざされる過酷な地に生きる蝦夷集落の人々の生と死が、地元民にしか描けない筆致で描かれています。
同郷の桜木紫乃さんの解説も秀逸です。 -
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新しく書き下ろされた表題作に、2012年北海道新聞文学賞受賞作「東陬遺事」の2篇。
「颶風の王」以来注目している河﨑さん。鯨が腐敗して爆発…という驚くべき現象に惹かれて手にした文庫だが、表題作よりも北海道新聞文学賞選考会で別格の力を見せつけて受賞したという「東陬遺事」の方に強く惹かれた。
道東の野付半島を舞台に、ただ生きていくことさえ難しい厳寒の地での人の営みと、動物を含めたその地に生きるものの覚悟や諦念といったものが静かに描かれた作品。
そこには安易な共感や感傷を寄せ付けない厳しさがある。今流行りの「生きにくい世の中」とかいうぬるま湯に浸かったような感傷などはない。
まさに生きるか死ぬかなのだ。
心に残ったのは物語の最後、蝦夷地を去るりんが大鷲と栗毛の馬と見つめ合うシーン。
それはもう動物ではなく、一つの意志を持った生き物としてりんに語りかけていたに違いないと思わせる。
桜木紫乃さんによる解説も秀逸でした。
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キミヤと熊の戦い、まさに肉弾戦!ボクは現実的な話が好きだが、人間が熊と戦う非現実的な話でも没頭して読んでしまった。人間だって、捨てられた犬たちだって、熊だって、動物たちはみんな必死に生きている。必死に命を繋いでいる。キミヤは、遭難中、体力的に過去にやっていた陸上が活きているといっていた。父親が目の前で熊に殺され、絶望…。この描写はグロテスクだった。キミヤは自分で命を絶とうとすることもあったが、左脚を熊に傷つけられそうになった時、体は反射的に回避。心は死のうと思っても、体は生きようとしている。生きようと思えた発端が陸上をやっていたことだと思うと、辛い過去があっても、やっていた意味は多いにあった。
生きることについて、人間と動物たちそれぞれの目線で描き、読んでいてとても惹きつけられた。