安田菜津紀のレビュー一覧
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2026年5月、フォトジャーナリストの安田奈津紀氏の講演を聞く機会に恵まれた。2023年、2025年に続く3回目の講演聴講となった。安田奈津紀氏と言えば、日曜の午前中に静かに流れるニュース、サンデーモーニングのコメンテーターがあまりにも有名だろうか。本書は、2018年~2024年末まで経過を現代の抱える政治課題とそれを裏付ける歴史考証から冷静に綴られる。沖縄への基地負担押しつけと沖縄戦の遺骨収集を続けるガマフヤーとの連帯。東日本震災の多重被害による原発被害の福島からの搾取と娘の遺骨を探す人々との交流。そして、ガザ、パレスチナで起きている民族浄化と言う名のホロコーストの現実。いずれも被害者と加害者がいる。そして、犠牲になるのは市井(しせい)の市民である。この被害者が連帯し、遺骨を掘り、凧揚げを行い、被害者が被害者に寄り添う心の通いに心打たれる。沖縄戦の遺骨収集を続けるガマフヤーの具志堅さんは「人数が一人だから二人だからの問題じゃないんですよ」と訴える。一方で、日本軍の大虐殺「南京事件(大虐殺)」においても歴史修正主義者と言われる人々は、人数の多寡をもって南京大虐殺はなかったとの論陣を張り続ける。沖縄、福島、ガザで起きている現実を手繰り寄せて、自分事として捉えることを考える貴重な書籍である。
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福島、沖縄、ガザ
安全な所にいる私たちの無関心が、虐げられて苦しんでいる人びとを踏みつけるのだ。
「自分たちは大丈夫だから」と何もしないことが、何もしない政府を守り、被害は止まらないし、改善されない。
もういい加減、声を上げていかなければ。
p105「これは人間の尊厳の問題で、人数が一人だから二人だからという問題じゃないですよ。たとえたった一人であったとしても、あなたには声をあげる権利があるんです。一人の利益のために全体の利益を損なうなという人がいますけれど、そんなの関係ない。一人の人間を大切にできないのに、社会を大切にできるはずがないんですよ」
p140 大熊未来塾に参加した若者の多くは、もとよりこうした社会問題に関心を持っていながらも、いざ誰かと共有しようとすると、「意識高い系?」と揶揄されたり、そもそも話せる相手がいなかったりといった悩みを抱えているようだった。このつながりを通じ、「ひとりではない」と感じられたという声がそれぞれから寄せられた。
p252 踏まれている側が「もっと怒れ」とたたみかけられるのは今に始まったことではない。原発事故後にも、「福島の人はもっと怒れ」という言葉が飛び交ったが、その持つ意味は、「他人事」でしかないだろう。こうして「踏んでいる側」が無自覚であることそのものが、暴力なのだった。
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おりしも山口県宇部市のりしも山口県宇部市の海底炭鉱「長生炭鉱」の坑道で
遺骨が発見されたとのニュースが流れていたそのさなかにこの本を読んだ。
大東亜戦争の最中で、多くの朝鮮人が炭鉱で労働を強いられ、水没事故で彼らを
救済することなく坑道をふさいでしまった、生き埋めになった方々の遺骨。
安田菜津紀さんのこの本にはこの話は出てこない。
出てくるのは東日本大震災で津波にのまれた方々の遺骨、
米軍沖縄上陸で、本土の盾とさせられた沖縄の方々の遺骨、それも、
辺野古の埋め立ての土にされようとしている場所の。
さらには今も続くガザ紛争の被害者の遺骨、、、イスラエルの戦争犯罪。
正直言うと私は遺骨の在り方、保存の仕方については複雑。
遺骨、というより、それを守る墓に対してだが。
墓ばかり増えては、その土地の管理も大変だし、何より遺族がしんどい、と思う。
先祖代々、ならまだしも、核家族化でどんどん分散、しかも少子化。
墓守の負担は重くなるばかりだ。いや、先祖代々でも、子供が東京に出れば一緒。
墓を守る、骨を守る、ことの意味を考えさせられる。
形などいらない。亡くなった方は心の中にいる、そう思いたい。
それを忘れがちなために形を残す、墓を残す。しかしそれが負担、、、
散骨でも樹木葬でもいいように思う。
が、今回の本の遺骨は別。百歩譲って震災は人間ではどうにもならないが、
戦争がらみはそうではない。人為的に、望まない死に追い込まれた人たちは、
少なくとも遺族のもとに戻すべきだ。その後どうするかは遺族次第としても。
国の責任は大きい。
長生炭鉱についてはまだ国は何もしていない。
骨が見つかったら、、がいいわけだったが、ボランティアの力でこうして見つかった
以上、動いてもらわなくてはいけない。動く義務がある。
遺骨、、死そのものだ。つまり生そのもの。
軽んじられていい命などどこにもないはず。
プロローグ
第1章 2018年2月 パレスチナ
第2章 2019年2月 福島
第3章 2020年6月 福島
第4章 2021年4月 沖縄
第5章 2022年1月 福島
第6章 2022年4月 沖縄
第7章 2023年1月 福島
第8章 2023年10月 東京
第9章 2023年12月 パレスチナ
第10章 2024年2月 福島
第11章 2024年6月 沖縄
第12章 2024年8月 東京
第13章 2024年9月 東京
第14章 2024年11月 福島
エピローグ -
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涙を我慢しながら読んだ
わたしは本当に何も知らなかった
ガザもパレスチナもイスラエルもハマスも、何もわかっていなかった
福島のことも、自分もあの地震を東京で体験したからと知っているふりをしていただけだった
沖縄のことも本やテレビを見て、学生の頃に勉強して知った気になっていたけどまったく足りなかった
明らかにイスラエルがパレスチナ人に対して行い続ける暴挙を、日本が沈黙という踏みつける行為をしていること。知らなければいけなかった
パレスチナ人はどんな思いでいるのだろう
あの震災で大切な何かを亡くした人びとはどうしたら救えるのだろう
沖縄の女性はいつまで米兵に怯えなきゃいけないのだろう
沖縄にはいつ本当のおだやかな時間が訪れるのだろう
不条理を強いられる彼らに何ができるのか
辺野古埋め立てのために、遺骨が含まれている土砂を使っていること
遺骨の上に中間貯蔵施設を作ること
イスラエル人が犠牲者の上に「美しい家」を建てること
犠牲者を、遺族を、さらに犠牲にするのか
わたしたちはいつまで踏みつけ続けるのだろう
わたしは中立じゃないと自信をもって言えるのかはわからない
ただひとつ、性暴力についてはわたしははっきりとぜったいに許さない
いつまでもいつまでも支配の道具として使い続けることを許さない
沖縄旅行を楽しむ人たちが踏みつけている地面の下には、もしかしたら沖縄戦で亡くなった方々の遺骨が遺されているかもしれないと思えば、誰もが見て見ぬふりはできないのではないか
ベルが生きていてくれてとてもうれしかった -
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ウィシュマさんの事件で少し表に出てきた人権侵害ともいうべき入管の実態、ヘイトスピーチなどの差別と暴力、技能実習生制度といった外国人差別をめぐる状況が紹介され、著者二人の対談で解説や示唆が得られる。
例えば、人を逮捕するには現行犯でない限り司法手続きを経た令状がいるのに、入管はそうした司法の手続きを介在させずに人を拘束することができるなんてことは初めて知った。また、今日の入管につながる制度・仕組みができた戦後間もないころに、特高経験者が多く入管に関係したなんてことも知ると、そのアウトローっぷりとつながる気がしてくる。
ことほどさように、制度ですらこれでは大衆が外国人差別をするのも無理ない気さえする。しかも日本人ってこの方面に関する感度が本当に低い。自覚なしに差別的なことをしている場合も多くあるはずで、こうしたことはどうやって解決していけばいいのだろう。
そういう自分だって、日本人だから外国人の扱いに関してはどこか自分に関係のないことと思っていた部分がある。ところがこういう腐った体制はいろんなところに影響しかねない。でもそうではいけないんだよね。差別が許容されている社会では、いつ巡り巡って自分に矛先が向いてくるかわかったもんじゃないんだから。 -
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ネタバレ全文を読み、震撼し、呆然とした。わたしは良きにしろ悪しきにしろ、いまは「日本」で、その国民として生きている。その、いわば、安全地帯にいる。命の危険に晒されてはいない、ということだ。だが、その「日本」にあこがれ、あるいは(平和憲法がある国だからかもしれない)安心を求めて逃げてきた人びとに対して、これほどの非人道的行為があった。わたし(たち)は関心なく生きてこられた。あるいは薄々わかっていて蓋をしてきた。そのことに衝撃とはげしい罪悪感をおぼえる。先進国とうたってきた自国(いいわけのようだが、日本に限らない)が、みずからの営利のいわば犠牲になった(「先進国」が土地や資源の売買をし、争いのきっかけを作っているのは現実だ)人びと、助けを求めた人びとにこれほど冷淡であれるというのは、分断ーー言い換えればウチとソトの問題ではないか。身内でなければ何をしてもいい。そんな気配が近くに蔓延しつつありはしないか。であれば、行き先はほろびへの一本道でしかないだろう。
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日本にいる難民の方々たちに焦点を当てた一冊。
やむを得ず母国を離れることになったのはなぜか、日本で難民認定されるまでの辛い日々、そして、故郷の味、母の味がどれだけ彼らの支えとなったかについて、小学生(高学年)にもわかりやすく書かれている。
掲載されているのはネパール、ロヒンギャ、ミャンマー、シリア、バングラデシュ、カメルーン、カンボジアから来た方たちの話です。
故郷から遠く日本に来て、同じ食材が手に入りにくい中でも、毎日、故郷の食事を作り・食べ、元気をもらう。
誰でも旅行や留学で外国に行き、現地の食べ物に飽きて日本食を懐かしく思うものだ。
しかし、彼らの故郷の味への想いは、それとは全く別の意味を持つのだと思う。
帰りたくても帰れない故郷への想い。残してきた身内に会いたいという想い。これから日本で強く生きていこうという決意。食事をしながらいろいろな気持ちを噛み締めているのだろう。
いろいろな国の歴史や社会状況、料理がわかるのはもちろん、日本の難民政策、外国人政策についても考える糸口を与えてくれる。
日本がアニメ、歴史的建造物、和食などで人気を得るだけでなく、本当の意味で、社会的に素晴らしい国として、外国に開かれた、外国人から選ばれる国になってほしいと思う。 -
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だれにでも読みやすく書かれています。
岩手県岩泉町で山地酪農(やまちらくのう)をされている『なかほら牧場』の中洞さんが牛にとっても人にとっても自然な酪農を目指し、山での放牧を行う山地酪農を定着させるまでのお話です。
これを読んでとても衝撃を受けました。
今まで何も考えず、私たちが飲んできた牛乳、そしてその牛乳を搾られる牛の暮らし、このままで大丈夫かな、と不安になりました。
人間でもそうですが、母親の食べ物によって母乳の味が変わり、脂肪分を多く含む食事をとる母親の母乳はドロッとしていて、魚や野菜を中心の食生活をおくる母親からは後味すっきりな母乳が出るので、本来牛が食べている草ではなく、飼料を調整して、牛乳を多く作れるような配合になっている餌を食べさせられる牛からの牛乳の味が変わるのも納得。
牛乳を飲む国民の為に、量、成分優先の牛乳を作るために、牛を無理をさせて、その結果、20年生きられるはずの牛の寿命は4分の1の5年ほどだそうです。
子牛も生まれてすぐに母親と離され、せまい牛舎から出ることもできず5年も管理されて死んでいく牛。
出産も人工授精で管理されていて、飼料によるものなのか、異常のある子牛も生まれてくるとのこと。
飼料もサイレージも輸入もので腐らないように、効率が良くなるように色々な操作をされて、そんな牛から絞られた牛乳を常時飲む私たちに、何も起きないはずない。
山地酪農は、自然に大部分を任せ、牛にストレスがかからない、放牧によって糞尿が堆肥になり、肥沃な土地になり、そして山の管理にもなる。
スローライフって色んな意味で大切で、人間は便利さ、効率の良さだけを追求していっては、色んな意味で、未来は狭まっていくのだろうな、と感じた1冊。
自然の牛乳、大量生産できないので、普通の牛乳より割高にはなるけれど見つけたら買って、志を持った酪農家を応援したいと思いました。
中洞さんは、近代酪農が増えていく中、地道な山地酪農に取り組み、それが理解されるまでずいぶんと辛い、苦しい時代を過ごしたそう。すごい人です。 -
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安田菜津紀さんによる、迫害を逃れて日本に暮らす難民の人々と、彼らの故郷の味に関するインタビュー。
表紙のお二人は満面の笑みを浮かべているが、その笑顔にたどり着くまでどれだけの困難があったことだろう。
殆どの日本人は、彼らのことを知らない。
彼らがどんな思いを抱えて日本にたどり着いたか。
やっと安寧の地にたどり着いたと思ったのに、日本で難民と認められるには、幾多の壁があり、並大抵のことでは超えられない。
それは、日本人である私が簡単に言葉にできるものではない。
彼らが日本で作る故郷の味には、どんな思いが込められているのだろうか。
一皿一皿に物語がある。
是非読んで、味わってもらいたい。
今この時だからこそ、彼らの声に耳を傾けたいと思う。
2022.2.20 -
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牧場好きとしては、ここに行ってみたい!と思いました。
牛たちが自由で楽しそうです。
ここだけでなくもちろんどの牧場も、働いているかたは育てている動物に愛情を持って接してられると思います。
ここのようにどの牛たちも育てられればよいのかもしれないけれど、そうすると牛肉も牛乳も高級品になってしまうのかも
でも人の手が入らなくなった山や畑を活用できればいいのかなと
里山的な感じになれば、町に降りてきて殺されてしまう野生生物も減るかもしれない
コロナで牧場にも1年以上行けてないから落ち着いたら行きたいなぁ
とりあえず、読み終わってすぐ中洞牧場のプリンを注文しました!
普通のとチョコと詰め合わせ
わたしは普通のの方が好きかなー
カラメルなしでも濃厚で美味しかったです! -
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自分は難民のことを全然分かっていなかった。
街のエスニック料理屋さんで働いている外国人が、難民もしくは難民だった、なんて考えたこともありませんでした。
難民と移民の違いも、ちゃんと分かってなかったと分かりました。
新聞やニュースで難民のことを取り上げられてるのは、認識してたけど、これからはもっと関心をもって目を向けると思います。
同じ人間が、私が生まれ育った日本でこんな目に合っていることにショックを受けました。
子ども向けだけじゃなく、大人向けでもこういう読みやすい本がもっと出るといいなと思いました。
難民の人にも、元の国やこの日本で人としての生活があると、料理を通じて感じることができるところが良かったです。 -
Posted by ブクログ
本書で紹介された日本に逃れてきた人たちの出身国だけで7か国。自分が思ったこと、考えたことを言えず、命を危険を感じて、日本にやってきた人たちのその背景を聞くと、なんでこんなことが未だにと思ってしまう。ネパールでのことは恥ずかしながらこの本を読んで初めて知った。いつかトレッキングしたいと思っている国のこと、もっと知りたい。でも、ここで紹介された人たちは「かわいそうな人」たちではない。それぞれがただ安心して暮らしていきたいと思っているだけ。それは、それぞれが食べ親しんできたものと一緒に紹介されるからこそ、ますます感じることができる。故郷の味を大切に、懐かしみながら、この日本で生活している。もっと日本で暮らす他国出身の人のことを知らなくてはと思った。
どうして、日本はこんなに難民に厳しいのだろう。入管で働く人たちはどう考えているのだろうと思う。ヨーロッパでも難民の受け入れをめぐって対立することが増えてきている。もちろん文化も習慣も異なる人たちがなし崩しに流れてくることは問題もあるのだろう。それでも、日本はそんな陸続くのヨーロッパの国々とは違うのではないかと思うのだ。大量の難民が「流入」してくる可能性は限りなく少ない。だからこそ、ギリギリの中で日本に縁あってきた人たちと共に暮らせる社会を考えたいし、受け入れる準備をすることも可能なのではないかと思う。「難民」の人たちにも生きやすい社会は、きっと「日本」の人にも生きやすい社会になるはずだから。
今年は、いろいろな国の料理を食べ歩きたいなと思った年の初めでした。