楠木新のレビュー一覧
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今の自分にとっては正に旬なテーマですね。
ただ、「50歳からの生き方、終わり方」というサブタイトルに、「遅かったか!」という危惧を感じてしまいます。
安心して下さい。60歳からでも65歳からでも大丈夫です。
二つ考えさせられたことがあります。
ひとつは、『日本人男性は世界一孤独』。仕事以外の日常生活で、他者となんらかの活動に参加した経験者が、先進21ヶ国中ダントツで日本が少ないこと。
もう一つは、自分がこれから何をしたいかわからない人は、子供の頃の夢をもう一度振り返って見ることがいい、ということ。
なかなか身につまされる内容である。前向きに捉えたい。 -
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人生は後半が勝負。終わりよければすべてよし。
家督相続は60歳以上。現在の定年と同じ。
チャップリン「人生で必要なものは勇気と創造力、ほんのちょっとのお金」
冬の朝が遅いのは普通のこと。働いていると無理して時間を合わせている。
名刺が必要。
新たなキャリアを築くのは大変。今までの延長上で考えるほうが楽。
「60歳から始める小さな仕事」「定年後を生きる」など加藤仁
25歳までに聞いた歌が記憶に残っている。
最後に食べたいものリスト。
昼食の回数は、あと何回か。
葬式の段取り、死んだ時の備え。
元気な人の共通項は、教育関係に取り組む、若い人に役立つことを持っている、若いころの自分をもう一度呼び戻 -
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ネタバレリンクトインの”アライアンス”を読み、現状の日本の長期雇用システムがどのような弊害を生んでいるのか調べている中で見つけた。
「まとめ」
・長期雇用前提の日本の企業と就労者の関係は、「メンバーシップ契約」である。つまり、個人と企業の1対1の関係ではなく、企業という排他的な集団の仲間入りをしその属する集団のために仕事をする概念である。
それが、時間外労働や、上司が帰らないと帰れない文化、余分な飲み会などに表れている。
・そうした会社で必要なのは”自分の後輩として一緒に働けるかどうか”という評価基準を理解していることである。。
・そのため会社で偉くなるのは、偉くなる人とうまくやれる人。
→そう -
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国語辞典では「それまでの地位から低い地位におとすこと」とあり、ネガティブな意味でとらえられる「左遷」。半沢直樹のドラマを見ずとも、誰もが知る人事異動の1つだ。しかし、人事異動の発令で「左遷」を明確にしているケースはほとんどない。早い話、異動対象者が左遷と感じれば左遷であり、左遷ではないと感じれば左遷ではないのだ。
組織はダメ部署の変革してくれる助っ人として、その人の能力を買って抜擢したとしても、ダメ部署に異動した本人は左遷と感じるかもしれない。今まで徹夜でひたすら仕事をこなして、高い評価を得ていた者が評価されにくい間接部門に異動しても、落ち着いて仕事ができると喜ぶかもしれない。
左遷を不本 -
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左遷という言葉はよく聞くが、改まって定義しようとするとそう簡単ではない。
しかし、よく聞く言葉。
では左遷とはなにか、といえばビジネスパーソン個々人の受け止めの中にしかない、ということになるのではないか、というのが本書の一つの整理。
しかし、一方では新卒一括採用を前提としてピラミッドを作れば、年功序列制であれば、中高年層の多くは、いずれそのピラミッドの外側に零れ落ちる。
その意味では、単に「個々人の受け止め」とだけ整理しきれるものではないとも指摘している。
いずれ等しく「零れ落ちる」存在である以上、その前触れとしての「左遷」に「きちんと対峙できれば、人生を充実させ、イキイキした老後にもつ -
Posted by ブクログ
この本は、リアリティーに溢れる。自覚し成長している人のための本だろう。故に使えないオジサンは逆に手を取らないのではないかと思ってしまう。
30代で使えないオジさんの烙印を押され、ウツっぽくなっていた自分を振り返ると、思い当たる点がたくさんあるのと、抜け出す為のキッカケが本にあった通りでこの本の内容にはとても共感出来きた。今もイロイロと迷う訳だが、考え続ける、考え抜くクセを持って何事も乗り越える事で、使えないオジさんから脱出出来るのだと改めて確信した。
使えないオジさんの発生は構造問題だとして、この原因を示した上で、豊富な抜け出た人の例を挙げるという流れは気持ち良いし、納得感がある。
40年前の -
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現実の「働かないオジサン」をどう理解し、うまくやっていけばよいか。
示唆するものがあることを期待して読んだ。
働く人を、会社へのコミット度合い、イキイキと「いい顔」で働く度合いで、会社人間型、社外充実型、組織埋め込み型、無気力型、に分類していて、なるほど、と思わせる内容だったけれど。
現実の「働かないオジサン」は、きれいに分類におさまらないことがわかった。
現実の「働かないオジサン」は、ぼくの見るところによる「働かないオジサン」なのであって、「働かないオジサン」にしてしまっているぼくのほうに問題があるのではないか。
そう思ってしまった。
この本は、自分が働かないオジサンにならないため