田村義進のレビュー一覧
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ネタバレ作家になりたいのなら、絶対にしなければならないことがふたつある。たくさん読み、たくさん書くことだ。私の知るかぎり、そのかわりになるものはないし、近道もない。
私は本を読むのがそんなに速い方ではない。それでも、一年に七十冊から八十冊は読む。そのほとんどは小説だ。読みたいから読むのであって、何かを学ぶためではない。たいていは夜、書斎の椅子にゆったり腰かけて読む。繰り返しになるが、読みたから読んでいるのであって、小説の技法やアイデアを学ぶためではない。それでも、読めば何かしら得られるものはある。手に取った本にはかならず何かを教えられる。概して優れた作品より、出来の悪い作品からのほうが教わるものは多い。
出来の悪い小説は、してはいけないことを教えてくれる。
本を読み、凡庸さやくだらなさを経験すれば、そういったものが自分の作品に忍び込もうとしたとき、すぐにそのことに気づき、それを排除することができるようになる。また、読んだ本が秀作や傑作の類であれば、自分の書いたものがどのレベルにあるかを知り、これから何ができるかを推し量ることができるようになる。もちろん、本を読めば、さまざまな文体に遭遇することもできる。
気に入った文体が見つかればそれを真似すればいい。何も悪いことではない。子供のころの私もそうで、レイ・ブラッドベリを読めば、レイ・ブラッドベリのように書いていた。〈中略〉そういった他人の文体のブレンドは、自分の文体をつくり上げるためには欠かせないものである。真空状態からは何も生まれない。作家は多くの本を読み、それと並行して、たえず自分の作品に手を加え、純度を上げていかなければならない。信じられない話だが、本をほとんど、場合によってはまったく読まずに小説を書き、それを好きになってもらえると思っている者が、この世の中には少なからずいる。作家になりたかったが本を読む時間がなかったという言い訳をする者に出くわすたびに五セントずつ貯めていくとしたら、豪華なステーキのディナー代くらいはすぐにできるだろう。ここではっきり言っておこう。読む時間がないのに、どうして書く時間があるのか。単純明快である。
これで準備は整った。書斎のドアは閉まっている。カーテンも閉まっている。電話のコードは壁から引き抜いたし、テレビは叩き壊した。火が降っても槍が降っても、一日千語の目標は変わらない。と、ここで大きな問題が持ち上がる--何を書けばいいのか。それに対しては、ごく大づかみに答えるしかない−−書きたいことを書け。なんでもいい。それが真実であるかぎり。
創作科の金科玉条は〝知っていることを書け〟だ。お説ごもっとも。だが、惑星探検の宇宙船や、妻を殺して死体を木材粉砕機で細切れにする男を書きたいときには、どうすればいいのか。それ以外にも、現実離れした、だが卓抜なアイデアは無数にある。そういったものに対して、〝知っていることを書け〟の原則をどのように当てはめればいいのか。
まずは原則を可能なかぎり拡大解釈することから始める。配管工は配管のことを知っている。だが、知っているということの意味はそれよりずっと広い。心も何かを知っているし、想像力も何かを知っている。ありがたいことではないか。心と想像力がなかったら、フィクションの世界はさぞかし殺風景なものになっていただろう。それどころか、そもそも存在しなかったかもしれない。
どちらかというと、私は直観に頼るほうだ。私の作品は筋立てより状況設定に依存するものが多い。それでこれまでなんの支障もきたさなかった。なかにはいくぶん凝ったつくりの作品もないわけではないが、出だしはたいていデパートのショーウインドーや蝋人形の飾り物のような単純なものが圧倒的に多い。私は複数の人物(ときにはふたり、場合によってはひとりのときもある)を窮地に立たせ、彼らがどうやってそこから脱出するかを見守っているだけだ。私の仕事は脱出に手を貸すことでもなければ、彼らを安全な場所へ導くことでもない。それはプロットという削岩機を必要とする作業である。私はただ単になりゆきを見守り、それを書きとどめるだけだ。
最初に状況設定がある。そのあとにまだなんの個性も陰影もない人物が登場する。心の中でこういった設定がすむと、叙述にとりかかる。結末を想定している場合もあるが、作中人物を思いどおりに操ったことは一度もない。逆に、すべてを彼らにまかせている。予想どおりの結果になることもあるが、そうでない場合も少なくない。
もうひとつ忘れてならないのは、現実の世界に〝極悪人〟や〝無二の親友〟や〝美しい心を持つ娼婦〟などはいないということである。現実の世界では、ひとはみな自分こそが主人公であり、キーパーソンであり、いっぱしの人物であると思っている。カメラはいつも自分に向けられていると信じている。その種のリアリティを作品に持ちこむと、突出したキャラクターだけでなく、通俗小説ではお馴染みの平面的なステレオタイプをつくりあげることすら容易ではなくなる。
『ミザリー』でポール・シェルダンを監禁するアニー・ウィルクスは、傍目には精神を病んでいるように見える。が、ここはひじょうに大事なところなのだが、自分ではまったく正常であり、しっかり道理をわきまえていると信じている。それどころか、自分のことを、下種な有象無象が支配する敵対的な世界に孤立無援の闘いを挑む英雄と見なしている。
『ミザリー』の読者がいだく当然の疑問のひとつに、ポール・シェルダンは私なのかというものがある。たしかに、そういう側面は否定できない。だが、実際に小説を書いてみればわかることだが、どんな場合にでも作中人物にはかならず作者の一部が投影されているものだ。ある人物が与えられた状況下でどんな行動をとるかを決めるとき、作者は自分ならどうするかということを基準にする(悪党の場合には、自分ならそうしないというのが基準になる)。あとは、他人を観察することだ。観察の対象はかならずしも好ましいものばかりとはかぎらない(たとえば、誰も見ていないところで鼻クソをほじる癖とか)。さらには、第三の素晴らしい方法もある。純然たるイマジネーションによるものだ。 -
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今のこの国のように、役人や警察が民衆のために働くのでなく、自分たちの利権を守るために働くのが当たり前になってくると、頭の切れる警官なら自分が正規のルールに従って動くことが自分の所属する集団の中にいる他の者の目にどう映るか、だいたい分かるだろう。法や正義を盾にとって、いつか自分に害を及ぼすことになるだろう相手に、本心を明かすことはなくなり、遠巻きにして眺め、警戒するに決まっている。
独善的でなく、周囲に気を配れるだけの器量さえあれば、腐った林檎でいっぱいの箱の中に入っていたら、自分だけいい匂いをさせているのがどれだけ危ういことか気づけるはずだ。ところが、自分の腕に自信があり、周囲の助けを借りることなどちらりとでも考えたことのない男には、それが分からない。張り切って仕事をすればするほど、お偉方の足元をすくうことになっていることに。
ジョー・キング・オリヴァーは十年以上前に、罠にかかった。その頃は自分の性衝動を抑制することができず、逮捕に向かった相手の色香に負けて、情を交わしてしまったのだ。強姦罪で訴えられた夫に、妻は怒りのあまり保釈金を払うことを拒否。檻の中で刑事がどんな目に遭うかはよく知っている。殴られ、顔を切られ、小便をかけられても、看守は何もしてくれない。親友の刑事が手を回し、隔離棟に移されたが、八十日余りそこで過ごすうちに元刑事は犯罪者へと変貌した。
一度失ってしまった誇りや気概はなかなか戻ってこなかった。十年余りを無気力に過ごしたある日、探偵事務所に手紙が届き、その翌日若い女が捜査の依頼をするために訪れるまでは。手紙の差し出し主はかつて自分を陥れたあの女で、過去を悔い、いつでも証言台に立つと告げていた。電話すると麻薬所持で逮捕され、釈放する代わりにジョーをハニー・トラップにかけるようにコルテスという刑事に指示されたと語った。
ウィラという女は弁護士だった。刑事殺しの罪で死刑囚となった活動家のフリー・マンの弁護をする弁護士ブラウンのもとで働いていた。彼女はブラウンが急に態度を翻し、熱が冷めたことにいら立ち、調査を依頼しに来たのだ。マンは少年少女が性奴隷として働かされている組織の壊滅を目指して活動していた。ウィラはそういうマンに心惹かれていた。ジョーは、警察が一枚噛んでいることに、自分の事件との共通点を認め、事件を引きうける。
自分を陥れた刑事を突き止め、復讐し、名誉を回復して復職するための行動と、マンの刑事殺しの事実を暴くための行動が、同時進行で綴られる。話は錯綜し、次から次へと芋づる式に新しい登場人物や手がかりが現れる。十年前とちがうのは、一人で行動しようとしなくなったことだ。警察内部に敵がいるので、親友のグラッドストーンの手を借りるわけにはいかない。しかし、探りを入れたら、敵はすでに動き出していた。独りで立ち向かうには危険すぎる。
ジョーが頼ることにしたのは元凶悪犯で、今は時計の修理屋をやっているメルカルトだった。以前、銀行強盗の従犯で逮捕した際、メルが仲間を売ったと偽証するよう検事に促されたが、ジョーは肯んじなかった。その結果何年か冷や飯を食わされた。メルカルトは、そのことを恩義に感じていて、何かあったらいつでも声をかけてくれ、と事務所に来たことがあった。今は足を洗ってはいるが、裏の世界に顔が利き、荒っぽい仕事も平気でやってのける頼りになる男だ。
メルカルトの登場により、謎解き主体かと思っていた物語は少し趣きを変え、ノワール色が濃くなる。私立探偵の調査は関係者の話を聞いて、事実を明るみに出してゆくことだが、元凶悪犯のやり方はかなり荒っぽい、自分のアジトである南北戦争当時、逃亡奴隷を逃がすために作られた地下鉄道の駅舎に拉致し、拷問によって吐かせる。片脚を撃たれて、次は左手を撃つと脅されたら、大抵の者はしゃべるに決まっている。
ジョーがはめられたのは埠頭でヘロインの売買をやっていた男とコルテスという刑事が組んでいたからだ。ジョーはその男を逮捕する寸前だった。それで罠にかけられたのだ。しかし、当時の証拠はすべて破棄され、関係者は今ではニューヨーク市や警察の幹部級だ。私立探偵一人を闇に葬ることなど簡単にやってのける。自分の復職は叶わない。マンは相手に狙われ撃ち返しただけだったが、それを裏付ける証拠はなく、判決を覆すことはできない。
八方塞がりの局面を転回するのは、やはりメルカルトだった。あっと驚く方法で一件は幕を引くことになるのだが、通常のノワールやクライム・ノヴェルの解決手段ではない。ここまで読んできた者としては快哉を叫ぶ気持ちにはなれない。主人公はこれで溜飲が下がるのだろうか。いくら社会が腐っているからといって、自分の生き方をそれに合わせる必要はない。何かもっと別の方法はなかったのだろうか。ああ、もやもやする。ただ、読み物としては面白く、リーダビリティの高さは保証する。チャンドラリアンには向かないだけだ。 -
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ネタバレ一人の元スパイが心臓発作で死んだ。その死に疑惑を抱く者はいない…ジャクソン・ラム以外は。スパイは死ぬまでスパイだ。スパイが死んだなら、そこには必ず何かがあるはずなのだ。はたせるかな男はメッセージを遺していた。ただ一語“蝉”―それは旧ソ連の幻のスパイにかかわる暗号名だった!ラム率いる“泥沼の家”の落第スパイたちが、動き出す。『窓際のスパイ』に続く会心の痛快作。英国推理作家規会賞ゴールドダガー賞受賞!
あっさりレギュラーが退場したり、「ダイ・ハード」ばりののアクションがあったりと、いろいろな意味で「ひょうひょうと」裏切られる感じ。でも悪くないです。 -
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序盤から不必要なほどキャラクターがわんさか出てくるが、たった数ページの会話でぞれぞれの特徴を捉えることができるので苦にならない。登場人物の書き分けが世界一上手いのではないだろうか。
【ネタバレ】
トリックに新規性はありませんし、この手法だとリスクが高すぎるので、ポアロがいうほど計画性の高い狡知に長けた(スリック)犯罪という印象は受けませんでした。共犯者の存在は当てられませんでしたが。
リゾート地という心理的に開放感のある心地よい舞台で人間関係が交錯していく物語の本筋にはのめり込むことができ、その点は『ナイルに死す』に匹敵するかも。バカンスの文化が羨ましいなあ…もっと真夏に読むべきだった。 -
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ポアロシリーズ20作目。1941年の作品。
『白昼の悪魔』という邦題もなかなか渋いけれど、原題『Evil under the Sun』がかっこいい。
小さな島のリゾート地が舞台という夏に読むにはぴったりでした。事件が起こったのは8月25日。
朝起きたらバルコニーから海岸に降りてひと泳ぎ、ホテルのダイニングルームで朝食。あるいは遅くまで寝ていてベッドで朝食。
海辺で日光浴、ボート遊び、テニス、散策もしくはテラスで読書。
島はホテルの私有地なので、海岸は宿泊客のみのプライベートビーチ。
なんていう上流社会の夏の過ごし方がなんとも優雅。
(216ページ)
「ミセス・マーシャルはいつもベッドで朝食をとっていたんだね」
「はい、いつもです。いつもベッドでほんの少しだけ。紅茶とオレンジ・ジュースとトーストを一枚です。多くのご婦人方同様、太らないように気をつかっていらっしゃったのでしょう」
ミスリーディングや思わせぶりなセリフ、小道具が多すぎて、宿泊客全員怪しく思える。というか、ラスト40ページくらいまで誰が犯人でもおかしくない展開。ミステリーとしてはまったくフェアじゃないけど、夏のリゾート気分を味わえたので私は十分満足。
新訳版は田村義進。『ゴルフ場殺人事件』、『メソポタミヤの殺人』なども手がけており、全体的に上品で読みやすい。
ただ、いくつか、伏線回収されていなかったり、あれ、このセリフあったけ?みたいな箇所があるんだけど、これは原文のミスなのか。
ブティックのオーナーであり、ドレスデザイナーであるロザムンド・ダーンリーのモデルはあきらかにココ・シャネル。
彼女のつけている香水は「ガブリエルの8番」。この香水は架空のものですが、ココ・シャネルの本名はガブリエル・シャネルで、2017年に「ガブリエル シャネル」という香水が発売されています。
それを考えると、ラストの彼女の選択はいまいち不満である。
(37ページ)
「結婚して子供をつくるのは誰にでもできることです。あなたのように自分の力で地位と名声を勝ちえた女性は、百人──いや、千人にひとりいるかいないかですよ」
ロザムンドはにっこり笑った。「でも、やっぱりわたしは哀れなオールドミス。とにかく、今日はそんな気分なんです。どんな貧乏暮らしでも、夫がどんなに粗野で陰気な人でも、腕白坊主がぞろぞろあとを追いかけてきても、そのほうがずっと幸せなんだと思っています。そうじゃないでしょうか」
いくつか自分用注釈。
3ページに出てくるコーネリア・ロブスン、リネット・リッジウェイは『ナイルに死す』。
ウェストン州警察本部長と話しているセント・ルーの事件とは『邪悪の家』。
133ページの「ウォーレス」とは、1931年に妻を殺したとして有罪になり、その後、逆転無罪となったウィリアム・ハーバート・ウォレス事件のこと。
以下、引用。
12
「そうなんです、ムッシュ・ポアロ、あなたのお噂はコーネリア・ロブスンからいろいろとうかがっています。わたしたち、五月にはバーデンホフに滞在していましてね。そのとき、エジプトでリネット・リッジウェイが殺された事件の話を聞いたんです。」
Badenhof
14
「わたしが若いころには、せいぜい足首までしか見ることができませんでした。ふんわりしたペチコートがちらっと見えただけで、胸がドキドキしたものです。それがいまは、ふくよかなふくらはぎも、膝も、リボンがついたガーターまでも──」
21
「たしかにここは夢のような場所です。じつにのどかだ。陽は燦々と降り注ぎ、海はどこまでも青い。ですが、ミス・ブルースター、忘れちゃいけません。邪悪は陽の下のいたるところに潜んでいます」
35
「ええ、びっくりするくらいに。イギリスの田舎です。大きなあばら家。馬や犬。雨の歩道。薪ストーブ。リンゴ畑。つましい暮らし。古ぼけたツイードの服。来る年も来る年も同じイブニング・ドレス。荒れ放題のお庭。秋にはシオンが咲き乱れ……」
37
「結婚して子供をつくるのは誰にでもできることです。あなたのように自分の力で地位と名声を勝ちえた女性は、百人──いや、千人にひとりいるかいないかですよ」
ロザムンドはにっこり笑った。「でも、やっぱりわたしは哀れなオールドミス。とにかく、今日はそんな気分なんです。どんな貧乏暮らしでも、夫がどんなに粗野で陰気な人でも、腕白坊主がぞろぞろあとを追いかけてきても、そのほうがずっと幸せなんだと思っています。そうじゃないでしょうか」
44
ううん、ニキビじゃない。そう判断して、ほっとした。そして思った。十六歳なんてイヤ。本当にイヤ。
自分がどこにいるかわからない。子馬のように頼りなく、ハリネズミのように刺々しい。見苦しさや頼りなさが気になってならない。
46
時間の感覚をつかめないのは幼さのせいかもしれない。一年は永遠に思える。
69
70
74
ドーヴィル、ル・テュケ、ジュアン・レ・パン
ビアリッツ
マーゲイト
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部屋を出て、廊下を進む。廊下のはずれのドアからバルコニーに出る。そこにある階段をおりていけば、ホテルの下の岩場に出る。その岩場には磯まで小さな鉄の梯子が取りつけられている。海水浴場へ行くより手間がかからないので、朝のひとときをそこで過ごす者は多い。
85
年上のクリスティーンとのあいだには微妙に共感しあえるものがある。それはどちらも同じ人物を憎んでいるという事実に根ざしているからにちがいない。
93
「さっきも主人に言ったばかりなんだけど、わたしたちもぜひダートムーアに行ってみたいと思ってますの。ここからはそう遠くないし、言い伝えからしてロマンチックなところのようだし。それからあの有名な監獄のあるところ、プリンスタウンていったしら。あそこへも行ってみたい。」
94
歯磨き粉の金属ケース
108
「こいつは驚いた!」と、州警察本部長のウェストンは言った。「こんなところできみに会えるとは!」
エルキュール・ポアロは愛想よく答えた。「これはお久しぶり。セント・ルーの事件以来ですな」
「いまでもよく覚えてるよ。あんなに驚いたことはない。いまだに納得がいかないのは、葬儀のときのきみの策士ぶりだ。普通じゃ考えられない。常軌を逸していた」
112
「マーシャル大尉がどんなふうに思い、何を考えているかはわかりません。感情を表に出さない御仁のようですから」
「でも、感情はあるはずだ」
エルキュール・ポアロはうなずいた。
「ええ。感情はあるはずです」
133
「なんとも言えません。感情を表に出さないので。証人台に立ったときの印象は間違いなく悪いものになるでしょうね。ある意味、気の毒な話です。どんなに傷ついていても、そんなふうには見えないのだから。ウォーレスも同じような調子だったので、陪審員の心証を害して、有罪判決を下されてしまいました。確たる証拠があったからじゃありません。妻を亡くして、あんなに冷静でいられるはずはないと思われたからです」
ウィリアム・ハーバート・ウォレス事件
149
「ある学者が記した論文によると、社交界で浮名を流した伊達男(ボー)ブランメルと生涯独身であったニュートンのような人物とでは、孤独の意味がまったくちがう。」
183
「サボイ・ホテルでブレスレットをなくしたときに来てくれた若い刑事さんは、そりゃもう、優しくて親切な人でした。」
210
聖書。古びたシェークスピアの戯曲。ハンフリー・ワード夫人の『ウィリアム・アッシュの結婚』、シャーロット・ヤングの『若い継母』、A.E.ハウスマンの『シュロップシャーの若者』、エリオットの『寺院の殺人』、バーナード・ショーの『聖女ジャンヌ・ダーク』、マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』、ディクスン・カーの『火刑法廷』。
216
「ミセス・マーシャルはいつもベッドで朝食をとっていたんだね」
「はい、いつもです。いつもベッドでほんの少しだけ。紅茶とオレンジ・ジュースとトーストを一枚です。多くのご婦人方同様、太らないように気をつかっていらっしゃったのでしょう」
239
「聖書に出てくるイザベルやアホリバのような毒婦です。悪行のかぎりを尽くし、あげく鉄槌がくだされたのです」
260
すぐに返事はかえってこなかった。村人たちにじろじろ見られているのが気になるのだろう。指をさされこそしないまでも、それと同じことを目でされているのだ。
285
「無作法をお許しいただけるでしょうか、マドモアゼル」
「あなたが無作法なことをなさるとは思いませんけど」
「恐縮です。それでは言わせてください。あなたがいまお使いの香水はじつにいい。繊細で、深淵で、複雑です」手を振り動かし、それから感情のこもらない声になって、
「ガブリエルの八番ですね」
「よくおわかりですね。ええ、わたしはいつもこれをつけています」
294
「たしかにアリーナ・マーシャルは聖職者が淫らな女(スカーレット・ウーマン)と呼ぶにふさわしい人物です。」
366
若島正「明るい館の秘密 クリスティ『そして誰もいなくなった』を読む」
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巨匠ブロックが生み出した、最強の弁護士マーティン・エイレングラフを主人公とする連作短篇集。これまでに発表されたシリーズの全作品12篇が収録されている。
なにがすごいかというと、彼の依頼人はすべて無実であり、裁判になる前にことごとく潔白が証明されてしまうのだ。どのようにして? そこは読んでいただいて確認してほしい。そして彼は法外な成功報酬を受け取るのである。すべてが同じ形式なので、裁判シーンは一切ない。
過去にハヤカワ文庫で刊行された傑作集に何作か収録されていて、初読ではなかったが印象はまるでなく、他のシリーズキャラクターに比べると明らかに弱い。そのせいで本にまとまるのが遅れたのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ近頃の、文士村活動の輪の中で、知人が薦めていた本。すぐに入手はしていたが、ようやく手に取って読み終えた。
タイトルの通り、書くことについて、ということで、作家がその知見を語るものだが、そこは、さすが大御所。巷にあふれるお手軽なHow to本とは異なる。早くそのテクニックを知りたい、コツを伝授してもらいたい、と思って読み始めると、途端に壁にぶち当たるだろう。序盤は、彼の生い立ちなのだから(笑)
いろんな点で、よいタイミングで巡り合えたなと思う。ホラー作家という印象が強いし、映画の原作者として認知はしていたが、スティーヴン・キングの著作だからと読んだ作品は一作もない。映画化された作品も、ホラーというジャンルを避けているので、見た作品は少ないのだが、たまたま昨年、『スタンド・バイ・ミー』と『シャイニング』を映像のほうで楽しんだので、少しは作者に親近感も湧いてきていたタイミングだった(もちろん、映画『シャイニング』は、監督のキューブリックが独自解釈を加えたので、スティーヴン・キングは、あとからドラマかなにかで自分の意に沿うよう撮り直したという話は聞いている)。
いずれにせよ、あのスティーヴン・キングの、と思って読めたので、腹落ちは良かった。
そんな来し方行く末を語るような筆致で、随所に物書きとしての心がけ、秘訣、注意点を語るが、特段、珍しいものはない。
たとえば、
“無駄な言葉は省け”だ。私もそのように心がけよう。
創作のアイディアについては、
「われわれがしなければならないのは、そういったものを見つけだすことではない。そういったものがふと目の前に現れたときに、それに気づくことである。」
ゆえに、ストーリーについては、インタビューで問われたとき
「地中に埋もれた化石のように探しあてるべきものだ」
と答えている。これなぞは、仏像を彫る仏師、あるいは彫刻家の誰かも言ってそうな言葉だ(聞いた覚えがある)。
映像化される原作を多く送り出しているだけに、ウケのよい物語を産みだすのは巧いのだろう。本音なのか、虚勢なのか、こんな言葉もある。
「小説の役割は文法の手本を示すことではなく、読者がストーリーを楽しみ、のめりこみ、文章を読んでいることを忘れるようにすることなのだ。」
「おおよその場合、ひとに本を買わせたいという気持ちを起こさせるものは文学的価値ではない。飛行機のなかで気楽に読めるかどうか、読みだしたらとまらなくなるかどうかである。」
それだけを意識して作品を生み出しているのではないとは思うが、大作家をして、それくらいの気持ちで、肩ひじ張らずに書いているのもしれない、と思わせる。
「プロットに重きを置かない理由はふたつある。第一に、そもそも人生に筋書きなどないから。」
この一文は、本書の執筆中に九死に一生の大事故を経験したからなのかもしれない。そのクダリが本書にも収められている。
要は、単純なノウハウ本ではないのだ。またそれが面白かったりもする。
「結末にこだわる必要がどこにあるのか。どうしてそんなに支配欲をむきだしにしなければならないのか。どんな話でも遅かれ早かれおさまるべきところにおさまるものなのだ。」
これは、創作で生み出す作品のことだけではなく、己の人生への達観でもあるかのように読めた。ああしたい、こうもしたい、と、自分の進路を無理に操舵しないほうが良いのかもしれない。
とにかく、大先生をして鍛錬は怠っていないし、やはり多くを読んで、多くを書いているということは分かる。何ごとも日々の積み重ねということだ。
そこは、少しずつでも学んでいこうと思う。
「ドアを閉めて書け。ドアをあけて書きなおせ。」
作品は誰のものか? この金言を胸に。