田村義進のレビュー一覧
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主人公のオリヴァーはニューヨーク市警の刑事として鳴らしていたが、ハニートラップに簡単に引っかかりレイプ犯扱いされ、妻に見捨てられ警察をクビになり、いまは私立探偵をしている。娘だけを生きがいとして生きてきたが、そこにハニートラップを仕掛けた女性から手紙が届く…直後別のもう一人の女性から黒人ジャーナリストの無実を証明して欲しいと依頼がある。オリヴァーは2つの事件に繋がりはないが共通点を見つけ、自分の無実を晴らすためにも同時に調査を進めることにする。
出てくる登場人物が個性的で良いのだが、多過ぎて誰だ誰やら分からなくなりかけ混乱する。その中でも群を抜いて魅力的なのは元凶悪犯で主人公の相棒になるメル。メルの存在こそがオリヴァーを良人とし、いろんな意味で救っている気がする。 -
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ネタバレ作家になりたいのなら、絶対にしなければならないことがふたつある。たくさん読み、たくさん書くことだ。私の知るかぎり、そのかわりになるものはないし、近道もない。
私は本を読むのがそんなに速い方ではない。それでも、一年に七十冊から八十冊は読む。そのほとんどは小説だ。読みたいから読むのであって、何かを学ぶためではない。たいていは夜、書斎の椅子にゆったり腰かけて読む。繰り返しになるが、読みたから読んでいるのであって、小説の技法やアイデアを学ぶためではない。それでも、読めば何かしら得られるものはある。手に取った本にはかならず何かを教えられる。概して優れた作品より、出来の悪い作品からのほうが教わるものは多い。
出来の悪い小説は、してはいけないことを教えてくれる。
本を読み、凡庸さやくだらなさを経験すれば、そういったものが自分の作品に忍び込もうとしたとき、すぐにそのことに気づき、それを排除することができるようになる。また、読んだ本が秀作や傑作の類であれば、自分の書いたものがどのレベルにあるかを知り、これから何ができるかを推し量ることができるようになる。もちろん、本を読めば、さまざまな文体に遭遇することもできる。
気に入った文体が見つかればそれを真似すればいい。何も悪いことではない。子供のころの私もそうで、レイ・ブラッドベリを読めば、レイ・ブラッドベリのように書いていた。〈中略〉そういった他人の文体のブレンドは、自分の文体をつくり上げるためには欠かせないものである。真空状態からは何も生まれない。作家は多くの本を読み、それと並行して、たえず自分の作品に手を加え、純度を上げていかなければならない。信じられない話だが、本をほとんど、場合によってはまったく読まずに小説を書き、それを好きになってもらえると思っている者が、この世の中には少なからずいる。作家になりたかったが本を読む時間がなかったという言い訳をする者に出くわすたびに五セントずつ貯めていくとしたら、豪華なステーキのディナー代くらいはすぐにできるだろう。ここではっきり言っておこう。読む時間がないのに、どうして書く時間があるのか。単純明快である。
これで準備は整った。書斎のドアは閉まっている。カーテンも閉まっている。電話のコードは壁から引き抜いたし、テレビは叩き壊した。火が降っても槍が降っても、一日千語の目標は変わらない。と、ここで大きな問題が持ち上がる--何を書けばいいのか。それに対しては、ごく大づかみに答えるしかない−−書きたいことを書け。なんでもいい。それが真実であるかぎり。
創作科の金科玉条は〝知っていることを書け〟だ。お説ごもっとも。だが、惑星探検の宇宙船や、妻を殺して死体を木材粉砕機で細切れにする男を書きたいときには、どうすればいいのか。それ以外にも、現実離れした、だが卓抜なアイデアは無数にある。そういったものに対して、〝知っていることを書け〟の原則をどのように当てはめればいいのか。
まずは原則を可能なかぎり拡大解釈することから始める。配管工は配管のことを知っている。だが、知っているということの意味はそれよりずっと広い。心も何かを知っているし、想像力も何かを知っている。ありがたいことではないか。心と想像力がなかったら、フィクションの世界はさぞかし殺風景なものになっていただろう。それどころか、そもそも存在しなかったかもしれない。
どちらかというと、私は直観に頼るほうだ。私の作品は筋立てより状況設定に依存するものが多い。それでこれまでなんの支障もきたさなかった。なかにはいくぶん凝ったつくりの作品もないわけではないが、出だしはたいていデパートのショーウインドーや蝋人形の飾り物のような単純なものが圧倒的に多い。私は複数の人物(ときにはふたり、場合によってはひとりのときもある)を窮地に立たせ、彼らがどうやってそこから脱出するかを見守っているだけだ。私の仕事は脱出に手を貸すことでもなければ、彼らを安全な場所へ導くことでもない。それはプロットという削岩機を必要とする作業である。私はただ単になりゆきを見守り、それを書きとどめるだけだ。
最初に状況設定がある。そのあとにまだなんの個性も陰影もない人物が登場する。心の中でこういった設定がすむと、叙述にとりかかる。結末を想定している場合もあるが、作中人物を思いどおりに操ったことは一度もない。逆に、すべてを彼らにまかせている。予想どおりの結果になることもあるが、そうでない場合も少なくない。
もうひとつ忘れてならないのは、現実の世界に〝極悪人〟や〝無二の親友〟や〝美しい心を持つ娼婦〟などはいないということである。現実の世界では、ひとはみな自分こそが主人公であり、キーパーソンであり、いっぱしの人物であると思っている。カメラはいつも自分に向けられていると信じている。その種のリアリティを作品に持ちこむと、突出したキャラクターだけでなく、通俗小説ではお馴染みの平面的なステレオタイプをつくりあげることすら容易ではなくなる。
『ミザリー』でポール・シェルダンを監禁するアニー・ウィルクスは、傍目には精神を病んでいるように見える。が、ここはひじょうに大事なところなのだが、自分ではまったく正常であり、しっかり道理をわきまえていると信じている。それどころか、自分のことを、下種な有象無象が支配する敵対的な世界に孤立無援の闘いを挑む英雄と見なしている。
『ミザリー』の読者がいだく当然の疑問のひとつに、ポール・シェルダンは私なのかというものがある。たしかに、そういう側面は否定できない。だが、実際に小説を書いてみればわかることだが、どんな場合にでも作中人物にはかならず作者の一部が投影されているものだ。ある人物が与えられた状況下でどんな行動をとるかを決めるとき、作者は自分ならどうするかということを基準にする(悪党の場合には、自分ならそうしないというのが基準になる)。あとは、他人を観察することだ。観察の対象はかならずしも好ましいものばかりとはかぎらない(たとえば、誰も見ていないところで鼻クソをほじる癖とか)。さらには、第三の素晴らしい方法もある。純然たるイマジネーションによるものだ。 -
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今のこの国のように、役人や警察が民衆のために働くのでなく、自分たちの利権を守るために働くのが当たり前になってくると、頭の切れる警官なら自分が正規のルールに従って動くことが自分の所属する集団の中にいる他の者の目にどう映るか、だいたい分かるだろう。法や正義を盾にとって、いつか自分に害を及ぼすことになるだろう相手に、本心を明かすことはなくなり、遠巻きにして眺め、警戒するに決まっている。
独善的でなく、周囲に気を配れるだけの器量さえあれば、腐った林檎でいっぱいの箱の中に入っていたら、自分だけいい匂いをさせているのがどれだけ危ういことか気づけるはずだ。ところが、自分の腕に自信があり、周囲の助けを借りることなどちらりとでも考えたことのない男には、それが分からない。張り切って仕事をすればするほど、お偉方の足元をすくうことになっていることに。
ジョー・キング・オリヴァーは十年以上前に、罠にかかった。その頃は自分の性衝動を抑制することができず、逮捕に向かった相手の色香に負けて、情を交わしてしまったのだ。強姦罪で訴えられた夫に、妻は怒りのあまり保釈金を払うことを拒否。檻の中で刑事がどんな目に遭うかはよく知っている。殴られ、顔を切られ、小便をかけられても、看守は何もしてくれない。親友の刑事が手を回し、隔離棟に移されたが、八十日余りそこで過ごすうちに元刑事は犯罪者へと変貌した。
一度失ってしまった誇りや気概はなかなか戻ってこなかった。十年余りを無気力に過ごしたある日、探偵事務所に手紙が届き、その翌日若い女が捜査の依頼をするために訪れるまでは。手紙の差し出し主はかつて自分を陥れたあの女で、過去を悔い、いつでも証言台に立つと告げていた。電話すると麻薬所持で逮捕され、釈放する代わりにジョーをハニー・トラップにかけるようにコルテスという刑事に指示されたと語った。
ウィラという女は弁護士だった。刑事殺しの罪で死刑囚となった活動家のフリー・マンの弁護をする弁護士ブラウンのもとで働いていた。彼女はブラウンが急に態度を翻し、熱が冷めたことにいら立ち、調査を依頼しに来たのだ。マンは少年少女が性奴隷として働かされている組織の壊滅を目指して活動していた。ウィラはそういうマンに心惹かれていた。ジョーは、警察が一枚噛んでいることに、自分の事件との共通点を認め、事件を引きうける。
自分を陥れた刑事を突き止め、復讐し、名誉を回復して復職するための行動と、マンの刑事殺しの事実を暴くための行動が、同時進行で綴られる。話は錯綜し、次から次へと芋づる式に新しい登場人物や手がかりが現れる。十年前とちがうのは、一人で行動しようとしなくなったことだ。警察内部に敵がいるので、親友のグラッドストーンの手を借りるわけにはいかない。しかし、探りを入れたら、敵はすでに動き出していた。独りで立ち向かうには危険すぎる。
ジョーが頼ることにしたのは元凶悪犯で、今は時計の修理屋をやっているメルカルトだった。以前、銀行強盗の従犯で逮捕した際、メルが仲間を売ったと偽証するよう検事に促されたが、ジョーは肯んじなかった。その結果何年か冷や飯を食わされた。メルカルトは、そのことを恩義に感じていて、何かあったらいつでも声をかけてくれ、と事務所に来たことがあった。今は足を洗ってはいるが、裏の世界に顔が利き、荒っぽい仕事も平気でやってのける頼りになる男だ。
メルカルトの登場により、謎解き主体かと思っていた物語は少し趣きを変え、ノワール色が濃くなる。私立探偵の調査は関係者の話を聞いて、事実を明るみに出してゆくことだが、元凶悪犯のやり方はかなり荒っぽい、自分のアジトである南北戦争当時、逃亡奴隷を逃がすために作られた地下鉄道の駅舎に拉致し、拷問によって吐かせる。片脚を撃たれて、次は左手を撃つと脅されたら、大抵の者はしゃべるに決まっている。
ジョーがはめられたのは埠頭でヘロインの売買をやっていた男とコルテスという刑事が組んでいたからだ。ジョーはその男を逮捕する寸前だった。それで罠にかけられたのだ。しかし、当時の証拠はすべて破棄され、関係者は今ではニューヨーク市や警察の幹部級だ。私立探偵一人を闇に葬ることなど簡単にやってのける。自分の復職は叶わない。マンは相手に狙われ撃ち返しただけだったが、それを裏付ける証拠はなく、判決を覆すことはできない。
八方塞がりの局面を転回するのは、やはりメルカルトだった。あっと驚く方法で一件は幕を引くことになるのだが、通常のノワールやクライム・ノヴェルの解決手段ではない。ここまで読んできた者としては快哉を叫ぶ気持ちにはなれない。主人公はこれで溜飲が下がるのだろうか。いくら社会が腐っているからといって、自分の生き方をそれに合わせる必要はない。何かもっと別の方法はなかったのだろうか。ああ、もやもやする。ただ、読み物としては面白く、リーダビリティの高さは保証する。チャンドラリアンには向かないだけだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ一人の元スパイが心臓発作で死んだ。その死に疑惑を抱く者はいない…ジャクソン・ラム以外は。スパイは死ぬまでスパイだ。スパイが死んだなら、そこには必ず何かがあるはずなのだ。はたせるかな男はメッセージを遺していた。ただ一語“蝉”―それは旧ソ連の幻のスパイにかかわる暗号名だった!ラム率いる“泥沼の家”の落第スパイたちが、動き出す。『窓際のスパイ』に続く会心の痛快作。英国推理作家規会賞ゴールドダガー賞受賞!
あっさりレギュラーが退場したり、「ダイ・ハード」ばりののアクションがあったりと、いろいろな意味で「ひょうひょうと」裏切られる感じ。でも悪くないです。