高階秀爾のレビュー一覧
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名作・定番。
何度も読み返して名画を楽しみたくなる。
照会された絵画のいくつかは見たことがあるのだけど、もう一回近くで見て確かめたくなる。
【Ⅰ】はルネサンスから19世紀まで。
ファン・アイク 「アルノルフィニ夫妻の肖像」
ボッティチャルリ 「春」
レオナルド 「聖アンナと聖母子」
ラファエロ 「小椅子の聖母」
デューラー 「メレンコリア・Ⅰ」
ベラスケス 「宮廷の侍女たち」
レンブラント 「フローラ」
プーサン 「サビニの女たちの掠奪」
フェルメール 「絵画芸術」
ワトー 「シテール島の巡礼」
ゴヤ 「裸体のマハ」
ドラクロワ 「アルジェの女たち」
ターナー 「国会議事堂の火災」
クールベ 「画家のアトリエ」
マネ 「オランピア」 -
Posted by ブクログ
しかし、だからと言って、印象派 絵画がチューブ入り絵具から生まれたと言うことはむろんできない。 戸外における現場での制作は、すでに一八三〇年代のバルビゾンの画家たちの時代から、絵画の野望のひとつであった。持ち運びのできる便利な絵具の発明は、それまできわめて困難であったことを容易に実現させてくれるという便利さをもたらしたに過ぎない。ただ、それによって思いのままに戸外で制作できるようになった七〇年代の若い画家たちが、眼の前の自然のな かに、それまでの絵画の知らなかった新しい世界を発見したことは事実である
ところが、モネたちは、太陽の光の下では、自然のなかのものは固有の色を持っていないということを見出した。緑の草も、時には夕陽の照り返しを受けて赤く輝くこともあれば、青い衣裳の上にオレンジ色の陽の光がこぼれ落ちることもある。それは言うまでもなく「光」の作 ちゅうちょ 用であるが、モネたちは、その「光」の作用を、躊躇なく「色」の世界に置き換えた。 例えば、この「パラソルをさす女」は、白いドレスを身にまとっている。そのドレスに、青い空や赤い野の花の輝きが微妙に反映している。そこでモネは、白い衣裳の上に、薄い青やピンクのタッチを加えるのである。
このようなことは、白い衣裳はあくまでも白いものだと信じていた当時の人びとには、容易 に理解されるものではなかった。
彼(セザンヌ)が求めたものは、眼の前の対象を形づくる本質的な構造であった。すべてが一様な光の波に還元されてしまう印象派の世界のなかから、セザンヌは、 対象を周囲の世界から区別する基本的な形態を求めた。そして、そのような確固とした形態を求めるということは、もはや単に視神経だけの問題ではない。それは後にブラックが、「眼は 形態を歪め、精神は形態を作る」という簡潔な言葉で表現したように、自然のなかにひとつの 秩序をうち立てようという精神の働きである。 セザンヌが友人のモネについて、
彼はひとつの眼に過ぎない、だが何と素晴らしい眼だろう。
と語ったという話は有名であるが、この一句にはモネの精緻な感覚に対する賛嘆と同時に、ひそかな批判をも読み取ることができる。 -
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美術分野の素人の書評になりますのでその点はご留意ください。下巻では主に「光」の部分に焦点が当てられます。具体的には美もしくは愛についての解釈です。その際の題材になるのがボッティチェルリの「春」と「ヴィーナスの誕生」ですが、それぞれの絵のなかの登場人物や背景、またこれらの絵が描かれた経緯などが詳しく語られています。詳細についてはぜひ本書を読んでいただけたらと思いますが、本書を通底しているのは「二面性」あるいは「二であり一でもある」というキーワードでしょう。例えば愛情についても現生的な愛と天上界的(理想的)愛情がある。どちらがより優れているとかではなく、これらは愛情の二面性であって、言い換えれば古代ギリシャ思想(あるいはネオ・プラトニズム)とキリスト教との融合でもあるというわけです。そのほかにもベルリーニ、ティツィアーノなどの絵画作品をとりあげつつ、バロック時代の絵画とも比較することでルネッサンス時代の精神分析をしているという意味で、断片的ではありますが、本のタイトルに対する理解が深まったと感じました。
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ネタバレ個人的にとくに興味深かった頁をまとめて下に記す。
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p.83
同頁の前章にて、15世紀フィレンツェの「現代版確定申告」のようなものの話がある。この「カタスト」と呼ばれる徴税制度自体も興味深いが、人が自身の収支を行政へ申告する際、なるべく景気の悪いことを書くというのが今も昔も変わらずというのが具体的事例付きで示されており、これはさらにおもしろい。ルネサンスの人々が急に近しい存在のように感じられた。
p.135〜136
同頁の章の前後にて、ルネサンスの時代を境に、イタリア半島における戦争の姿が変わっていくという話がある。著者曰く、イタリアにフランス軍が進軍する以前、半島内の戦争はほとんど軍事パレードのようなもので、戦死者の数も多くなかったという。戦争の神であるはずのマルスでさえ、ボッティチェリによって描かれた《マルスとヴィーナス》(1483-86年)のなかでは、武具も身につけずに寝ぼけてしまっている。
しかし、イタリア戦争をきっかけとして半島諸国の戦争のあり方が一変する。というのも、フランス軍やのちに攻め入ってくるスペイン軍のそれは、まさに文字通りの戦争であって、市民をも巻きこみ容赦なく人を殺傷するものだったからである。
興味深いのは、ここで著者が紹介している木版画である。それは本の扉絵として1520年代につくられたものらしく、うず高く積みあげられた戦勝記念標が二つ描かれている。さらに、それぞれのうえにはマルスとベローナがおり、武器を持っている。しかし、前者の手には剣や槍などの旧来の武器があるのに対し、後者の手には大砲や爆薬があるというのである。この図版は、16世紀はじめの人々の戦争に対する意識の変化を端的に象徴しているといえるだろう。著者は、「たとえばロダンが戦争の神を掘り出した時には、それはもはやマルスではなくて、ベローナだったのである」と結んでいる。
期待していたので、再版はうれしい。著者は美術史家であり、多数の論文・書籍・図版の解説を執筆している。そのうちのいくつかにはすでにお世話になっているが、その知識の幅広さと深さ、尽きない探究心には驚かされる。また別の本も読んでみたい。