あらすじ
本書は,西洋美術鑑賞の懇切な手引きとして好評の『名画を見る眼』のカラー版である.モネに始まる近代の名画14点,そして同時に鑑賞したい絵画を多数収載.題材や技術だけでなく歴史的・思想的背景,くわえて画家の個性が感じられるエピソードを交えながら解説した.刊行より半世紀を超え,著者監修の決定版をお届けする.
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西洋絵画の入門書を読みました。多くの方と同じかと思いますが、山田五郎さんのYouTubeを見て、西洋絵画に興味を持ったからです。
モネからモンドリアンまでの14人の画家の解説です。筆者が代表作を紹介し、その背景や画家の説明もあります。
とても簡潔ですが、作品の生まれた背景まで、端的に書いています。
カンディンスキーとモンドリアンは、とても抽象的で、なんだろうと思っていました。この本で、画家の考えていた定義みたいなものも書かれてました。完全に理解するのは難しいけど、なんとなくわかる気がしました。
Iも読んでみたいと思います。
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美術史を体系立ててまとめた良書。印象派から抽象絵画へのつながりがよく分かった。やはり印象派が絵画に与えた影響は計り知れないと改めて思った。三菱一号館のルノワールセザンヌ展に行ったばかりだったので2,3章はかなり面白く読めた。行って良かった。
今まで名前だけ知っていたゴーギャン、シャガールの絵がなぜ革命的だったのかよく分かった。
美術館に行きたくなる本。
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モネ、ルノワールをはじめとする印象派からピカソ、シャガール、モンドリアンに至るまで、美術史の中で、大きな変革の時代を生きたアーティスト達の作品を読み解くポイントを紹介してくれる良書。
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Ⅰに比べて、著者の美術史観が確固としている。
特に印象派の影響を受けた画家たちの足跡の描き方が冴えている。
個別の画家では、スーラとモンドリアンの項がすごい。
自己の理念を越えて、アートを成し遂げた様を描ききっている。
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印象派のモネ、ルノアールを皮切りに、難解とされる抽象絵画を分かりやすい言葉で解説している好著だ.ムンクくらいまでは記憶のある絵が出てきたが、マティス、カンディンスキー、モンドリアンになると初見のものばかりだった.絵画を全般的に把握してる著者ならではの言葉遣いで、丹念に、しかも的確な説明は非常に感銘を受けた.抽象画を手掛けた画家たちの内面に触れるコメントも多数で、絵画史の荒波を突き進んでいく快感が味わえた.
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第I巻の15作品は、1434年のヤン・ファン・アイクの作品から1863年のエドゥアール・マネまでの約400年を駆け抜けてきたのに対し、第II巻の14作品は、印象派のモネから始まって造形主義や抽象画に大きく移り変わっていく、わずか100年足らずの絵画の変遷を追っています。
現代人の多くにとって魅力的で絵画として「完成」しているように感じる印象主義が、絵画としてどのような限界を抱えているのか、そして画家たちがそこからどう脱却して(あるいはそれを極めて)いったのかが分かりやすく解説されています。以前、国立西洋美術館で開催されていた「キュビズム展」と扱われている時代が同じで、おさらいする気分で読むことができました。
まるで小説を読んでいるような、筆者の豊かな表現力はこの第II巻でも健在です。
―モネの「パラソルをさす女」は、印象派の技法による人物表現のいわばぎりぎりの限界であった。色彩分割をさらにおし進めていけば、モネの人物は光の波に溺れて溶解してしまうであろう。
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第Ⅱ作はモネの「パラソルをさす女」からモンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」まで。驚いちゃうのはこの間が60年しかないこと。この短期間で印象派から抽象絵画まで遷移している。抽象絵画といえども突然変異で生まれてきたわけでは無いことがよく分かる。
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モネの「パラソルをさす女」からモンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」まで年代順に14の絵の解説です。
この他、関連する絵も一つの作品につき、2,3点全てカラーで印刷されています。
これを新書(の値段)で見ることができるのはお得感たっぷりでした。
私は、やっぱりモネの絵がいちばん好きでした。
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古い版から文章はほとんど変更していないそうだが、ごもっともです。
修正する隙のない名文です。
日本人の大好きな印象派を抑えるうえで必読の文献。
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名画を見る眼Iの続編、名画を見る眼II。
前作のIが、マネまでであったので、IIのモネからが楽しみで読みました。
モネを数多く所蔵している西洋美術館にいらした高階さん。この人ならではの表現があり、次にモネを見るときにはその視点で見ようと思えるヒントがあったら。
パラソルの女性も作品がいくつか存在すると知れた。
出会っていなかった画家も掲載されており、新しいトキメキがありました。
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Ⅱは印象派以降の14人の巨匠、14点。
高階先生の授業を直接聴かせて頂いているような語り口。
各章の絵画だけではなく、その周辺の作品の解説も語られているので個々にストーリー、歴史があることがよくわかります。
美術史という学問は近代を理解するための学問の1つなのだと思いました。
Ⅰの15点も含めて自分で直接見る機会がある絵画があと何点あるのかわからないが
その際にはこの本を必ず読み返すでしょう。
〇モネ 「パラソルをさす女」
〇ルノワール 「ピアノの前の少女たち」
〇セザンヌ 「温室のなかのセザンヌ夫人」
〇ゴッフォ 「アルルの寝室」
〇ゴーギャン 「イア・オラナ・マリア」
〇スーラ 「グランド・ジェット島の日曜日の午後」
〇ロートレック 「ムーラン・ルージュのポスター」
〇ルソー 「眠るジプシー女」
〇ムンク 「叫び」
〇マティス 「大きな赤い室内」
〇ピカソ 「アヴィニョンの娘たち」
〇ジャガール 「私と村」
〇カディンスキー「印象・第4番」
〇モンドリアン 「ブロードウェイ・ブギウギ」
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Ⅰを読んだならばⅡも読まねばと、早速ひもときました。
Ⅰは歴史、美術史の解説なども含まれていましたが、Ⅱは美術史上の年表幅が少ないらしく(さくっと100年くらい)そのせいなのか、あまり細かな歴史的背景には言及せず、画家本人の略歴や手法などの解説が細やかに書かれている。
馴染みのある画家名も多く『これ見たことがある』というものが多いので、読んでいて飽きない。その反面、いわゆる抽象画も多いので、解説を読んでも分かったよーな分からないよーな、そんな気持ちになることもしばしば……
別の本に出ていた名前をここで見つけて、作中に出ていた店名はこの画家からとったのかと妙に納得したりして、楽しく読めた。
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印象派の代表的な存在であり、睡蓮やパラソルをさす女で有名なモネ。
なるべく絵具を混ぜ合わせないで、純粋に使うことを考えた。
理由は、「絵具を混ぜ合わせると明るさが失われる」ため。
モネの作品が明るいものが多いのは、絵の具の使い方の革新にあった。
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外界を見る人間の眼は、習慣や約束に規制されているが、画家はこれにとらわれない新しい感覚を拓く。
まず絵画を見て読み進め、改めて観ると新しい感想を覚える新鮮な鑑賞体験。実物を見たい。
絵のリアルとは。これまでの系譜。
現実を追求した印象派が色彩分離により平面化していき、キュビズム、フォーヴィズムを経て抽象画に繋がる。色彩と造形。
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しかし、だからと言って、印象派 絵画がチューブ入り絵具から生まれたと言うことはむろんできない。 戸外における現場での制作は、すでに一八三〇年代のバルビゾンの画家たちの時代から、絵画の野望のひとつであった。持ち運びのできる便利な絵具の発明は、それまできわめて困難であったことを容易に実現させてくれるという便利さをもたらしたに過ぎない。ただ、それによって思いのままに戸外で制作できるようになった七〇年代の若い画家たちが、眼の前の自然のな かに、それまでの絵画の知らなかった新しい世界を発見したことは事実である
ところが、モネたちは、太陽の光の下では、自然のなかのものは固有の色を持っていないということを見出した。緑の草も、時には夕陽の照り返しを受けて赤く輝くこともあれば、青い衣裳の上にオレンジ色の陽の光がこぼれ落ちることもある。それは言うまでもなく「光」の作 ちゅうちょ 用であるが、モネたちは、その「光」の作用を、躊躇なく「色」の世界に置き換えた。 例えば、この「パラソルをさす女」は、白いドレスを身にまとっている。そのドレスに、青い空や赤い野の花の輝きが微妙に反映している。そこでモネは、白い衣裳の上に、薄い青やピンクのタッチを加えるのである。
このようなことは、白い衣裳はあくまでも白いものだと信じていた当時の人びとには、容易 に理解されるものではなかった。
彼(セザンヌ)が求めたものは、眼の前の対象を形づくる本質的な構造であった。すべてが一様な光の波に還元されてしまう印象派の世界のなかから、セザンヌは、 対象を周囲の世界から区別する基本的な形態を求めた。そして、そのような確固とした形態を求めるということは、もはや単に視神経だけの問題ではない。それは後にブラックが、「眼は 形態を歪め、精神は形態を作る」という簡潔な言葉で表現したように、自然のなかにひとつの 秩序をうち立てようという精神の働きである。 セザンヌが友人のモネについて、
彼はひとつの眼に過ぎない、だが何と素晴らしい眼だろう。
と語ったという話は有名であるが、この一句にはモネの精緻な感覚に対する賛嘆と同時に、ひそかな批判をも読み取ることができる。