【感想・ネタバレ】バロックの光と闇のレビュー

あらすじ

「歪んだ真珠」を意味する語として生まれた「バロック」は、「粗野な」、「劣った」というニュアンスを帯びて使われる一方で、バッハやベルニーニに代表される雄大壮麗な作品とともに知られてもいる。──では、「バロック」とはいったい何か? 西洋美術史研究の第一人者が、多彩な時代と分野を縦横無尽に駆けめぐり、本質に迫っていく旅の記録。多数の図版を収録した原本に、さらに新たな図版を加えた決定版が登場!

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Posted by ブクログ

バロック芸術の成立とその文化的影響を、ルネッサンス後期からロマン派と新古典派の対立時期にかけての時代背景の考察を交えつつ、きわめて簡明な文章で綴る。プッサンのいくつかの作品やヴェルサイユ宮殿にまでバロック的要素が見られる、とするのはやや牽強付会の観もないではないが、その興隆が西洋文化の大きな転換点であったことは間違いない。「バロックは意志である」との著者の言葉が重く響く。

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2018年10月08日

Posted by ブクログ

バロックの意味とその芸術作品における表れ方を的確に分かりやすく解説されていて,頭の中を整理するのにぴったりの本.作品の写真もかなり掲載されていて非常に良かった.

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2018年01月20日

Posted by ブクログ

1540円

413P

フランスは中央集権で何もかもパリにあるけど、ドイツは観光してても分散を感じた。

写真とかレプリカでも見たことは見たことにカウントしてないんだけど、写真とかレプリカで見る事も音楽を生音ではなく、サブスクリプションで楽しむのと同じだって論を中野京子さんが展開してて、音楽に疎い私からしたら、サブスクリプションで音楽を聴く事ってそんなに質の低い事なんだと衝撃受けた。

高階 秀爾
(たかしな しゅうじ、1932年2月5日 - 2024年10月17日)は、日本の美術史学者・美術評論家。位階は従三位。東京大学文学部名誉教授。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。日本芸術院院長、公益財団法人西洋美術振興財団理事長、大原美術館館長などを務めた。秋田県立美術館顧問。1932年、東京で生まれた。父は哲学者・高階順治で、母方の姓を継いで旧姓・佐々木を名乗った[1]。東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学し、のちに東大教授となる芳賀徹、平川祐弘、石井進、平田賢とは同じクラス(第1部)であり、波多野里望とはこの頃から仲良しであった。1944年に小学校を卒業し、東京高師附属中学(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。1944年9月から1946年9月まで、父親の出身地である秋田県(大曲町)に疎開し、旧制角館中学で学んだ。1948年、四修で旧制第一高等学校に入学。1年修了で翌年新制東京大学に入学。在学中に矢代幸雄の『世界に於ける日本美術の位置』を読み、西洋美術史研究を志す。1953年、東京大学教養学部教養学科を卒業。東京大学大学院に進み、在学中の1954年から1959年まで、フランス政府招聘留学生として渡仏。パリ大学付属美術研究所およびルーブル学院で西洋近代美術史を専攻し、展覧会の運営など美術行政についても学んだ。帰国後、国立西洋美術館主任研究官に就いた。美術館勤務の一方で評論活動も開始し、1967年には遠山一行、江藤淳と雑誌『季刊藝術』を創刊。編集長は古山高麗雄で1979年まで計50号発行した。学界では、1968年に発足した日本文化会議に参画(1994年に解散)。1971年、東京大学文学部美術史科助教授に就いた。1979年に同教授昇格。1992年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。同1992年4月、国立西洋美術館館長に就任。2000年まで務めた。1997年、パリ第一大学より名誉教授を授与された。2002年4月~2023年6月、大原美術館館長[2]。2004年、京都造形芸術大学大学院長となり、同比較藝術学研究センター所長も兼ねた。2008年、京都造形芸術大学を退職。2015年、日本芸術院会員に選出された。2020年10月~2023年9月まで日本芸術院長を務めた[3]。2024年4月に発足された大原芸術研究所の所長に就任[4][5][6]。運営財団の理事も兼務していた[7]。2024年10月17日、心不全のため、死去[8]。92歳没。死没日付をもって従三位に叙された[9]。西洋美術館研究官、東京大学の美術史教授として、1963年の『世紀末芸術』を始め数多くの著作があり、啓蒙的役割を果した。ルネサンス期以降の西洋美術を専門としながら、日本近代美術にも造詣が深くその方面の著作、画集編集もある。
同じ東京大学比較文学教授を務め、京都造形芸術大学名誉学長である芳賀徹とは小学校時代からの友人。『名画を見る眼』正・続(岩波新書)は、半世紀重版され計・82万部出された(新版の紹介より)。
家族・親族
父:高階順治は哲学者。
母:佐々木信。
祖父(母方):佐々木秀一。
妻:舞台女優・エッセイストの高階菖子(しょうこ)
娘:京都大学人文科学研究所教授で美術史学者の高階絵里加。


「われわれから見ると、パリにはルーヴル美術館、オペラ座、コメディ・フランセーズ劇場をはじめ数多くの伝統的施設があり、現代美術に関しても、国立、市立の近代美術館のほか大小さまざまの画廊があって、まさしく芸術の都と呼ぶにふさわしい充実ぶりと感心させられるのだが、芸術愛好家としてもよく知られた故大統領は、必ずしもそう思ってはいなかったらしい。芸術がごくかぎられた一部のエリート層のみの関心の対象であるという事態は、決して望ましいものではないと考えたのである。  実際、今から半世紀近く前、私がはじめてパリに住んだ頃には、ルーヴル美術館でさえそれほど混雑しているわけではなく、《モナ・リザ》を見るのに苦労するなどということはまったくなかった。  近代美術館にいたっては、いつ行ってもがらんとして、ほとんど人気がないという有様である。しかもその数少ない観客の大部分は、専門の研究者か外国からの観光客で、一般のパリ市民は美術館とは無縁という人々が少なくなかった。特に現代芸術は「わけがわからない」といって、最初から敬遠されていたのである。  ポンピドゥー・センターの設立は、このようないわば閉ざされた文化状況に大きな風穴をあけるために構想された。それは、現代芸術の豊かな成果を、さらに言えばこれまでに蓄積されてきた人類の知的遺産を、かぎられたごく一部のエリート層から広く一般大衆に開放しようというものである。内部の空間構成や各種の配管設備などがすべて丸見えの全面ガラス張りのその建物は、外部にむき出しのかたちでつけられた上昇する巨竜のようなエスカレーターとともに、まさしく開かれた存在としてのこの施設の意味を象徴的に示していると言ってよい。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「国際設計競技の結果、選ばれたのはイタリア人のレンゾ・ピアノとイギリス人のリチャード・ロジャースのチームであった。このことはフランス人をかなり驚かせたらしい。しかもそれに続いて、国立近代美術館の館長にスウェーデン人のポンテュス・フルテンが就任したことは、さらに大きな反響を呼び起こした。フランスの国家的事業でありながらなぜ外国人ばかり登用するのかという批判が新聞を賑わせたのも、一度や二度ではない。だがそのような一国中心の枠を越えたところに現代美術の活力があり、芸術家たちの活躍の場があるということを示すのが、まさしくポンピドゥー・センターの狙いであった。  事実、現代では、芸術家たちは国境を越えて自由にその活動の舞台を拡げ、ひとつの町に生まれた芸術運動はただちに他の主要都市に波及する。ポンピドゥー・センターが、アメリカを第二の故郷として選んだマルセル・デュシャンに捧げる展覧会で幕をあげた後、「パリ‐ニューヨーク」、「パリ‐ベルリン」、「パリ‐モスクワ」と相次いで大がかりな都市シリーズ展を開催したのも、このようなグローバル化の情況をはっきりと見据えていたからに他ならない。先に触れた「前衛芸術の日本  一九一〇─一九七〇」展も同様の国際化志向による企画であることは言うまでもない。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著

「このように見てくると、現代世界は多くの点でバロック世界と共通するものがあることに気づく。ポンピドゥー・センターが、当初のさまざまの批判にもかかわらず、一日平均二万人もの観客を集めるという予想外の成果を見せているのは、それがまさに時代の要請に応えるものだったからであろう。ポンピドゥー・センターのみならず、フランク・ゲーリーの設計になる不気味な未来都市のようなビルバオのグッゲンハイム美術館や、かつての火力発電所を大胆に改装したロンドンのテート近現代美術館(テート・モダン)が、人目を驚かす巨大さと、国境やジャンルの境界を越えた活動によって人気を集め、ヴェネツィアのビエンナーレ展やカッセルのドクメンタ展のような大がかりな国際的芸術の祝祭が多数の観客を惹きつけているのも、同様の理由によるものに違いない。現代はまさしく新しいバロックの時代なのである。  とすれば、建築、美術、音楽、演劇、文学など、さまざまの分野において、かつてのバロックが再び人々の熱い視線を浴びるようになったことも、少しも驚くにはあたらない。むしろ今こそ、過去のこの豊かな遺産を改めて見直し、その多彩な魅力を味わう絶好の機会と言ってよいであろう。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「「バロック」という言葉を聞いて、人はいったい何を連想するだろうか。音楽好きの人なら、よく知られたバロック音楽の作品、例えばヴィヴァルディの《四季》を思い浮かべるだろう。美術に関心があれば、カラヴァッジオとかルーベンスという名前を思い出すかもしれない。だが、何となく耳にしたことはあっても、詳しいことはわからないという人も少なくないであろう。そこで辞書の助けを借りることとする。この言葉は、たいていの国語辞典にのっている。例えば『大辞泉』(一九九五年版)を開くと、「一六世紀末から一八世紀に欧州で流行した芸術様式。均整と調和のとれたルネサンス様式に対し、自由な感動表現、動的で量感あふれる装飾形式が特色。同じ傾向の音楽・文学の様式をもいう」とある。基本的にはその通りだが、もう少し深く内容にはいり込むためには、言葉の出自を探る必要がある。実は「バロック」の語源についてはふたつの説があり、そのこと自体がバロック理解に大きく役立つものなのである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「もともとフランスは、西ヨーロッパの中心とも言うべき絶好の場所を占め、東西南北の交通の要衝にあたっていたというその恵まれた地理的条件から、さまざまの影響を受け入れ易い状況にあった。ルネッサンスの時代に最も豊かな経済的発展を見せたのは、フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマなどのイタリア半島の主要都市国家と、ブリュージュ、アントウェルペンなど北方のネーデルラント地域であったが、この南北ふたつの先進地区のあいだの交流は、当然その中間に位置するフランスを通って行われた。その結果、北からも南からも優れた人材がフランスにやって来て足跡を残し、時にはそこに住みついて活躍することになった。実際、イタリアから多くの芸術家たちを積極的に招いたフランソワ一世の宮廷には、また、クルーエ一家のようなフランドル出身の画家たちも少なからずいて、肖像画や風景表現の面で注目すべき成果をあげていた。フォンテーヌブロー派が、一方でイタリアの完成された様式を取り入れながらも極端な綺想や人工性に溺れることなくつねに現実の世界に立ち戻り、また他方、北方の徹底した写実的表現を学びながらも理想的秩序への志向を失うことがなかったのは、そのためである。節度と抑制を本質とするフランス絵画の特色は、ここでもはっきりとうかがわれる。一説にはフィレンツェ出身の画家ルカ・ペンニの手になるとされる《狩人姿のディアナ》が、艶麗優美な女性像表現に加えて、ディアナと女神に従う犬とをごく狭い空間のなかに重ね合わせるというマニエリスム的構成を見せながら、少しも息苦しさを感じさせないのは、遠くに拡がる自然の背景のせいで、ここではフランドル派から学んだ風景表現が前景の窮屈な空間に対する有効な解毒剤の作用を果たしているのである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「マニエリスムは、その古典主義の理想化の手法を受け継いだと言ってよい。理想化は美化であり、洗練化であって、その追求は、いつしか現実離れのした人工性の極致に達した。ラファエロやティツィアーノにおいてはなお保たれていた現実と理想のバランスは崩れ、極端なまでの優美さが強調されるようになった。不自然なほどに引き伸ばされたマニエリスムの人体比例は、その結果として生まれてきたものである。  とすれば、マニエリスムに対する反発として登場してきたバロックが、現実性の回復を企てたのは当然のことである。その点においてバロックは古典主義の現実感覚と結びつくが、その現実世界を、理想化すべき不完全なものとは見做さず、むしろありのままの姿を再現することこそが重要だと考えた点で、古典主義の美学とは異なる。カラヴァッジオが「溺死体」のような聖母を描き、ベラスケスが老醜と言ってもよい老女の相貌を仮借なく描き出したのは、そのためである。  つまりそこには、理想化された世界よりも真実の世界を求めるという新しい美学が登場してきた。いやそれは「美学」という以上に、「信念」と言った方がよいかもしれない。レンブラントが、決して若いとは言えない女性の生身の肉体を繰り返し写生し、それを銅版画にまで仕立てているのも、同様の信念に基づくものであろう。例えば《座る裸婦》(エッチング)がその好例である。それは、ボッティチェリやティツィアーノの裸婦のように理想化されてはおらず、ましてマニエリスムの「優美さ」からは程遠い。しかし、そこにこそ本当の美がある、何故ならそれは真実の姿だから、とレンブラントは断固として主張しているのである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著

「光学研究の成果であるカメラ・オブスクーラ(暗箱カメラ)も、画家たちに大きな影響を与えた。ケプラーは、暗箱のなかに映し出された光景を写生しているが、それは、彼自身語っている通り、「画家としてではなく、数学者として」そうしたのだという。逆に「画家として」カメラ・オブスクーラを利用した一人に、オランダのフェルメールがいる。アムステルダムの国立美術館にある彼の《牛乳を注ぐ女》は、左側の窓から降り注ぐ光を受けて、卓上の籠、パン、鉢、女の手にする牛乳の壺などに宝石のような光の滴りが宿る模様を見事に描き出した名作だが、背後の壁に映るゆるやかな光の環や、ハイライトの部分のハレーションの表現がカメラ・オブスクーラの場合に見られる特徴と一致することから、フェルメールがこの当時最新の光学仕掛けを利用したことは間違いないと見られている。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「夜の星座から台所の平凡な什器類まで、画家たちの視線は「真実」の姿を求めて絶え間ない研究を続け、表現の世界を拡大させた。スペインにおいて形成された特殊なジャンルである「ボデゴン(静物画)」は、描かれる対象への興味よりも正確に再現することへの情熱が生み出したものと言えるであろう。スルバランの《壺のある静物》が静謐な力強さでわれわれに訴えかけてくるのも、その情熱の故なのである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著

「そのことは、芸術活動を経済的に支える社会のあり方と無縁ではない。絶対王政体制が保たれていたフランスやスペイン、あるいは教会や高位聖職者、地方の領主貴族の勢力が強かったイタリアにおいては、芸術のパトロンとしての上流市民階級が一部存在しなかったわけではないが、建築はもとより、絵画、彫刻を依頼し、芸術家を支援したのは、もっぱら宮廷、王侯貴族、教会等であり、当然、宮殿の装飾や聖堂内に設置する祭壇画にふさわしい神話画、宗教画などが求められた。しかしプロテスタントが主流であったため教会の力が弱く、しかも共和制国家であって宮廷を持たないオランダでは、芸術のパトロンとなったのは、もっぱら経済活動の担い手であった市民たちであり、絵画作品は、市民たちの住居を飾るために求められた。とすれば、堅実で現実感覚に富む市民階級の好みが、現実世界の種々相を映し出した風景画、静物画、風俗画などに向けられたのは、少しも驚くにはあたらないであろう。これらの新しいジャンルに対する需要がきわめて大きかったため、画家たちの方でも、ジャンルごとの専門分化が行われ、時には、同じ風景ジャンルのなかでも、都市風景だけの専門画家や、海景専門の画家、あるいは花ばかり描く画家といったような細分化すら見られたのである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「ランプも、ここでは「死」の象徴である。ランプが、というよりも、灯の消えたランプがそうである。よく見ると、画面のランプの火口からうっすらと白い煙がたちのぼっている。生命の灯が今ちょうど消えたことをそれは物語っている。つまり、ステーンウェイクの《ヴァニタス》の画面を支配しているのは、個々の事物の確固とした実在感にもかかわらず、それらすべてを否定する不気味な「死」の影なのである。その意味で、この作品は、中世以来の「メメント・モーリ(死を思え)」の系譜に連なるものと言うことができるであろう。  スペインの画家フアン・デ・バルデス・レアールの《虚栄の寓意》も、画面が一見雑然とした感じだが、基本的にはやはり死の影に支配された「ヴァニタス画」である。そこには、宝石や金貨などの富の象徴をはじめ、地上の権力を表わす王冠や王笏、知識と学問を意味する書物や定規など、この世の価値を示すさまざまなものが置かれているが、それらはすべて不気味な髑髏によって否定されている。その髑髏に橄欖の葉の冠がかぶされているのは、まさしく死の勝利の表現にほかならない。時計と灯の消えた蠟燭も登場している。それに加えて、髑髏の上にシャボン玉を吹く子供の姿が描かれていることが、画面の意図をいっそう明確に伝えてくれる。シャボン玉は、バロック時代に好んで取り上げられたモティーフで、「はかなさ」のシンボルだからである。そして画面の上の方では、天使が垂幕を開いているが、その奥に見えるのは「最後の審判」を描き出した絵である。「メメント・モーリ」のもつ宗教的意味が、ここではきわめて明確に図像化されているのである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「極度の激情表現を好んだバロック芸術は、苦悩の表現においても、忘れ難い崇高なイメージを生み出した。その最も優れた例のひとつは、現在アントウェルペンの大聖堂にあるルーベンスの三翼祭壇画《キリスト昇架》の中央パネルに描かれたキリストの姿であろう。すでに両手と両足を十字架に打ちつけられたキリストは、不安に満ちた眼差しで天を仰いでいる。粗暴なまでに荒々しい兵士たちによってこれから立てられようとする十字架が画面に大きく斜めに描かれているという不安定な構図が、犠牲者の苦悩をいっそう強調するかのように見える。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著

「バロック時代のヨーロッパにおいて、社会的、政治的に大きな力を持っていたのは、教会と王室と市民である。その勢力分布はむろん地域によって違う。教会はカトリック諸国で大きな権威があり、市民の力はオランダで特に強かった。王権が強大だったのは、フェリペ四世のスペインとルイ十四世のフランス、それにエリザベス一世からチャールズ一世までのイギリスである。この三つの国において、宮廷絵画が特に華やかであったのは驚くにはあたらない。  宮廷絵画は、当然政治的な役割を担わされている。人目を驚かすような派手な宮殿も、堂々とした肖像画も、単なる飾りや記録ではなく、国王の権威を称揚し、誇示するためのものであった。そのために、宮廷は優れた芸術家を招き、その才能にふさわしい処遇を与えた。宮廷絵画という制度は、かつては職人と同じように考えられていた画家の社会的地位を大きく向上させ、ルーベンスやヴァン・ダイクやベラスケスのような巨匠たちは、騎士の称号を得て貴族の仲間入りをするまでになったのである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「オランダと並んでこの時期、海外進出に大きな発展を見せたのはイギリスである。十六世紀のイギリスは、王位継承をめぐる争乱やカトリック派とプロテスタントの対立抗争による混乱が続いたが、エリザベス一世が登場してからは、国情も安定し、シェイクスピアなどが活躍する文芸隆盛の時代を迎えた。特に一五八八年、イギリス海軍がスペインの無敵艦隊を破って海上の覇権を得てからは、オランダと対立しながら海外貿易による繁栄の道を歩むようになる。十七世紀には、ピューリタン革命によって国王が処刑されるという政治的混乱も生じたが、市民社会は着実に成熟へと向かっていた。ローマ教会と絶縁したため宗教美術がすたれたこと、君主制と言ってもフランスのような絶対王政ではなく、議会の勢力が伝統的に強かったことなど、プロテスタント共和国オランダとよく似た状況にあったと言ってよい。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著

「美術の世界においても、このような状況は端的に表われている。バロック時代のオランダ絵画においては、壮大な祭壇画や宮殿装飾画はほとんど見られない。絵画は何よりもまず市民たちの住居を飾るものであり、したがってイタリア、フランス、スペインなどと比べて、個々の作品のサイズがそれ程大きくなく、しかも数が圧倒的に多いというのがその特徴である。大画面構成の作品と言えば、市庁舎、同業者組合や市民隊などの市民たちの組織の建物、あるいは養老院や救護院などの公共の社会施設を飾るためのもので、多くの場合、組織の幹部、理事者、主要メンバーの集団肖像画である。レンブラントの有名な《夜警》や、この分野で最も活躍したフランス・ハルスの《聖ゲオルギウス市民隊の幹部たちの宴会》などが、このジャンルの代表的なものとして挙げられるであろう。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著

「この種の「公共的」作品を別にすれば、この時期のオランダ絵画のほとんどは、普通の市民の家庭の壁にかけられるものであった。市民たちの芸術愛好熱は、しばしば外国からの訪問者を驚かせるほどのもので、あるイギリスの旅行者は、多くの家の、それも外からよく見える部屋に「高価な絵画作品」が飾られていることに驚嘆し、それのみならず、「肉屋やパン屋や、さらには鍛冶屋の店先にも」絵が並べられていた、と書き記している。実際、豊かな海産物や、何よりも活発な海外貿易によって蓄積された富は、イギリスにおけるように土地に向けられることはなく(土地の投資効果はきわめて低かった)、一時期のチューリップ投機熱に見られるように、珍品、奇物、そして芸術品へと流れ込んだのである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「例えば、七つの通りが出会う一画に忽然という感じで出現する「トレヴィの泉」のすぐ傍らを、ローマで最も賑やかな中心であるコルソ大通りが一直線に南北にのびている。その北端では、中央に大きなオベリスクの立つポポロ広場に突き当たる。このポポロ広場は、教皇シクストゥス五世の意向を受けてドメニコ・フォンターナが十六世紀末に整備したものだが、中央のコルソ大通りの左右にさらに、放射状に真っ直ぐの見通しをもった通りが造られた。海神ネプトゥヌスの三つ股の槍に譬えられる三叉路である。その左の方のバブイーノ通りを進むと、観光客で賑わうスペイン広場に出る。この広場から、壮麗なスペイン階段を登って、ローマの町を一望のもとに見渡せるピンチョの丘に立つと、トリニタ・デイ・モンティ聖堂が聳え、その前にやはりオベリスクが立つ。そこからまた一直線の見通しをもったシスティーナ通りを下ると、『即興詩人』に出てきたバルベリーニ広場と「トリトーネの泉」を通り、バルベリーニ宮殿の傍らを通って、遠くサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂前の広場のオベリスクに達する。その途中で、バロック建築の傑作、ボッロミーニのサン・カルロ・アッレ・クワトロ・フォンターネ聖堂の角を右に九〇度曲がると、クイリナーレ広場のオベリスクに至る。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「ヴェルサイユがこの時期にまったく新たに造り出された新興都市であるのに対し、中世以来の長い歴史をもつパリも、十七世紀に新しい相貌を呈するようになった。すでにアンリ四世の時代から、古い城壁を取り壊し、大街路(ブールヴァール)を整備して、明確な軸線を強調する町づくりが行われ、さらに町の中に核となる場所を造るための国王広場(現在のヴォージュ広場)の建設も試みられた。ルイ十四世の時代は、この伝統を受け継いで、ヴィクトワール広場、ルイ大王広場(現在のヴァンドーム広場)を新たに加え、広場周辺の建物を整備することによって、都市景観を秩序づける方向が定められた。この時期を代表する建造物としては、イタリア・バロックの影響が強いフランソワ・マンサールのヴァル・ド・グラース修道院聖堂や、その流れを汲みながらいっそう強く古典主義的な秩序感覚を見せるアルドゥアン゠マンサールのアンヴァリッド聖堂ドームなどがある。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著



「中央集権の絶対王政国家フランスと違って、数多くの王侯国に分裂していたドイツでは、それぞれの領主が権威の誇示のため競って宮殿や離宮の造営に力を入れたという事情もあって、ドイツ・ロココの宮殿建築は、洗練された優美軽快な表現よりも、豪奢なものへと向かう性向が強い。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著





「この時代、芸術活動の保護に見逃すことのできない役割を演じたのは、貴族や貴族の趣味に憧れる富裕な市民たちの邸館で行われた学者、文人、芸術家たちの集まり、いわゆる「サロン」である。その中心となったのは、優れた趣味と教養の持ち主である女主人で、そこでは、文学や芸術のさまざまな問題が論じられ、洗練された会話や機知に富んだ応酬が喜ばれた。この種の「サロン」は、豪華な内部装飾で飾られた広間を舞台として展開され、その女主人は自ずから芸術のパトロンとして貢献することになったが、その最も代表的な例は、ルイ十五世の寵姫でもあったポンパドゥール侯爵夫人であろう。もともと平民の出身である彼女が宮廷のなかで大きな勢力をもつに至るまで出世したのは、その傑出した美貌に加えて、哲学者や文人たちと対等に議論を交わしたり、自らオペラに出演したりデッサンを試みたりするだけの優れた知性と芸術的感性を具えていたからである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「 私は絵画界全体を大きくゆるがしたあの有名な論争のことを、今でもよく憶えている。一方にはデッサンを重んじて色彩の魅力を否定しようとする人々があり、他方には色彩に熱中して厳しいデッサンの美しさを軽蔑する人々がいた……。この華々しい絵画戦争において、一方の陣営はルーベンスの旗を掲げ、他方の陣営はプッサンの旗を掲げた。ルーベンスの支持者たちはプッサンに罵声を浴びせかけ、プッサンの崇拝者たちは、ルーベンスを侮蔑の念をこめて扱った……。  フランス絵画史の上で、ルーベンス派とプッサン派の争いとして知られる言論闘争がこれである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「彼ら二人の絵画表現の特質を理解するには、現在ではともにルーヴル美術館に収蔵されているルーベンスの「アンリ四世の神格化とマリー・ド・メディシスの摂政宣言」と、プッサンの《エリエゼルとリベカ》を比較してみるのが早道であろう。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著

「ルーベンスの作品では、人物たちは大袈裟な身振りを見せて複雑にからみ合い、画面では向かって左側の天上に運ばれるアンリ四世のグループが示すように、ダイナミックな動勢と斜めの方向性が支配的である。その国王の死を悲しむ画面手前の身体を大きくよじった半裸の女性とその足許に腰をおろして上を見上げる女性のポーズは、その動きの激しさと情動表現の強烈さにおいて、ルーベンスのバロック的特性を雄弁に物語っていよう。  それに対して、プッサンの作品においては、すべてが安定した静けさのなかで落ち着いた調和の世界を創り上げるのに参画している。人物たちはそれぞれ物語内容にふさわしいポーズを与えられているが、その動きは厳しく抑制されていて派手な身振りはほとんど見られない。しかも、その配置は画面に平行にほぼ同じ高さで左右に並ぶという水平性を強調したもので、そのことが構図の安定性に大きく寄与している。しかし何よりも特徴的なのは背景の建築構成で、そこにプッサンの厳しい秩序感覚がうかがえる。特に画面右手、リベカの右奥に見られるどっしりした角柱とその上に載せられた球体は、その幾何学的厳格さによって画面に君臨している。それは、ちょうど身をよじって嘆く女たちがルーベンスの画面の主調音を形成しているように、プッサンの構図の静謐な厳しさを凝縮して示しているのである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「プッサンとルーベンスという二人の巨匠の作品が示すこのように大きな差異は、単にデッサンか色彩かという技法上の問題だけではない。それは同時に、ふたつの異なった絵画観の表明であり、さらに言えばふたつの異なった精神世界の表われである。それは、今日の美術史的用語を用いるなら、古典主義的世界とバロック的世界と言うことができるであろう。プッサンその人は、内部に激しい情念を秘めた画家であり、これまでにも見たように、バロック的特質を示す作品も残しているが、《エリエゼルとリベカ》や《アルカディアの牧人たち》のような作品においては、その激情を強い意志の力で制御して時間を超越した永遠の理想世界を実現してみせた。プッサンの崇拝者たちにとっては、それこそが究極の絵画に他ならなかった。他方、ルーベンスに傾倒する画家たちの眼には、豊麗な色彩と激情の表出がもたらす劇的な昂揚感が絵画の生命と思われた。プッサン派とルーベンス派が、互いに相手を拒否して、真っ向から対立したのも、少しも不思議ではない。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「このようなふたつの異なった絵画観の対立抗争は、一世紀半ほど後に、新古典派とロマン派のあいだで再び繰り返されることとなった。この時の両派の代表はアングルとドラクロワである。  十九世紀中葉の時点において、この二人がフランス絵画界を代表する巨匠と見做されていたことは、一八五五年、パリでの最初の万国博覧会の際に、特に彼らにそれぞれ特別室が与えられたという事実によっても明らかである。そのことは同時に、両雄の対立をいっそう鮮明なかたちで世に示すことともなった。今日の眼から見れば、アングルの作品にもロマン派的性格が多々認められる等、その美術史的位置づけについては微妙な問題が残るが、少なくとも当時の人々にとっては、この二人は激しく対立する両派の領袖であった。学士院(アカデミー)の建物を背景に、中世の騎士よろしく一騎打ちの騎馬試合を闘わすアングルとドラクロワを描き出したベルタルのカリカチュアは、そのことをよく物語っている。はなはだ興味深いことに、このカリカチュアで両騎士が手にしている槍は、アングルの方は先端を尖らせたデッサン用のチョークであり、ドラクロワの方は絵具を含んだ絵筆である。つまり、ここでも、デッサンと色彩の対立が強調されている。さらに言えば、アングルは早くからアカデミーの会員に選ばれていたが、ドラクロワは度重なる立候補にもかかわらず、新古典派の会員たちに阻まれて、会員になったのはようやく晩年に至ってからであった。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


「本書は、一九九五年十二月から一九九九年七月にかけて刊行された小学館版『バッハ全集』全十五巻に「バロックの美術」として掲載された文章をまとめたものである。執筆は全集刊行の全期間にわたったが、当初からまとまったバロック論としての統一性を保つため、編集部とも相談の上、最初にまず全十五章の内容構成を定め、配本の順序にしたがって発表するという方法をとった。一冊にまとめるにあたっては、読者の便宜のため各章冒頭に簡単なリードを加え、本文に若干の補筆を施したほかは、ほぼ発表時のままである。ただし、序章の「バロックと現代」は今回新たに書き下ろした。本書が、きわめて多面的なバロック芸術の本質と魅力を理解する手引きとなれば幸いである。」

—『バロックの光と闇 (講談社学術文庫)』高階秀爾著


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2026年08月07日

Posted by ブクログ

この本ではダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロなどのルネッサンス全盛期の芸術とバロックは何が違うのか、どのようにしてバロックの技術が生まれてきたのかということがわかりやすく説かれます。

特に、この作品におけるベルニーニの解説はまさに珠玉です。これを読めばベルニーニ巡礼をしたくなること間違いなしです。

バロック芸術そのものだけではなく、その時代背景まで知れるこの作品はぜひぜひおすすめしたい逸品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

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2024年08月22日

Posted by ブクログ

バロック絵画は、作品のインパクトが強くて、「すごい!」とか「ああ、こういう場面ね」「うっとり・・・」とか、実物を見てわかった気になって満足してしまいがちで、それ以上深く考えなかったりしてしまいがちだったのだけれど、これを読んでずいぶん眼力が上がったように感じました。絵画彫刻だけじゃなくて、建築やそのほかいろいろ幅広いです。著者の教養には、いつも驚いてます。すてきです。

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2020年03月06日

Posted by ブクログ

17世紀ヨーロッパで流行した「歪んた真珠」が語源のバロック芸術を絵画、彫刻、建築と広範にわたって解説してくれる。教会、王家、市民など国によって芸術のパトロンが異なる故に幅広いジャンルの作品があるバロックの魅力が高階先生の美文と共に伝わる名著。本物を観に行きたくなること間違いなし!

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2026年04月18日

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