高階秀爾のレビュー一覧
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ネタバレ2024年に新しくエラスムスの本が出た事実を嬉しく思う。
●エラスムスと孤独とふるさとについて
「我、何者にも譲らず」というエラスムスの態度をあらためて格好良いなとおもう。
その一方で、私生児としてうまれ早くに両親をなくし結婚もせず、最後には新旧両派から敵視され友は遠ざかっていった様は、どうしても胸がくるしい気持ちになる。
ラテン語を自在にあやつりヨーロッパ各地を転々としたコスモポリタンとしての彼が最後にのこしたことばが「Lieve god」(愛する神よ)という故郷オランダの言葉だったことは、非常に示唆的である。
私生児として生まれた彼は、「デシデリウス・エラスムス」という名前さえ自分で付けた。その名前が父親の「ヘラルド」という名前をそれぞれギリシャ語とラテン語に訳したものであるという。また、彼が常に「"ロッテルダムの"デシデリウス・エラスムス」と名乗ったことを考えると、コスモポリタンたらんとした彼の根っこの部分にある、ふるさとという概念に対する憧憬を思わされる。
古典に対する愛も、こうした彼のふるさとに対する憧れの延長と見るのは考えすぎだろうか。憧れの気持ちは大いに膨らみ、しかし彼が長年のぞんだイタリアの地で見たのは、教会の堕落した姿だった。教皇が率先して戦いの先頭に立つような時代だった。
●微笑ましいエピソードについて
暗い晩年以前(正確には、ルターが95か条の論題を出す1517年以前)のエラスムスのエピソードはほほえましく思うものも多い。
ロレンツォ・ヴァラのラテン語をアルファベット順に並べたり、トマス・モアをあらん限りの言葉を尽くして長文で褒めちぎったり。
イタリア滞在時、当時のイタリアの質素で少ない料理が耐えられず、美食家のエラスムスはひとりで食事していたそうだ。微笑ましいが、人好きなエラスムスをおもうとすこし切ない。
またイタリアといえば食事が美味しいという思い込みがあったので驚いた。エラスムスはむしろモアやジョン・コレットと出会ったイギリスの料理を褒めちぎっている。これは本当にイギリス料理が美味しかったのか、エラスムスの主観が多分に入っているのかはよく分からない。
●その他
あの有名な「パンドラの箱」という言葉がまさかエラスムスの誤訳だったとは、なんだか感慨深い気持ちにもなる。元は「パンドラの壺」だとか。
その他、15世紀末には1500年というひとつの大きな区切りの近づきを目前として、終末感がひろくヨーロッパに漂っていたという。 -
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第I巻の15作品は、1434年のヤン・ファン・アイクの作品から1863年のエドゥアール・マネまでの約400年を駆け抜けてきたのに対し、第II巻の14作品は、印象派のモネから始まって造形主義や抽象画に大きく移り変わっていく、わずか100年足らずの絵画の変遷を追っています。
現代人の多くにとって魅力的で絵画として「完成」しているように感じる印象主義が、絵画としてどのような限界を抱えているのか、そして画家たちがそこからどう脱却して(あるいはそれを極めて)いったのかが分かりやすく解説されています。以前、国立西洋美術館で開催されていた「キュビズム展」と扱われている時代が同じで、おさらいする気分で読むことができました。
まるで小説を読んでいるような、筆者の豊かな表現力はこの第II巻でも健在です。
―モネの「パラソルをさす女」は、印象派の技法による人物表現のいわばぎりぎりの限界であった。色彩分割をさらにおし進めていけば、モネの人物は光の波に溺れて溶解してしまうであろう。 -
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「西洋美術史入門」の本というにはあまりにも高度で深い解説。取り上げられている15点の絵画は有名なものばかりですが、絵画の技法のみならず、神話、歴史、哲学、宗教や音楽に至るまで様々な視点から論じられていて、まさに「絵画とは全人間的な精神活動(あとがきより)」と感じさせられます。絵について論じる著者のことばの選び方と表現力には舌を巻いて感嘆するばかりでした。絵画の知識を得るだけでなく、文学作品のように読みごたえもある1冊です。
―「オランピア」には、今にも崩れ去ろうとする壮麗な建築を最後の一点で辛うじて支えているような緊張感と不安感とがある。 -
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本書は15世紀後半から16世紀初頭のイタリア(特にフィレンツェ)に焦点を当てて、その時代の代表的な美術作品から見て取れるルネサンス時代の精神風土を分析した本になります。題名にもありますように、ルネサンスとは明るい側面だけではないこと、確かに強い光はあるが、その裏側には強い闇も存在しているということが本書(上巻)を通じて主張されます。さらに、「ルネサンスとは宗教からの人間の解放だ」という主張に対しては、それが間違っていること、むしろ古代ギリシャ思想がキリスト教と融合したことこそがルネサンス文化の本質である、という旨が主張されています。
本書によれば、ルネサンス時代の闇とは、終末期思想、あるいは死などへの恐怖であります。20世紀末のノストラダムスの大予言のように、世紀の変わり目には終末期思想が登場しますが、これは500年単位でも起こりうる。そして西暦1500年を迎えるイタリアでは、サヴォナローラという修道僧が終末期思想を説いて回り、これは芸術家や思想家を含む多くのイタリア人に大きな影響を与えたわけです(熱狂的なシンパになる人もいればアンチ派も登場する)。
光の側面としては、ユマニスト(人文主義者)、あるいはネオ・プラトニズム(新プラトン派)の登場が挙げられます。その旗頭となる人物はマルシリオ・フィチーノで、彼はプラトンの著作を復活させますが、ネオ・プラトニズムの思想が最も如実に表れるのが、ユマニストの影響を強く受けた貴族が画家に委託して描かせた絵画作品である。ということで、15世紀末から16世紀にかけての、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリなどの絵画作品を通じて、古代ギリシャ時代の思想とキリスト教の融合が本書の中で議論されます。
個人的に興味深かったのは、ネオ・プラトニズムによって古代から持ってこられた「四性論」そして「美」と「愛」の関係性です。四性論とは、人間の性格を冷・熱、そして乾・湿で2×2=4つの性格があるとする考え方で、たとえば、「冷・乾」つまりドライ(乾)で冷たい人間は「憂鬱質(メランコリア)」と称され、典型的にはロダンの「考える人」のように肘掛けをして顎を手で支えるようなしぐさで象徴されるとのことです。西洋美術の素人である私にとっては、このあたり今後絵画を見る際に気を付けようと思いました。また美と愛の関係性は「三美神」に象徴されているとのことですが、個人的にはマルセル・モースの贈与論に記載されている3つの義務(与える義務、受け取る義務、返礼する義務)との類似性を感じ興味深く読みました。また全般的に、ネオ・プラトニズムの世界観と、空海が日本に輸入した密教の世界観に共通項があるような印象を持ち、そのあたり深堀してみたい気になりました。本書は絵画の素人であっても謎解き感覚で読み進められる本ですし、ルネッサンス期における思想についても断片を学べるという意味で知的好奇心を刺激される本でした。