古谷経衡のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
第1章 陰謀論と排外主義の現在地(黒猫ドラネコ)
第2章 「熱狂」を生み出す仕掛け(山崎リュウキチ)
第3章 近代に取り残された人々(古谷経衡)
第4章 カルトと陰謀論・排外主義の結節点(藤倉善郎)
第5章 選挙の現場を侵食する陰謀論と排外主義(選挙ウォッチャーちだい)
第6章 電車男の代替現実~「名無しのQ」とは誰だったのか(清義明)
第7章 癒やしの日の丸(菅野完)
古谷経衡,菅野完はメジャーだが、あとの5人はそんな知られてない、
はずだが、わたしはなぜか黒猫ドラネコさんと選挙ウォッチャーちだいさんは
知っている。どちらもpodcast経由。
ちだいさんは「西谷文和 路上のラジオ」に頻繁に登場。N国を徹底的に暴く。
ドラネコさんはTBSラジオ「荻上チキセッション」「プチ鹿島 赤坂タイムス」に登場。
ラジオやpodcastはニッチな世界を広げてくれる。
そうした7人が語るのは、主に日本の陰謀論&排外主義。
N国、日本保守党、参政党、ついでに自民党。
海外はQアノン。
反ワクチン反ソーラーパネルはまだかわいい。
これが中国クルドアイヌと排外主義になってしまうとたちが悪い。
少し前まではそんなことを騒いでも、それこそマイナーで終わったのが、
いまや選挙でトップ当選するようになってしまった。
オウム真理教や幸福実現党だって、騒いではいたが選挙には勝てなかった。
それが今や、参政党は二けた議員を有する政党にのし上がってしまった。
7人の論を読んで思ったのは、
失礼を承知で言えば、
彼ら彼女らはこの日本にずっと昔からいたひとたちだ、ということ。
ここ10年にわかに増えたわけではない。
こういうものの考え方をする人は古来からいたのだ。
こういう考え方、とは、狭い社会だけで生きている人、ということ。
言葉を選ばずに言えば、「田舎者」なのだ。そう「」つきの。
地方に住む人、という意味ではない。
狭い自分の世界しか知らない人、知ろうとしない人、という意味で言っている。
地方にいたってそうでない人は大勢いる。
逆に都会に住んでいても「田舎者」はいる。社会的な田舎者だ。
つまり会社などの世界社会しか知らない人。会社の常識がすべての人。
そういう人は自分の知らないもの、未知のものは受け入れない。基本。
ただ、何かの拍子に自分の知識に会う新しい知識が来ると、
一気に染まってしまう。
誰の論だったか、「言葉がわからない外国人は怖い」
これはある意味当然のことだ。私も分かる。
何せ、何を言ってるかわからないのだから。
そして見てくれも違う。怖い。本能的にそう思う。
それはやむを得ない。
しかし、だからといって、それを排除する、ということは許されない。
ありもしない「移民ですぐ生活保護を受ける」「無法」というデマで
彼ら彼女らの人権をないがしろにすることは認められない。
そこに思いが至らないのだ。
ただ、、、昔はそういう人も害がなかった。
狭い社会だけで生きてきたからだ。
江戸時代は国自体閉ざしていたし、藩の往来もあまりなかった。
そもそも「日本」なんて概念がなかった。
それが明治維新で否が応でも「日本」を意識させられ、
さらにこの10年のネットワーク社会の浸透。
誰もが数十年前の大型コンピュータ並みのパワーを持つ「スマホ」を手にしてしまった。
情報は取り放題。(まだAI使い放題、とはいえないようだが)
その土壌が、「田舎者」を世に出すことになってしまった。
狭い社会で閉じているはずの田舎者が「日本」という概念を覚え、
かつ、同じ考えを持つものがそれなりにいることをSNSを通じて知ってしまった。
だから集まる。パワーになる。相乗効果で選挙でも声が通る。
某与党の党首までそれに乗って大勝ちする。
世も末だ。
そう、さきほど()付きで書いたが、
スマホがよりパワーを発揮し、AIがフル稼働すれば、これも治まる可能性はある。
主に寄り添うAIが、主の偏りを諭すどころか応援してしまったら最悪なのだが。
AIは情報すべてを見て判断するだろうから、陰謀論が多数派になったらそういうことになる。
ディストピアだ。
この新書を読んで、こんなことを考えた。 -
Posted by ブクログ
戦争という狂気の時代、なおも正気を保ち続け、暗愚な上官や中央の命令に最後まで抗い、手持ちの資源しか使えないという厳しい制約の中で、精神主義や非科学に傾倒することなく、合理的精神を貫いた不屈の指揮官たちの話。
著者の「激戦地を歩く」を読み、現地を直接見ることの重要性、人生観に感銘を受け読んでみた。
本書で取り上げていた、インパール作戦での佐藤幸徳、宮崎繁三郎。沖縄戦での八原博通。特攻を拒否した美濃部正。いかに理不尽な極限状態であっても、己の信念を貫き、合理的な決断を迷わず実行すること大切さ、教訓を戦争という歴史から学ぶことができた。
現代日本、理不尽な極限状態でなくとも己の信念を貫き、合理的な決断を迷わず実行することができる人はどれほどいるのか。自分自身に言い聞かせ、子どもに伝えていく必要があると考える。どのように実行して伝えていくのかが自らに課せられた宿題となった。 -
Posted by ブクログ
いかに今の日本の政治や社会に陰謀論が食いこんで来ているのかが分かる良本でした。
現状に警鐘を鳴らす役割を担ってくれるような一冊であり、衆院選に向けて読まれてほしい内容です。
山崎リュウキチさんの陰謀論・排外主義コミュニティやその運動を推し活・チャーチマーケティングの視点で読み解く章は、朝井リョウさんの話題作「イン・ザ・メガチャーチ」と通ずる話で読んでいて興味深く、とても面白かったです。(昨今の排外主義の蔓延や政治の極右化が深刻すぎて「面白かった〜」だけで済ませられない話ではあるんですけど…。)
また恥ずかしながらQアノンや反ワクチン、三浦春馬運動あたりのことをあまり知らなかったので、ここ数年で陰謀論が社会に大きく影響与えるようになりすぎている事実をその流れを辿りながら確認出来たのも良かったです。
陰謀論を吹聴して差別煽る団体と、それに感化された一般人による差別的言動が実社会に影響を及ぼすという今の状況って、本当にアメリカの後追いなんだなと納得がいきました。こんなことでしみじみしたくはなかったですが…。
それだけ陰謀論が大衆を惹き付けるのに有効であり、科学が発展したところで人の科学的思考が育まれるわけではないという大衆の弱点が突かれている現状を思い知らされました。自戒の意味も込めて、そのことを自覚していたいと思いますし、流れてくる情報に対して極力慎重でありたいです。 -
Posted by ブクログ
「万事見にゃわからん」
司馬遼太郎作品での坂本龍馬の言葉で私の好きな言葉のひとつであるが、まさに本作はそれを体現している。
フィリピン、サイパン、グアム、そしてインパール。平和の本質を考えるうえでも現地を見ることは今この情報社会において、特に意味を持つように思う。
表面的な情報は今世界中どこにいても、世界中の情報が手に入る。
しかし、自分の五感で感じることをせずにどこまで本質に近づけるか。
特に本書の中でのインパールの話は印象的だった。
当時作戦を指揮した牟田口中将は、なんとリーダーでありながらインパールや前線を一度も見ていないという。
改めてAI時代だからこそ現地を訪れて自分の目で確かめてみたい、そう思った。 -
Posted by ブクログ
暗澹たる気持ちになるが、「日本社会の現在地点」を知る上で、良書である。
「新しい戦前」とも言われる現在。
わたしが恐怖を感じているのは、無謀なアジア・太平洋戦争時において、国民の99.9%が、戦争に賛同、もしくは追随していたという事実だ。
戦争反対の声を上げた人々の記録は、限りなくゼロに近い。
彼ら、彼女らは、近隣から虐められ、職場から追放され、家族から見放されたであろう。
そして、警察にしょっ引かれ、女性にいたっては署内でレイプされたりしている。
冷静な判断で、正しい行動を行った、彼ら、彼女らこそ、現代のわたしたちが、感謝し尊敬すべき対象である。
そして、その「心の強さ」を学ばなければならない。
日本社会が、右傾化・全体主義化している現在。
高市発言以降、好戦的な反中言説が、マスメディアやSNS、井戸端会議に至るまで、驚くほど蔓延している。
その一般市民の姿勢が、どのような惨状を招くことになるのかを、歴史を振り返り、想像しているのか、甚だ疑問である。
いざ事が起きた時に、わたしは、本当に最後まで、自分の信念を守りきれるだろうか?
周囲に流されず、冷静に正しい反戦運動をする胆力があるだろうか?
正直に言って、自信がない。
自己保身と損得勘定により、社会の流れに身をまかせてしまうのではないか…、その事が不安であり、恐ろしいのだ。
第2章 認知科学的分析
山崎リュウキチ
⚫︎p.62 陰謀論は現実世界の出来事に対する「二次創作」であり、アブダクションの一つとみなすことができる。
アブダクション・プロジェクションといった、人間の言語獲得や創造性に関する話題で知った認知科学の用語が、「陰謀論」の話題で取り上げられるとは驚いた。
しかし考えてみれば、当たり前のことで、人間の思考形式が、人間社会のあり様を規定しているのだ。
第3章 近代化・科学的思考
古谷経衡
⚫︎p.82 排外主義は言ってみれば、究極の非科学的思考である。
⚫︎p.89 科学技術の発達と人々の科学的思考は比例しないのである。
⚫︎p.90 これに対する処方箋は、「それは信仰と名神だ」、と指摘し続けること以外にないに等しい。
陰謀論と排外主義への対策は、本書においても、明確には提示されない。
「対話」による解決も、不可能だとされる。
つまり、残念ながら、人間が人間である限り、「無い」のであろう……
しかし、本当に希望はないのだろうか?
第4章 カルトと陰謀論・排外主義の結節点
藤倉善郎
⚫︎2020年以降、陰謀論・排外主義の路上デモの中心にあったのは、サンクチュアリ教会・統一教会・幸福の科学という、カルト宗教だった。
⚫︎犬猿の仲であるはずだが、反中国という、胸中の差別感情を満足させるためになら、自然と同じデモを構成する。
⚫︎"インフルエンサー"的な、承認欲求を満たすたに、離合集散し続ける極右候補者たち。
⚫︎「三浦春馬の自殺」にさえ、「ニセ日本人の破壊工作」を結びつけて考える…まさに陰謀論者の思考形式。
カルト宗教と陰謀論者の親和性。
「宇宙人陰謀論」から「ワクチンへの忌避感」まで、グラデーションで繋がっており、離合集散を繰り返す。
その特徴を一言でいうと、残念だが、やはり「馬鹿」という他ない。
自分の違和感や、嫌いなものを、すべて関連づけて、ひとつの原因で語る。
「世界の複雑さ」に耐えられなくて、安易な「答え」に飛びつく。
その「答え」は、実は、心の底に澱んだ差別感情の発露である。
第5章 選挙の現場
選挙ウォッチャーちだい
⚫︎p.154 「普通の主婦の立場で、外国人が怖い」…理屈がなくても「女性や母親が恐怖を感じることに罪はないはずだ」というロジックを組み、平然と差別を繰り広げる。
これが、一般の日本社会に蔓延している排外主義の、もっとも根底にある率直な心情ではなかろうか?
この主張に対応するのは難しい。
特に、家族や恋人、友人などが、コレを口にした時、どう答えるべきなのかは、極めて難しい。
この"他者"への忌避感・想像力の欠如が、歴史的にどのような事態を招いてきたのか、頭で考えてほしいところである。
第6章 電車男とQアノン
清義明
⚫︎p.176 見ず知らずの者たちが、ある目的のために集まり、喜怒哀楽をいったん共にしながら、匿名掲示板の刹那を共有していくこと。それが「リアル」とされたのである。それはウソ(幻想)であったとしてもかまわない。
この記述に、もっとも本質的なものを感じる。
Qの"予言詩"を読み解くネット上の集まりは、高揚感に満たされていたのであろう。
それは、日本の陰謀論者の集会やデモにおいても、同様であろう。
第7章 なぜ日の丸を振るのか?
菅野完
非常に新鮮な論点であり、刺激的な論考であった。
坂口安吾が示したように、敗戦時の日本は、きっと、堕ちるところまで堕ちてしまえば、良かったのかもしれない。
地の底で、ニヒリズムを経由してからの、実存主義に至り、人権を最重要視する社会変革へ向かってアンガージェマンできたかもしれない。
構造的な問題に目を向けず、「心の持ちよう」という精神論で解決しようとするのは、日本社会において、戦前から現在まで続く悪癖ではないだろうか。
部活での体罰や、女性の家事労働負担、ブラック企業や、感動ポルノ……例を挙げればキリがない。
そのルーツを、「生長の家」だけで理解するのは、極端であるので、論旨を鵜呑みにはできないが、一般庶民に通底する倫理観に、戦後ずっと政権をとってきた自民党的な価値観が影響していることは、想像に難くない。
間違いなく新鮮な視点であった。
また、文章表現の巧みさにも、驚かされた。 -
Posted by ブクログ
最近よく出ているコメンテーター古谷 経衡氏、
何者なのかと思ってこの新書を読む。
学生時代にチャンネル桜でデビューした、「元右翼」らしい。
ただ、右翼仲間?の言説があまりにレベルが低く、他の人が言うことをうのみに
しているだけというのに嫌気がさして、抜け出して今日がある、ということのようだ
つまり彼は自分で考える頭がある。
シニア右翼にはそれがない、ということもあってか、シニア右翼を分析しつくしたの
がこの新書。
そもそも右翼、保守ってなに、という話から始まる。
皇室を愚弄するような発言を繰り返す右翼がいるが、それはありえない。エセ右翼。
親米保守。アメリカのぽちになって何が右翼、保守なものか。
そういう出発点がある。
しかしなぜシニアがここまで簡単に「右傾化」するか。
古谷はその背景に、スマホの普及を見る。
1990年代、カップラーでネットにつないでいた世代はネットのいい加減さを
知っている。うかつに信じない。
しかし、それを知らず、スマホで簡単にネットにつながった世代はそうではない。
それが今のシニアなのでは、という仮説だ。
アメリカのネトウヨ、Qアノンは若い人。日本と明らかに違う。
単純にネットの情報を信じたシニア。
日本は戦後きちんと戦争を清算しなかった。
中曽根などは旧陸軍でそれなりの地位を占めていた。
そんな彼が自己否定をせず、戦争責任を曖昧にした。
歴史の授業で近現代がないのはそのせい、、、
古谷の意見にほとんど合意する。
過去をきちんと見つめないから、歴史修正主義がはびこる。
反知性主義でいられる。
しかも今、シニアは無駄に元気だ。なかなか死なない。
ものの考えを変える一番いい方法は、世代が変わることだ、と読んだ。
まさに今そんな時代なのだろう。 -
Posted by ブクログ
ネトウヨはほぼほぼシニアである。と言われて一番なるほどと思ったのは、ネットでの彼らの相手に対する口の利き方だ。言ってる内容云々はともかく、最初から言葉使いが尊大で失礼な人が多いという印象がある。ネットの論戦相手は自分よりずっと年長者かも知れないのに、まるでそんな可能性などないかのように確信的にタメ口なのだ。それは若者がマナーに疎いからというのよりも、自分がシニアだから相手はたぶん年下のつもりで話しているという人が多いからと思うと腑に落ちる。なぜならそのぞんざいな態度にあまり悪意を感じない、無礼だけど悪気はない、という場合が多いからだ。社会経験が薄弱でネットリテラシーが低く、下品で反知性的な物言いが多いことから、従来は学歴の低い社会経験の浅い若者が中心と思われていたネトウヨだが、単純に20代と50歳以上の人口比、若くて50代、主力は60、70代の有名保守系論壇誌の読者層、何より著者がもともと保守業界でガチの論客で、その界隈の支持層がほとんどシニアであったことを経験的に知っているのがその根拠だそうだ。また、次に腑に落ちたのは、韓国人や中国人へのヘイトと女性蔑視の強度が、若い層のイメージにあまり感じなかったこと。これもシニアなら納得がいく。「LGBTは生産性がない」などという政治家の発言に、自分はLGBTに関心がないという人はいても、「よくぞ言った」と拍手喝采する若者というのはあまりにピンとこない。いったいネトウヨとは思想史においてどういうスタンスなのか、その自称保守思想はどこからやってきたのか。そもそもネトウヨは戦前の右翼とは別物で、天皇家に対しての態度がまるで違う。安倍元総理が「いずれは天皇に謝罪させる」という宗旨の統一教会とつながりがあったとわかった時、当然右翼なら激怒するかと思っていたら、激怒したのは一部の保守系の人で、ネトウヨ界隈ではほとんど反応がなかったことにどういうことなのか意味がわからなかった。本書は「ネトウヨ=シニア右翼≠本来の右翼」の構図を明らかにし、シニア右翼の成り立ちについて、シニア層が初期のネットのうさん臭さを体験していない、層としてはネットリテラシーが最も低い人たちで、現在のような動画がストレスフリーで楽しめるネット環境が整った時からネットに触れた人が大半であり、そこにたまたま大量に動画コンテンツを配信したのが右傾組織のチャンネルであったという状況を指摘する。そしてこのシニア化がなぜ日本に固有な現象なのか、その理由を戦後の日本が、戦争の起こった結果にのみ注視し、起こした原因についての総括を行わず、「民主主義、基本的人権」はなんとなくふんわりとらえていただけで、実はアメリカの反共政策の都合によって、A級戦犯を引き続き政財の指導者に据えた、要するに看板のつけかえを行っただけで実態は戦前の社会体制を引き継いでいるだけだからだと読み解く。言われてみれば、戦後民主主義の価値観の中で育ってきたはずの高度経済成長の主役である今のシニアたちの実際の基本的価値観は、終身雇用で年功序列で男尊女卑の、徹頭徹尾「組織>個人」というものだ。そしてその経済成長という輝かしい成功が、今凋落の一途をたどっているのが「何者かによって奪われているからだ」という、わかりやすい理屈にとびつき、韓国や中国に異様なまでに警戒し敵視する考えと親和していく。こうした思考の中から、現在のシニア右翼の正体が「無思慮型親米保守」という輪郭をまとって浮かび上がる。だから沖縄の基地反対者は反日であると考えているのである。本書ではそこまで書いていないが、私は彼らシニア右翼(ネトウヨ)が自分たちと対立するものになぜあそこまで逆上するのかを思う時、それは組織人間に殉じ日本を経済大国に押し上げた(それは紛れもない功績だが)自分たちのレゾンデートルが掛かっているからではないだろうか。「あなたがやっていることは全部間違いである」、と言われることには耐えられても、「あなたがやってきたことは全部間違っていた」と言われることには耐えられないからのように思うのだ。本書は戦争を起こしたことの総括をせず、民主主義をただなんとなく受け入れたままの日本では、次世代からもネトウヨが誕生するだろうと指摘する。そして基本的人権もよくわからない国民がSDGsという口当たりのよい標語にすがっていくことに危機感を訴える。他国(特に途上国)の人権の理解なしにSDGsなどありえないからだ。
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今までやけに肩に力が入ってからぶっていたり、露悪的になったりして不興を買っていたように思うが、初めて面白く、フラットに落ち着いて読めたように思う。
女政治家というくくりは少々炎上商法狙いというか、ポリコレ話題に乗っかった感があった。しかし、このくくり方をした理由も目的もとても腑に落ちたのだ。
単なる人物評を面白おかしく綴るだけでも一定のエンタメはキープできただろうに、あえて人物から派生する問題や歴史観、その思想の分析などに広げている点が実に時事批評として面白い。かつその論評は毎度の持ち芸の肩に力の入った、ある時は偏りも含めての持論を展開する。もちろんそれがおもしろいわけで、一般的な位置づけを語られたりしている万百の時事モノよりよっぽど読み甲斐があるというものだ。 -
Posted by ブクログ
「意識高い系」と「意識が高い」は違うと常々思っていたが、本書はその答えの一つを提示している。
要するに意識高い系は欲望(主に承認欲求)を隠しているのだ。
しかもその隠し方が雑で透けて見えるから不快なのだろう。
抽象的な大義を掲げ、本心を偽装し、中身のない言動を繰り返す人間はそこかしこで見かける。
なぜそんなことをするのか理解不能だったのだが、あれらも意識高い系と考えればしっくりくる。
本書では地元でいい思いをし土着した人々をリア充と定義している。
真のリア充は観測不能であるというのは面白いと思った。
自分たちが充実しているのは自明なので、やたらめったら自分たちの行動をSNSにアップしない。
真の強者は、強者であることをわざわざ言ったりしない。
だから意識高い系の行動は、リア充風の振る舞いをしているだけに過ぎず、幻想の真似という何の意味もないものになってしまっている。
結局は泥臭い努力でしか強者に成ることはできないという結論は頷かされた。
著者の私怨が入ってるとはいえ、人間の弱さ・浅ましさが認識できて面白かった。
研究とはいってもアンケートを取ったわけではないので(聞いても素直に答えないだろうが)、著者の経験や観測による推測が大部分になるのは注意。
あと、作風だからしょうがないのだが、文体が硬いので最初とっつきづらかった。 -
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佐藤優さんがなぜ東京地検特捜部に逮捕され、何の罪で有罪となったのか。近年多数の問題が明らかとなっているストーリーありきのいびつな刑事司法の犠牲者ではないのか…。
日本ではとかく「正しい」ことを歯に衣着せぬ表現で表明してしまうと嫌われる。「正しい」のにその表現方法が「攻撃的」だ(と感じられてしまう)と「正しい」ということまでも否定されてしまう。とても残念なことだと思う。
次世代を担う若手の古谷さんには、その「表現方法」の域で佐藤さんとは違うものを感じる。世間につぶされることなく私たちに「正しい」情報の発信と「多義的なものの見方」の必要性を問い続けてほしい。