あらすじ
戦争は、忘れられたとき、再び始まる。
その地を歩くことでしか見えない、悲劇の真実と平和の重さ。
第三次世界大戦前夜を生きる日本人へ。
太平洋戦争終結から80年。
戦争の記憶が継承されなくなったとき、悲劇は繰り返される。
死者200万人という最大の激戦地となったフィリピンのレイテ、マニラ。5万人が玉砕しながら「忘れられた島」となったサイパン。そして「失敗」の代名詞とされ続けるインパール――。
戦跡探訪をライフワークとする作家が、かつての悲劇の地を歩き、その記憶を掘り起こす。
なぜ戦争は起きるのか。
加害と被害が残した深い傷とは?
「第三次世界大戦前夜」に生きる私たちへ、平和への意志を問いかける。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
8月になると必ず戦争関係の書籍を手に取るようにしている。
NHKの「映像の世紀」も面白いが、日本に直接関わる記録を読むことにした。
今回は私と同世代である古谷さんの本を選んでみた。
本書でのポイントは主に以下2点と考えられる。
①過去の歴史を正しく理解しフィードバックしないと、同じ過ちを犯すリスクがあること。
②正しく理解するために、戦地を訪れるなど、定期的に思い出して、過去の記憶を身体に定着させること。
戦争を知らない世代である我々は、中学高校の修学旅行で広島・長崎・沖縄といった場所に行く機会が多い。幸い、当時は戦争経験者の方がご存命であり、直接話を聞けることも多かったのだが、申し訳ないことに、ほとんど忘れてしまっている。そのために、年に1回は思い出す機会が必要なのだろう。戦争アニメや映画を観ることも効果的である。
何のために激戦地を巡るのか?当時の人達が味わった辛い思い、地獄の体験を次世代に語り継ぐためには、少しでも疑似体験をする必要があり、筆者によると、その一環として激戦地を旅行することに意義があるとのこと。
日露戦争をギリギリ経験していない世代が、太平洋戦争を引き起こしたとの分析は興味深かった。日露戦争は、日本の国力を出し切った薄氷の勝利であり、当時の国力の限界を知っていれば、太平洋戦争は回避できたのかも知れない。日露戦争に対する冷静で定期的なフィードバックが為されず、精神論だけが先行し、インパール作戦のように愚かな判断が平気で下されていたのだろう。
筆者が訪れる場所として、主にフィリピンが紹介されている。ガイドブックに登場しない場所の解説や、フィリピン人の「赦すけど忘れない」戦争認識などが丁寧に説明されていた。また、ドゥテルテ大統領の出自と考え方も紹介され、決してトランプ大統領と政治的考え方が同じではないことも理解した。
激戦の果てに散った軍人達のエピソードや、南国の過酷な自然環境など、読み物としても楽しむことができた。
Posted by ブクログ
タイトルそのまま、現地を訪問してその身でもって、戦争の真実を伝えようとするスタイルの筆者、古谷経衡氏の著作である。前作「敗軍の名将」では、沖縄戦の八原博通参謀やインパール作戦の撤退戦を演じた宮崎繁三郎少将(その後中将)、特攻の美濃部少佐(戦後は航空自衛隊空将)など、個々の戦いに於いて負け戦の中でも名を馳せた名将を取りあげ、それら生き方や人生観が現代社会に於いても重要であることを教えてくれた。
本作品は、筆者が太平洋戦争の激戦地となった、フィリピンやサイパン、インパールを実際に訪問し、その身を持って当時の戦いの悲惨さや、平和な世に生きる我々に教訓を与える内容となっている。特に太平洋戦争を取り扱った書物の中でも(一部レイテ海戦を除き)あまり取りあげられる事の無いフィリピン戦について多くのページを割いている所に本書の面白さがある。太平洋戦争を通じて日本が侵略を続けたアジアの国々。戦後も長きにわたり侵略国日本に対する厳しい態度をとり続ける国が多い中、フィリピンが親日国となった理由などを理解するのに役立つ。激戦地としての知名度で言えば、沖縄戦や硫黄島、そして本書でも取り上げるサイパンやインパールを思い浮かべるが、フィリピンは日本兵の死者数だけ見れば50万人と、他を圧倒する多さである。にも関わらずこれまであまり取り上げられてこなかった彼の地を、筆者は国内線を乗り継ぎながら戦跡を辿り続ける。そこにあった日本に対する現地の人々の感情、そして今なお残る戦争の記憶は、現地を訪問して、直に人々から話を聞いたり自分で体験しなければ見えてこない。本書を通して筆者が伝えたい部分はまさにそこにある。戦争を経験せず、映像や書籍だけから、さも知ったように述べられる薄っぺらな平和。太平洋戦争(現代風に言うならアジア•太平洋戦争)を歴史の授業では外郭しか教わらず、二度と起こしてはならない教訓にしようにも、具体的に何が悪く何を反省すべきかは解らない。ただ中身の無い平和を謳っても、平和の意味すら理解できず、求める平和の姿が見えてこないだろう。筆者が訴えたい事はそこに尽きる。そして様々な戦地を訪問し、筆者自らが体や脳で感じ、理解した言葉や感覚、その戦いがどのような経緯を辿ったかについて、交互に述べていくスタイルは、正に筆者と同じ擬似体験をしながら学んでいくという形で我々の心にすっと入ってくる。
サイパンのバンザイクリフで結婚式を挙げるカップル、その背後には絶望の中で無言で飛び降りた崖。現代の自動車でさえ走行が難しく、高地の寒さに打ちひしがれるインパールへの道のり。それは当時と姿を変えず全く未舗装の街道が続く。そしてグアムで辿り着く事のできなかった横井庄一さんの暮らした洞窟。フィリピンの人々にとってのマッカーサーや日本軍に対する想い。いずれも我々が様々な書籍から得た知識からのみ描いたイメージを少しずつ修正し、場合によっては全く違ったものに変える。仮に本書を読んだとしても、自身が激戦地を直接訪れた訳ではないから、それすら他人(筆者)のものに過ぎないかもしれない。だが、それに気付き、自らが体験し、見聞きする事に物事の本質に迫る近道がある事を本書は(筆者は)教えようとしているのだろう。
本書終章だけでも読む価値は充分あると思う。ただしその終章に辿り着くまでの、筆者と共にする擬似対経験こそが非常に重要で、かつ終章で述べられる筆者の思いをより強く認識させる回り道なのではないだろうか。是非本書を手に取り本当の意味で忘れてはならない、失ってはならない「平和」について考えてみては如何だろうか。