SECIモデルの復習。
第1章 知識から知恵へ
藤野はプラグマティストに徹することで、ホンダジェットの夢を実現させた。藤野の仕事の仕方はいろいろな表現で言い表されている―粘り強い、実際的、現実的、行動志向、細部重視―が、それらすべてが指し示しているのは、「いま・ここ」での遂行力である。
第2章 知識実践の土台
知識実践の起源は、アリストテレスによる知識の三分類の一つであるフロネシスにあると、われわれは考えている。『二コマコス倫理学』第六巻第五章の定義によれば、フロネシス(実践知、賢慮)とは「人間にとってよいことか、悪いことかに基づいて行動できる、真に分別の備わった状態」とされる。
ネルソンとウィンターがとりわけ強調したのは、「実習」の大切さである。二人は次のように書いている。「組織は『行動によって記憶する』。(中略)記憶するということは主に実習を通じて成し遂げられる。書かれたものをどれほど読んでも、完全に記憶することはできない」
「実践によって記憶する」ためには、ルーティンとサブルーティンを絶えず繰り返すことで、学習を促進し、組織的知識を利用することが欠かせないと、二人は説く。行動によっても、組織は文脈に応じた知識を学び、記憶することができるという。そのような文脈に応じた習慣的な行動をすべて足し合わせたものが、ネルソンとウィンターのいう「組織的知識」、われわれの言葉でいえば「組織的知識実践」になる。
■まとめ
本章では本書で説く知識実践の土台となった哲学、心理学、神経科学、社会科学の各分野の知見を吟味した。以下に要点をまとめておこう。
・知識実践は古代ギリシャ哲学の大きなテーマの一つだった。そのことはアリストテレスがエピステーメー(科学的な知識)やテクネー(技術的な知識)と対照的な概念として、フロネシス(実践知)という概念を用いていたことからわかる。
・知識実践は以来、ほとんど無視されてきたと考えられているが、多くの哲学者の主要な関心事であり続けたこともまた事実である。そのことはエトムント・フッサール、マルティン・ハイデガー、モーリス・メルロ=ポンティなどの現象学者、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェイムズ、ジョン・デューイなどの米国のプラグマティスト の著作からうかがえる。それらの思想家たちは、われわれが世界についての「本当」の知識をどのように得るのかを解き明かそうとした。彼らの考えでは、世界とは、現在進行中の特定の状況と密接に結びついたものだった。また、そのような知識は本質的に主観的なものであるとされた。
・マイケル・ポランニーも独自の言葉でそれと似たようなフレームワークを考え、人間が物事をどう理解するかや、いかに実践的な知識を獲得するかを解き明かした。明確な目的意識が、人と環境との相互作用を導き、ひいては、われわれが何を知るか、何に基づいて行動するかを左右するという。
・ポランニーによれば、人間は身の回りの世界に関する暗黙知を蓄積するとともに、それをひとまとまりのものとして理解できるよう統合する。知識がどのように統合されるかは、目的に基づいた意識的な考えによって決まる。
・近年の脳科学研究による発見では、人と人との直接的でダイナミックな交流があらゆる知識の源泉であるという考えが支持されている。
・加えて、社会科学の研究では、実践的な知識が個人レベルだけではなく、組織レベルでも獲得され、活用されうることが示されている。
・組織の共通の目的を保つためには、共通善の追求を組織の活動の中心に据えることが要に なる。共通の目的を保つことで、環境と直に向き合おうとするメンバーの足並みを揃えることができ、メンバー全員に積極的に目的の実現に取り組ませることができる。
第3章 知識創造と知識実践のモデル
■まとめ
本章では、知識の創造・実践モデルの事例として、JALの再建、シマノの六〇年に及ぶ実践、エーザイの認知症とアルツハイマー病への取組みの三例を紹介した。そこで描き出されたSECIの複数のサイクルによって、われわれが本章で提示した知識創造と知識実践の概念モデル、すなわちアップデートされた新しいSECIモデルとSECIスパイラルモデルについての理解を深めていただけたのではないかと思う。
知識の創造と実践に関して、三社の事例で観察されたのは、以下のようなことだった。
・知識は時間をかけて、繰り返し絶え間なく創造され、増幅され、実践される。
・その結果、SECIのサイクルが一巡するたび、知識ベースが水平方向に広がる。
・知識ベースが水平方向に広がると、部や課や室といった部署の垣根を超えて、知識の創造と実践に携わる個人が増える。
・加えて、SECIが次のサイクルに進むたび、知識は存在論的次元でもスパイラルに上昇する。
・その結果、知識ベースは時間をかけて次第に垂直方向にも広がる。
・知識ベースが垂直方向に広がるにつれ、個人によって創造・実践された知識は、「相互作用のコミュニティ」によって増幅される。相互作用のコミュニティは組織内、組織間の境 界を超えて拡大し、コミュニティレベルないし社会レベルへと上昇する。
・ある存在論的な次元で創造された知識が一段高い存在論的な次元へ上昇する(たとえば、組織レベルからコミュニティレベルへ)につれ、知識実践の規模と質は増幅され、さらなる行動が引き出される。
・知識のスパイラルな上昇のためには、新参者にいつも開かれている知識の実践者のコミュニティが組織内に必要になる。
・そのような開かれた知識の実践者のコミュニティでは、メンバーは「相互主観性の関係」 でつながっている。相互主観性の関係にある者同士は、気分や、感情や、視点を共有して おり、直観的に文脈を理解できる。
・相互主観性の関係でつながった知識の実践者のコミュニティは、持続的にイノベーションを生み出し、組織の回復力を強くする。
・知識創造・実践企業におけるリーダーの役割は、信念や、哲学や、価値観を掲げるとともに、従業員が率先して、また安心して、自分の知識を口にし、みんなと共有しようとする環境を築くことにある。
・知識のスパイラルな上昇のためには、知識の実践者たちが「高次の目的」を持つことも求められる。
・そのような目的をもたらすフロネシスが、SECIスパイラルの原動力になる。
・フロネシスの要をなすのは、組織の利益だけを追い求めない、「共通善」の追求である。
・多くの企業がSECIプロセスのスパイラルな上昇が滞ってしまう、「SECI行き詰まり症候群」に陥るのは、上昇の原動力であるフロネシスを欠くからである。
・SECIスパイラルのプロセスには、組織が単に環境の変化に対処するだけではなく、「自分たちが思い描く未来を実現する」という目的の下、絶えず自己革新を繰り返すプロセスが描き出されている。
・たとえば、エーザイの場合、アリセプトの研究開発チームのリーダー、杉本八郎の母親が、 見舞いに来た杉本を自分の息子だと認識できるようになるという未来が思い描かれている。
これで本書の第I部を締めくくる。第I部では、われわれの考えや研究が前著の刊行から約 二五年の間にどのように発展し、進化したかを述べた。われわれの理論的な土台は、元のモデ ルに存在論的な次元を組み入れることで深まり、知識の上に知恵の層を足すことで広がった。 知識だけでは、「よい行動」は起こせない。知識を「よい行動」に結びつけるためには、フロ ネシス、すなわち実践知が必要になる。
第Ⅱ部では、理論から実践へと移り、リーダーシップの六つの実践について一つずつ論じる。 われわれの考えでは、それらの実践こそがワイズリーダーの最大の特徴をなしている。
・何が善かを判断する(第4章)
・本質をつかむ(第5章)
・「場」を創出する(第6章)
・本質を伝える(第7章)
・政治力を行使する(第8章)
・社員の実践知を育む(第9章)
第4章 何が善かを判断する
本章では、広い範囲のさまざまなCEOやリーダーを取り上げた。東洋(本田宗一郎、吉田忠
雄)と西洋(サム・ウォルトン、ウォルト・ディズニー)、起業家(柳井正)と九代目のCEO(木川眞)、親会社(福井威夫)と子会社(渡辺博美)、長老(稲盛和夫)と若手(横山正直)、単一事業(藤野道格)と多角化経営(飯島彰己)、米国での合弁事業(内藤晴夫)と日本での合弁事業(小林陽太郎)。
これらのリーダーに共通するのは、自社や社会にとって何がよいことかを判断する能力に秀でていることである。彼らの優れた判断の拠り所となる目的と価値観が、組織内を言わば「下降」して隅々に行き渡ることで、組織はスパイラルに「上昇」する。これらのワイズリーダーたちが認識しているように、ミドルマネジャーと現場の社員もまた、組織内での善についての判断を支えている、その会社のワイズリーダーなのである。
第5章 本質をつかむ
本田宗一郎によれば、本質を理解するためには心が大切だという。宗一郎はホンダを引退後、 ホンダインターナショナルテクニカルスクール(HITS)の校長に就任した。その校長としての最後のスピーチの中で、自動車の修理という至って単純な事柄の本質を説くことを通じて、 自身の哲学と、他者の心に寄り添うことの大切さを語っている。
「私が十代の頃、自動車の修理をやっていて初めてわかったのは、自動車の修理という仕事は、単に自動車を直すだけでは駄目なのだということだった。そこに心理的要素がなければならぬことに気がついたのである。
車を壊したお客さんは、修理工場へ来たり、電話で連絡してきたりするまで、さんざん苦労し、憤慨し、動揺しているのが普通である。機械も壊れているが、お客の心も壊れている。(中略)
だから、修理を終えて、『これで、直りました』と言っても、なかなか素直には通じない。(中略) 直りました、だけでは、車は直ってもお客の心までは治せない。いかに相手に納得してもらい、安心してもらうかが問題である。いったいに仕事上の親切というのは、相手を納得させることに尽きるのではないだろうか。(中略)
もう、今日では、車を直す技術に、そんな大きな違いはない。悪いところを取り替えればよい時代である。それなのに、お客に信頼される人とそうでない人がいる、カネとモノのやり取りで、そこに人間が存在しないような、心さびしい世の中になっていけばいくほど、そういう親切が重みを持ってくるのである。 私が校長をしているHITSの若い学生諸君にも話すことである。君たちは、相手の人の心を理解する人間になってくれ。それが哲学だ。哲学というのは、小難しい理屈でも何でもない。机上の空論ではないのである。
たとえば、自動車修理の仕事に従事して、お客さんと接したとき、車を直したうえで、その人の不安や怒りを取り除いてやることができたら、それは素晴らしいことである。親切という形で、そういう生きた哲学を使える人になってほしい」
宗一郎に言わせれば、優秀なエンジニアと凡庸なエンジニアの違いは、顧客の心に寄り添えるかどうか、顧客に対して共感できるかどうかにある。人の気持ちを理解できるエンジニアは、修理の背後にあるものを見抜け、ひいては顧客の信頼を獲得できる。
■まとめ
本書の第Ⅱ部の冒頭で指摘したように、実践知によって人を率いるのは容易ではない。われわれが本書で一貫して述べているのは、自社と社会の両方にとっての善をなせ、ということである。本章では、本質をつかむためにはAとBを二つながら、めざさなくてはいけないことを論じた。何が善であるかを判断するためには、企業と社会の利益が重なる部分を見出すことが求められるが、本質をつかむためには二つ以上の根本的に相反することをしなくてはならない。
・「頭」と「手」を使う。
・「細部への注意」と「全体像」の両方を大事にする。
・「粘り強く」なおかつ「素早く」動く。
・「普遍」と「個別」の両方を追求する。
・「主観的な直観」と「客観的な知識」を組み合わせる。
・「シンプルさ」と「複雑な状況」の両方に対処する。
・「基本」に忠実であると同時に、「変化に適応」する。
・「ひらめき」と「努力」のどちらもおろそかにしない。
・「知らないことを知っている」ことと「知らないことを知らない」ことの両方の解決策を探る。
・「木」と「森」の両方を見る。
わかりにくい話に感じられるかもしれないが、ワイズリーダーには、本質をつかむため、深い根を張って、高みをめざすことが求められるのは間違いない。SECIスパイラル(第3の 図3-5を参照) の上昇を図りたいのであれば、下へ降りていき、組織の全員をかかわらせる必要がある。
最後に助言を一つ述べて、本章を締めくくりたい。それはAとBの両方を追求して、本質を つかむためには、デカルト的な心身の分裂に別れを告げたほうがよいということである。スキーをこよなく愛する筆者は、スキーの体験と本章の内容に驚くほどの類似点があると感じている。
以下に紹介するのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の米国の作家アレクサンダル・ヘモンが、『フォーチュン』誌に寄せた「スキー」という題のエッセイの一節である。ここには、その類似点が見事に描き出されている。
「私がスキーを愛するのは、瞬間的な即興のみで成り立っているスポーツだからだ。猛烈なスピード(たとえば、時速八○キロとか)で滑りながら、刻々と状況が変わる中(雪の形状と感触とか、こちらに迫ってくる木々とか、アイスバーンとか、微妙な傾斜の変化とか)、次々と正しい判断を下していかなくてはならない。しかも一度下した判断に訂正のチャンスはない。(中略)前もっていくつかのことは決めておける。しかし、絶えずその場での変更に備えていなくてはならない。あらゆることがどんどん変わるからだ。そういう流れの中にあっては、思案したり、分析したりしているひまはない。体と心の働きを完璧に一致させなくてはならない。そうなれば、デカルト的な心身の分裂にも別れを告げられる」
第6章 「場」を創出する
JALでの稲盛がそうだったように、ワイズリーダーは共感の能力に富み、他者の気持ちを想像することで「場」をうまく導ける。文脈の変化に対処するうえで、この共感と想像は重要である。ワイズリーダーはすみやかに、状況を読み取って、何を求められているかを理解し、それに適応しなくてはいけない。タイミングがすべてである。
■まとめ
本章では、いろいろな「場」があることを明らかにした。それらの「場」は、次のように大きく二つに分けることができる。
・非公式の「場」(酒席など)と社内の公式の「場」
・大きな「場」と小さな「場」
・社内の「場」と社外の「場」
・物理的な「場」と認知的な「場」
・直接顔を合わせる「場」とバーチャルな「場」
これらの「場」すべてに共通するのは、参加者が文脈を共有し、「いま・ここ」の人間関係を築き、相互交流を通じて新しい意味と洞察を獲得するということである。新しい意味と洞察が引き出されるためには、参加者同士の相互交流が適切な文脈で、適切な時に、適切な環境で行われなくてはならない。
「場」は知識の方程式の両辺、すなわち創造と実践のどちら側でも重要な役割を果たしている。創造の側についていうと、知識は真空からは生まれない。知識の創造には文脈、つまり、「場」が欠かせない。情報は文脈の中に置かれて初めて、解釈され、意味を持ち、知識になる。 知識創造のプロセスは、時と場所、それに他者との関係という文脈と切り離せない。
したがって「場」とは、共有された文脈のことだといえる。「場」の参加者たちは、その共有された文脈の中で、互いの主観的な視点や価値観を理解し、「いま・ここ」の関係を築き、 相互作用によって新しい意味と洞察を生み出そうとする。
また、「場」は動的なものともいえる。そこには絶えざる変化があるからである。参加者が常に出入りして、各自の文脈を「場」に持ち込み、他の参加者や環境と作用し合うことで、各自の文脈が変わり、「場」そのものの文脈が変わり、各自と環境や他者との関係が変わる。
方程式の右辺の知識実践についていうと、「場」は、知識を実践する人々のコミュニティを拡大させる原動力になる。知識の創造と実践が時間をかけて繰り返され、SECIスパイラル の存在論的な次元が上昇するとき、その上昇は「場」によって促進される。シマノやエーザイの事例で見たように、SECIスパイラルが上昇するほど、社内からも、他社からも、コミュニティからもSECIのプロセスにかかわる人が増える。
だから、個人にとっても、企業にとっても、そしてもちろん、社会にとっても有益な知識の実践が、SECIスパイラルによって可能になるのである。
第7章 本質を伝える
トヨタの元人事部長は次のように話している。「昇進できなかった人には、人間性のせいではなく、人数の制限のせいでやむをえずそうなったことを伝えます」。悪い結果を知らせるときには、相手をいたわり、希望を持たせることが大事だという。一方、昇進した社員に対しては「紙一重で落ちた」候補者がたくさんいることを告げる。これは驕りを戒めるためのメタファーである。
■まとめ
言うまでもなく、フロネシスはワイズリーダーに卓越した洞察力を与える。本質を見抜くためには、個別のことの中から普遍的な「真理」をつかみ取ることが求められる。普遍と個別をつなぐためには、主観的・直観的な考えを概念化して、みんなにわかる言葉にするとともに、意欲を掻き立てる野望やビジョンとしてそれを表現する能力が必要になる。
一方、本質を伝えるためには、メタファーと物語が役に立つ。なぜならメタファー(特にスポーツや子どものメタファー)は感情に働きかけることで(パトス)、物語は追体験によって、共感を引き出すからである。
また、本質を伝えるためには、豊かな想像力、中でも歴史的構想力を働かせなくてはならない。なぜなら、あるとき、ある場所で起こったことの背後に何があるかは、想像力を働かせることで初めて見えてくるからである。そのような想像力を育むためには、いろいろなジャンルの本を読み、心に残るスピーチからレトリックを学び、経歴の違うさまざまな人と会って、話をするとよい。
大事なのは、これらのことを習慣化することが、本質を伝える能力を磨く秘訣であるということである。
第8章 政治力を行使する
■まとめ
最後に、本章の中心をなす言葉、「政治力」に再び戻ろう。ワイズリーダーは部下を一つにまとめて、行動に駆り立てなくてはならない。その際、政治力を行使して、相反する目標を総合して、共通善を成し遂げることが求められる。ワイズリーダーはまた、マキャベリズムの手段も含め、それぞれの状況に適した手段を選んで、使わなくてはいけない。狡猾さが善をなすための助けになることもある。
「マキャベリズム」という言葉には、昔からさまざまな解釈がなされている。一番有名なのは、「目的は手段を正当化する」である。しかし、われわれが注目したのは、賢い君主の適応力である。前に述べたとおり、マキャベリの著書で描かれている賢い君主は、①目的を遂げる方法がいくつもあることを知り、②その中には安全なものと危険なものがあり、それは時期に左右されることを知り、③いつどの方法を選べばよいかを知っていた。つまり、知識は力の源泉になるということである。
ただし、力の源泉としての知識は脆弱であり、養ってやらなくてはならない。「脆弱」であるのは、今の世界では不測の事態~、人確かさや、複雑さや、創造的破壊が当たり前になっているからである。今の世界は途方もない速さで変化している。工業化の時代には、大きくて強いことが企業に力を与えた。現代においては、大は小に勝てず、強さは機敏さに勝てない。『9プリンシプルズ』で伊藤が指摘するように、既存勢力にとっての最大の脅威は「スタートアップ、変わり者、離脱者、無名の研究所など、最も小さいところからもたらされる」し、「もは強い者が生き残るとは限らない」。
速い者が勝ち、遅い者が負けるのが現代の世界である。賢い君主のように、ワイズリーダーは素早く状況の変化に適応するだけではなく、並外れて迅速に行動することも求められる。そのためには知識を養う必要がある。われわれは矛盾や、対立や、パラドックスが当たり前になった時代に生きている。だから弁証法や、ミドル・アップダウン・マネジメントや、肯定的な反抗という形で、多様な考え方を入れることが肝心になる。
変化の目まぐるしい矛盾に満ちたこの世界で、変わらないものが一つあるとすれば、それは共通善の大切さである。マキャベリの思想は、一面ではアリストテレスの思想にも通じている。前に触れたとおり、マキャベリは「高次の善に無関心だったわけではない」。手段の正当化は、あくまで道徳的な立場からのものだった。「道理に背いた行為が結果によって正当化されるとしたら、それは結果がよいもののときである。善は常に行為を正当化する」とマキャベリは書いている。変化の激しい今の世界を生き抜くため、ワイズリーダーの行動には、迅速さと善の両方が求められる。
第9章 社員の実践知を育む
■まとめ
今日の知識創造企業は明日のワイズカンパニーへと変わらなくてはならない。そのために は、新しいタイプのリーダーシップ(自律分散型リーダーシップ)、新しいタイプの創造的ルーティン(型)、新しいタイプの徒弟制度(守・破・離)、新しいタイプの経営哲学(「全員経営」)、新タイプの組織構造(ダイナミックなネットワーク型組織)、新しいタイプの戦略立案のアプローチ(インサイド・アウト)が必要である。
ここまでの議論で、ワイズカンパニーの輪郭がだいぶ明確になってきた。ワイズカンパニー とは、次のような企業のことをいう。
・社内のあらゆる層にワイズリーダーがいる企業。
・「悟空吹毛」のように、ワイズリーダーが後継者として絶えず育まれ、誕生している企業。
・フロネシスが経営幹部、ミドルマネジャー、現場の社員によって実践されている企業。 ・アメーバ経営やスクラムなどのシステムによって小さなチームの力を活用し、ダイナミッ
クさと俊敏さを保っている企業。
・ミドル・アップダウン・マネジメントや、「型」などの創造的ルーティンを通じて、自律 分散型リーダーシップを実現している企業。
・ヒエラルキーとネットワークの融合で、今の世界の複雑さや速さに適応している企業。 ・インサイド・アウトのアプローチで戦略を立案し、信念と理想主義的な現実主義に基づく
未来を思い描いている企業。
・社内のあらゆる層で実践知を育み、持続的なイノベーションと長寿を実現している企業。