山田和子のレビュー一覧
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ネタバレ久々にル・グゥインを読んだ。やっぱり大好き。
・オドレンの娘 墓に毎日そなえものをして復讐を約束する娘、日本のホラーっぽい。中盤、息子は母を責め、娘は母の愛人を責めるところがル・グゥイン節と感じた。
・火明かり すごく久しぶりにゲドに会った感じがした。彼がのびのびと旅立って行ったので、見送れて良かったと思った。
・講演など 「夜の言葉」などに収録されていて既読だったが、何回読んでも面白い。全てに納得するわけでもなく全てに同意するわけでもないが、面白い視点だと思う。文化基盤を異にする日本では特に(洋風)ファンタジーの影の部分は見えづらいので、この視点は覚えておきたいと思う。
※確かに欧米のファンタジーにはどちらかと言うと日本のホラーに近い風味がある気がする -
Posted by ブクログ
とても良い本だった。
ゲドと魔法の物語はもちろん、
エッセイも読みごたえ抜群。
ファンタジーは事実ではないが、
真実を語っている。
たしかにそこには、
現代の困難について直接的な言及はない。
課題は整理されておらず、
明確な解決策の提示はなしだ。
一方で、私たちが生きる上で
何となく感じるモヤモヤに対しては
モヤモヤとした形でヒントをくれる。
それを結びつけるのは当人自身で、
その気づきが靄を晴らす。
人が心に抱える課題は、
降ってきた答えををあてがっても
恐らく解決できない。
数学は素晴らしい学問だけど、
一問一答では片付かないのが人生。
そういえば数学自身も、学び進めると
曖昧さや終わらない計算が出てくるよね。
人生の問いもそれと似ていて、
経験を重ねれば簡単に解けるかと思いきや
選択肢や慮りが増えて、
答えを出すのが一層難しくなるなんて。
子どもには想像できまい。
私もいつも迷っているし、
今は物事を答えのないまま
受け止める力を強化しているところ。
選んだ答えが、
その人の個性と呼ばれるのかもしれない。
彼女自身がアースシーの探検家であるという
制作秘話的な話や
おとぎ話の記憶と絡めた
影についての言及も興味深かった。
影はやっつけるものでも、
無視するものでも
乗り越えるものですらなく、
すぐそばに連れて行くんだね。
影を否定される教育を受けながら、
ここに至るのはなかなか難しい。
仕事か恋愛か、はたまた小説か。
行く道々の出逢いで
自分の感受性と向き合いながら
アウトプットをどうするか、
何が欲しいか、真実は何か?
それを沢山考えることが
尊厳ある葦になるということなのだろう。
1巻を読んだのは数十年前。
忘れかけている物語を、
言葉を大事にしている彼女が書いた原文で
もう一度読んでみたいと思った。 -
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2018年に亡くなったアーシュラ・K・ル・グィンの没後に発表されたゲド戦記に連なる最後の作品である『火明かり』、未邦訳作品である『オドレンの娘』の2本の短編と、岩波現代文庫から出ている『夜の言葉』にも収録されている3本のエッセイや1992年にオックスフォード大学での講演の内容を収めた日本オリジナル編集のゲド戦記シリーズの最後を飾る7巻。
『オドレンの娘』はアースシーのオー島を治める領主一家の物語。
復讐物語ではあるのだが、神話的な悲劇性を感じる。領主夫妻の関係だったり、復讐をする姉弟のどちらを選ぶのかという部分や、その後も含めて神話っぽい感じがした。
この作品はあくまで未邦訳作品なので、最後に相応しいという感じではない。だがこうやってアースシー世界に連なる作品がまた読めるというのが嬉しい。
『火明かり』はゲド戦記の最後を飾る作品。
日本でこそ”ゲド戦記”とシリーズ名が付けられているが、本来はEarthsea UniverseもしくはEarthsea Cycleである。
そんなシリーズの最後をアーシュラ・K・ル・グィンはやはりゲドで物語を綴じた。
僅かなページ数で語られるゲドの人生の振り返りと、ゲドの最期が描かれている。
シリーズを一気に読んできた自分としては、ゲドが人生を振り返るように物語を振り返って、感慨深くなった。
ゲドの最期とは書いたが、逝ってしまったという感じはなくて、何か新しい始まりを迎えるような語りがされているのも印象的だった。
とても美しい短編で、素晴らしいシリーズだったな、と改めて感じられる作品だった。 -
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残酷描写といえば、で、もうひとつ。
オーソン・スコット・カードの短編集。ジャンルはSF。
作者自身があとがきで「これらの短篇すべてで繰り返されているモチーフがある──残酷なまでの苦痛と、グロテスクなまでの醜悪さだ」というだけあって、そういった描写はかなり多いです。
一方、1970年代までに書き上げられた作品群(寄稿の序文が1980年)は、心理的に歪んだところが少なく、凄惨であってもどこか素直で、不思議と読みやすい。複雑なコード進行やアレンジに頼らなくても名曲は名曲、そんな感じ。
好きな作品
「エンダーのゲーム」
良く出来てる!同じタイトルの長編もある(映画にもなった)のは知ってるけどまだ読んでません。この短編で十分完璧じゃない?と思えるくらい好き。
「王の食肉」
羊飼いの造形がうっとりするほど美しい。でも、その対岸に際立つ残酷さ。彼がすることの、そしてその運命のおぞましさ。「Kingsmeat」という原題も「Kingsmen」を下敷きにしたであろうオシャレ感で、その洗練がまた、酷い。
「無伴奏ソナタ」
それがなくては生きられないものを求めて、求める度に罰される。それでも幸福だと言わなければいけない。そんな人生、そんな社会。
作中に響く音や歌の美しさと、次々に降りかかる残酷さ。対比の中で主人公の一生が描かれる。
悲しい話だけど、最後の一ページにわずかな救いがあり、そして、かすかな響きに耳をそばだてるような息遣いだけを残して、終わり。
珠玉です。
目新しくてカッコいいSFはどんどん出てくるけど、こういう、ある種ノスタルジックなものも、かなり好きです。 -
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パーマーエルドリッチの次はこちらを。
序盤から引き込まれて一気に読んでしまった。
ディックファンと言いながらまだ数冊しか読めていない新参者の私。
1番好きな作品は変わらずユービックなんだけど、もしSFに慣れていない友人にディック作品をどれか一つ勧めるとしたら、絶対これを選ぶ。
サイエンス感満載な用語は全然出てこないし、日常的な雰囲気の中にディックが紛れ込んでくる感じ、ぜひぜひSF処女たちにおすすめしたい。
それにしてもそう、まさに私が好きな類のお話だよ、こういうお話をもっともっと読みたいんだー!
あと映画好きなら誰もが知るあの映画の発想って、もしかしてこの本から着想を得たのか…?
なんだかんだでまだ観れていないので、これを機にそろそろ観よう。
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魔法の風を帆にはらみ、海を超える“はてみ丸”。
たったそれだけの言葉だけで、僕の心はアースシーへと舞い戻る。胸の昂ぶりが抑えられない。
たとえそれが、炉辺の明かりに照らされて床に伏せるゲドの脳裏に浮かぶ、夢うつつの思い出だとしても。
アーシュラ・K.ル=グインが最後にゲドの物語を遺してくれたことへの感謝を噛み締める。
序文にてル=グインは、こう宣言する。
“自分の思い描くアースシーを出版社のジャンル分けや批評家の決めつけにあわせることはやめました。ファンタジーは未熟な者が読むものだという考えは、成熟と想像力というものについての凝り固まった誤解から生まれたものです。主人公たちは成長しますし、若い読者たちは、彼らについていくかどうか自分で決めるでしょう。”
ゲド戦記三部作を小学生で読んで、「帰還」は大学生の頃だっただろうか。
家庭を持ったのちにアースシーの風、外伝と読み継ぎ、年を重ねたいま、こうして「火明かり」を読んでいる。
ゲドやテナーのように成長してこれたかは分からない。それでも、物語の主題が変化していくことに、自分自身の変化を重ねて感慨に耽ることができるとは、なんと贅沢な読書だっただろうか。
こればかりは7冊セットで読み始める若い読者にはできないことだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ古典と呼ぶほどではないが65年発表というわりに古さは全くない。現在の肌感覚とシンクロする部分があり、極端な世界観にも関わらず現代的で違和感がなく自然に感じる。
まず感じたのは状況と心情の説明がいつもよりしっかりしていることで、今まで読んだ中では最も具体性があり分かりやすかった。
それは新訳のせいもあるだろうし、手堅く焦点の定まった文体で好感が持てる。
社会病理学的実験を試みる後期の作風に移行した後に書き直したものだと思ったが違うようだ。最初から意識が時代を先んじているということだろう。
現代の預言者という謳い文句に最も相応しい作品ではないだろうか。
ほぼ同時期発表の結晶世界が外から内にある中心点を目指し収縮していったのとは対照的に、本作はスケール大きめな空間の中でダイナミックに時間と場所が切り替わる構成になっている。人物も多彩で、それぞれに世界観があり世界崩壊後の暗澹たる終末を描いているわりに暗さがあまりない。ストーリーも結晶世界では夜型の不健康さが目立っていたが、主に早朝、昼間をメインに進行するのでわりと健康的だ。キャサリンとフィリップ・ジョーダンという著者にしては珍しく比較的まともな(置かれた状況に対して諦めていないという意味で)キャラを投入していて、それに加えクィルター夫人のコミカルさも手伝い、暗く重くなりがちな内容に一定の光度の維持と軽さを与えている。
時折カオティックにはなるが絶望的な急降下というわけではなく、全体的には緩やかに傾斜した斜面を下方に向かって滑り落ちていくような印象だ。
不条理な末期的世界との辻褄を合わすかの如く個性の誇張が肥大化しているような終盤の展開は、よくある低予算の安っぽいアニメのようだ。漫画やアニメというのは特に意味はなく、人は何故そんなものを楽しんでいるのかと言えば、現実が歪み崩壊して本能的な感覚が極端な形になった像に識閾下で反応しているからではないのかとふと考えた。それらから言葉や文字を抜いたら何も有意義な意味は無い不可解な絵の羅列か奇怪な人形劇になる。それが後半に描かれている非論理的な躁鬱の楽園のような世界なのかもしれない。
第一章前半部の各エピソードが独立性をもっていて、著者の他の作品の補足説明になっていることもポイント高い。(個人の見解)
著者のエッセンスがバランスよく分配配置してある代表作と言っていいだろう。
題材が著者の得意とするインフラ停止なので悪いわけがなく、それを中心に様々なテーマが描かれている。
主人公は悪化する環境から人々が続々退避して過疎となって行く土地に残り続け何かを期待しているが、その荒廃へのある種の安堵感はブラックな職場がブラックすぎて次々人材が抜け、逆にブラックさが無くなってくるような感じか、あるいは破綻寸前の業務が無意味となった会社で遊んでいるような状況に似ている。
荒廃して行く土地にあえて残り続けている人々に一目置いているが、その場所から離れたとたんに同僚意識がなくなり関心を失うというのもよくわかる感覚だ。
主人公は出ていくつもりだと言いながら全く出ていく気配がない。そのモラトリアムを享受している様は、まるで就職を拒む引きこもりのようである。とはいえ職業はいつもの医者でいざとなれば行動するし自分の責務をこなすのだが、人間関係も含め問題を棚上げにして最後の最後まで自ら決断を下さない様は、先延ばし癖というおおよそ真っ先に批難されるだろう欠点に斬新な光を当てている。
てっきり最後まで移動せず出る出る詐欺だろうと思ったが、突発的な出来事からあっさり旅立つ。物事が変るきっかけなんてそんなものだし自然な流れだと感じた。
そのシーンの叙述もすごい。普通このような物語が大きく転換する場面では、希望を感じさせる前向きな描写にすると思うのだが、《心が真空に近付いていく》などとまるで“工場で死んだ目をしてライン作業をしている時の精神状態”のようなテンションの下がることを書いている。こんなのを少年ジャンプなどでやったら即打ち切りだろう。
様々な見方が出来ると思うが、この物語は労働からの解放を描いていると解釈するとかなり分かりやすくなる。
実際、著者はヴァーミリオン・サンズの序文で未来の労働について言及していたりするしこじつけとも言えないだろう。
セツルメント参加を逡巡するところなど、特にその本質が顕著で、入所を打診して断られる場面は、実務とは無関係の非合理な理由で落とされる面接と同じだ。
けっきょく貨幣が水に交代しただけで社会が崩壊しても別の新たな社会が登場し、その社会に適応するには正常だった世界と同じように自我を犠牲にしなければならない。
労働の本質とは義務という正義を根拠にした自我の取引、増減であり、現代の諸問題の核心もほぼそれに収束すると言っていいだろう。自我をどこまで差し出すか、あるいは満たすか減らすかで未来の運命は決まり、限度を超えると裁判沙汰になったり最悪は自死を選んだり、週刊文春にスクープされる著名人のように他人の自我の破壊を引き起こし引退を余儀なくされる。考えてみればシンプルな作用なのだが著者以外こういう本質的な面を指摘する者を見たことがない。あるいは大抵の人々にとって取るに足らない事なのかもしれない。
著者はアバンギャルドな前衛アート的な文脈で語られることが多いと思うが、極めて現実的な視点を土台に作品を作り上げていて、決して奇をてらっただけの作家とは違うことがよくわかる作品となっている。
旱魃と言われても日本では水害の方が問題になることが多くあまりピンとこないが、世界的には深刻な問題だ。当然最終的には水資源の奪い合いになり危機に際した人間性が露出するが、しかしその状況に主人公は期待を抱いている様子が描かれる。確かに水が乾いて行くという状況にはどこか清々しさや一種の満足感がある。
生命の源、活動の根幹を成す水の減少とともに様々な事物の関係性が解消されそれらの本来の役割も失われていく。
その様相を描くことに実際的な役に立つ意義があるのかと言えば、ないだろう。しかし、その社会という縛りから解放された状態こそが人の奥底に眠る理想的な観念のようなものではないだろうか?
バラードの作品に感心するのは普段は無視して無いことにしているが確実に存在する意識を追求しているからだ。それはまともな人間なら下らないと白眼視するようなことなのだが、それを真面目に描こうとしている極めて希有な作家だ。
最近、不確実性というワードをよくきくが、それは今まで当然のことだった物事が通用しなくなる、つまり常識が信じられなくなりどう対処すればいいのか不透明になってきているということだと思うが、結局世の中に当然というものはなく不確実なままの常識で辛うじて支えている状態の日常があるだけだと言える。確実と言える時は自分がそれを知っていて実行できるか、過去の体験や既出の事実だけで、それ以外に唯一確実なのは自分の存在だけであり、社会というのは少しの亀裂で不安定になる程度の確実性で機能していて、その中に放り込まれた微小で確実な自我が不確実な常識の支配によってバラバラにされる場なのだろう。作中のビーチなどまさに不確実性の塊であり、不透明で混迷した世の中で非常識について考えることは有効かもしれない。
常識という概念は明確に定義できず日々更新される大量の情報によって成立している。そんな曖昧な概念を正義として目標を設定し義務が発生する。
しかしあまりに情報過多で複雑になりすぎ情報の精度や価値の喪失に怯えているのが今の世の中だと思う。
湖と河が干上がり底が見え土地との境界が無くなり全てが一体化してしまえば底の意味もなくなる。それまで世界を構成する条件や基準になっていた存在は、砂漠に捨てられている空き缶と同じゴミと化し元の存在の情報価値は意味をなさなくなる。水の消滅は情報の消滅であり、必要最低限の物と関係性だけが存在する。これはほとんどの情報は整理するまでもなく人を不自由にさせる余計な荷物になるだけで実は不要なものだと伝えているのではないだろうか。
主人公のランサムはこの状況を受け入れたなどと言いながら最後には楽園から一人旅立つが、ラストシーンが表現しているのは、極限まで情報を削ぎ落した本来あるべき世界の姿なのかもしれない。
バラードは時代の方が遅れて来るほど現実を追求した作家であるという認識がより明確となる作品だった。よくわからないがポストモダンとはこういうことだろう。 -
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「我々が見ているこの世界は、本当に現実なんだろうか?」というテーマを、映画のマトリックスが仮想現実を描いたような表現方法で描いているかと思ったら、1959年に発刊された本書で描いた方法は、正直ぶっ飛んでいて驚きました。また、ジャンルはSFですが、まるで良質なミステリー小説を読んでいるようで、とても楽しむことができました。以下あらすじ。
主人公のレイグル・ガムは、新聞の懸賞クイズ〈火星人はどこへ?〉で2年間勝ち続けているチャンピオン。彼は、他の人が外に働きに出かけているときに、一日中懸賞の研究と回答に費やす日々を送っていました。そのような暮らしを続けているうちに、ときどき自分が見ている世界に違和感を感じたり、自分が自分ではない感覚を覚えるようになります。
ある日、妹夫婦の息子のサミーが、廃墟になっている空き地から古い電話帳と雑誌、紙切れを拾ってきます(このP90のやりとりが面白い)。掲載されている電話番号はどこも繋がらず、雑誌のグラビアは有名女優らしいが名前がわからない。なんとなく既視感があれども、どうしても思い出せない。何か陰謀めいたものを感じた彼は、町を出る決意をしますが、ことごとく失敗します。
そんな時、妹の夫ヴィックと協力して町から出ることに成功しますが、そこで彼らが見た世界とは…というお話し。
覚え書き
車のタッカー(映画『タッカー』で有名)。
小説ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』、ハリエット・ビーチャー・ストウ『アンクル・トムの小屋』、ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』。女優マリリン・モンロー。 -
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あっという間に暑い夏はすぎて秋。酷暑をふりかえりつつ、タイトルからして暑そうなバラードの作品を読む。燃える世界の改訂版の位置付けとのことですが、読みやすさも違う
し、意味合いも違う文脈が多くなったような気がします。特にラストシーンなどかなり違うのではないでしょうか。これ翻訳の違いなのでしょうか?原文が変わったのでしょうか?
読んだからといってこれからの人生が何か変わるかといえば何も変わらないですが、なんといってもバラードの魅力はそのシュール・リアリズムの絵画のようなビジュアルにも訴える強烈なイメージでしょう。この印象は一生残ります。「沈んだ世界」も再読してみよう。 -
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このSF小説は面白かった。
ジャンルでいえばミリタリーSFになるのかな。
とはいえ、SFと言っても近未来の話で、現時点でも戦場で使われている米軍のドローン無人攻撃機(プレデターとかリーパーみたいな無人の飛行機がミサイルぶっ放すやつね☆)がヒト型の歩兵ドローン(遠隔機動歩兵ティン・マン)になって世界中の紛争地区で戦うという話。
この本を手に取った時は、米軍の遠隔歩兵部隊のパイロット(←パイロットという表現が正しいのかわからないけど、要は歩兵ドローン『ティンマン』を操縦する人)の若者が
俺強いだろ!!!!!ううぇいいいいいい!!!
的なお話を想像したんだけど全く違った。
ある意味、絶対に安全な場所からティン・マンを操縦しているはずの若き兵士たちが想定外の状況に陥り、極限のサバイバルをしていくという物語だった。
言ってみれば荒唐無稽な話なんだけど、僕たちに現代の米軍が抱える矛盾(自分たちの行為が世界の平和の役に立っているのかという疑問を常に若き兵士たちは抱えている)を突き付けてくる。
物語は非常に感慨深いし、ストーリーもしっかりしている。ティン・マンのパイロットである若き男女の兵士たちの苦悩、悲哀も存分に感じさせてくれる。
この小説は映像化したら非常に面白いと思うけど、ティン・マンの外見がみんな同じ(多少のカラーリングやマークなどは違うが)なので、実写にすると誰が誰なのかわからなくなってしまうね。
ここはちょっと工夫する必要があるね。
小説では、ロボットでも表情を文章表現でだせるのだけど、実写だとそうはいかないもの。
アニメみたいにパイロットの顔をワイプみたいな形で写さないと全く見ている人には意味不明な映像になってしまうよね。
この問題だけクリアできたら大ヒット間違いなしなんだけど、そこが一番難しいか(笑)
というわけで、本書はかなり面白い。もっと評価されてもいいんじゃないかな。
SFミリタリー系のお話に興味がある方はぜひ手に取ってみてほしい本だね。 -
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『エンダーのゲーム』の前身と思われる同名タイトルの短編を含む11の短編集。もしかしたらこの作家は短編の方が上手かもと思うような、クオリティの高いものばかりでした。
本のタイトル作について。
生後6ヶ月で受けたテストで見せた音楽への“天才性”により、クリスチャンは音楽の<創り手>となることを定められる。
彼は両親から引き離され、自然の中で聞こえる鳥の歌や風の歌、雷の音、つららから落ちる水滴の音、リスの鳴き声といった音楽を与えられた<楽器>のみで奏で、そして<聴き手>はそれらに聴き入る。
<創り手>であるクリスチャンは<聴き手>になることは許されないのであるが、ある時一人の<聴き手>がクリスチャンにバッハを聴かせる。
クリスチャンの音楽に変化を感じ取った<見張り手>から、彼は音楽を禁じられ、他の仕事に就くこととなる。歌うことも、奏でることも、手拍子を取ることも禁じられたクリスチャンはどうなるのか。
と、こんなところであるが、この短編集を出版するにあたっての編集者から作者への書簡が前書きとなっており、それもまた味があっておもしろかった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ新聞の懸賞クイズ「火星人はどこに?」に2年連続で勝ち続け、クイズの賞金で生計を立てているレイグル・ガム。片田舎の小さいのどかな町で、妹夫婦と共に穏やかな日々を送っているガムは、しばしば自分を取り囲む現実が「現実ではない」という感覚に囚われていた。ある日、甥っ子が遺棄された空き地から拾ってきた古びた電話帳と古雑誌。電話帳に掲載された電話番号はどこにも繋がらず、雑誌のグラビアでは見知らぬ女優について報道されていた。疑惑を確信に変えたガムは、クイズを始めてから一度も出たことの無い町を出て真相を確認しようとする。彼の動きを監視するかのように振る舞う隣家の夫婦、何かを知っているらしい市民活動家の老婦人・・・自分は騙されているのか、それとも自分が狂っているのか?何度も困難にぶつかりながら真相に近づいて行くガムが、最後に見たものとは?
表紙のアートワークで盛大にネタバレしているのはまぁご愛嬌として(^_^;
いやー、久々にやられました。やっぱりディックは面白い!
この作品がSFだという予備知識なしに読み始めると、前半で描かれる米国地方都市の日常の風景、その中でこじんまりと展開される市井の人々の日常が実に「普通」で、本当は主流文学を目指していたディックの筆力を感じさせます。お隣同士の交流とちょっとした確執とか、ちょっとしたアバンチュールとか、そんな本当に「普通」の風景の中から薄皮をはがすように立ち現れてくる「非現実」。この過程の背筋が薄ら寒くなる怖さは、前半の日常風景の丁寧な描き方があってこそ。
少しずつ少しずつ、足元の現実が崩れ落ちて行き、それに追われるように真実へと突き進んで行きつつも実は自分が狂っているだけとの考えからも抜けきれないガムの焦燥感は、読んでいるこちらも本当にヒリヒリするほどサスペンスフル。ガムを取り囲む謎めいた登場人物達もキャラが立っており、物語にメリハリを付けています。
物語全体のスケール感は他のディック作品と比べるとかなりこじんまりしており、SFのアイディアとしてもそれほど特筆すべきものはないのですが、無駄の無いストーリー展開で一気読み必至!の洗練された作品ですね。