【感想・ネタバレ】旱魃世界のレビュー

あらすじ

十年ほど前から徴候を見せていた世界的な旱魃は、ここ五カ月のあいだ、各地で急速に文明社会を崩壊させつつあった。マウント・ロイヤル市の住人たちが競うように水を求めて海岸へと殺到する中、医師ランサムはハウスボートの船上で、破滅まで引き延ばされた時間を緩慢と生き続けていた。やがて、妄執に囚われた建築家ローマックスの不穏な企みをきっかけに、彼も海を目指して南下を試みるが……生物を拒絶するように変質する世界をシュルレアリスム絵画のように描き出した、バラード〈破滅三部作〉の一端をなす『燃える世界』の完全版、本邦初訳。/解説=牧眞司

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

ネタバレ

古典と呼ぶほどではないが65年発表というわりに古さは全くない。現在の肌感覚とシンクロする部分があり、極端な世界観にも関わらず現代的で違和感がなく自然に感じる。
まず感じたのは状況と心情の説明がいつもよりしっかりしていることで、今まで読んだ中では最も具体性があり分かりやすかった。
それは新訳のせいもあるだろうし、手堅く焦点の定まった文体で好感が持てる。
社会病理学的実験を試みる後期の作風に移行した後に書き直したものだと思ったが違うようだ。最初から意識が時代を先んじているということだろう。
現代の預言者という謳い文句に最も相応しい作品ではないだろうか。

ほぼ同時期発表の結晶世界が外から内にある中心点を目指し収縮していったのとは対照的に、本作はスケール大きめな空間の中でダイナミックに時間と場所が切り替わる構成になっている。人物も多彩で、それぞれに世界観があり世界崩壊後の暗澹たる終末を描いているわりに暗さがあまりない。ストーリーも結晶世界では夜型の不健康さが目立っていたが、主に早朝、昼間をメインに進行するのでわりと健康的だ。キャサリンとフィリップ・ジョーダンという著者にしては珍しく比較的まともな(置かれた状況に対して諦めていないという意味で)キャラを投入していて、それに加えクィルター夫人のコミカルさも手伝い、暗く重くなりがちな内容に一定の光度の維持と軽さを与えている。

時折カオティックにはなるが絶望的な急降下というわけではなく、全体的には緩やかに傾斜した斜面を下方に向かって滑り落ちていくような印象だ。
不条理な末期的世界との辻褄を合わすかの如く個性の誇張が肥大化しているような終盤の展開は、よくある低予算の安っぽいアニメのようだ。漫画やアニメというのは特に意味はなく、人は何故そんなものを楽しんでいるのかと言えば、現実が歪み崩壊して本能的な感覚が極端な形になった像に識閾下で反応しているからではないのかとふと考えた。それらから言葉や文字を抜いたら何も有意義な意味は無い不可解な絵の羅列か奇怪な人形劇になる。それが後半に描かれている非論理的な躁鬱の楽園のような世界なのかもしれない。
第一章前半部の各エピソードが独立性をもっていて、著者の他の作品の補足説明になっていることもポイント高い。(個人の見解)
著者のエッセンスがバランスよく分配配置してある代表作と言っていいだろう。

題材が著者の得意とするインフラ停止なので悪いわけがなく、それを中心に様々なテーマが描かれている。
主人公は悪化する環境から人々が続々退避して過疎となって行く土地に残り続け何かを期待しているが、その荒廃へのある種の安堵感はブラックな職場がブラックすぎて次々人材が抜け、逆にブラックさが無くなってくるような感じか、あるいは破綻寸前の業務が無意味となった会社で遊んでいるような状況に似ている。
荒廃して行く土地にあえて残り続けている人々に一目置いているが、その場所から離れたとたんに同僚意識がなくなり関心を失うというのもよくわかる感覚だ。

主人公は出ていくつもりだと言いながら全く出ていく気配がない。そのモラトリアムを享受している様は、まるで就職を拒む引きこもりのようである。とはいえ職業はいつもの医者でいざとなれば行動するし自分の責務をこなすのだが、人間関係も含め問題を棚上げにして最後の最後まで自ら決断を下さない様は、先延ばし癖というおおよそ真っ先に批難されるだろう欠点に斬新な光を当てている。
てっきり最後まで移動せず出る出る詐欺だろうと思ったが、突発的な出来事からあっさり旅立つ。物事が変るきっかけなんてそんなものだし自然な流れだと感じた。
そのシーンの叙述もすごい。普通このような物語が大きく転換する場面では、希望を感じさせる前向きな描写にすると思うのだが、〈心が真空に近付いていく〉などとまるで工場で死んだ目をしてライン作業をしている時の精神状態みたいなテンションの下がることを書いている。こんなのを少年ジャンプなどでやったら即打ち切りだろう。

様々な見方が出来ると思うが、この物語は労働からの解放を描いていると解釈するとかなり分かりやすくなる。
実際、著者はヴァーミリオン・サンズの序文で未来の労働について言及していたりするしこじつけとも言えないだろう。
セツルメント参加を逡巡するところなど、特にその本質が顕著で、入所を打診して断られる場面は、実務とは無関係の非合理な理由で落とされる面接と同じだ。
けっきょく貨幣が水に交代しただけで社会が崩壊しても別の新たな社会が登場し、その社会に適応するには正常だった世界と同じように自我を犠牲にしなければならない。
労働の本質とは義務という正義を根拠にした自我の取引、増減であり、現代の諸問題の核心もほぼそれに収束すると言っていいだろう。自我をどこまで差し出すか、あるいは満たすか減らすかで未来の運命は決まり、限度を超えると裁判沙汰になったり最悪は自死を選んだり、週刊文春にスクープされる著名人のように他人の自我の破壊を引き起こし引退を余儀なくされる。考えてみればシンプルな作用なのだが著者以外こういう本質的な面を指摘する者を見たことがない。あるいは大抵の人々にとって取るに足らない事なのかもしれない。
著者はアバンギャルドな前衛アート的な文脈で語られることが多いと思うが、極めて現実的な視点を土台に作品を作り上げていて、決して奇をてらっただけの作家とは違うことがよくわかる作品となっている。

旱魃と言われても日本では水害の方が問題になることが多くあまりピンとこないが、世界的には深刻な問題だ。当然最終的には水資源の奪い合いになり危機に際した人間性が露出するが、しかしその状況に主人公は期待を抱いている様子が描かれる。確かに水が乾いて行くという状況にはどこか清々しさや一種の満足感がある。

生命の源、活動の根幹を成す水の減少とともに様々な事物の関係性が解消されそれらの本来の役割も失われていく。
その様相を描くことに実際的な役に立つ意義があるのかと言えば、ないだろう。しかし、その社会という縛りから解放された状態こそが人の奥底に眠る理想的な観念のようなものではないだろうか?
バラードの作品に感心するのは普段は無視して無いことにしているが確実に存在する意識を追求しているからだ。それはまともな人間なら下らないと白眼視するようなことなのだが、それを真面目に描こうとしている極めて希有な作家だ。

最近、不確実性というワードをよくきくが、それは今まで当然のことだった物事が通用しなくなる、つまり常識が信じられなくなりどう対処すればいいのか不透明になってきているということだと思うが、結局世の中に当然というものはなく不確実なままの常識で辛うじて支えている状態の日常があるだけだと言える。確実と言える時は自分がそれを知っていて実行できるか、過去の体験や既出の事実だけで、それ以外に唯一確実なのは自分の存在だけであり、社会というのは少しの亀裂で不安定になる程度の確実性で機能していて、その中に放り込まれた微小で確実な自我が不確実な常識の支配によってバラバラにされる場なのだろう。作中のビーチなどまさに不確実性の塊であり、不透明で混迷した世の中で非常識について考えることは有効かもしれない。
常識という概念は明確に定義できず日々更新される大量の情報によって成立している。そんな曖昧な概念を正義として目標を設定し義務が発生する。
しかしあまりに情報過多で複雑になりすぎ情報の精度や価値の喪失に怯えているのが今の世の中だと思う。

湖と河が干上がり底が見え土地との境界が無くなり全てが一体化してしまえば底の意味もなくなる。それまで世界を構成する条件や基準になっていた存在は、砂漠に捨てられている空き缶と同じゴミと化し元の存在の情報価値は意味をなさなくなる。水の消滅は情報の消滅であり、必要最低限の物と関係性だけが存在する。これはほとんどの情報は整理するまでもなく人を不自由にさせる余計な荷物になるだけで実は不要なものだと伝えているのではないだろうか。

主人公のランサムはこの状況を受け入れたなどと言いながら最後には楽園から一人旅立つが、ラストシーンが表現しているのは、極限まで情報を削ぎ落した本来あるべき世界の姿なのかもしれない。
バラードは時代の方が遅れて来るほど現実を追求した作家であるという認識がより明確となる作品だった。よくわからないがポストモダンとはこういうことだろう。

1
2025年06月16日

Posted by ブクログ

あっという間に暑い夏はすぎて秋。酷暑をふりかえりつつ、タイトルからして暑そうなバラードの作品を読む。燃える世界の改訂版の位置付けとのことですが、読みやすさも違う
し、意味合いも違う文脈が多くなったような気がします。特にラストシーンなどかなり違うのではないでしょうか。これ翻訳の違いなのでしょうか?原文が変わったのでしょうか?

読んだからといってこれからの人生が何か変わるかといえば何も変わらないですが、なんといってもバラードの魅力はそのシュール・リアリズムの絵画のようなビジュアルにも訴える強烈なイメージでしょう。この印象は一生残ります。「沈んだ世界」も再読してみよう。

0
2021年09月28日

Posted by ブクログ

旱魃世界

人類の愚かな振舞いにより、海からの水の恵みが途絶えた世界。
湖は干からび川は流れを止め、生き物は死に向かい、陸地は砂漠化していく。
人は海水を蒸留して得るわずかな水と引き換えに、愚かにも、更に塩で海を浸食していく。

連想されるのはマッカーシー「ザ・ロード」でありマルセル・セロー「極北」であり、映画「マッドマックス」や「風の谷のナウシカ」だろうけど、水を求めて南へ向かう姿は、なぜかスタインベック「怒りの葡萄」をイメージしてしまう。

主人公が「意識の中に携えてきた内なる景観(イナーランドスケープ)の周辺領域を越える旅」とは、なんだったのか……最後まで読んでも捉えることは難しい。

初めの頃に書かれていたハウスボートの中に飾った「雑誌から切り抜いたイヴ・タンキーの『緩慢な日々』の写真」が、最終章のタイトルとされていること……うーん、わかりません。

0
2024年02月14日

「SF・ファンタジー」ランキング