飯嶋和一のレビュー一覧
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ネタバレ読み進めるに連れて読む速度が遅くなり、しかしあるところから転げ落ちるように速度が早くなり、だけども読み終えることが辛くて、その速度を何度も落とそうとしたのだけども…読み終えました。
この本に出会えて苦しくとも幸せでした。読んでいる時期に自身の環境の変化があり、余計に感慨深いものがありました。
江戸初期に実際にあった、キリシタンに対しての苛烈を極めた弾圧と過酷な課税、そのためにすべての普通の生活を奪われ、天災による不作と貧困のために伝染病が蔓延し、もうどこにも引き返せなくなった農民たちが起こした、最大規模の反乱の話である。
キリシタンであることが反乱のすべての理由ではないのに、最後は討伐軍側の都合のいいように、都合の悪いことは隠蔽され、見せしめのために叛乱軍は全滅させられる。女子供すべて。
解説にもあったとおり、元々史実であり、絶望しかない物語なのだけれど、それでも微かな希望は撒かれ、僅かにでも広がっていく。
人の救いは、信じるものは、絶望の中でも決して無くなりはしないと、信じたい。悲しみの物語が終わり、エンディングに僅かな希望を読んだ時に、そう思った。 -
Posted by ブクログ
飯嶋氏の作品を読むのはいつもためらう。内容が濃く分厚いのでだいたい2週間くらいかかり、その間は他の本が読めない。でも読みきったあとの恍惚感というか、忘我の境地を味わえる本はそうそうない。それだけすごい。これぞ歴史小説。
舞台は島原の乱が起きる少し前の島原近辺。天候不順で不作が続き年貢を納めることもできなければ、自分たちが食べる穀物すらない状況下で、病が流行った。栄養状態が悪い子どもたちが真っ先に犠牲になり、ばたばたと死んでいった。にもかかわらず領主は備蓄米を放出することを拒み、年貢を納めらない農民から年貢代わりに牛馬を取り上げるという悪政で報いる始末。
かつてキリシタンの教えが広まった地域のため、大人たちは信仰心から、そんな悪政にも耐えて暮らしていたが、10代の少年たちは幼い子どもたちが死んでいく様をみて我慢の限界を超え、怒りから蜂起した。
少年たちの行動に感化された人たちは次々と立ち上がる。
しかし蜂起は鎮圧されるのが半ば必然。鎮圧とは皆殺しされることを意味する。いまは農民でもかつては武士として朝鮮出兵での過酷な籠城戦を経験した長老たちはその無残さを知ってるだけに、事態を鎮静化させたかった。しかし、暴挙に見えた少年たちの行動に、長老たちもようやく気づく。
このままじわじわと飢餓により殺されていくことを選ぶのか、それとも戦って死ぬのか。
彼らの目の前に示された問いはこれしかなかった。
さあ、お前たちはどちらを選ぶのだ?
いまだに島原の乱をキリスト教弾圧に対する農民たちの蜂起だと思っている人がいたら、こう言いたい。
この本を読みなさい。 -
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ネタバレライト兄弟の人類初の飛行機による初飛行よりも120年も前の江戸時代後期、人は空を飛べると確信した男がいた。
備前屋幸吉は表具師としての腕を持ち、その腕で己を乗せた大凧を作った。
職人としての最高位の銀払いの身であったが、空を飛んだことで人心を惑わした罪で岡山から追放された。
幕政に苦しむ民は幸吉の行為を、お上に対する反発だと喜んだ。
武士階級への反発心は、また別の男たちの心にも火をつけた。
江戸衆が独占する下り塩に苦しんでいた行徳の塩問屋、巴屋伊兵衛と、起死回生に手を貸す児島廻船衆たち。
そして幕府直轄で独占していた商人たちから、商いを奪い返す。
ところ変わって、幸吉は駿府で商いを興して成功していた。しかし、このままで人生を終わらせていいのか悩み始める。
やり残したことは一つ。再び空を目指す。
お上に逆らえず、ただうなだれるだけの毎日を過ごしていた男たちが立ち上がる。
その中心に幸吉がいた。本人は、ただ空を飛びたかっただけだが、周り放っておかなかった。
確かに、備前屋幸吉は実在した人物らしい。空を飛ぼうとした男が200年以上前にいた。
それを飛べる。そのためには何が必要か。鳥の羽を調べ、竹組の翼を技術で完成させる。
そんな技術者の魂にとても惹かれた。人が思いもしなかった何か、それを生み出し完成させるまでのプロセスは昔から変わらない技術者の基本だ。
そんな技術者になりたい。 -
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早く次の作品が出ないかなと、いつも待ちきれない数少ない作家の一人。
飯島和一さんの作品は四~五年に一回くらいしか出ず、それだけ内容に吟味を重ねて作られているのだろうと想像する。時代小説を書く作家は多けれど、これほど引き込まれ心を震わす作品を書かれる作家も珍しいのではないか。
ならば何故有名では無いのか。飯島さんは一切マスコミには登場しない。マスコミに一切媚びを売らない。という方だからだ。
どなたかが飯島和一にハズレなしと言ったらしいが、まったくその通り。
今回の出星前夜は島原の乱をテーマとしているが、天草四郎が主人公ではない。もちろん討伐軍が主役でも無い。所謂一般の市井の人々だ。その目線で描かれた島原の乱がいかに愚かな戦いであったかを活写している。
飯島さんはいつも英雄になったような人物は描かない。そこがまたいい。
しかも歴史に翻弄され、未来に希望の欠片もみえない状況を描きつつ、最後には真っ暗闇に微かな光が見えるような終わり方をする。
ああ、次の作品がすでに待ちきれない。 -
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“放蕩息子”と言われた、実は広い視野を備えていて、正論を胸に秘めた、強い心を持つ男が代官に就任し、恐るべき陰謀を動かす敵役達と対峙…非常に痛快な物語だ!!未読の皆さんに御迷惑を掛けてしまうので仔細は綴らないが、何となく目頭が熱くなる場面も在り、夢中になる…他方で「政治とは何か?」、「“権力”とはどういう性質のものか?」というような普遍的なテーマを持ち、加えて「江戸時代とは何だったのか?」というようなテーマに関しても、キリシタン弾圧の経過や貿易制度の変遷という、平左衛門達の時代に実際に起こっていたことを交えながら、一定の回答例を示唆している…非常に充実した作品だ!!
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安政6年(1859年) 山の峰から一里半(約6キロ)を大凧(グライダー)で飛んだ男がいた。リリエンタールのグライダーより32年も早い。しかしその快挙は賞讃されず、怪しげな術をつかう者として囚われの身に。そして死ぬまで座敷牢に閉じ込められ、しまいには狂ってしまった…
というのが「キテレツ大百科」の第1話に載っている「キテレツ斎」の話。
藤子・F・不二雄氏は、たぶんこの小説の主人公「浮田幸吉」の逸話を知っていて、キテレツ斎のエピソードとして採用したのだろう。キテレツ大百科の雑誌連載は、いまから40年くらい前。「浮田幸吉」は日本人の99%は知らないと答える、とんでもなくマイナーな人物だと思う。それでも藤子先生は知っていたわけで(あくまで推測)、つくづく博学な方だったんだなあ、と今さらながら感動している。
幸吉は1757年、岡山の八浜にある旅宿桜屋の当主浮田瀬兵衛の3男1女の次男として生まれた。7歳で傘屋に奉公に出て、14歳で岡山城下の紙屋に移った。持ち前の器用さを発揮し、表具師としてメキメキと頭角を現し、腕の良いものだけがその格を得る「銀払い」の表具師として、金銭的にも富んでいく。そのまま一生つつがなく暮らしても、誰からも羨まれる境遇だったに違いないが、幸吉にはある夢があった。
鳥のように空を飛びたい。
彼は夜な夜な、自らが拵えた大凧を持って、橋の上から飛び降り、試験飛行を繰り返す。失敗つづきで勢いよく川に落ちるので、大きな音で人に気づかれるが、なにせ暗闇だから「身投げだ!」とか「酔っ払いが落ちた!」「河童が出た!」などの噂だけが広まる。水死人が浮かぶわけではもちろんないので、みな不思議に思う。そのうち幸吉の広げる大凧の影を見る者も現れるが、まさか鳥の真似ごとをしている人間がいるとは思わないから、これは鵺の仕業に違いない、と人々が口にするようになる。
鵺はお上の政治が乱れたときに現れるとされる妖鳥だ。、人々は鵺の出現に世直しの気運を高める。幸吉の思惑とは別に、幸吉の行為はお上にとっては体制批判を扇動する危険な行為に映った。
そしてついに彼は人々を扇動した危険人物として捕らえられてしまう。
さあ、その後の彼の人生は如何に! キテレツ斎のように狂死してしまうのか…
実はここから物語は面白くなる。
でも、これ以上ネタばらししたくないから書かない。
ラストはとても感動した。この後の幸吉の人生の紆余曲折も全て、このラストへと収斂されていくための艱難辛苦だったんだと思うと、涙腺が緩んだ。
男は夢を追い続けることに憧れるが、ほとんどの男はできない。だから夢を追い続ける男に自らの夢を投影させる。
最後まで読んだ人には、たぶんこの意味がわかると思う。
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Posted by ブクログ
本作を読む直前に読んだのが、事を成した人物を描いた『天地明察』で
ちょっとご都合主義的な展開に物足りなさを抱いていたのですが
これはそんな自分の期待をはるかに超える傑作でした。
ただ、惜しむらくは日本初の飛行体験とそれを成した備前屋幸吉(浮田幸吉)を
描いた小説なのか、江戸時代後期に自分の信念を持って力強く生き抜いた
備前屋幸吉、巴屋伊兵衛、平岡源太郎の3人による歴史群像劇であり、
同じ時代を生きた3人が影響を受け合いながらそれぞれの生を送った
という小説なのかが判然としない点。
個人的には第2部も面白く読んだものの、
第1部、第2部、第3部で一貫したテーマで貫かれていたとは言いがたく
焦点がブレてしまった感は否めない。
自分としては、いろんなものに縛られつつも、
それに目をつぶりさえすれば日々安寧と暮らしていける生活に
どうしても満足できず、俗人の卑しさ・くだらなさに嫌悪しつつ
どうしようもない渇きと狂気のためにその身を滅ぼしてしまった
男の生きざまが描かれた第1部が一番テーマが鮮明で、
出色の出来だったと思っています。
幸吉が同心たちに家を包囲され鵺騒ぎの一件で
捕らえられようとする場面から始まり、
そこに至るまでの幸吉の幼年期からの人生を描き、
そしてまた幸吉が捕らえられ、すべてを失うシーンで終わる
という構成がすごく良くできているし、
銀払いの表具師として認められ、何不自由ない身となった上は
波風立てずに平穏に暮らしていこうとする弟・弥作と
それにどうしても満足できない幸吉を対照的に描きつつ
幸吉と同類であり、影響を与えた先達として
旅から旅の生活を続ける流浪の砂絵師・卯之助との類似性も際立っていて
第1部は人物の描き方も考え抜かれていました。
「空を飛ぶこと」それ自体が幸吉の夢や成し遂げたいことではなく、
幸吉の中にある何かを満たすための「手段」が空を飛ぶことだという点が
何とも言えず心に残った。
「世間を憂しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」
という山上憶良の歌に託された卯之助の気持ちを感じ取り
幸吉が自分の心に重ねていったときこそが
幸吉が空を飛ぶことを夢見た瞬間のように思うし、
幸吉の行動原理と初期衝動のすべてが描かれていた
第1部が自分には一番染みた。
それに比べると、第2部は熱量の大きさは感じたものの
テーマが第1部と違いすぎていたし、
第3部は第1部を受けての後日談的な扱いというか
幸吉がついに空を飛ぶというこれまでの物語に
決着を付けるための後始末的な描写のように思えてしまい
本来は物語全体のハイライトのはずなのに
個人的にはちょっとあっさりした読後感となりました。 -
Posted by ブクログ
ひとつの夢を追い続けることはとても難しいことだと思っている。子供のころ純粋に思い描き形にしようと思う傍ら生きてゆくための暮らしがある。それは年齢を重ねる程に大きな割合を占めるようになり、強く願っていたことは次第に生活の中次第に色色あせていってしまうことが多いのではないだろうか。そのため「夢は夢」…そんな切ない言葉がつい口を衝いて出てしまう。それは単なる言い訳なのかもしれないと、この本を読んで考えてしまった。
例えば生活の中、薄れてしまったとしてもいつまでもその思いを胸のどこかで温めていることで描いた夢へと向かうことが出来る瞬間を見逃すことなく進めることは出来るのだと思う。その時はとても勇気が必要となるかもしれないけれど夢を叶えるということは、何かを犠牲にする「勇気」や「ちから」が必要なものなのかもしれない。
そんな風に夢を持ち、夢へと向かう姿は他者からの目にも輝くものが見て取れ、それがその人の魅力となり、またその姿を見た人の希望にも変わる。誰かの夢が誰かの夢の手助けをする…そんな連鎖が続いていく。夢というものには、そんな不思議な力が宿っているようにも思えた。
この「始祖鳥記」は、そんな夢が夢を呼び忘れかけていた希望を手にして行く男たちのお話。またこのお話は実際にあった出来事をモデルとしたもので、この時代にとんでもない夢を持った人物がいたということに驚く。
夢は風を見極め掴むこと。
共に夢を見てくれる理解者。
そして何より飛び立つ勇気と羽ばたく力強さ。
それとほんの少しの運。
これらが重なったときに形をなすのかもしれない。
その運は単なる「運」ではなく夢に対する自身の思いが運んでくる「運」でそこには必ずひとがついてくると思う。そう考えると「夢を描き続けること」それこそが夢を叶えることに繋がるのだろう…
そんな風に自分の中で眠ってしまった夢を再び思い起こさせてくれる素敵な本だった。