皆川博子のレビュー一覧
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ネタバレ「トマト・ゲーム」
真っ赤なトマトになっちゃいな式のバイク乗り。
「アルカディアの夏」
「獣舎のスキャット」
姉が弟を見る眼の異様さを裏打ちするのは、何か。
弟からの意趣返しが凄まじい。
「蜜の犬」
強者と弱者の関係が引っくり返る、しかも比較的ピュアな少年によって。
「アイデースの館」
アングラ演劇崩れの青年が作ったポルノムービーの、男たちが仮面をつけている。
仮面の製作者は誰か。
過去にぐいっとズームがずれる感覚。
「遠い炎」
家政婦が旧知の人物だったことで座が奪われていく。
ちょっと似た話を映画で見たことがある。
「花冠と氷の剣」
これまたロマンチックな題名。
贅指の青年に惹か -
Posted by ブクログ
10人による、怖い話。
題名通り、夢で見たり、白昼夢だったり。
うっかり思い出してしまわないためにも
日が高いうちに読んだ方がいいかもしれません。
いや、思い出すような読み方をしなければ大丈夫?
ぎょっとする終わりなのは、そらみみ。
これが現実なのか、あちらが現実なのか、と
思わせるような最後の一言。
非常に混乱させられます。
目的だった、辻村さんは…子供のせいか
やたら無邪気に怖い。
世の中、知らない方が…気がつかない方が
幸せ、という選択もあると思われます!
言ったら相手に移る夢、かと思っていたのは、琥珀。
さすがにそれはない内容でしたが
とり憑かれたと表現するのがぴったりな感じで -
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*ロンドン好きに
*一気読み向け
*ただし必ず前作を読んでから!
前作同様、18世紀英国のディテールが楽しい。捜査の主役が明確にサー・ジョンに置かれ、各種証言を信頼しきれない(全てが見えない)伏線まみれのどきどき感再び。ミステリとしてはサー・ジョンの勘と想像力にちょっと頼りすぎですが、読み物として十分面白いです。ただ、関係者が多く少々複雑なので、ちょこちょこ読みしてると筋がわからなくなる危険あり。私としては、愛すべきダニエル先生にもっと登場してほしかった。
以下ネタバレ気味
サー・ジョンの法の執行者としての苦悩は、彼のキャラを成す重要な点ではあるが、作品の持つ、会話の軽妙さ、ストーリーの -
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終戦間際の時代、ミッションスクールの図書室に置かれていた『倒立する塔の殺人』と書かれたノート。そのノートには手記と終わりのない小説が書かれている。その手記とノートが書き継がれていくうちに徐々にそのノートに秘められた企みが明らかになっていく。
濃い世界観の小説はいろいろありますが、この作品の世界観はただ単に濃いだけでなく、甘く妖しい芳醇な他の作家さんではなかなか出せない独特の濃さがあるように思います。
それは戦時下から終戦直後という時代設定や、キリスト教系で女子学生だけのミッションスクールという舞台設定に加えて、
女子だけの世界だからこそ起こりうる愛憎を雰囲気たっぷりに描いているからだ -
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ネタバレ「少女外道」というタイトルとあらすじに惹かれて読みました。7話からなる短編集です。
順番に感想を書きます。
「少女外道」
表題作です。
あらすじには『(割愛)久緒は、あるとき怪我を負って苦悶する植木職人・葉次の姿を見て、自分が苦しみや傷に惹かれる「外道」であることを知る―。』とあります。
期待して読んだのですが、わたしの想像していた「外道」とは少し違ったので、この本、ちょっとわたしの好みとずれてるんじゃないだろうか、大丈夫かなあと思いました。
うまく言えませんが、本当に怪我をしてしまった人には不憫で惹かれないのです。
そういう意味では主人公は本当に「外道」ですね(笑)
「巻鶴トサカの一週間 -
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ネタバレプロットそのものがかなり入り組み、相当複雑な構造になっているのだが、それを齟齬なくまとめ上げているのはさすがだと思う。
ただ、通読して感じるのが、なんだかこれまでの皆川作品とは少し違う、という漠とした心地。
二昔前のロールプレイングゲームのように、極めて限定的な細い筋の上を、辻褄を合わせるために辿らされているかのような、とでも表現すればいいのだろうか。
登場人物のことごとくがストーリーにバチッとリンクしていく様に、いつものような気持ちよさの代わりにちょっとした強引さというか、お仕着せのご都合主義に近いものを感じてしまった。
「開かせていただき光栄です」の世界が再び展開されていることについては -
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現実と幻想と、夢と記憶と、彼岸と此岸と、それらのあわいをふわふわと漂っているみたいな感覚。
そこに血の匂いが立ち込め、死の気配が漂い、すべてを見下ろしている「神」的なものの存在を感じさせる。
やっぱり皆川博子さんの短編はすごい。
「戦時中」の「少女」という視点が、すでに大きな仕掛けになっているのだと思う。
慎ましく生きることを望まれ、純真無垢であることが当たり前だった少女の中に、芽生えてしまった「外道」性。それが少女たちの心の中に隠されて、沼の奥深くに沈められているうちに、ここまで大きな幻想に成長したのだろうか。
それでいて語り手が、その「少女」自身ではなく、(神的な)第三者であったり、成長