中村元のレビュー一覧
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◯他のお経と比べると、文章の一つ一つが単独で成り立っているため、文章の意味がこぼれ落ちてしまう。やはりストーリーや、ある種の流れ、論理性によって説得的になるのも、こういった経典においても同様なのだと実感した。(単純に自分の集中力の不足もあると思うが…)
◯感興のことば後段に出てくる、対比と類似の文章の流れは、是非原文の音読によって音として体感することも必要だと感じた。ただ、文字だけでは伝わらない部分があるとしても、文字の並びは壮観であった。
◯この辺は般若心経でも重要視されている音自体に意味があることにつながってくるのかと思うと、また面白い。 -
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仏陀(ガウタマ・シッダールタ)の生涯を、タイトル通り物語風に著した一冊。入門書としては分かりやすい本だと思う。
ただ☆を一つ減らしたのは、本の焦点が少しぼやけているような気がするから。
仏陀の生涯を紹介するなら、いっそ自伝風にした方が読ませるものになっただろうけれど、中途半端に解説めいているのでかえって読みづらいように思う。新書(しかもジュニア新書)ということでこういう形になったのだろうけれど、これなら手塚治虫の『ブッダ』の方が、仏陀という人物に興味を持たせるという意味では成功するだろう(もちろん手塚治虫と比較されたらどんな本もなかなか敵わないだろうけれど)。
手塚氏の『ブッダ』が氏の創作 -
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仏教に関する本をちょこちょこ読んではいても、肝心のゴータマ・ブッダの生涯をよく知らなかったので手に取った入門書。
まず、思った以上に今の日本の仏教とゴータマ・ブッダの教えには直接伝わってるものが多いこと。恥ずかしながら、お盆や、地獄などは悟りの追求とあまりにもかけ離れているように思え、民間信仰がどこかで混じったものだと勝手に決めつけておりました。。反省。
当時一般に流布していた既存の信仰に沿って語られた部分、ブッダの思いやりから人の苦しみを和らげようと生まれた方便など、多彩な表現が含まれているのはむしろリアルで、多くの人々から頼られた実在の賢者の生涯として説得力のあるものだった。
とても平易な -
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私がこの本を手に取った理由はズバリ、聖★おにいさんのブッダの
元ネタが知りたかったから……という不心得者な発想からです、はい。
他の方のレビューのようなしっかりした理由も感想もないので
ちょっと心苦しい……。
こんな私のような者にも、この本は非常にやさしく、読みやすい文章で
ブッダの一生とその思想についてピックアップした部分を教えてくれました。
ふむふむ……ブッダは生涯でこのような遍歴の旅をしたのか……。
あっ、聖★おにいさんでも出てきた弟子の名前が出てきたぞ……
元ネタ(失礼な!)の人は本当はこんな人物なのか……。
あっ!この出来事、聖★おにいさんでネタに取り上げられてたぞ……!
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仏教の現存最古の仏典の翻訳本です。
内容は、ほぼ戒律と教えばかりで、詩的表現をもちいて、対話形式で書かれている。
形式が決まっていて、同じ内容を反復しているうえに、ページ数の多くが脚注に割かれているため、見た目ほどに分量はない。
原始仏教の本なので、時代は全然違うし、文化も当然違う。
そのため教えは納得できるものもあれば、そうでないものもある。
常識として押さえておくにはいいかもしれない。
だが読み物としておもしろいかと言われると、答えに窮する。
だが、現代に通じる内容もあり、日々の自分の生活を省みながら読むならば、意義のある書物だと思う。 -
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現存する仏典のうち、最古といわれる『スッタニパータ』の日本語訳(原典はパーリ語)。
最古ゆえ、ゴータマ・ブッダその人に最も肉薄している仏典といえる。
この世の苦しみの源、煩悩から離れて心の平安を得るということ、空の思想、涅槃に至る方法などを易しい言葉で繰り返し説く。
群れるよりも孤独に沈思せよ、と説く姿勢は、教典や教団=宗教を否定するものであり、むしろニーチェの思想に近いものを感じる。
ブッダの教えが「仏教」として高度に発達するより前に書かれているので、難解な理論は登場しない。
同時に、日本仏教がブッダの教えからいかに変質した「仏教」であるかを実感する。
過剰なまでの訳注のおかげで解説書い -
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ネタバレブッダのことばースッタニパータ
p17- 「犀の角」のようにただ独り歩め。
「田を耕すバーラドヴァージャ」
農夫「あなたが田を耕すのをみたことがない」
ブッダ「わたしにとっては、信仰が種子である。苦行が雨である。智慧がわが軛と鋤である。はじることが鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ちつけることがわが鋤先と突棒とである。
身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。わたくしは真実をまもることを草刈りとしている。柔和がわたくしにとって[牛の]軛を離すことである。
努力がわが〈軛をかけた牛〉であり、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、そこに至ったならば、憂えることがない。
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日本の仏教研究は極めて変則だ。これは当初から大乗仏教しか伝来しなかったことによる。即ち、宗派仏教については僧侶が研究(修行)し、大乗仏教以前の原始仏教についてはインド哲学史として学者の研究対象となっている(勿論例外はある)。そういう意味で、日本では原始仏教は明治維新以降に一般に知られるようになったもので、それ以前、釈尊の本来の「教え」は未知のものであったろう。この仏典集にはそういった仏教本来の教え、ヒンドゥー教の要素が色濃く残った経典からの抜粋が取り上げられていて、非常に興味深い。また、各経典を個別に読み進めても一般人には理解が表層的になってしまうが、この書には中村博士の解説がなされているため
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彼は形而上学的な議論について、一切判断しない判断中止の思想を持っていた。ブッダは、人間の思考能力では解決できない問題を議論することは心の安らぎや悟りを得るためにはなんの意味もないとして、形而上学的なことがらについて無駄な議論をしないという立場を取っていたが、サンジャヤの思想はこれに近い。
p69
ブッダは信徒たちに向かって「人間としての道を実行するのに怠ってはならない戒めを守りなさい」と説いた。
仏教で説く戒めとは、悪を戒める4つの戒め(1-4)とそれ自体は悪ではないが悪を引き起こしやすい戒め(5)とのあわせて五戒である。
1.生き物を殺してはならない。
2.盗んではならない。
3.邪淫を