中村元のレビュー一覧
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仏教が説く本質とは何か?
という問いに対して著者は「慈悲」と解説している。
慈・・・喜楽の因果を与える事
悲・・・憂苦の因果を与える事
いわゆる抜苦与楽であるとするが、ではその慈悲というものはどのように捉えられて、各宗派や歴史の中でどのように扱われていたか探求していく本。
とはいえ、一般人の日常生活に即してというよりは専門の仏教学者向けに書いてあるようで、なかなかとっつきにくかった。
また、学術的に扱っている面が大きい分、全体的に客観的であり淡泊な感じがした。
なので、もったいなさも含めて☆4つ。
以下、覚えておきたいなとおもったこと。
・ヨーガ信者では、楽に対しては友情を、苦については同情を、徳に対しては喜びを、悪に関しては平静であることを修する
・自己を護ることが、同時に他人を護る事であるような自己は、もはや互いに相争うような自己ではない。
すなわち、一方の犠牲によって他方が利益を得るというような自己ではない
・自他一如。自他同じく利するなり。
他人を自己と同一に扱うべし。
・慈悲の観法は瞋恚の人には必要だが、貪愛の強い人にとっては不適切である。
慈しみ人間的な愛情に基づいているが、人間的な愛情は同時に欲情に転嫁する危険をはらんでいる。
・愛と敬とともに行われるのが、よき人のありさまである。
・恋愛は常に憎しみに転じうる可能性をもつ、しかるに慈悲は愛憎の対立を超えた絶対のものである
・慈悲は修行者の本質であり、それさえ失わなければよい。他人からどう思われようと、それは意に介するところではない。
・栄西の実践、自分はたといこの罪によって地獄に落ちても、ただ衆生の飢えを救いたい
・自己が救われるということは、他人を救うという働きのうちにのみある。他人のために奉仕するという事を離れて自己の救いはあり得ない
慈悲の実践は人が自他不二の方向に向かって行為的に動くことのうちに存する。
それは個々の場合に自己を捨てて他人を生かすことであるといってよいだろう。
もしも単に自己を否定するというだけあるならば、それは虚無主義とならざるを得ない。 -
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◯他のお経と比べると、文章の一つ一つが単独で成り立っているため、文章の意味がこぼれ落ちてしまう。やはりストーリーや、ある種の流れ、論理性によって説得的になるのも、こういった経典においても同様なのだと実感した。(単純に自分の集中力の不足もあると思うが…)
◯感興のことば後段に出てくる、対比と類似の文章の流れは、是非原文の音読によって音として体感することも必要だと感じた。ただ、文字だけでは伝わらない部分があるとしても、文字の並びは壮観であった。
◯この辺は般若心経でも重要視されている音自体に意味があることにつながってくるのかと思うと、また面白い。 -
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仏陀(ガウタマ・シッダールタ)の生涯を、タイトル通り物語風に著した一冊。入門書としては分かりやすい本だと思う。
ただ☆を一つ減らしたのは、本の焦点が少しぼやけているような気がするから。
仏陀の生涯を紹介するなら、いっそ自伝風にした方が読ませるものになっただろうけれど、中途半端に解説めいているのでかえって読みづらいように思う。新書(しかもジュニア新書)ということでこういう形になったのだろうけれど、これなら手塚治虫の『ブッダ』の方が、仏陀という人物に興味を持たせるという意味では成功するだろう(もちろん手塚治虫と比較されたらどんな本もなかなか敵わないだろうけれど)。
手塚氏の『ブッダ』が氏の創作で、多くのオリジナルキャラクターが登場することを鑑みれば、
『ブッダ』→本書→より専門的な仏陀の紹介本へ
という道筋をたどるのがよろしいのではないか、という気がする。 -
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仏教に関する本をちょこちょこ読んではいても、肝心のゴータマ・ブッダの生涯をよく知らなかったので手に取った入門書。
まず、思った以上に今の日本の仏教とゴータマ・ブッダの教えには直接伝わってるものが多いこと。恥ずかしながら、お盆や、地獄などは悟りの追求とあまりにもかけ離れているように思え、民間信仰がどこかで混じったものだと勝手に決めつけておりました。。反省。
当時一般に流布していた既存の信仰に沿って語られた部分、ブッダの思いやりから人の苦しみを和らげようと生まれた方便など、多彩な表現が含まれているのはむしろリアルで、多くの人々から頼られた実在の賢者の生涯として説得力のあるものだった。
とても平易な言葉で読みやすく、でも奥行きのある、いい本です。 -
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私がこの本を手に取った理由はズバリ、聖★おにいさんのブッダの
元ネタが知りたかったから……という不心得者な発想からです、はい。
他の方のレビューのようなしっかりした理由も感想もないので
ちょっと心苦しい……。
こんな私のような者にも、この本は非常にやさしく、読みやすい文章で
ブッダの一生とその思想についてピックアップした部分を教えてくれました。
ふむふむ……ブッダは生涯でこのような遍歴の旅をしたのか……。
あっ、聖★おにいさんでも出てきた弟子の名前が出てきたぞ……
元ネタ(失礼な!)の人は本当はこんな人物なのか……。
あっ!この出来事、聖★おにいさんでネタに取り上げられてたぞ……!
などなど、完全に本来意図された方向とは違う方向からこの物語を
読んでしまいましたが、個人的には読んで良かったと満足する一冊でした。
きっかけは漫画の元ネタを見てみたいなんて理由でしたが、ブッダという
その人の生きざま、考え方を知るにつれ、その人そのものを今度はもっと
知ってみたいと思うようになりました。
うれしいことにこの中村元さんは私の地元・島根県の方だそうで、
これをご縁にまたこの方の著書を手に取ってみたいと思います。 -
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仏教の現存最古の仏典の翻訳本です。
内容は、ほぼ戒律と教えばかりで、詩的表現をもちいて、対話形式で書かれている。
形式が決まっていて、同じ内容を反復しているうえに、ページ数の多くが脚注に割かれているため、見た目ほどに分量はない。
原始仏教の本なので、時代は全然違うし、文化も当然違う。
そのため教えは納得できるものもあれば、そうでないものもある。
常識として押さえておくにはいいかもしれない。
だが読み物としておもしろいかと言われると、答えに窮する。
だが、現代に通じる内容もあり、日々の自分の生活を省みながら読むならば、意義のある書物だと思う。 -
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現存する仏典のうち、最古といわれる『スッタニパータ』の日本語訳(原典はパーリ語)。
最古ゆえ、ゴータマ・ブッダその人に最も肉薄している仏典といえる。
この世の苦しみの源、煩悩から離れて心の平安を得るということ、空の思想、涅槃に至る方法などを易しい言葉で繰り返し説く。
群れるよりも孤独に沈思せよ、と説く姿勢は、教典や教団=宗教を否定するものであり、むしろニーチェの思想に近いものを感じる。
ブッダの教えが「仏教」として高度に発達するより前に書かれているので、難解な理論は登場しない。
同時に、日本仏教がブッダの教えからいかに変質した「仏教」であるかを実感する。
過剰なまでの訳注のおかげで解説書いらず。
本文を読んで「?」と思った箇所はたいてい訳注が解決してくれた。 -
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ネタバレブッダのことばースッタニパータ
p17- 「犀の角」のようにただ独り歩め。
「田を耕すバーラドヴァージャ」
農夫「あなたが田を耕すのをみたことがない」
ブッダ「わたしにとっては、信仰が種子である。苦行が雨である。智慧がわが軛と鋤である。はじることが鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ちつけることがわが鋤先と突棒とである。
身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。わたくしは真実をまもることを草刈りとしている。柔和がわたくしにとって[牛の]軛を離すことである。
努力がわが〈軛をかけた牛〉であり、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、そこに至ったならば、憂えることがない。
この耕作はこのようになされ、甘露の果実をもたらす。この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる」p24
究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきこと。リスト[慈しみ]p37
「常に戒を身にたもち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、よく気をつけている人こそが、渡りがたい激流を渡り得る」p42
[聖者]
世間をよく理解して、最高の真理を見、激流を超え海をわたったこのような人、束縛を破って、依存することなく、煩悩の汚れのない人、ー諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。p49
楠正成「七度び人間と生まれて朝敵を滅ぼさむ」p302
深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであることーこれがこよなき幸せである。p58
ヴェーダ(真理の知識)
強情をなくし謙虚な態度で、時に応じて師のもとに行け。ものごとと真理と自制と清らかな行いとを心に憶い、かつ実行せよ。p69
ラーフラ(羅睺羅)ー釈尊唯一の息子。p71
ウポーサタ(斎戒)p83
(釈尊はなぜ出家したのか)
「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが、出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない)」と見て、出家されたのである。p85
〈メモ・素朴な疑問〉
みんなが仏陀に帰依して、出家したら、托鉢などできなくなる。
このパラドックス。
【竜】p111
世間のうちにあっていかなる罪悪もつくらず、一切の結び目・束縛を捨て去り、いかなることにもとらわれることなく解脱している人ーこのような人はまさにその故に〈竜〉と呼ばれる。
サーヴァッティー市のジェータ林、〈孤独な人々に食を給する長者の園〉p142
「接触にとらわれ、生存の流れにおし流され、邪道を歩む人々は、束縛の消滅は遠いかなたにある。
しかし接触を熟知し理解して、平安を楽しむ人々は、実に接触がほろびるが故に、快を感ずることなく、安らぎに帰している」p162
「従属するものは、たじろぐ」「従属することのない者は、たじろがない」p168
物質的領域を熟知し、非物質的領域に安住し、消滅において解脱する人々は、死を捨て去ったのである。p169
智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見をかまえてはならない。自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人よりも「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。p180
「『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、わたくしは説かない。『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかにやることができる』、とも説かない。それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である)」p186 -
Posted by ブクログ
日本の仏教研究は極めて変則だ。これは当初から大乗仏教しか伝来しなかったことによる。即ち、宗派仏教については僧侶が研究(修行)し、大乗仏教以前の原始仏教についてはインド哲学史として学者の研究対象となっている(勿論例外はある)。そういう意味で、日本では原始仏教は明治維新以降に一般に知られるようになったもので、それ以前、釈尊の本来の「教え」は未知のものであったろう。この仏典集にはそういった仏教本来の教え、ヒンドゥー教の要素が色濃く残った経典からの抜粋が取り上げられていて、非常に興味深い。また、各経典を個別に読み進めても一般人には理解が表層的になってしまうが、この書には中村博士の解説がなされているため、より深い理解が得られる。原始仏教の基礎知識を得るには最適の書であろう。
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Posted by ブクログ
彼は形而上学的な議論について、一切判断しない判断中止の思想を持っていた。ブッダは、人間の思考能力では解決できない問題を議論することは心の安らぎや悟りを得るためにはなんの意味もないとして、形而上学的なことがらについて無駄な議論をしないという立場を取っていたが、サンジャヤの思想はこれに近い。
p69
ブッダは信徒たちに向かって「人間としての道を実行するのに怠ってはならない戒めを守りなさい」と説いた。
仏教で説く戒めとは、悪を戒める4つの戒め(1-4)とそれ自体は悪ではないが悪を引き起こしやすい戒め(5)とのあわせて五戒である。
1.生き物を殺してはならない。
2.盗んではならない。
3.邪淫を行なってはならない。
4.偽りを語ってはならない。
5.酒を飲んではならない。
仏教信者にとってはこの五戒を守ることがその入り口とされている。
p164
「この世で自らを島とし自らをたよりとして、他のものを頼りとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとするな」
自分が死ぬことを嘆いてはいけない。生まれたものは必ず死ぬという運命を、なんびともまぬがれることは出来ない。無常の理、すなわち全てのものは変化してゆくものであるという真理は絶対である。しかし死ぬのはこの私の肉体である。それは朽ち果てるものである。真の生命は私が見出し、私が解いたり方である。それに人々が気づいて実践しているならば、そこに私は生きている。永遠の命である。
ブッダが亡くなったあとでは、何にたよったら良いのであろうか。ここで「自らに頼れ。法に頼れ」とブッダは教えるのである
p171-172