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ブッダは「お釈迦さま」の名で知られる仏教の開祖です.シャカ族の王子に生まれ,生きる苦しみから悟りを開き教えを説くにいたったその生涯をたどり,仏教の教義をわかりやすく説明します.四苦八苦,因縁,縁起,業などよく使われる言葉の本来の意味を解説し,悟りとは何かを明らかにするやさしい仏教入門.
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Posted by ブクログ
中村 元 1912~1999。東京大学印度哲学梵文学科卒業。インド哲学者、仏教学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻はインド哲学・仏教学。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章 「ブッダとは「真理を悟った人」「覚者」という意味で、真理を悟った人全部を指すので、仏教の開祖個人だけを示すことばでは...続きを読むない。「仏陀」と書いたり「仏」と訳されることもある。 仏教の開祖個人を指す場合には、ゴータマ・ブッダとよばれることが多い。ゴータマとは、彼の家の名に相当する姓をいうのである。 日本ではブッダは、「お釈迦さま」あるいは「釈迦」とよばれているが、シャカあるいは釈迦とは、彼の出た種族の名である。だから、釈迦族出身の聖者という意味で釈迦牟尼世尊ともいわれ、これを略して釈尊とよばれることもある。牟尼はムニの音写で、聖者を意味する。世尊とは世にも尊いという意味で、仏教ではブッダのことであるが、ヒンドゥー教などでも神々や聖者を世尊とよぶことがある。」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著 「ちょうどそのとき神々もやってきてこの子の誕生を祝い、将来、人を救う偉大な人となることを示そうとするかのように、頭上に傘をかけたり、払子であおいだりしたという。アシタ仙人は子どもの将来を占って、「人間のなかの最上になる方だ」とよろこんだ。 ところがすぐに仙人は暗い顔をして、涙を流した。それを見た父王が、 「生まれた子どもの将来になにか災いが起ころうとしているのでしょうか」と不安げにたずねると、仙人はこたえて言った。 「いやいやそうではありません。わたしは、王子に不吉の相があるので涙を流したのではないのです。王子は凡庸な方ではありません。どうか大切にお育てください。王子は将来かならず悟りを開く方です。慈悲心があるので、多くの人々の利益をはかり、教えを説くようになるでしょう。その教えはひろまるでしょう。しかし私の余命はいくばくもありません。この尊い方の教えを聞けないので、わたしは悲嘆に暮れて泣いているのです」」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著 「実の母を知らずに育ったブッダは、物質的には恵まれて多くの人々にかしずかれて過ごしたが、なにかものたりない思いで、幼少の頃から人生の無常、悲しさ、矛盾に深い関心を示していた。 ブッダの幼い頃の伝説としてつぎのようなことが伝えられている。 例年行なわれる鋤入れ式に父スッドーダナ王が参加したとき、幼少の王子もこの儀式に参加して農夫の働いている姿をじっと眺めていた。泥と汗にまみれてつらそうに働く農夫の姿を見て、人間の苦しむ姿が心に焼きついた。さらに、鋤で掘り返された土の中から虫が出てきたなと思っていると、どこからともなく鳥が飛んできてくちばしでくわえていってしまう。生きもの同士がたがいに食いあわなければならない自然界の残酷な弱肉強食の現実と人間界の苦のすがたを見て、憂いに沈み哀れみの情でいっぱいになり、近くの森に行って閻浮樹の下にすわって瞑想に入った。」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著 「王子ブッダは感受性のつよい、繊細な精神の持ち主として、スッドーダナ王とマハーパジャーパティー妃のもとでなに不自由なく育っていった。王子は幼い時から落ちつきをそなえ、清潔で、賢く、威厳にみちた容貌をそなえていたという。 王宮には池が掘られて青、紅、白の蓮華が植えられ、水鳥が泳ぎ、その眺めはすばらしいものであった。池は王子が沐浴ができるようになっていた。 王子はつねに上質の香料、衣服、装飾品を身につけ、暑さ、寒さ、よごれ、塵、ほこり、草の露などを避けるために、夜となく昼となく白い傘蓋で大事に保護されていた。」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著 「 インドの古典とは、バラモンが暗誦してとなえるヴェーダ聖典やウパニシャッドであるが、王子はクシャトリア(王族と武士の階級)であったから、公文書等を記すのに文字の習得が必要であったと思われる。 王子は、算術も学んだ。シャカ族の少年たちが集まって数え方の競争をしたとき、王子にかなうものはだれ一人としていなかったばかりか、算術の大家として知られる教師でさえ、王子にはかなわなかった。王子は大きな数の単位はもとより、計算もよく知っていたという。 王子はクシャーンティデーヴァという教師から武芸兵法を学んだ。刀、弓、相撲、象・馬の乗り方、兵の指揮法、戦闘技術、天文、祭祀、占い、古典、呪術などが教えられたが、王子はごく短時日で習得してしまった。これらはすべて、一国の王となるための教育であった。 ときには、シャカ族の王子たちの間で武術の技くらべが行なわれた。王子はなかでも弓の技術が一段とすぐれていた。」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著 「解脱とは、インド思想で説かれる考え方で、生まれかわり死にかわる輪廻の苦しみからの脱出を意味するが、これが仏教にもとり入れられて、生きる苦しみや迷いから解放されて不死の状態になる涅槃(ニルヴァーナ)に到達して救われることをいう。」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著 「人生やものごとの真実の姿に気づかないことが無明である。すなわち、すべてのことはいつも同じ状態にはない(無常)、固定的ではない(無我)ということに気づかないことである。そのためにものごとに執着してしまうことになる。」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著 「すべてのものの真実のすがたを見通すと、いかなるものも、目に見えない無数の原因や条件(因縁)に基礎づけられて成立している。孤立した固定的な物はなにも存在しない。生きものや人間たちも他からの無数の恩恵を受けて、たがいに依りあって成立している(縁起)。目に見える、限られた自分の存在だけを固執し主張するのは浅はかである。つきつめると、こういうことがわかったのである。」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著 「ブッダは、七日間、瞑想しつづけたが、七日目に菩提樹の下から立ち上がってアジャパーラ榕樹の下に行き、悟りを味わいながらすわった。 一人のバラモン僧が近づいてブッダに話しかけた。 「ゴータマよ、あなたはバラモン僧の規範は何だと思いますか」 ブッダは、彼の顔つき、姿、ふるまい、話し方をひと目見て、バラモン僧であることをおごりたかぶっていると知って言われた。 「徳あり、傲慢でなく、自制していて、清らかな修行を実践している人こそ、真のバラモン僧というのだ」」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著 「 「尊い方よ、どうかこの食べ物をお受けください。そして私たちに幸せが訪れますように」 ブッダは石鉢で食べ物を受けてそれを食べられた。菩提樹の下にすわる前に乳がゆを口にしたあとブッダはなにも食べずにすわりつづけ、四週目にはじめて食べ物を口にされたのである。」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著 「「あたえる者には功徳が増す。身心を制する者には怨みのつもることがない。善き人は悪事を捨てる。その人は、情欲と怒りと迷妄とを滅して、束縛が解きほごされた」 他の人になにものかをあたえることによって、窮屈な世の中が窮屈でなくなる。 チュンダの捧げた食物でブッダは病いにかかったが、チュンダの心は純粋であった。清らかな心で事を行なえば功徳があるはずだというのである。」 —『ブッダ物語 (岩波ジュニア新書)』中村 元, 田辺 和子著
お釈迦様の一代記である。 前半はブッダの生誕から壮年期くらいまでを多くのエピソードを交えながらわかりやすく展開し、後半は中村元氏の執筆のようだが(後半は秀逸である)、ややエッセイ風にお釈迦様の晩年を静かな筆致で書き進めており、全体として誰にでも読みやすい記述ながら極めて深い感動を呼ぶ作品となっている...続きを読む。 このように平易な書き方をしてはいるが、例えば家庭内暴力少年アジャータサットゥ(阿闍世)王子とビンビサーラ王、韋提希夫人の物語は『観無量寿経』に出てくるし、ブッダの最後の旅から入滅にいたる物語は『大パリニッバーナ経』にその記述を見ることができるなど、詳細に経典に則って描かれている。 さて、私はこの本を読んで、改めて「自灯明・法灯明」の部分が深く心に残った。ブッダは説く。「この世で自らを島とし自らをたよりとして、他のものをたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとするな」と。私たちは、ややもすると誰かがこういったから私はこうしたなどと言い、場合によってはそれが言い訳になったり愚痴になったりするけれど、このブッダの言葉は彼が私に、心の芯の部分に灯している静かな灯明(私の根源)から、セイイチ、あなたはどう生きたいのか?と問うている気がして、はっとした。 日常、仕事をし、生活をしていく中で困難なことや辛いことが起こってくることが少なくなくて、まさにチュッラパンタカのように時に茫然自失、自信を無くしそうになることもあるけれど、常なるものは無く、人も状況もあらゆるものが移りゆき、次の局面では心温まる状況がひょこり生じるかもしれないことを思えば、私たちは「怠ることなく修行を完成し」なければならないのかもしれない。私に与えられた、生きていくという修行を。 ブッダは「この世は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」という。私はこの本で出会ったこのことばを大切に抱いて、生きていこうと思う。 ああ、遥かに声が聞こえる。その声はこう呼んでいる。 「来たれ、修行僧よ!」 PS:何より驚いたのは、お釈迦様の本物と思しきお骨が、名古屋市の日泰寺に収められているらしいことだ。 今度行ってみよっと。
ブッダの教えと、現代に通ずる仏教の心を繰り返し描写してくれている一冊。 私のような学びたての者にも優しい読みやすさ。 またブッダは、神のように厳粛で人智を超越した何かを扱うのではなく、人や出来事に等身大で向き合っていた人なのだなと感じた。
カピラ(Kapila)王国の王子。ゴータマ(姓)・シッダールタ(名)。 マーヤー夫人。摩耶。ブッダの母。母マーヤーは白い象になったブッダが天から降りてきて右脇から自分のお腹に入る夢を見る。直後、ブッダを懐妊。産後7日後、母マーヤーは息をひきとる。 ※摩耶夫人像。東京国立博物館・法隆寺宝物館。 ※ル...続きを読むンビニ。ブッダが生まれた地。ネパール南西部。 快楽。高名な仙人がこの子は「最高の悟りに達するだろう」と予言。父はブッダが出家して後継者がいなくなることをおそれ、ブッダに美しい宮殿以外の世界を見せず、あらゆる快楽を与えた。 四門出遊。東の門「老人とは何者か?」「もはや長く生きることはできない者です」▼南の門。「病人とは何者か?」「病から回復するか分からない者です」。▼西の門。「染められた布かごは何か?」「死人です」▼北の門。修行者がいて生老病死を超える救いを見出した。 妻子を捨て出家。ヤソーダラー耶輸陀羅(ブッダの妻)。ラーフラ羅睺羅(ブッダの子)。▼修行。煩悩を滅し、何ものにも捉われない境地。想うことも想わないこともない境地。断食などの苦行。▼スジャータ。苦行をしていたブッダに乳がゆをわたした村の娘。 菩提樹。インド北東部ブッダガヤ。ブッダは木の根元に座って静かに瞑想。悪魔が化物や美女の姿で現れ、煩悩が悟りを妨げようとする。瞑想を初めて7日目、右手の人差し指で地面を触れた瞬間、悪魔は消え失せた。真理を悟り、生老病死の苦しみから解放され、心の安らぎを得た。 梵天勧請。ブッダは悟りの内容は欲望に支配された人々には理解できないと考え、最初、悟りの内容を明かすことはなかった。梵天(バラモン教の最高神)「どうか悟りの内容を広く説いてください」 五人の弟子。ヴァーラーナシー。ブッダが初めて説法をした場所。インド北東部。▼アッサジ。阿説示。ブッダの弟子。五比丘(ごびく 最初の五人の弟子)。 ※憍陳如きょうちんにょ。カウンディンニャ。 ※阿説示あせつじ。アッサジ ※摩訶摩男まかなまん。マハーナーマン ※婆提梨迦ばつだいりか。バッディヤ ※婆敷ばしふ。ヴァシュフ サーリプッタ 。舎利弗しゃりほつ。十大弟子。▼モッガッラーナ。目連もくれん。十大弟子。業の深い母が地獄で苦しんでいたのでブッダに相談。ブッダ「7月15日に供養するように」。盂蘭盆会(旧暦7月15日に祖先の冥福を祈る仏事)の由来。 ※クシナガラ。ブッダが亡くなった地。インド北東部。
仏陀(ガウタマ・シッダールタ)の生涯を、タイトル通り物語風に著した一冊。入門書としては分かりやすい本だと思う。 ただ☆を一つ減らしたのは、本の焦点が少しぼやけているような気がするから。 仏陀の生涯を紹介するなら、いっそ自伝風にした方が読ませるものになっただろうけれど、中途半端に解説めいているのでか...続きを読むえって読みづらいように思う。新書(しかもジュニア新書)ということでこういう形になったのだろうけれど、これなら手塚治虫の『ブッダ』の方が、仏陀という人物に興味を持たせるという意味では成功するだろう(もちろん手塚治虫と比較されたらどんな本もなかなか敵わないだろうけれど)。 手塚氏の『ブッダ』が氏の創作で、多くのオリジナルキャラクターが登場することを鑑みれば、 『ブッダ』→本書→より専門的な仏陀の紹介本へ という道筋をたどるのがよろしいのではないか、という気がする。
仏教に関する本をちょこちょこ読んではいても、肝心のゴータマ・ブッダの生涯をよく知らなかったので手に取った入門書。 まず、思った以上に今の日本の仏教とゴータマ・ブッダの教えには直接伝わってるものが多いこと。恥ずかしながら、お盆や、地獄などは悟りの追求とあまりにもかけ離れているように思え、民間信仰がどこ...続きを読むかで混じったものだと勝手に決めつけておりました。。反省。 当時一般に流布していた既存の信仰に沿って語られた部分、ブッダの思いやりから人の苦しみを和らげようと生まれた方便など、多彩な表現が含まれているのはむしろリアルで、多くの人々から頼られた実在の賢者の生涯として説得力のあるものだった。 とても平易な言葉で読みやすく、でも奥行きのある、いい本です。
私がこの本を手に取った理由はズバリ、聖★おにいさんのブッダの 元ネタが知りたかったから……という不心得者な発想からです、はい。 他の方のレビューのようなしっかりした理由も感想もないので ちょっと心苦しい……。 こんな私のような者にも、この本は非常にやさしく、読みやすい文章で ブッダの一生とその思想...続きを読むについてピックアップした部分を教えてくれました。 ふむふむ……ブッダは生涯でこのような遍歴の旅をしたのか……。 あっ、聖★おにいさんでも出てきた弟子の名前が出てきたぞ…… 元ネタ(失礼な!)の人は本当はこんな人物なのか……。 あっ!この出来事、聖★おにいさんでネタに取り上げられてたぞ……! などなど、完全に本来意図された方向とは違う方向からこの物語を 読んでしまいましたが、個人的には読んで良かったと満足する一冊でした。 きっかけは漫画の元ネタを見てみたいなんて理由でしたが、ブッダという その人の生きざま、考え方を知るにつれ、その人そのものを今度はもっと 知ってみたいと思うようになりました。 うれしいことにこの中村元さんは私の地元・島根県の方だそうで、 これをご縁にまたこの方の著書を手に取ってみたいと思います。
彼は形而上学的な議論について、一切判断しない判断中止の思想を持っていた。ブッダは、人間の思考能力では解決できない問題を議論することは心の安らぎや悟りを得るためにはなんの意味もないとして、形而上学的なことがらについて無駄な議論をしないという立場を取っていたが、サンジャヤの思想はこれに近い。 p69 ...続きを読む ブッダは信徒たちに向かって「人間としての道を実行するのに怠ってはならない戒めを守りなさい」と説いた。 仏教で説く戒めとは、悪を戒める4つの戒め(1-4)とそれ自体は悪ではないが悪を引き起こしやすい戒め(5)とのあわせて五戒である。 1.生き物を殺してはならない。 2.盗んではならない。 3.邪淫を行なってはならない。 4.偽りを語ってはならない。 5.酒を飲んではならない。 仏教信者にとってはこの五戒を守ることがその入り口とされている。 p164 「この世で自らを島とし自らをたよりとして、他のものを頼りとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとするな」 自分が死ぬことを嘆いてはいけない。生まれたものは必ず死ぬという運命を、なんびともまぬがれることは出来ない。無常の理、すなわち全てのものは変化してゆくものであるという真理は絶対である。しかし死ぬのはこの私の肉体である。それは朽ち果てるものである。真の生命は私が見出し、私が解いたり方である。それに人々が気づいて実践しているならば、そこに私は生きている。永遠の命である。 ブッダが亡くなったあとでは、何にたよったら良いのであろうか。ここで「自らに頼れ。法に頼れ」とブッダは教えるのである p171-172
[ 内容 ] ブッダはお釈迦さまの名で知られる仏教の開祖です。 シャカ族の王子に生まれ、生きる苦しみから悟りを開き教えを説くにいたったその生涯をたどり、仏教の教義をわかりやすく説明します。 四苦八苦、因縁、縁起、業などよく使われる言葉の本来の意味を解説し、悟りとは何かを明らかにするやさしい仏教入門。...続きを読む [ 目次 ] 1 誕生 2 宮廷の栄華 3 出家 4 悟りを開く 5 教えを説く 6 ブッダの子供たち 7 最後の旅 8 入滅 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
・『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』の島田裕巳さんが書かれた、『ブッダは実在しない』とあわせて手に入れた『ブッダ物語』…さあ、真実はどっちだ(・・? 島田裕巳さんの『ブッダは実在しない』の次に読みました。書かれていることは、言い伝えに忠実であろうとするためか、まるで、おとぎ話のようで、リアリ...続きを読むティに欠けるので、期せずして、ブッダは創られた教祖なのではないか?という疑念を強めるものでした。 しかし、ブッダの教えが時代と共に創造・精製されたものであったとしても、私たちが追い求めるものは、命の炎が弱まるにつれて色あせて行くものであることは間違いありません。ブッダが残したとされる言葉の数々に思いを巡らせ、自らの答えを探す者は、ブッダの弟子と言えるのかもしれません。 「一般向けに、お釈迦さまの伝記を書いてほしい」と編集部から依頼されて執筆されたという『ブッダ物語』は、中村元先生が、できるだけ客観的に書かれたものと思われますが、今ひとつ、先生の思いが伝わって来ない「もどかしさ」を感じるのも事実です。思いは、読者が創出するのかな? これを物語だとすると、いわゆる三人称視点で書かれているんですよね。改めて考えると、童話の殆どがそうなのですが、まさに、その物語に込められた思いを、どのように感じるかは、読者の裁量に任されているのかもしれませんね。
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