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数多い仏教書のうちで最も古い聖典。後世の仏典に見られる煩瑣な教理は少しもなく、人間としての生きる道が、ブッダとの対話のなかで具体的に語られる。初訳より二六年、訳文はいっそう読み易くなり、積年の研究成果が訳注に盛られ、読解の助けとなると共に、他仏典との関連、さらには比較文化論にも及び、興味はつきない。
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Posted by ブクログ
仏教系の経典のなかでも理解しやすく親しみやすい書物。望ましい結論へ導くための知恵にあふれていて、昔そうかなと思えたことも人生後半をすぎたあたりからようやくその真価がにじみだす、なんてこともよくある。謙虚に付き合いつづけていきたい1冊。
仏教書の中でも最も古いもの。教義等は無く、どう生きるべきかが書かれてある。訳は読みやすいが若干知識は必要。個人的にとても良書。
・「犀の角のようにただ独り歩め」異国情緒と含蓄に溢れるとても良い言葉だ。 ・今の日本の仏教のように「仏に縋り、仏に祈る」というのは随分と原型から離れたもののように感じた。 ただ、インドにおける仏教の発生がインドの風土と風俗に沿ったものであるなら、日本の仏教の発展もまた日本の風土と風俗に沿ったものであ...続きを読むるのか。 ・「二度とこの世に生まれることがない」のが最良だど幾度と唱えているが、これは反出生主義とどう違うのか誰か教えて欲しい。 ・「自分で自分のことを言いふらすのであるから、かれは「下劣な人」である」は、各種SNSヘビーユーザーに刺さる言葉だな。 ・執着するから、愛着するから苦しみが生まれるのだ、という意見はよく分かる。 それでも私は清濁併呑の人生もまた悪くないとも思う。
とても良かったです。確かに初期の頃は教えが煩雑でなく、今の五戒や十二支縁起説のもとになっただろう言説が簡潔に書いてあります。でも、簡潔な分サラっと説明してすぐ次の話題に行くので追いつくのが大変でした。常に頭の中で整理しながら読むと読みやすいと思います。
今の日本の葬式仏教とは何なのだろう。 ゴータマ・シッダールタの言葉とはかけ離れた姿。 哲学なきところにあるのは、金と欲のみ。
初めて原始仏典を読んだが、そこには公案のようななぞなぞも、密教のような呪文も無く、ひたすらシンプルに世俗に背を向けて煩悩を捨てることが繰り返し繰り返し説かれていた。人の死を悲しむことすら煩悩だと言い切る「矢」や、自説の正しさを主張することの愚かさを説いた「並ぶ応答」など、印象深い言葉が多かったが、や...続きを読むはり白眉は「ただ独り歩め」と説き続ける「犀の角」。
数多い仏教書おうちで最も古い聖典といわれているのがこの「スッタニパータ」であります。 現在の仏教とは少し違う原始仏教のことを知りたくて、もっともブッダの発言に近いといわれているこの本が前々から読みたいなぁ~って思ってたんだけど、難しそうだなぁ~って思ってなかなか手をつけれないでいた。 きっと難しいん...続きを読むだろうと思い、気合を入れてエイヤーっ!っと読み始めたら、これがなかなか読みやすい。わかりやすい訳のおかげなんだけど、読みやすいし、これがおもしろいかった。 個人的に最も感銘を受けたのが「蛇の章 八、慈しみ」の中にあるこんな言葉です。 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも、強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生きるものは、幸せであれ。 この万物に向けられたた慈しみの目。いやー、すばらしい。この心は大切にしなければなりません。
仏陀が大きな教団を作る前に説いた人生の道標。 人は生まれによってバラモンとなるのでなく、行為によってバラモンとなるのである。 理法に従って道を歩む「信仰」(saddha)が大切とされる。 チュンダに語った四種の修行者の話でソクラテスやイエスの言ってたことと本質的には一致するのではないかと...続きを読む思いました。 「疑いを越え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と世間とを導く人、──そのような人を<道による勝者>であると目ざめた人々は説く。 この世で最高のものを最高のものであると知り、ここで法を説き判別する人、疑いを絶ち欲念に動かされない聖者を修行者たちのうちで第二の<道を説く者>と呼ぶ みごとに説かれた<理法にかなったことば>である<道>に生き、みずから制し、落ち着いて気をつけていて、とがのないことばを奉じている人を、修行者たちのうちで第三の<道によって生きる者>と呼ぶ。 善く誓戒を守っているふりをして、ずうずうしくて、家門を汚し、傲慢で、いつわりをたくらみ、自制心なく、おしゃべりで、しかも、まじめそうにふるまう者、──かれは<道を汚す者>である。 」 輪廻の思想や、仏陀に問いかけをする神神、惑わす悪魔など、文章から見ると壮大な背後世界を全く肯定しているような気もするが…。 中村元スゲー
カテゴリの中に新たに「仏教」を追加した。 本から 五蓋 ― 貪欲、瞋り、心の沈むこと、心のそわそわすること、疑い 眼ある人 ― 一般に仏の異名 諸々の邪まな見解にとらわれず、戒を保ち、知見を具えて、 諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母体に 宿ることがないであろう。 この世では...続きを読む信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは 安楽をもたらす。実に真実が味の中での美味である。智慧に よって生きるのが最上の生活である。 愛欲にともあって起こる、清く見える外形を捨てて考えよ。 (身は)不浄であると心に観じて、心をよく一つに統一せよ。 汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、 第三の軍隊は飢渇であり、第四の軍隊は妄執といわれる。 汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、第六の軍隊は 恐怖といわれる。何時の第七の軍隊は疑惑であり、汝の 第八の軍隊はみせかけと強情である。 善い人々は最上の善い説を説く。これが第一である。理法を 語れ、非法を語るな。これが第二である。好ましからぬことばを 語るな。これが第三である。真実を語れ、虚妄を語るな。 これが第四である。 自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。 これこそ実に善く説かれたことばなのである。 若い人も壮年の人も愚者も賢者も、すべて死に屈伏してしまう。 すべての者は必ず死に至る。かれらは死に捉えられてあの世に 去っていくが、父もその子を救わず、親族もその親族を救わない。 見よ。見まもっている親族がとめどなく悲嘆に暮れているのに、 人は1人づつ屠所へ引かれる牛のように連れ去られる。 このように世間の人々は死と老いといによって害われる。 されば賢者は、世のありさまを知って、悲しまない。汝は来た人の 道をしらず。また去った人の道を知らない。汝は(生と死の)両親を 見ないで、いたずらに悲泣する。迷妄にとらわれ自己を害している 意図が、もしも泣き悲しんでなんらかの利を得ることがあるならば、 賢者もそうするがよかろう。泣き悲しむことによっては心の平安は 得られない。ただますますかれには苦しみが生じ、身体がやつれる だけである。みずから自己を害いながら、身はやせて醜くなる。 そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。泣き悲しむのは 無益である。憂いを捨てない人はますます苦悩を受けることになる。 亡くなった人のことを哭くならば、憂いに捕われてしまったのだ。 また自分のつくった業にしたがって死んで行く人々を見よ。 かれら生あるものどもは死に捕えられて、ここに慄えおののいている。 ひとびとがいろいろと念願しても、結果は意図とは異なったものとなる。 期待に背くこと、このとおりである。世のありさまを見よ。 たとい人が百年生きようとも、或いはそれ以上生きようとも、 終いには親族の人々から離れて、この世の生命を捨てるに至る。 だから尊敬さるべき人のことばを聞いて、亡くなった死者を見ては、 「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」と悟って、悲しみを 嘆き去れ。 世に名とし姓とし附せられているものは、通称にすぎない。 (人の生まれた)その時々に附せられて、かりに設けられて 伝えられているのである。 人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。 愚者は悪口を語って、その斧によって自分を断つのである。 害心なく清くして汚点のない人を憎むかの愚者には、必ず 悪がもどってくる。風に逆らって微細な塵を散らすようなものである。 独り坐すことと道の人に奉仕することとを学べ。聖者の道は 独り居ることであると説かれている。独り居てこそ楽しめるであろう。 世間における種々なるかたちのあらゆる苦しみは生存の素因に もとづいて生起する。実に知らないで生存の素因をつくる愚鈍者は くりかえし苦しみを受ける。それ故に知り明らめて苦しみの生ずる 原因を観察し、素因をつくるな。 われは(昔さとりを開こうとした時に)愛執と嫌悪と貪欲(という三人の 魔女)を見ても、かれらと性の交わりを行いたいという欲望さえも 起こらなかった。大小便に満ちたこの女がそもそも何ものだろう。 わたしはそれに足で触れることさえも欲しない。 ―安らぎを固執することもなく。 世の中における種々様々な苦しみは、執着を縁として生起する。 愛欲と憂いとの両者を捨て去ること。沈んだ気持ちを除くこと。 後悔をやめること。 ゴータマ・ブッダの説法 前約428年-383年
朝、コーヒーをいれながらぱらぱらと読んでいるだけで、背筋が伸びる。 むだのない、力強いことば。 ことばの発しているエネルギーの質が違う感じ。 見た目よりも、ずっと分かりやすいことばでつづられていて、 おすすめです。
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