ジークムント・フロイトのレビュー一覧
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近年の必読論考といえる「不気味なもの」だけ、とりあえず読んでみました。
「抑圧した熟知したものの回帰」というテーゼは有名だけど、いざ読んでみるとなかなか面白かったです。何よりホフマンの『砂男』の読解が鮮やか。
ただ、後半(ドッペルゲンガー論、アニミズム的能力の残滓論など)は思ったりより複雑かつスッキリしない論考なので、2回読んでようやく大意がわかる感じでした。
結論としては、「ある印象によって抑圧された幼児期のコンプレックスがよみがえったとき、あるいは克服された原始的な確信があらためて確証されたようにみえるとき、不気味なものという経験が生まれる」ってことでした。(後半部分はあまり知られていませんね。また、訳者の中山元は三系列に分けられるはずだと主張していますが。)
あと先行研究もあって、そもそもシェリングの言葉の発展概念みたいですね…シェリング、凄いわ。 -
Posted by ブクログ
三角形的な関係においてこそ男性の欲求が増していく。嫉妬心という人間の心的働きは予想以上に不合理。愛する人を救いたいと欲する気持ち、愛する人は不幸であってほしいという願望、全てが非常に文化的な視点からの読み解きを推進してくる。映画や小説でそのような構造的仕組みが配されているのがよく分かる。
フロイトお得意の近親相姦的な欲望とその不可能性によるリビドーの増大、そしてその解消対象の選択等、まだ前半だが非常に面白い。訳が分かりやすい。
流石に女性が抱く男根願望に関しては納得がしづらい。クリトリスの不完全性を打ち出すフロイトは今的な視点で見ると理解ができないが、男性にも女性的な側面が入り混じる両性性についての、言及があったりと簡単に古臭い男根主義と切り捨てることはできない。当時の一般的な価値観と照らし合わせるとフロイトの思考の方が進んでるのかな、と。 -
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オーストリアの高名な精神分析学者ジークムントフロイトの書いた最晩年の遺書的論文。彼自身がユダヤ人でもありナチスの迫害を受け親族のうちの何人かが強制収容所に送られている。
モーセがエジプト人でありアメンホテプ4世の一神教時代の神官であったという大胆な仮説を前提に、原始宗教のあり方やフロイトのエディプスコンプレックスをはじめとする精神分析論と絡めながら考察を展開している。世界史でも特異な人物として登場するアメンホテプ4世への当時の欧州での見方について(一神教であるキリスト教が価値観の前提にある欧州社会において多神教の古代エジプトの中で一神教を主張したアクエナテンは好意的にみられていたのかもしれない)見ることができ興味深かった。 -
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コロナの自粛期間で読んだ。そういう時でもないと、こういう難解な本を読むのは難しい。『夢判断』の原著の初版は1899年に刊行。100年以上前の名著だ。それほど昔の本なのに、訳者は「この道で最も優れた本」とまで書いている。
夢は誰もが見る身近なものだ。でも、誰もがその正体が掴めずにいる。意味不明な夢を見て、戸惑ったりする。しかし、無意味な夢は存在しないと本書にはある。無意識から湧き上がった願望が"夢の仕事"によって歪められ、夢として顕在化する。この"夢の仕事"、歪曲といったあたりがポイントだ。夢には願望が表現されるはずなのに、なぜ苦痛な夢や意味不明な夢が存在するのか。夢はどのように作られるのか。そういったことが明らかになる。
フロイトは自由連想法によって、夢から潜在的な心理に迫ろうとした。本書ではフロイト自身の夢の他、患者たちの治療の過程で得られた夢やフロイトの子供たちの夢なんかが出てくるが、同じ方法で誰もが自分の夢を分析することができる。そういうのも面白いかもしれない。
朝起きて、見た夢をノートにとる。夢の内容から連想するものを書き出していく。そうして、この夢の源泉はなんだったのか?自分はなぜこの夢を見たのか?といったことを考える。そうしていくことで、潜在的な思考に迫れるという。
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・夢も自分の思考のはずなのに、なぜ理解不能な夢があるのか?
この疑問に関して、”夢の仕事"について説明される。夢は自我によって検閲・歪曲され、それをくぐり抜けたものが、夢として顕在化する。意識下の自分の願望が夢に表現されるというだけの簡単な話ではなく、無意識下の自分の願望が歪曲された形で夢に表現されている。だから、意味不明だったり、意識下の自分の願望と反する夢が存在するようだ。
無意識下の自分と意識下の自分。自分の中には、複数の自分がいて、それらがせめぎあっているようだ。
・夢の材料には、夢を見る前日の日中の出来事・経験が使われる。何かしら夢を見たとき、直近で自分に起こった出来事を思い返す。そうすると、思いも掛けない気付きがあるかもしれない。
・本書では、フロイト自身の夢、患者の夢、フロイトの子供から聞いた夢がいくつも出てくる。夢の内容だけだとわけがわからないが、夢の分析の過程が生々しく書かれている。特に、フロイト自身の夢の分析から、自身の(そのままでは受け入れ難かった)願望が明らかになるのは興味深かった。人間の願望は、そんなに清らかではない。しかし、それらを認識し受け入れることで、新たな道が開けるのかもしれない。
・誰もが見るような典型的な夢がいくつか説明されている。「裸で恥ずかしい夢」、「愛する者が死ぬ夢」、「試験に失敗する夢」。自分も見た覚えのあるものがあって、フロイトの解釈を見ると、なるほどあの頃の自分はもしかして・・・と不思議な気分になった。
・夢は誰もが見る身近なもの。でも、それを人と共有することは難しい。だから研究するのも難しい。とても身近なのに、誰もが理解できていない。これほど不思議なことはないな、と今更ながら感じた。
・「夢占い」なんかのキーワードでネット検索すると、XXXが出てくる夢はXXXの意味があるというようなことを説明したサイトが出てくる。それらは全くの的外れではないのかもしれないけど、そんな簡単なものではないんだろうなと思った。
・自分の夢を人に話すと、思いも掛けない・知られたくない自分の願望を人に知られてしまうのかもしれない。フロイトは学問のために自分のプライバシーを犠牲にして、この本を書いている。『さすがにこれ以上は自分をさらけ出したくない』といった記述があったりと、葛藤が読み取れる。本書はフロイトの内面を描いた、とても生々しい物語としても楽しめる。 -
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本書は、精神分析学の創始者と言われるジークムント・フロイト(1856~1939年)が、死の直前に発表した作品である。
松岡正剛氏は、「千夜千冊895夜」(2003年11月)で本書を取り上げ、「これは恐ろしい本である。引き裂かれた書である。しかも、これはフロイトの遺書なのだ。人生の最後にフロイトが全身全霊をかけて立ち向かった著作だった。」と述べているが、ユダヤ教をはじめとするアブラハムの宗教に関わる人びとにとっては、衝撃の書であろう。
モーセは、アブラハムの宗教において、最重要な預言者の一人とされ、伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされている。その中の一つ『出エジプト記』によれば、モーセはエジプトにいる“ヘブライ人”家族の子として生まれたが、ファラオがヘブライ人の新生児を殺すことを命じたので、それから逃れるためにナイル川に流され、王女に拾われて育てられたという。長じて、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受け、エジプトからヘブライ人を連れて脱出し、40年に亘り荒野を彷徨った末、「約束の地」にたどり着いた(モーセは約束の地に入れずに死んだ)とされる。そして、そこでユダヤ教が生まれた。。。聖書の伝承はこうである。
ところが、フロイトは本書で、モーセはエジプトの高貴な家(王家?)に生まれた“エジプト人”であり、モーセがヘブライ人に伝えた宗教は、紀元前14世紀にエジプト第18王朝のアメンホーテプ4世(イクナートンと改名)が、エジプト古来の多神教を全面否定して作った、世界史上最初の一神教と言われるイクナートンの宗教(アートン教)であるとする、恐るべき仮説を提起するのである。
そして、「モーセ」という名前がエジプト語由来のものであること、世の神話の大多数に登場する英雄は極めて高貴な家の出身である(そして、夢・神託で危険を告げられた父親がその息子を棄てるが、息子は身分の卑しい人に救われ、成人するに至って父親に復讐を遂げ、他方真の素性を認められて、権力と栄光を得るのである)こと、ユダヤ教が、当時はエジプト以外では見られなかった割礼という掟を取り入れていること、エジプトでは、イクナートンの死後、守旧派により多神教が復活し、イクナートンの側近がイクナートンの一神教を携えてエジプト外へ脱出する動機があったこと、モーセは口下手だったとされるが、それはモーセがエジプト人で(少なくとも当初は)ヘブライ人の言語を解さなかったからと考えられることなど、その根拠を次々と挙げる。
モーセが祖国を去るにあたって連れ出したユダヤ人は、祖国に残してきたエジプト人の、より優れた代理人でなくてはならず、ひとつの「聖化された民」をこそ、モーセはユダヤ人から創り出そうと欲したのであり、これは聖書の文章にもはっきり表現されているのだ!
しかし、なぜ“精神分析学者”のフロイトがこのような奇抜とも言える発想をし、文書に残したのか。。。?それは、フロイトが更に進める大胆な仮説が答となる。フロイトは言うまでもなくユダヤ人である。そして、自らの民族・宗教・歴史が持つ特性を明らかにしようとし、辿り着いたのが、モーセは(はじめは)厳格な一神教を受け入れられなかったユダヤ人に殺され、それがユダヤ人の「エディプス・コンプレックス」(ユダヤ民族にとっての父殺し)となったとする説なのだ。
精神分析学に興味がないと後半は少々読み難いが、前半の仮説部分だけでも極めてスリリングである。アブラハムの宗教に「if」を突き付ける、興味深い書。
(2019年11月了) -
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ネタバレ序章「人はなぜ戦争をするのか」(1932年)
第一章「戦争と死に関する時評」(1915年)
第二章「喪とメランコリー」(1917年)
第三章「心的な人格の解明」(1933年)
第四章「不安と欲動の生」(1933年)
第一次戦争と国際連盟の失敗に衝撃を受けた西欧社会。国民の一部に過ぎない支配階級が通信を操作して国民を駆り立てる際、自らの生命を犠牲にしても闘おうとする力が生まれる理由とは。アインシュタインが考えたのは、人間は憎悪し破壊しようとする欲求があるのではないかという事であった。フロイトの答えは、アインシュタインの仮説を補強するものであった。
フロイトによると、人間の原初的に備わる欲動にはエロス(性的な欲動)とタナトス(死を望む欲動)が混在しているとする。死の欲動とは、破壊の欲動とも言い換えられるもので、自分に向かうマゾヒズムと外界に向かうサディズムに分けられる。タナトスはエロスが被さる事でマゾヒズム的な傾向が強まり、反対にエロスにタナトスが被さると外界への攻撃欲動が強まる。人間はマゾ的な自己破壊傾向から自らを守るために外界の他のものを破壊する必要があるかのようで、戦争は種の自己保存にあたる。
外界への破壊欲動を含め、種としての欲動には本来、善悪は無い。にもかかわらず、人間の原初的な欲動に対して、現代社会では文化的な「進歩」(法律を含めて)において厳しく管理し抑圧されることになる。それ自体は秩序を守るために必要である一方で、現代社会は破壊的な欲動としての人間の本質部分を考えることすらせず、文化的な成功を過大に評価し、更に道徳的な要求を高めるのである。しかし、文化に服属していても、動機が純粋か否かは外的な行動からは測れず、文化を支えているのは多くの「文化的な偽善者」であることを認めなければならない。
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白人同士はもう戦争をしないと思っていた西欧社会が直面した絶望と幻滅感を強く感じられる。国際関係の推薦図書として取り上げららないのが不思議だ。種として人間だけが行なう自殺、同種を殺しあう戦争。両者の関係を巧く説明しているように思える。また解説が素晴らしい。フロイトの考え方は非常に気に入った。
偽善者で保たれる文化や秩序の危うさ。引き上がった文化的期待値(西欧列強)に対し、無理して良い人ぶると(適応しようとすると)、内なる自己破壊傾向が加速する。人間でも国家でも変わらない。
文化、文明(エロスとタナトスのある配分)が極度に発達し、人間の本性(エロスとタナトスの配分)と乖離し始める世界では、共同体の自殺行為(又は自己保存のための外界への攻撃)が始まるのだろうか。 -
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経験から推して、暴力がこの世からなくなる可能性はないと言っていいだろう。法が保証する権利は、一種の暴力であるし、自己の内から沸々と湧き起ってくる怒りや攻撃的情動の存在を否定することはできないからだ。だが、暴力がこの世からなくならないという結論は、戦争を排除できないことを意味しない。(戦争勃発の可能性は常に内包し続けるだろうが)フロイトは本書で以下のように述べる。
「それは、わたしたちがなぜこれほど反戦活動に熱中するのか、わたしもあなたもほ かの人々も、人生のその他の多くの苦痛に満ちた苦難の一つとして、戦争をうけい れようとしないのはなぜかということです。戦争というものは、むしろ自然なもの で、生物学的に十分な根拠があり、実際問題としてほとんど避けがたいものと思わ れるからです。(略)わたしたちが戦争に強く反対する主な理由は、ともかく反対 せざるをえないからだと思います。わたしたちは平和主義者ですが、それはわたし たちが生理的に戦争が嫌だと感じるからです。それだからこそ、戦争に反対し、さ まざまな反戦論を提示しようとするのです。」(p.33-35)
このフロイトの発言は一考に値する。なぜなら、我々が戦争に 反対する理由を、倫理観や道徳等、「意識」の領域、つまり理屈に求めるのでなく、当の本人には知られず、であるにもかかわらず、その本人の行為に影響を及ぼす生理=「無意識」の働きに求めているからだ。無意識の領域は、まさに意識できない領域であるがゆえに、執拗である。その無意識が戦争を拒否していると仮定するならば、戦争を排除する可能性は残されていると言えるだろう。この書を読んであなたは何を考えますか? -
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やっと手を出した。そんで、疲れる読書を少しでも力にできるよう、読みながらメモったものを書く。
第一部錯誤行為
序論だけに、科学的思考と精神分析を説明し、自己の体や意識の反応を『偶然』と切り捨てない精神分析の説明も兼ねる。この時代に今まで生きてきて「無意識が存在する」という知識があるためか、少しくどい。っつーことで内容は略。
しかしそれだけに、ここまでの反復が必要な時代であったことも感じられる。科学(と当時から認められていたもの)の道を通って得た科学的手法とその経歴を以て、曖昧なものを平易に、しかし数字を用いられずに十分な説得力を持った言葉で語る。この繊細なものを手に取ることができた天才と、実務的な能力を持つ有能な人間が同一人物であったこと。そのフロイトの凄さは、間違いなく人類を進めたんだろう。
引用→「抑えつけられた意向は、語り手の意思に反して言葉となって口を衝いて出ます。語り手の承認した方の意向の表現を変え、あるいはその表現と入り混じって、あるいはこれと入れ換わって言葉に出てくる」
第二部夢理論
「夢は、眠りを妨げる(心的な)刺激(願望)を幻覚的な意思によって排除する」
それが夢を歪曲し、理解しがたいものにする。脳中枢は夢を検閲し、歪めたり忘却させたりささやき声で抵抗し、我々が無意識の要素へと辿り着くのを阻む。しかし夢も、検閲から文章を守る新聞記者のように、メタファーや相似な状況などで検閲のチェックを素通りさせることもあるという。
検閲対象となるものを「快感追求の努力――すなわちリビドー」が、すべての倫理的な束縛から解放された自我が好き勝手に選び、我々の美的感覚が非としてきた性的欲求やあらゆる倫理的な規制の要請に反するものだ。
人間が持つ悪性は人間として正当でなくても。生物として正当であり、その個人の美意識や倫理観とは別個のものである。そういった生物であることに罪悪感を抱きたいというのは不当であり、ただそのままに受け入れるべきもの。プラトンの「善人とは、悪人が現実で行っている行為を、夢で見て満足している人間である」という言葉以外の、なにものでもない。
この部は、まさに読む目的としていた「曖昧だった知識をより確かにする」ことに合致した部だった。すごく面白い。
・夢に登場する象徴的意義はほとんどが性欲であることについて
「フロイトは性欲に重きを置きすぎている」という言葉を何度か聞いていたせいか、最初はそう感じる。しかし、重ねて考えるべき「夢のルールと倫理観や社会的道徳は独立的」に視線を向ければ、違和感なく納得できる。さらに、性愛という根本を意識した労働体系は古代から考えられていたこと、その性愛を以て労働という生活に必要な作業に従事する中で、コミュニケーションの場となり、言語は飛躍的に発達したことも想像に難くない。多くの単語が男根や女性器を象徴することも、そう考えれば納得できる。
☆「(脳が)潜在夢を顕在夢に置き換える働きこそ、夢の作業である」
(夢の作業と逆の方向をたどり、顕在夢から潜在夢に到達しようとするのが、解釈作業)
・人間の原始性、動物性を幼児性から語る
倫理観、社会的美的感覚を幼児は持っておらず、排泄物や近親への性愛にも嫌悪感を持たない。よって、兄弟姉妹の死をも望める。また、両親への愛も、最初に愛するのではない。自分に必要だから愛するという、エゴイズムから愛し、やがて自然に愛することが出来る。嫌悪感も身につける。
・悪夢や不安な夢も、願望充足で説明できるもの
失敗や途中での覚醒(喉の渇きは起きなければ満たされない)もあり、そもそも顕在夢は潜在夢を歪曲したものであり、その歪める手法はすり替えや反転が多い。
第三部神経病総論
患者には特定の無意識的過程が存在しており、その過程こそ症状の意味を内包している。この意味が意識されていないことが必要で、意識的過程からは症状は形成されない。無意識的過程が意識されれば症状は消滅せざるをえず、それが精神分析の治療手法である。
神経病の原因・成立=リビドー固着による素因+偶然的体験 -
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ネタバレなんとなく難しいイメージがあったのだけれど、
タイトルに「入門」と書いてある通り、
大学での講義をもとにしてあるのでわりかし読みやすい。
「錯誤行為」
まず気付くことは、
フロイトは非常に科学的な人間であるということ。
反証例をことあるごとに提示し、
それをひとつひとつ検証していくのは、
ある側面においてはくどくもあるのだけれど、
科学者としては正しい姿勢なのだろうと思う。
有名な「無意識」「欲動」というワードは、
本書の冒頭ですでに登場している。
精神分析には一般解はない、
ということを肝に命じておかなければなぁ。
「夢」
夢は眠りを妨げる、
潜在思想(無意識)の活動を和らげている、
という解釈は新鮮。
人生の1/4~1/3を占める、
眠っている時間について熟考することは、
目覚めている時には決して顕在化しない、
無意識を探るうえでの大きなヒントになるのだろう。
わたしが何の気なしに夢の日記を綴るのも、
こういう直感によるところが大きいのかもわからない。
フロイトの論理的な推理は、
プラトンの描くソクラテスを彷彿とさせる。
対話的な語り口も似ている。
とても面白い推理小説を読んでいるようでもある。
「神経症総論」
夢の分析は神経症の分析にまで広げられる。
「外傷(トラウマ)」「抑圧」「抵抗」といった、
概念の説明はこの部分になる。
幼児期の記憶がほとんどないのは、
こういった無意識的な操作が行われているから、
というのはとても面白い指摘。
ほとんどの原因が
「リビドー(性の欲動)」に帰せられるのは、
少々納得しがたいところではあるけれど。 -
Posted by ブクログ
ユダヤ民族の解放者にして立法者であり、宗教創始者でもあったモーセ。
フロイトはそのモーセがユダヤ人ではなくエジプト人であったという仮説を立てます。
フロイトは、エジプトに一神教をもたらした古代エジプトのファラオ、イクナトンの業績に着目し、ユダヤ人のエジプト脱出はイクナトンの宗教改革が失敗に終わった結果、行われたものだと考えます。
しかし、もしそうだすれば、モーセがセム人の神に対する信仰をユダヤ人にもたらしたという歴史家たちの研究と矛盾してしまいます。その矛盾を説明するために、フロイトは、モーセが実際には二人いたという大胆ですが単純な仮説を立てました。
一人目のモーセは、エジプトの神アトンに対する信仰を人々に教えたが、ユダヤ人たちに殺されてしまった。そのことを後悔したユダヤ人は、ヤーウェを崇拝するミディアンの祭司エトロを「二人目のモーセ」に担ぎあげたのだと。
ドイツの聖書学者ゼリンの主張の焼き直しであるこのモーセ殺害説を、フロイトはユダヤ教とキリスト教を特徴づけている「あやまち」や「罪」の観念と結び付けて展開しました。
宗教的な現象は、実は個人の神経症状に由来している。神経症状に似た結果こそ宗教という現象に他ならないとフロイトは考えます。
精神分析が本来、病める精神の来歴の分析から、個々の人間生活史の解釈から出発した学問であることを思うならば、フロイトがすべての事態について歴史性を問うのは必然的なのかもしれません。
過去と現在を心的因果性で結びつけて自論を展開するフロイトは、ユダヤ人はモーセの「作為・制作」の所産に他ならないと考えているふしがあります。
ユダヤの歴史は精神史であり、その歴史の根底にあって、歴史を開始させたのはモーセであると。
本書は冒頭から大胆な仮説によりいきなり引き込まれていきますが、歴史的事実に照らした説得力のある論証を見ていくと瞬く間に「常識とは何か」考えさせられます。
大胆な仮説と論理の展開は、知らず知らずのうちに常識に縛られている方にはぜひとも読んで頂きたいです。