ジークムント・フロイトのレビュー一覧
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昔受験時に倫理で学んだ以来のフロイト、超自我とか懐かしい。
多少読みづらいなと思いつつも各論を読み切ったところで、訳者の中元氏の解説が一冊分通して丁寧にされていて、論文内容をよりきっちり理解するという目的であればその解説の方が有用だろう。
フロイトの主張をしっかり読み解けていたかどうかの答え合わせをした感じだ。
同性愛をまるで治すべき症状のように表現する部分に、時代の違いを感じて驚きつつも、その論の導入と後半では、結局同性愛は分析しこそすれ治すものでも治せるものでもないと述べていて、「だよね」となった。
なおその点への言及は、巻末の出版社からの注記でも明確に述べられている。
フロイトの論のベースにある、幼児期の親との関係性が以降の心理に影響するという概念は、私の興味の強い、ボウルビィから始まり岡田尊司氏が広げている愛着論に繋がっている。
エディプスコンプレックスや性愛をすべての症状に紐づけようとする試みはまだ粗く、当時の信仰、慣習、限られた知見などの中でけもの道を切り開いていった空気感を感じられてよい。
リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』のような遺伝生物学や自然淘汰による心理への影響という視点が抜けているため、今となってはそのまま使えないが、人と人との関係性という、社会学的視点に立つと問題を紐解くヒントが多くあって有用そうだ。
特に「性愛生活が多くの人によって貶められることについて」の論およびそこから発展する「『文化的な』性道徳と現代人の神経質症」が示している、社会において人が倫理的・文化的に生きるということが、本能を押さえつけることによって様々な神経症という副作用を及ぼすことは、現代でもほぼそのまま敷衍できよう。
日本においてはキリスト教の影響が極めて小さいし、他の信仰や慣習から来る貞節への圧力は現代では弱い。
しかし表現におけるコンプライアンスやフェミニズムへの配慮であるとか、より広範に法律や人権という部分にまできっちり対応すると、多かれ少なかれ性欲の抑圧は避けられない。
とりわけ結婚後の制約は大きく、これが翻って幸福度の低下に与える影響は少なくないはずだ。
ルールや慣習による社会の安定と、その犠牲となる隠れがちな個の苦しみという関係性は功利主義にもつながって来てテーマがデカい。
思想を学んでしまうと自身の幸福追求を矮小化してしまいそうだ。
これをフロイトだったら果たして「文化的貢献へ昇華する努力をしたまえ」というか、「神経症を発する前にガス抜きせよ」というか。
あくまで観察者に立つフロイトが主観的にはどのように感じるか、若かりし頃の彼に会えるのならば尋ねたいものである。 -
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フロイト 精神分析入門メモ
フロイトは、精神分析における「象徴関係」、
夢の要素中の固定された翻訳が明らかになっている一群(1)の中で、圧倒的に「性的表現」が象徴の多数を占めていることを明らかにする。「男性器」棒、傘、ステッキ、サーベル、小銃、じょうろ、ネクタイ、鉛筆、「勃起」気球、飛行機、飛行体験そのもの、「女性器」ポケット、溝、瓶、トランク、戸棚、貝類、聖堂、「乳房」くだもの一般、岩、森、「性的快楽」ピアノの演奏、階段を登る。フロイトは、これらの背景には、最初の言語発達が性愛の相手を呼び寄せるものであり、つまり、あらゆる言語はかつて性的表現を意味していたが、やがてそれが労働においても共有されるようになり、いつしか完全に労働に移り代わり性的意味は忘却されたのだという事情があるという主張を引用している(2)。要するに、我々のあらゆる行為、言語、物のルーツには「性的表現」がある。
「象徴関係」、言うなればそれは「例える」ことである。「例える」言語活動は日常会話の中でしばしば行われる。例えば、何らか難しい事象を平易に説明する際や、滑稽な事象を想起させて笑いを誘うなど。
後者について、これをプロ化し、テレビ番組におけるトークの中で、或いは「大喜利」という試合仕立ての中で披露し視聴者に笑いを提供しているのがお笑い芸人である。
彼等の存在をもって、つまり、一般的言語活動である「例える」が巧みな技術として称賛されている事実をもって、如何に「例える」行為により笑いを生み出すことが困難であるかについて証明されていると言って良いだろう。
しかしながら、ここには一つの例外がある。それは「下ネタ(性的表現)」による例えである。日常会話における「下ネタ(性的表現)」による例え、比喩の簡易性・頻出性はあらゆる他の分野に比して突出していると言える。その社会的制限により、場面こそ限られるものの、若年の同性間会話或いは飲み会などにおいて、下ネタの絡んだ例えに限定されて、それは目を見張るスピードと唸らせるクオリティをもって披露され、更には芸術的とも言える畳みかけ、天丼、展開がなされることがまま見られるのである。半ば当たり前になってしまっているこの奇妙な現象について、今一度「例える」ことの困難さを認識すればするほどそれは特異に映る。
また、当然のことながら、この奇妙な現象の発生源には、共通の下ネタワード(象徴関係)、例えば「大きい」「行った(イッた)」等がある。
この奇妙な現象をもって、象徴関係(例える)における性的表現(下ネタ)の多数性はより、信ぴょう性を増す。 -
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・夢の仕事は4つあり、心理的な素材の(二つの観念の合一としての)濃縮、(面白い素材への)転換、具体的な準備作業、知覚内容の改竄
・あらゆる夢は利己的な動機から生まれる。
・夢を形成するメカニズムにおいて利用出来る論理的な関係は、現実世界に対する圧縮、類似、共通、一致のみである。
・夢の中では、あれかこれかそのどちらかという二者択一はない。「そのどちらも」しかない。
・現実性で見過ごされるようなつまらないことは、夢には出てこない。だから、強い感情に結びついた充足しなかった願望、罪の意識は夢に出やすい。
・例えば、知り合いの夫人が手を握ってきて「綺麗な目だね」と言ってきた夢は、プロポーズをしたシチュエーションに似ていて、最近の妻への不満と、その夫人の兄に借金していたから、目が綺麗なだけでチャラになったと思うなという罪悪感を表していた。 -
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アテン賛歌(エジプト):汝のわざのなせるものはいかに多いことか。おお唯一の神よ、汝に比すべきものは他にない。汝は思いのままに世界を創造された。
旧約聖書(ヘブライ):御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。詩篇104章
アテン賛歌(エジプト):汝が西の果てに沈むとき、地は死のごとく闇にとらわれる。獅子はみなその穴より出で、這うものが出てきて人を刺す。
旧約聖書(ヘブライ):太陽は沈む時を知っている。あなたが闇を置かれると夜になり、森の獣は皆、忍び出てくる。詩篇104章
前14cアメンホテプ4。一神教を発明。その息子ツタンカーメン時代に多神教へ戻る。▼前13cモーセ。一神教再び。モーセはエジプト人であり、エジプトのアテン神はユダヤの神ヤハウェの原形。フロイト『モーセと一神教』1939 -
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自我とは自分の意識のことであり、意識は理性でコントールできる。自分の行動は自分の意識で理性的に決めている。デカルト
意識された部分(理性や合理性など)は表層的なものに過ぎない。自我の意識の活動にのぼらず、自覚されていない心の奥底がある。無意識。潜在意識。無意識の内容は夢などに現れ、起きているときは意識の底に沈んでいる▼幼い子供にあるのは本能的な欲動だけ。成長するにつれ本能的な欲動を抑える道徳・社会規範を身に着ける。「自分」という意識(自我)が生まれ、本能的な欲動と道徳・社会規範とのバランスを取れるようになる。本能的な欲動が充たされないとき、人は社会的価値の高い欲求に置き換えて昇華させる(芸術など)▼男性が母を愛の対象とし、父親を殺そうとする願望(エディプス)。女性が父を愛の対象とし、母親を殺そうとする願望(エレクトラ)。兄弟間の敵対感情(カイン)。人を救済することで自分の存在意義を得ようとしたり、相手よりも優位に立とうとする(メサイヤ)。ジークムント・フロイトFreud『精神分析入門』1916
西欧の錬金術の図は曼荼羅に似ている。各国に似たような模様がある。各国の神話も共通点が多い。人間ひとりひとりの無意識のさらに奥底に全人類に共通した集合的な無意識があるのかもしれない。ユング『自我と無意識』1934
雨が降っているとき、雨と闘ったり、負かそうとしても無駄だ。今、あなたは雨と闘って時間を費やしている。雨に勝っている、と思っている。しかし、他の誰よりも、あなた自身を害している。アルフレッド・アドラー『人生の意味』1932
被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでいったのだ。 感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階の特徴は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。この不感無感は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ▼忘れられない仲間がいる。誰もが飢えと重労働に苦しむ中で、みんなにやさしい言葉をかけて歩き、ただでさえ少ないパンのひと切れを身体の弱った仲間に分け与えていた人たちだ。そうした人たちは、ほんの少数だったにせよ、人間として最後まで持ちうる自由が何であるかを、十分私たちに示してくれた。あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。ヴィクトール・フランクルFrankl『夜と霧』1946 -
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光文社古典新訳文庫 フロイト 宗教批判論文3編。
キリスト教の抑圧性や神経症患者との共通性から、宗教や文化を批判する論調。3編が共通テーマであり、フロイトのユダヤ人問題や宗教論を理解できる構成。中山元 解説のおかげで読めた。
随所に 科学重視、合理主義、個人主義の立場から、キリスト教批判は見受けられる。
各論文のテーマとアプローチ
*幻想の未来
宗教は幻想であり、科学に未来を託する論調。強迫神経症とキリスト教儀式の共通性からアプローチ
*文化への不満
キリスト教道徳の抑圧性が文化への敵視、不満とする論調。欲動論からアプローチし、文化の発展は人間の種の生存を賭けた闘いであるとした
*人間モーセと一神教
反ユダヤ主義の原因を考察。トーテミズムから始まり、ユダヤ教の多神教から一神教化とキリスト教誕生を経て、反ユダヤ主義に至る宗教史からアプローチ。
幻想の未来
*カントの啓蒙の立場から宗教批判
*啓蒙=人間が自ら招いた未成年の状態から抜け出る
*宗教=人間が自然や文化から身を守る仕掛け
*宗教の教えは幻想〜理性では宗教の教えは証明できない
*幻想は 人間の願望から生まれる
文化と宗教の関係を変革する
*科学的な理論の変遷は発展、進歩であり、転覆でない
*科学は幻想でない
強迫神経症と宗教的儀礼の共通性
*宗教は普遍的な強迫神経症
*宗教の教えは神経症的な遺物であると理解すること→宗教の意味を理解し、歴史的価値を認識
文化への不満=集団妄想の狂気
*大洋性の感情=外部の世界の全体とともに生きている、結びつきの感情→残存した原初的な自我感情
*宗教の集団妄想性を批判〜キリスト教の性道徳→欲望の抑圧→神経症へ逃げ込む
*欲動論〜文化の発展は、人間の種の生存を賭けた闘い
*人間が頼れるのは、神の救済でなく、エロスが死の欲動に対抗することだけ
欲動論
*エロスの欲動と破壊欲動の対立
*エロスの欲動=自己保存欲動、性欲動
*破壊欲動=死の欲動(タナトス)
*文化の発展は、人間の種の生存を賭けた闘い「エロスと死の闘い、生の欲動と破壊欲動の闘い〜この闘いは人生そのものの本質的な内容」
反ユダヤ主義の原因
*キリスト教化された諸民族の嫉妬
*割礼による去勢不安
*キリスト教への不満、土着信仰への愛着 -
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ネタバレフロイトとアインシュタインで往復書簡をしていた際に
(当時ナチスが支配している戦争真っ只中あたり)
「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」
と当時50代のアインシュタインが70代のフロイトに問うわけですわ。
もちろん返答に困るんだけど
「文化の発展が反戦へ、そして平和主義になり戦争終焉へ向けることが出来る」という答え。
そんな精神分析学者のフロイトが書いた著書を更に分かりやすく解説した本。
と言っても小難しい話はちょっとなぁ…でもたまにはこんなのも読んでみるかと思いつつ読んでみた。
タイトル通り「人はなぜ戦争をするのか」って結構直球の疑問。
あぁまぁ確かにそうだよな、なんでだろ?
太古の昔から今現在まで戦争やテロ、内乱が世界各地で全然終わらないのは何で?という
当り前の疑問なのにそこまで考えたことが無かった。
例え絵にかいたようなどんなに正しい善人であっても
人間って攻撃する欲望や衝動って必ずあるってこと。 -
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40歳を過ぎて、「初フロイト」。
実は、多分20代の前半か、10代の後半の頃に、「夢判断」か「精神分析入門」、どちらかに挑戦した記憶が。(どっちだったかは、忘れてしまいました)
「なんじゃこの日本語は?さっぱりわからん...」と、言葉の難解さに辟易して、放り出しました...。
無駄に難解な日本語にしない。
と、いう意味で絶大な信頼を持っている、光文社古典新訳文庫さん。
今回も、その期待はかなり満たされました。
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刺激的なタイトルの小文を表題作にしています。
有名な、アインシュタインさんとの文通書簡。
要は、アインシュタインさんが「人はなぜ戦争するんですか?フロイトさん?」と、尋ねたわけですね。1932年。想定にあるのは、第一次世界大戦と、近づいてくる第二次世界大戦の足音です。
1932年には、ナチスがかなり台頭して、ユダヤ人迫害を始めています。フロイトさんはユダヤ人でした。アインシュタインさんも。
で。
人はなぜ戦争をするのか?
フロイトさんは、どうやら、こう言ってはります。
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人って、そういうところがもともとあんねんよ。
敵を殺す快感、欲動ってものがあって。
強いものに集団で立ち向かうにせよ、結局暴力的な欲動があることには変わりがあらへんねん。
最終的に支配者は、かならず自分たちに都合のいいルールを作ります。必ず。どういう共同体であれ。
法と言うもんは、もともとが「剥き出しの暴力」だったんやねえ。
そして、指導者と従う者という、避けられない関係が集団にはあって、そういうことから戦争になったりします。
共同体には、暴力による強制と、感情的な結びつき、のふたつが必要。
そして今、世界の民族を支配している流行?の思想は、ナショナリズムの理念。これが国同士を対立させている。
生きようとする欲望、エロス。自分も含めて破壊して殺戮しようとする、タナトス。両方をひとはもっています。
だから戦争を止めるためには、エロスに訴える。愛でしょ、愛。
愛する人を失いたくない。これはみんなそうです。
そういう、自らの生を決定する権利を、戦争は奪います。
殺すのも、殺されるのも、それを命令されるのも、いややわあ、という気持ちは必ずあるんです。
戦争を、残酷なことをしてしまう、したがる、そして、指導者に従ってしまう。
そんな本能も僕らはもっているんですね。
でも、一方でエロスみたいな生きる欲動もあります。
そっちに働きかけるしか無いんちゃいますかね。
やっぱり、嫌なもんは嫌や、平和主義やっていうか...
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まあ、というような内容です。
かなり口語的で分かりやすいです。
善悪論ではなく、人間の根源的?な性質?という視点があって。
そして、地獄落ちじゃない力強い主張があります。
名演説を聞いた気分。
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それ以外に、
「戦争と死に関する時評」
「喪とメランコリー」
「心的な人格の解明」
「不安と欲動の生」
という四つの文章が収められています。
その一部は、「続・精神分析入門」に入っているらしいので、恐らく編者訳者がある指針に基づいて、「フロイト入門編」的な本に作っているんだと思います。
で、正直、「???」で終わってしまった章もあったんですが...
総論として、かなり判りやすく、ドキドキ楽しめるところもあり。
元々が当然、娯楽のための読み物ではないので、言ってみれば「コク」のある、「噛みごたえのある」タイプの読書だったんですが、
少なくとも日本語として、翻訳として、何が何だか迷いの森の迷子道...ということは無く。
ニンゲンの不思議な気持ち、精神っていうのを、分解して考えていく面白み、は判りました。
そして、そういう、ある種の整理の仕方、ある種の傾向が分かるだけでも、
ひょっとすると自分の「ココロの健康」について、多少の対策を、気持ちの中で持ち得るのだろうなあ、と思いました。
いやあ、そういうことを、言ってみればゼロから言葉として作って行ったんでしょうから。
フロイトさん、確かに、大したものです。
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以下、メモ風に
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「自我」「超自我」「エス」という三つのコトバで、人の気持ちや欲望を分析するのは、なんとなく理解できました。(多分)
つまりは、「自我」というのはなんとなく僕らが普段考えている「エゴ」みたいなこと。
「エス」というのは、大抵の場合、道徳的には問題がある、僕らの本能的な欲望。
つまり、破壊とか殺戮とか征服とか、セックスとか食欲とか、そういう、ダークな、井戸の底のような、悪い本能っていうか。
「超自我」っていうのは、恐らく雑に言うと「良心」とか「モラル」とかそういった。
産まれてからの後付けで身に着けている、「自分がこうありたい」というルールのようなもの。
「自我」というのはなかなか大変で。
「社会」「エス」「超自我」という、三つの、正反対の君主に仕えている訳です。
しかも、それぞれの意味合いで、この三人の君主は暴君で、強力な訳です。
そういうところから、うつ病になったりする。
というか、うつ病というのは、うつ病の発作である、という考え方。
こういった整理の仕方は、スッキリ分かった気がします。(多分)
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そういうのが全て、理性の判断とか知性とか、そういう水平線を超えた(あるいはその下の)脊髄的な持ってしまっている感情支配が前提なんですね。
で、それはすごく判ります。
結局は、ヒトは最後は合理性や理念では動かない。
そういうのは全て、感情、気持ち、そういうものが、「その場の都合のいい外套」を選んで着ているようなものなんですね。外套=理念や理屈、合理性。
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そして、死、というものの考え方。
ヒトの歴史は殺戮の歴史。
でもどこかで、「自分の愛する者が死んだら、心がぽっかりしてしまう」という矛盾?に気づく。
そこを誤魔化す?正当化する?癒す?ものとしての宗教、死の概念。魂の不死、という考え方。
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喪、という言葉を、「愛する人を失った場合」に限定せず、理想や仕事やプライドや自由や、そういうものを失った場合でも同じ。
という考え方。これも、凄く納得。ふむふむでした。
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そして、「自我」と別に「超自我」とか「こうなりたい自分」みたいな理想。
それをまず、親から影響を受ける。
ここで、同一化、つまり、同じようになりきる感じ、というのと、その人に好かれたい、という憧れ感と、に二分される影響の受け方がある、という。
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やや脱線で、マルクスなどの唯物史観は、経済が人間に及ぼす影響を過大評価していて、
実は人間は、経済的には過去の文化でも、親や大人に与えられてしまったそういう「価値観」に縛られることが多い...
と、言う指摘には、それはそれで、「なるほどおお」と思ってしまいました。
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それに加えて...
割と言葉だけは有名な、子供の精神状態の「口唇期」とか「肛門期」とかの話とか。
産まれるときの窒息の恐怖感が及ぼす影響とか。
性器を切断されるという原体験的恐怖感?だとか。
なんとなく「ああ、フロイトってこういうことを言っているってことが、よくギャグ化して言われるよなあ」ということについての言及も多かったです。
なんですが...そこンところは正直、ピンと来ず...
ま、読み方が雑なんでしょうけれど。
この先まだまだ、そういう興味が出れば、そういうことを読んだり考えたりする楽しみもあるなあ、と思いました...。
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そうそう。
第1次世界大戦で、これまでにない酷い戦場体験を多くの人がして。
「もうあかんわ、戦争でけへん」
という心の病人が出たんですって。大量に。
そこで、時の政府、軍隊は、
「甘ったれてんぢゃないよ」
ということで、電気ショック療法(拷問?)を施したそうです。
そうすると、多くの兵が、
「電気ショックの辛さよりかは、戦場に戻ります」と戻って行ったそうです。
そうなると、電気ショックをした側は、
「ほら、そうだろ?甘えなんだよ」と、エッヘンな訳です。
ところが。
そうやって戦場に戻って行った兵隊たちが、やがて、相当に高い確率で、もう、戦闘不能なくらいに心が壊れちゃったんですって。
というわけで、困った困ったになって、フロイトさんたち「電気ショック反対派」が改めて招聘されたそうです...
へえ、というお話ですけれど。
実は、笑えませんね。この話。2016年現在も。
怖い怖い...