ジークムント・フロイトのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
アインシュタインに問いに対して、なぜ人間は戦争をするのか考察した書簡。
支配者が持っている権力を暴力と言い切る。支配者は最終的には被支配者に対して暴力をふるうからだ。
それに対して被支配者は団結して権利を得る。
なのでお互いに利害関係が一致しないので争い続ける。
また、欲動(欲求のようなもの)には生の欲動と破壊の欲動(死の欲動)の2種類がある。
同じ共同体の中では、生の欲動に訴えて争いを無くす方法がある。1つは愛すること。もう1つは同一化すること。
戦争を確実に防止するには、人類が1つの中央集権的な政府を設立することに合意すること、そして、すべての利害の対立を調定する権利を、この中央政府に委ねる必要がある。今の国連に全ての国、民族が参加し、権力を委ねるイメージ。現実的にはできない。
最後にフロイトは、文化の発展により人々は戦争を嫌悪し、反戦する平和主義者になると述べている。誰もが平和主義者になれば戦争はなくなると。
なお、アインシュタインの書簡は掲載されていない。
戦争が無くならない理由を追求したい人にオススメです。 -
Posted by ブクログ
しかしここで指摘された矛盾のうちで、とくに重視されている矛盾について考えてみよう。人間は理性的な根拠にはあまり影響をうけず、欲動の願望に完全に支配されている存在である。だとすると、人間に欲動の充足を禁じて、理性的な理由を与えようとしても、意味があるのだろうかという疑問についてである。ただしこれについては、人間はたしかにこうした存在であるが、そうでなければならないのか、人間のもっとも内的な本性からして、こうした存在であらねばならないのかは、自明なことではないことを指摘しておきたい。(p97)
(前略)たしかにわたしたちは、人間の知性の力は、欲動の生の力と比較すると弱いものだと、繰り返し強調してきたし、それは正しい主張なのである。しかしこの知性の〈弱さ〉には、ある特別な要素があるのだ。知性の声はか細いが、聞きとどけられるまでは、黙すことはないのである。繰り返して拒否されても、やがて聞きとどけられるものなのだ。そこに人類の将来について楽観できる数少ない理由の一つがある。(p109)
ここでフロイトが展開した宗教批判、宗教教育批判の重要性は、現在でもまったく意義を減じていない。
それは、フロイトが批判した「宗教」とは、「人間の本性はこんなものだから仕方がない」という現状容認的な考え(思考停止)の普及による支配の形態、『宗教による思考の禁止の力』(p99)ということに、その力点を持つものであり、現在は、通常宗教の名で呼ばれるものにとどまらず、自国(自民族)中心主義とか歴史修正主義とか新自由主義とか、ある種のリベラリズムとか、さまざまな形態をとって、そうした支配の形態(思考の禁止)が幅を利かせていると思われるからである。
フロイトは、文化を「自然から人間を防衛する」ものととらえるわけだが、欲動のままに自由を求める人間にとっては文化による強制は敵視されるほかないものだから、「人間を文化と和解させ」る方策が必要であると言う。
それがつまり、「宗教」をはじめとするさまざまな「幻想」の存在理由であるが、フロイトは、そうした幻想が人間にとって不可欠なものであることを認めながらも、むしろだからこそ、「知性」によって自分が幻想のなかに生きているという現実を常に批判的にとらえ続けることの大事さを説いたわけである。