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明治日本の主要な課題は、近代国家の建設にあった。ただ、その方向に異論はなくとも、内容については議論が分かれ、西洋文明の受容に重大な役割を演じた福沢と中江も、対照的な反応を示す。ともに私塾を興すが、実学尊重の慶応義塾、古典教養に執着する仏学塾と、教育理念は両者の世界観を反映し相違を見せた。同年に没した思想家二人の文明論・国家論を、現代の問題関心から読み起こし、新世紀の展望を拓く。
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Posted by ブクログ
明治を代表する思想家、 諭吉と中江の思想を比較しつつ紹介する。 前半は内容がやや難しく感じたが、 後半5章以降に解説される対西洋・アジアへの文明観 及びそれを踏まえた日本の在り方と 対外政策については理解しやすく面白い。 異なる方向性の思想を持つ両者ではあるが、 実情をよく捉え、極めて先見性のある...続きを読む認識を 提示していたことがよく分かる。 両者の考え方に触れる入門書としては よくできていると感じた。 また、中江が苦言を呈した 「考えることを知れ」の言葉には、 今を生きる自分自身にも強く批判として響くものがあった。
福沢諭吉と中江兆民が、近代国家建設の出発点にあたり、どのような文明論、国家論を構想したか、それを見据えることで、内政、外交ともに息詰まっている現代日本の課題が浮き彫りになる、そういう本だと思う。 諭吉は日本の独立発展のためには、西洋文明の受け入れは必要不可欠と見ていた。文明を善、正義、力、進歩と見...続きを読むていて、野蛮→半開→文明の発展段階説をとっていた。衝突があった時に、善や正義は常に文明の側にある。文明化が他の地域の植民地獲得をまねくことも、一定の批判は持っていたが不可避と見ていた。西欧列強の植民地支配を避けるためには、西洋文明を受け入れ一刻も早い国家的独立を達成し、さらには他の地域の植民地獲得に進む以外にないのである。その意味では、富国強兵は必然的選択であった。 さて、中江兆民はどうか。兆民は進歩史観は持っていなかった。思えば、進歩史観は世界史的に見ても19世紀の産物である。それまでも現状批判とか現状改革ということはあった。しかしそれは、古い時代を理想とみて、旧に復す、復古という観点から、現状批判するのが普通だった(ルネサンス、王制復古、聖人治世)。ルソーの社会契約論も、過去に神と民の約束ということで、自由平等友愛が保証されたのである。兆民は中国古代三代の治世を理想状態にとらえていた。そこから見えるのは、「文明開花」は理想社会ではない。兆民はヨーロッパ人のアジア・アフリカ人への態度を厳しく批判しているが、同様に日本政府のアイヌ政策も厳しく批判している。兆民は「開花をむしろ悪とさえみているのである」。一方、福沢もヨーロッパ人のアジア、インド人への蔑視の場面を見て記しはいる。しかし、彼はだから早くヨーロッパ波に文明開化し、「勝ち組に入るべきだ」という主張になるのである。 福沢は、国家間の交際(外交)は基本的には力関係で決まるのであって、一個人の道徳と一国の道徳を混同すべきではないことを強調する。その帰結が「脱亜論」であった。 兆民も文明と侵略は一体だと考えていた。しかし、国家の道徳と個人の道徳を分離してはいけないと考えていた。兆民が目指していたのは、富国強兵ではなく、道義立国であった。それはつまり、福沢の功利主義、実用主義への批判にもなるだろう。 福沢の実用主義は、「西洋近代化が国際社会で生き残れるか、否かを決める鍵」だと信じられている時代にあって、確固とした現実的方策を示したもので、時代の要請に応えたものだっただろう。問題は、福沢の言う実学の精神が真に近代日本人の血肉になったか、ということだろう。 山県有朋は富国と強兵は相互い矛盾する事を承知して強兵を選択していた。福沢は結局その言い分に乗っている。「東洋の政略果たして如何せん」(明15)で、情勢の逼迫のために、増税も朝鮮強硬策も、「国民が選択しなくてはならない」と説く。つまり賛成している。 兆民はその時どう論じたか。ひとつ「論外交」がある。富国強兵策を批判、富国と強兵は矛盾する、「富国は為政者の目的だが、強兵は結局万止むを得ない時の一策に過ぎない」と説く。日本のような小国が進む道は、スイス、ベルギー、オランダよような小国・中立主義を取るべきだと説く。 福沢の言う富国強兵の道。兆民の言う小国主義。明治の始めに2人の思想家が二つの日本の進む道を示していた。これは、現代日本にも未だ突きつけられている「課題」なのではないか。
明治時代の啓蒙思想家としてならび称される福沢諭吉と中江兆民の議論を、文明観やアジア観といったテーマごとに比較している本です。 本書のような構成で両者を比較すると、いきおい兆民の議論に依拠して福沢の議論を批評するというスタンスに傾いてしまいがちであることは、否定できないように思います。たとえば、「実...続きを読む学」を重視する福沢に対して「理学」を志した兆民の思想のほうに深さを見てとることは可能です。あるいは、人類が文明へ向かって進歩していくという福沢の楽観主義に対して、ルソーに由来する文明への批判的な視線を保ちつづけた兆民の懐疑主義に、現代的な意義が見いだせるのも、よく理解できます。 ただ、このように理解される福沢の思想は、あくまで兆民との比較という一つの視点から見られたものであることにも留意するべきでしょう。兆民も、けっして一筋縄ではいかない複雑な思想家ですが、状況のなかでその思想を形成していった福沢の多面的な魅力は、一つの視点によって完全に把握されるものではないことも、たしかであるように思います。
[ 内容 ] 明治日本の主要な課題は、近代国家の建設にあった。 ただ、その方向に異論はなくとも、内容については議論が分かれ、西洋文明の受容に重大な役割を演じた福沢と中江も、対照的な反応を示す。 ともに私塾を興すが、実学尊重の慶応義塾、古典教養に執着する仏学塾と、教育理念は両者の世界観を反映し相違を見...続きを読むせた。 同年に没した思想家二人の文明論・国家論を、現代の問題関心から読み起こし、新世紀の展望を拓く。 [ 目次 ] 1 はじめに―没後100年 2 福沢と中江の生涯―比較対照される二人 3 慶応義塾と仏学塾―両塾の特徴 4 功利主義の功罪―近代社会と進化 5 西欧文明をどうみたか―「開化」のとらえ方 6 アジアをどうみたか―脱亜論と人間同等論 7 西欧化と伝統―実学と教養 8 文明と侵略―文明論的発想の限界 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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松永昌三
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