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森鴎外の雁って150頁ぐらいでそんなに短いはずなのに、なんか短くは感じないよね。高瀬舟も超短編だけど、短いけど内容が異常に詰まってるから短いとは感じないんだよね。芥川龍之介も短編しか出さないけど濃密だから、そっちのタイプだと思う。
「 僕は人附合いの余り好くない性であったから、学校の構内で好く逢う人にでも、用事がなくては話をしない。同じ下宿屋にいる学生なんぞには、帽を脱いで礼をするようなことも少かった。それが岡田と少し心安くなったのは、古本屋が媒をしたのである。僕の散歩に歩く道筋は、岡田のように極まってはいなかったが、脚が達者で縦横に本郷から下谷[* 45]、神田[* 46]を掛...続きを読む けて歩いて、古本屋があれば足を止めて見る。そう云う時に、度々岡田と店先で落ち合う。「好く古本屋で出くわすじゃないか」と云うような事を、どっちからか言い出したのが、親しげに物を言った始である。」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
「女はどんな正直な女でも、その時心に持っている事を隠して、外の事を言うのを、男程苦にしはしない。そしてそう云う場合に詞数の多くなるのは、女としては余程正直なのだと云っても好いかも知れない。」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
「うん。己は随分人に馬鹿にせられ通しに馬鹿にせられて、世の中を渡ったものだ。だがな、人を騙すよりは、人に騙されている方が、気が安い。なんの商売をしても、人に不義理をしないように、恩になった人を大事にするようにしていなくてはならないぜ」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
「お玉は父親を幸福にしようと云う目的以外に、何の目的も有していなかったので、無理に堅い父親を口説き落すようにして人の妾になった。そしてそれを堕落せられるだけ堕落するのだと見て、その利他的行為の中に一種の安心を求めていた。しかしその檀那と頼んだ人が、人もあろうに高利貸であったと知った時は、余りの事に途方に暮れた。そこでどうも自分一人で胸のうやもやを排し去ることが出来なくなって、その心持を父親に打ち明けて、一しょに苦み悶えて貰おうと思った。そうは思ったものの、池の端の父親を尋ねてその平穏な生活を目のあたり見ては、どうも老人の手にしている杯の裡に、一滴の毒を注ぐに忍びない。よしやせつない思をしても、その思を我胸一つに畳んで置こうと決心した。そしてこの決心と同時に、これまで人にたよることしか知らなかったお玉が、始て独立したような心持になった。」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
「それからお玉が末造を遇することは愈厚くなって、お玉の心は愈末造に疎くなった。そして末造に世話になっているのが難有くもなく、自分が末造の為向けてくれる事を恩に被ないでも、それを末造に対して気の毒がるには及ばぬように感ずる。それと同時に又なんの躾をも受けていない芸なしの自分ではあるが、その自分が末造の持物になって果てるのは惜しいように思う。とうとう往来を通る学生を見ていて、あの中に若し頼もしい人がいて、自分を今の境界から救ってくれるようにはなるまいかとまで考えた。そしてそう云う想像に耽る自分を、忽然[* 226]意識した時、はっと驚いたのである。──────────────── この時お玉と顔を識り合ったのが岡田であった。お玉のためには岡田も只窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立って立派な紅顔の美少年でありながら、己惚らしい、気障な態度がないのにお玉は気が附いて、何とはなしに懐かしい人柄だと思い初めた。それから毎日窓から外を見ているにも、又あの人が通りはしないかと待つようになった。」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
「久しい間、文壇に対して沈黙していた森鷗外は、日露戦争後の新しい文学状況のなかで返り咲きのうごきをみせ、なかんずく、一九〇九(明治四二)年雑誌「スバル」が創刊されるや、石川 木や木下杢太郎、北原白秋、吉井勇らの新世代に伍して旺盛な創作活動を再開した。「豊熟の時代」(杢太郎)の幕明けである。世は自然主義の全盛期であるが、彼は、「小説というものは何をどんな風に書いても好いものだ」(『追儺』)という立場にたち、自由で実験的な作品をつぎつぎにかいた。『半日』『追儺』『杯』『木精』などの短篇小説、『ヰタ・セクスアリス』『金毘羅』などの中篇とみられる作品、『仮面』『静』の戯曲などがそれである。このようなめざましい文学追求をへて、つぎに長篇小説への挑戦が日程にのぼるのは当然のことであろう。『青年』(「スバル」一九一〇 =明治四三・三 ~一九一一 =明治四四・八)は、その野心的意欲をありありと伝える作品である。鷗外は当時の画期的な芸術運動である自由劇場旗上げ興行(有楽座での『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』〈鷗外訳〉)なども作中にとりこんで小説展開の綾をつくり、文学志望の主人公小泉純一が孤独のなかで当代文壇の傾向とは別の「伝説」を小説としてかこうと決意するまでを追求し、描きだした。しかし、当初の予定を描ききれないでまとまりをつけた点があり、「一応これで終とする」という、歯切のよくない擱筆になった。」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著