<火を燃やすのは愉しかった。
ものが火に食われ、黒ずんで、別のなにかに変わってゆくのを見るのは格別の快感だった。(P11)>
舞台は、現在とはちょっと違う方向に進んでいるアメリカ。この社会では人々が本を所有したり読んだりすることを禁じられている。本を隠し持つことは重罪で、本を所有していることが分かると昇火士(しょうかし/ファイアマン)が家ごと火を放って燃やしてしまう。題名の「華氏451度」は本(紙)が自然発火する温度である。昔は火を消していたファイアマンが、いまでは火を付けて燃やすのだ。
主人公のガイ・モンターグはファイアマンとして本を燃やすことに何の疑問の感じず、むしろ快感さえ覚えていた。だが隣に越して来た17歳の少女クラリスとの会話と、ファイアマンとして出動した家で本を隠し持っていた老女が本と共に心中したことにより、自分のやってきたことや、自分の生きている管理社会に疑問を持つようになる。
家庭には「ラウンジ壁」が取り付けられている。他の家のラウンジ壁とは壁回線で繋がり、その関係を「ラウンジの家族」と呼んでいる。この社会では人と人との直接的なコミュニケーションが希薄で、ラウンジの親族連中こそが信頼できる相手となっている。
学校は映像授業、医療器械が発達しているので病人が出てもスイッチを押すだけ。人々は超小型ラジオ「巻き貝」を耳に入れて通信を聞いたりお喋りしている。
犯罪者への処罰は過酷で、本を所有していたら逮捕だし、反抗したらその場で殺してかまわない。こちらもSF武器が出てきます。昇火士の乗る「火竜」、犯罪者(本所有者)のデータをインプットして追い詰める「機械猟犬」などなど。
…作者はこの小説を「テレビによる文化の破壊」を憂いて書いたらしいが、この現在だってネット社会で似たような感じになっているんじゃないの… (^_^;)
そしてこのアメリカはどこかの国と戦争しているらしく、空には爆撃機が飛んでいる。しかし国民には、どこと戦争して、戦況がどんんものなのかは公表されない(徴兵されないのか?)し、国民も無関心になっている。
そう、管理して、本を奪うことは、国民から思考を奪うこと。
ガイ・モンターグの妻のミルドレッドはこの管理社会にそのまま管理されて、望まれている
ミルドレッドは本に対して「本は一方的で冷たいじゃない。でもラウンジ壁の家族は私と話してくれるし私を一人にしないわ」という。
本が好きな私としては、本を嫌う人の気持ちが「なるほど!そういう感覚か!」とちょっと納得したところも。でも本を好きな人にとっては、本は冷たくないんだよね。
しかしこの希薄さは、やっぱり人々の心を蝕んでいる。人々は憂さ晴らしに車を高速で飛ばし事故を起こし、意識せずに睡眠薬を一便飲み、道を歩いている人間を轢き殺す。
ガイ・モンターグのような昇火士が所属する昇火局の仕事は、社会の異端者を見つけ出しすこともある。しかしそんなモンターグは自由な思考を奪われること、焚書という行為に疑問を持ってしまった。そこで「本を読んでみよう」と決意する。見つかったら重罪だ。分かるかもしれない、分からないかもしれない。しかし試してみなければそれこそ何も分からない。
まあモンターグは本を読んでも理解はできないのですが…。そりゃ急にシェイクスピアとか旧約聖書とかガリバー旅行記とかの一節読んだってわからんですよ。
あ、この小説には本の一節が引用されているのですが、読書に詳しい人だったら「これはシェイクスピアだ!ここを引用した意味は…」などが分かるのかな。
しかし本を理解できないにしても、この監視社会の言いなりではいけないと考えるようになっている。そして妻ミルドレッドや、昇火士の仲間たちともうまくいかなくなる。そしてモンターグ自身にも危険が…
中盤でモンターグは社会との齟齬、昇火士やミルドレッドに苛立ちを感じるようになり、かなり危険なことをしでかします…。読みながら「やり方ってもんが急すぎる!」と結構本気で焦りましたよ。
しかしこんな管理社会でも本を残そうとする草の根活動の人たちはいるわけです。後半モンターグは彼らと接触して、いつか本が大切になる社会へ希望を繋ぐのだった。
===
考えないことは自分の人生に参加しなくなること。
あってはならない社会として書かれているけれど、現在の社会とも重なるよね…。ラウンジ壁は、インターネットやSNSに夢中になって信じてしまうこと。本を嫌う理由も「言い分はわかった」ではある。
この社会の人たちは何もかもスピード重視。そして読書はゆっくりするもので、その分情報も考えながら取り入れる事ができるんだな、と改めて思った。