議論の混乱を整理するのは哲学の得意とするところだが、それを同時代の生の政治状況のただ中で、自らもそれに巻き込まれる形で実践するのは大変なことだ。しかも相手はまともに議論するつもりなどなく、とにかく「勝つ」ことだけにこだわる人々だ。そうした相手に対して著者は何と粘り強いことか。見習いたいがなかなかできることではない。「19 届ける」だけでも、「オールドメディア」と揶揄されて悩み惑っている既存メディアの人々に読んでもらいたい。
94頁
「 この本で問うている「いきる」とは、物申す、ではなく、むしろ、(ちょっと変な形容だが)「そう簡単に物申させてたまるか」にあるのかもしれない。自分で感情を暴走させるよりも、他者に感情を暴走させないようにする働きかけにある。感情の動きに理由を求められ、それが逐一査定され、その程度でその反応はどうかと思うとチェックされ続けることになる。
気持ちは大切だが、どのような気持ちなのか、外からチェックします。その上で、動いてよし、となれば、動き出す。喜怒哀楽の種類を問わず、このGOサインを出す人たちがいる。あらゆるところにいる。いいと思うよ、と誰かが言う。どうかと思うよ、と誰かが言う。自分はちょっとまだ保留中で、でも、今後次第だとは思ってるよ、と誰かが言う。
誰なんだろう、お前たちは。考えや態度を表明しようとする働きに対し、食い止めようとする存在があり、多事争論の形成を拒んでいる。」
167頁
「 これを書いている現在は、もうすぐ東京で都知事選挙がある。一番有力な現職候補が何をしているかというと、あまり表には出さないようにして、できるだけ論議の中に混ざり込まないように心がけている。(校正している段階では、選挙は終了し、現職候補が三選を果たした)。記者たちからの問いかけに応じなければいけない場所には出ていかない。どこで演説をするのかと待ち構えていたら、船に乗って水上からアピールをする。限られた討論会の場で、聞かれたくないことを聞かれると「うふふ」と笑いながら、その質問は何度も答えてきたと言いながら、別の話に移行させる。選挙に出る人は、自分がなったらこんなにいいことをしますよ、と言い続けるので、それを並べて、誰が一番いいことをしてくれるのだろうかと比べる。並べるのは簡単で、その質を比較するためには、候補者同士で議論を交わす場面を確認しなければいけないが、今回、現職候補はその機会をほとんど作らなかった。その機会を他の候補者が求めたり、テレビ局が調整しようとしたりしても、公務で忙しいと断り続けたそう。」
205頁
「 選挙が終わると、どの党の戦略が1番上手かったかについての分析が並ぶ。それに目を通し、有権者が意見をぶつける。確かに上手かったけど、このやり方が通じるのは今回だけではないか、次回の選挙までに化けの皮がはがれているのではないか、そもそも、もう剥がれかかっていたのに、今回の選挙ではそれがバレなかったのはどうしてなのだろう、などと語りたくなる。でも、それ、いつの間にか、テクニック分析に巻き込まれている。「届いた」で、実際にその政策が実行され、問題が解決されたわけではない。「わが党はこれを実践した」と、「わが党はこれを実践したいとするメッセージが有権者に届いた」では、根本的に段階が違う。「届いた」に価値を置きすぎると、「何がどのように」の部分が軽んじられる。「届け方が上手い」なんて、論評をメディアがやりすぎてはいけない。でも、そればかりやっている。」
221頁
「 このところ、選挙で注目された人たちは、とにかく難しいことを言わない。こうですよね、と絞って言う。これこれこうだからこうですよね、ではなく、こうですよね、を強める。都知事選も衆院選も兵庫県知事戦もそうだった。明言に多くの人が興奮した。強気の態度を崩さず、私は新しい(NEW)、そして素早く(SPEED)仕事する、そんな存在だと。これがベースになると、熟考が取り除かれるので、質問を抱えている方が、ったく、いちいち質問してくるんじゃねぇよと言われやすい。」
252頁
「いきっている言葉は土台が脆弱なので、問われると逃げるしかない。常に逃げるための準備を整えている。それは生活者の言葉ではない。体に染み込んだ言葉ではない。乱暴なテクニックの言葉だ。兵庫県知事の選挙活動を支援したPR会社のポリシーのひとつが「『NEW』と『SPEED』を提供すること」だったように、新しく&素早くを繰り返していると、果たして、自分とは何者か、なぜ自分がここにいるのか、どの根源的な問いを自分に向けずに済む。「伊切」と「考えなくなること」は結びついており、考えなくさせたほうが、自分たちが動きやすくなる場面で「いきる」は効果を発揮する。」