『歴史が判断を下してから時が経った出来事を、こうしてあとから振り返ってみると、当時のことにはすべて意味があり、鳥の飛翔さえ確かな予言になっていたと思えてくる。しかしながら、刻々と過ぎゆく現在の真実〟というのは、もちろんあとから想像するよりずっと熱く、騒々しく、生々しいものではあるけれど、多くの場合"過去の真実"よりも、時には"未来の真実"よりも不確かな様相を呈するものだ』―『第三部 アタワルパ年代記/1 コンドルの落下』
ローラン・ビネの小説を読むのは、これで三冊目。訳者あとがきにも紹介のある通り、この作家の最大の特徴は歴史的事実と虚構の巧みな綯い交ぜにある。一作目の「HHhH―プラハ、1942年」ではナチスによるユダヤ人大量虐殺の首謀者とされるラインハルト・ハイドリヒ暗殺事件を取り上げ、続く「言語の七番目の機能」ではロラン・バルトの事故死を題材に、各々史実を織り交ぜた物語を巧みに描いていた。
一作目は、歴史的事実に完全に則した、いわば歴史小説であって、実在の人物たちの視点に立った話が暗殺事件に至るまでの時間の流れに沿って記される。暗殺の瞬間までの攻防によって緊張感が徐々に高まる展開の小説だった。二作目は、実際には事故死であったロラン・バルトの死に秘せられた理由があると想像を膨らませた空想小説で、実在の哲学者たちを数々登場させながら、ひょっとしたら高名な学者たちの間にそういう会話があったのかも知れないと思わせるような逸話を(実際の出来事の裏側で)描きつつ、その死の謎に迫る推理小説のような展開の緊張感を強いる小説だった。
面白いと思うのは、一作目よりも二作目の方が歴史的事実とは異なる空想が拡がり、三作目となる本書ではその空想の部分が更に膨らみ、スペイン人によるインカ帝国征服を逆転させ、新大陸の民族によるヨーロッパ支配という大胆な歴史反転小説へと、変化の度合が進んでいること。尚且つ、そこに実際の歴史的な事実や登場人物たちを散りばめ、歴史上の出来事というコインの裏表の偶然を逆転させた逸話でもう一つの在り得た正史を語るという構成は、中々に興奮を強いる構図だ。
但し、本の構成そのものが年表にある記載あるいは年代記風の文章と残された手紙あるいは手記の抜粋の混合で、かつ比較的短い章の連なりという形式故に、これまでの作品ほどの緊張感は読んでいても生まれない。読み始めて直ぐに、これは本当にあのローラン・ビネの小説なのかと思ってしまう程の緩さがあるのだが、前作同様に丹念な下調べによる歴史的事実の取り込み(とは言え、それを言わば裏返して提示するのだが)はやはりこの作家ならではの特徴だろうと思う。世界史に疎い自分は、各章末にある訳者による註を随時読みながら本文を読み進めて、なるほどと何度も思わされた。
読みようによっては、この本は反語的西欧文明批判と解釈できないこともないけれど、恐らくそれが本書の主題ではないような気がする。むしろ、歴史の偶然性あるいは可能性に対する思考実験に娯楽性を足し合わせた作品として読んだ方が面白いと思う。そんなローラン・ビネの思考実験の結果は、残念ながら現代にまで続くサーガとしては描かれないのではあるけれど、祖国を追われたインカの皇帝の年代記である第三部の展開、そして後日談的な第四部へと続く展開は、読むものを先へ先へと誘うことは間違いと思う。そして最後に、セルバンテスが新大陸でどんな物語を描き、エル・グレコがどんな絵画を残したのだろうかという余韻を残して本は閉じられる。