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安野光雅『カラー版 絵の教室』(中公新書1827)の目次です。全7章、224ページ。
1. 空想の宿題
2. 絵と真実
3. 遠近法の実験
4. よく見て描く
5. 自画像の実験
6. ゴッホの存在
7. イマジネーションと子どもの時代
安野 光雅
(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 2020年12月24日[1])は、日本の画家・装幀家・絵本作家。元美術教員。島根県鹿足郡津和野町出身。東京都小金井市在住。文化功労者。40年以上にわたって描かれた代表作の1つ『旅の絵本』シリーズ全10冊のうち9冊までの累計発行部数は、152万部を記録している(2022年1月末時点[2][3])。子供の頃より画家になる夢を抱いていた。美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表した。原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く[要出典]。主な著書に、『ふしぎなえ』、『繪本平家物語』、『天動説の絵本』、『空想の絵本』、『ABCの本』、『旅の絵本』、『算私語録』、『空想工房』、『空想書房』、『わが友 石頭計算機』(『石頭コンピュータ』としてリメイクされている)など。アンデルセンの原作を森鷗外が翻訳した『即興詩人』の熱心なファンで、舞台となったイタリアの紀行文『繪本即興詩人』を発表している。
「ギュスターヴ・クールベ(一八一九─七七)は、フランスとスイスとの国境に近いオルナンという村の裕福な家に生まれ、画塾に学びましたが、ほとんど独学と言ってもよいくらいで、パリに出て行ったのは二一歳のときでした。現実にありえないものは描かないという信念を貫き、写実主義のさきがけとして知られる画家で、「天使は見たことがないから描かない」というのは彼の有名な言葉です。それまでの宗教画や歴史画に対して、新しい写実主義を象徴するような言葉になりました。写実といっても、写真のように描く、というのではなく、画面を構成しながら、そこに寓意をこめたり、時間的経過を劇的に織り込むといった、それまでの絵画のあり方を踏襲したものではありました。つまり、描かれたものはそれぞれ写実的だけれど、それらが画面でなくては同居することはなかったという意味で、それまでの絵画の思想を満足させるものでした。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「ひろしま美術館には、『雪の中の鹿の戦い』(一八六八頃)というクールベの作品が収蔵されています。これはメス鹿の見ている前で、二匹のオスの鹿が、雪を蹴散らし戦っています。 さきに「写真のように」ということを書きました。これは別に写生したわけではないのですが、事実として見ようと思えば見ることのできる光景です。説明するまでもないことですが、一匹のメス鹿を二匹のオス鹿が争っていることの、一つの暗喩をこの絵から読み取ることができる絵です。 もっとも、これはほんの序の口で、クールベはもっと時代を画するほどの仕事をした人です。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「 クールベは部屋の中で外の風景を描いています。風景を描くなら外へ描きに行けばいいじゃないかということになりそうです。それは、外光派、つまり外の光の下で直接描くという、今ではいかにも当たり前の流派(ゴッホなど、 6章からを参照してください)がのちに現われたことを知っているわたしたちが考えることかもしれません。 また、外光派の一時期が過ぎた今となっては、「部屋の中で外の風景を描いてもいいのではないか」と思わせられる点でも、これは一つのおもしろい示唆をはらんでいると思います。 この作品は今でこそ評価の高いものですが、一八五五年の万国博覧会に出品され、審査員の眼鏡にかなわず落選したのだといいますから絵描きも楽ではありません(クールベの他の作品は入選しました)。これを怒ったクールベは自分だけの作品を並べた「リアリズム館」という名の会場を設営したということです。そんなことがあって、クールベの写実主義は時代を画すことになります。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「生粋のパリ育ちであったマネは、市民の日常生活をテーマに多くの絵を描いています。マネは、当時クールベと並んで最先端にあった人ですが、マネのほうはすでにサロンに入選していましたし、声望も高く、将来を嘱望されていた人の一人です。トーマ・クーチュールという肖像画や歴史画で知られた画家に学び、二九歳のとき『ギター弾き』(『スペインの歌手』ともある)という作品で好評を受けます。だから彼もサロンの中にいて、おとなしく絵を描いていれば出世は間違いないのですが、いわゆる画壇の伝統的な評価にこだわらず、自己主張を持った作品でなければ飽き足りなくて、もっと過激な実験的な作品を世に問いたいというファイトがあったと見えます。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「マネはこの落選に怒り、若い画家たちもこぞって審査の不当に抗議をはじめたため、時の皇帝ナポレオン三世の提案で「産業博覧会の会場とは別に会場をもうけて展示し、大方の批評にまかせてはどうか」ということになり、世に言う「落選展」が開かれました。 そのときの世間の評判もやはり、「ああいう内容の絵は感心しない」ということだったらしいのです。それから約六〇年の後、パリではおしり丸出しのフレンチカンカンが一世を風靡するようになることを誰が予見したでしょう。 マネは亡くなる前の年にレジオン・ドヌール勲章を受けたのでしたが、今から思えば遅すぎた受章ではありました。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「わたしたちは、ものごとを、写真のように見ているのではなく、絵のように(主観的に、かなり自分の都合のいいように)見ているのだった。そして絵はそれでもよかった。むしろ、そのほうがよかった。 ということになりますが、いかにも悟ったようなこの考えかたは、実は写真がわたしたちに教えてくれた、あるいは、気づかせてくれた考えかただったのです。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「おもしろいことに写真を発明したダゲールは、はじめ絵のように、静物画を撮っていたのです。証拠写真とか、写真測量とか報道写真といった考え方は急には生まれませんでした。写真的な技術を待望していたのは画家だったのに、いざできてみると、これは強敵でした。写真は神を冒すものだという話になったりしました。写実の権威だったアングルもその反対者だったといいますが、彼の『泉』は写真を参考にしたものだそうです。 写真の出現に一時は大あわてだった画家たちでしたが、セザンヌ、ルソー、ピカソ、ドガ、ロートレックなどは写真を利用したことがあると言われています。とくにユトリロなどは公然と写真を参考にして描いています。「なーんだそうだったのか、それなら簡単だ」とは思いませんか? ところが、そうではありません。写真を使ってもそう簡単には描けないのです。写真のようにはなっても、絵にはならないのです。最近ではアメリカのノーマン・ロックウェルの仕事があります。これはありあわせの写真を使うのではなくて、まるで映画を撮るように写真を準備してとりかかっているのですから、かえって大変です。「スーパーリアリズム」という用語を聞いた方もあると思います。これは写真で撮るほかはない決定的瞬間を、写真よりも迫力のある絵として試みた仕事でした。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「ちょっとラブレターの話をします。ラブレターには間違い字があったほうがむしろいいと言う人がいます。ものすごく上手な字で水茎麗しく、間違い字も何もない、一分の隙もないお手本のような字で書かれるよりは、むしろ間違い字があったほうがその人らしい─そういう余裕があったほうがいいということをよく言います。 ワープロで書いたラブレターというのは考えられないのですが、この頃はどうなのでしょう。以前はワープロで書いたよりも手で書いた手紙のほうが、その人の気持ちが直接伝わってきたような気がします。 絵もやはりそれに似ています。写真のように描いたり、あるいは写真を見て描いたりするとダメだと思うのです。その人の個性がどこかへ行ってしまって、写真のように描かされてしまい、上手だけども何も伝わってこない、ということになりがちです。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「そうは言っても、わたしは長いあいだ写実的な絵を描いて、悩んだ経験もあります。ようやく、好きなように描けばいいんだと悟り、外国の町や、人の見ているところでは「僕はもともと下手なんだ、頭も足りないんだ、絵が好きなだけなんだ」と、自分に言い聞かせます。そうして、世間の目の中で、まったく自由な世界を創って、その中で描くのです。その頃から描くことがより楽しくなりました。これは、いわば悟りでした。これは絵を描く方法論の中では最高に難しく、また実に楽なことでもあるのですが、わかってもらえるでしょうか。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「そのようにして見た結果を、画用紙の上に描きます。植物学の牧野富太郎は、細い筆で、和紙の上に驚くべき精密さで描きました(優れた画家の助手もいたそうです)。描かれたものは、絵というより、正確で説明的な意味を持っているので図と言ったほうがいいかもしれません。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「野の花 以前、『日本の椿』という書名の豪華本を作ることに関わったことがあります。紅白が斑入りに乱れた花を咲かせる、京都の法然院の椿なども見たことがありますが、銘木中の銘木で、それは実に豪華な花です。それにくらべて、椿の原種と言ってもいい大島椿は、鑑賞用というより油を採るためですし、山野の藪椿などはほとんど自生しているわけですが、豪華な改良種にくらべ、花は小さいし、葉は虫が食っているし、一見して野性的です。 一般に改良種の花と、野生の花をくらべると、野の花のほうが貧相な感じがしますが、絵に描いているうちに、断然野の花のほうが美しいと思うようになります。 これはなぜなのか、改良種と言っても自然の恵みによるもので、造花とは大きくちがいます。それでも野の花のほうが美しいと思えます。これがなぜなのか、いろいろなことが言えそうですが、言葉で説得されるより、自分で花を見て感じることのほうがいいと思います。 このたび、いろいろ描いてみた中で、花屋さんで買ったものはアネモネで栽培種です。木イチゴも買ったものですが、これは山道に自生しているものと同じです。木蓮もそうです。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「 そうは言っても、ここではできるだけ食い下がって写実的にいっぺん描いてみよう、そういう絵描きは現在もいますし、わたしもたとえば椿を描いたときなどはできるだけ丁寧に詳しく描いてみようと考えました。 さきに、生物学者のように食い入るように見て描くことについて書きました。そうすることで、何か新しいものが見えてくるはずです。 そうして描いた絵は、写真のような絵には必ずしもならない。リアリズムというのはそういうことだったわけです。アントニオ・ロペスの絵が「マドリード・リアリズム」といって評価されるのも、結局それはよーく見て描いたということだけで、写真のようなできあがりが問題ではないのです。出来不出来はいろいろとあるでしょうが、「よく見た」というその経験がきっと何かの形で残るだろうと思います。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「機関車はそれがどうして動くのか、あの黒い鉄のかたまりの中に一つとして無駄なものはなく、外観からも、その仕組みが見て取れる箇所もいろいろあります。その仕組みを考えながら描くとおもしろいと思います。大きい車輪に弾み車の機能があることは知っていましたが、それぞれに弾みの部分の大きさがちがうのです。また、坂を登るときのエネルギーは大変で、うまくいかないときは後退し、また挑戦すると聞きます。坂に敷かれた鉄道は、どうしても線路そのものを下に引く力が働くので、保線が大変だということは聞いてみなければわからないことでした。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「余談になりますが、『赤い風車』というロートレックの生涯をモデルにした映画を見てとてもおもしろかったことを思い出します。この映画にはロートレックが描いた人物が生きて動いています。人間を絵にしたのではなく、絵から人間が出てきた感じです。これはどの絵から出てきた人物かということがわかるくらいによくできていました。わたしは動く名画を見たようにさえ錯覚しました。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「また当時の、「自然界のものは、すべて円柱と球と円錐でできている」というセザンヌの言葉は、現在やや一人歩きしている感じがあります。セザンヌが言うと箴言的な響きを持ちはじめますが、格別深い詮索はしないほうがいいと思います。機能を考える上で形を科学的に詮索するのは、たとえば風洞実験などはいいとして、機能を持たない絵にあてはめて考えるのは無理だと思います。 ターナーの『戦艦テメレール』(一八三九)は帆船が蒸気機関車に曳航されている絵ですが、これはいかにも時代の変わり目を象徴しています。またモネの『サン・ラザール駅』(一八七七)という作品はパリにできた最初の乗客用の駅です。これも蒸気機関車という新しい時代を象徴する絵になっています。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「 たとえば、浮世絵には線がある。縁取りなどの線がある。でも、自分たちの(フランスの)絵には線がなかった。これは、彼らの目から見るととても新鮮だったようです。 そして、「やはり日本がいい」と思うらしいのです。わたしたちが聞くと、ちょっと気恥ずかしくなるほどなのですが、ゴッホは、「日本へ行きたい。できることなら日本へ行って、あの人たちが描くような絵を描きたい。彼らの描く絵は、われわれとは何か基本的にちがうところがあるんだ」と思い、太陽の明るいアルルまで出かけていくのです。 ゴッホの手紙の五四二信の中に次のような言葉があります。(前略)日本の芸術を研究してみると、あきらかに賢者であり哲学者であり知者である人物に出合う。彼は歳月をどう過しているのだろう。地球と月との距離を研究しているのか、いやそうではない。ビスマルクの政策を研究しているのか、いやそうでもない。彼はただ一茎の草の芽を研究しているのだ。(中略) 日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気にもっと幸福にならずにはいられないはずだ。われわれは因襲的な世界で教育を受け仕事をしているけれども、もっと自然に帰らなければいけないのだ。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「ゴッホたちがせっかく浮世絵がすばらしいと言ってくれるのに、反対に、たとえばレンブラントだとかブリューゲルなどに傾倒してしまうわたしたちからすれば、彼らの考え方を「美しい誤解だ」と思う必要はないかもしれませんが、「そうだとも日本の浮世絵はすばらしい」と胸をはる気にはなれません。それは彼らの創造性が認識したのであり、わたしは彼らの目によって再認識したからです。また、わたしは日本の浮世絵に反応するより前に、印象派の仕事に反応していたことを、ややうしろめたく思うのです。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「 絵描きを職業として考えるとき、お金の問題を口にしないことが一種の紳士協定のようになっています(武士は食わねど高楊枝です)。しかし事実は経済的な問題を考えずにはどんな職業もなりたちません。ゴッホは絵が売れないことを、いつも気に病んでいました。「同時に将来は必ず売れるようになって、今つぎ込んでいる経費は必ず取り戻せる」という意味のことを、何度も手紙に書いています。その時点では誰にもわからなかったことが、現在は事実になっているではありませんか。彼の描いた、ただ一枚の絵だけをもって、彼のすべての経費をペイしてなお余ることは、奇跡というほかありません。 ゴッホの手紙の五二四信の中に次のような箇所があります。絵描きは、狂人かさもなければ金持のように見られる。一杯の牛乳が一フランしたりパン一片が二フランにもなる。それでいて絵は売れない。だからこそ、あのオランダの荒野で共同生活をしている修道僧のように、われわれも団結しなければいけないのだ。 これは、ゴーガンとの共同生活を期待している気持ちです。 ゴッホの手紙の五五二信の中には次のような箇所があります。画家はみんな労働者のような生活をしなければいけないのは、ほんとのことじゃないかね。大工だって鍛冶屋だって、いつも画家よりはずっと多くの生産をしている。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「『昆虫記』で有名なフンコロガシはアルルを流れるローヌ川の河口にあたる、サント・マリー・ド・ラ・メールで観察できました。サント・マリー・ド・ラ・メールにはゴッホも出かけていって絵を描いています。また近くのフォンヴィエイユという町にはドーデーがそこにこもって『風車小屋便り』を書いたという、その風車が今もありますが、これは観光的伝説です。でも、『最後の授業』(右寄りで美談すぎるという説があります)で有名な彼の故郷はやはり近くのタラスコンです。ゴッホは彼の本を読んだことを手紙に書いています。また手紙には、トルストイとかモーパッサンとかバルザック、シェイクスピア、ストウ夫人などのことが出てきます。ゴッホは大した読書人です。『アルルの女』という短編もドーデーの作品で、ビゼーの組曲になっています。同じ題名の絵がゴッホにもあります。この絵を描いたときのことが手紙の五五九信にでています。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「技術を磨くことが芸術表現の手段として大切であることは今も変わりませんが、技術に習熟することの一方で創造性を置き忘れてはいないだろうかということをおそれます。稚拙な絵が創造的だとは限りませんが、たとえば無心な子どもの絵にハッとさせられ、写実的な表現に腐心しているうちに、自分が現代の美術のあり方から取り残されているのではないかといったような心配をすることは、誰にもあるものです。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著
「 写実主義が完成に近づく前の絵は(実は写実主義でさえも)想像を抜きにしては考えられませんでした。 見たことのないものを描くには、想像力、創造力が必要です。それほど大げさに考えなくてもいいのですが、絵の世界に限らず、芸術科学一般にとって、それはなにより大切です。 数学者の野崎昭弘は、「もしも、こうだったら」と考えてみることは非常に大切だと言います。科学者の板倉聖宣は「仮説実験」を主張しています。言わないほうがいいかもしれませんが、犯罪者や捜査員にも大切なことです。ただし、想像や仮説はあくまで想像で、事実ではありません。想像の上に断定を重ねて、人の心の中を推し量って事実にしてしまうこと、つまり勝手に断定することとはちがうことをはっきりさせておきたいと思います。 卑近な例では、小説の挿絵や、漫画は、まさしく想像の世界を描いているわけです。仕事の評価は、その作品の持っている創造性を問題にすべきだという話になります。」
—『カラー版 絵の教室 (中公新書)』安野光雅著