佐藤泰志のレビュー一覧
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ネタバレオーバー・フェンス 85
過去に傷を負い、故郷に帰り職業訓練校に通ってはいるものの、未来に進めずにいる主人公白岩の苛立ちや不安、人付き合いなどの熱量が絶妙だと思いました。
苛立ちを爆発させる森がこの小説の隠れ主人公かな。
その他訓練生、教官などがおりなす群像劇も面白いです。
撃つ夏 50
入院生活を余儀なくされた淳一。入れ替わる患者達や、訪れる友人、隣室の患者たちを通して不快感をなんとなく消化していく。ちょっと物足りなかった。
黄金の服 75
〜10代憎しみと愛入り混じった目で世間を罵り〜
〜20代悲しみを知って、目を背けたくって町を彷徨い歩き〜
エレファントカシマシの「俺たちの明日」に出てくる歌詞です。
10代の青春と20代の青春の違いは、社会(他人)との関わり方にどう向き合うかが、より具体的に求められることだと思います。
主人公の周りに出てくる他人には、アキ、道雄、慎、文子、大家と姉妹、静岡の友人、友人の妻、アキのフィアンセと出てきますが、その距離感がどれも異なり、その成果か「個」が浮かびあがりそれと同時に「孤独」も浮かびあがってきます。
その「孤独」とどう折り合うか?が20代の青春なのかもしれません。 -
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ネタバレ解説より
みなが前がかりになっているときに、下を向くだけでなく後ろを向かなければならない自分を、あるいは、流れに逆らって後戻りしなければならない自分を見据えてみた者の焦りや怒りが、文章単位では明るく小気味のいいリズムのなかから、ふつふつとわき出してくる。
まさに、わたしが感じていた佐藤泰志の小説でした。
最初に読んだ佐藤泰志の小説は「美しい夏」でした。
秀雄シリーズと言われるものの最初の作品だったんですね。
本著にはこの秀雄シリーズが時系列に収められており、その他、表題の他「夜、鳥たちが啼く」があります。
佐藤泰志は奇妙な三角関係、奇妙な疑似家族関係が良く出てくる設定なのでしょうか?あと、季節は夏が多いでしょうか?
秀雄シリーズ 85
私小説的な作品ということらしい。時系列に並べられていて、秀雄と光恵と陽子の変遷が垣間見えて面白い。41歳で妻と子供を残して自死してしまうという結末を知っているせいか、その緊張感が美しいと思ってしまう。
鬼ケ島 75
近親相姦と家族、障がい児、堕児、吐物、閉塞感と苛立ちがへばり付いているが、ビリヤード場の老婆の諦観の光が薄暗い闇の中に有るような、無いような
夜、鳥たちが啼く 85
独りがいい時もあるけど、やっぱり人恋しい時もある。閉塞感と苛立ちは解消されてはいないけど、前を向いて歩いていこうとふと思ってしまう。解説にもあったが、秀雄シリーズの一編目の緑色の光が、本作では花火に昇華しカタルシスを感じてしまう。
この作品順は絶妙! -
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ネタバレ自らのための備忘録
函館市文学館の佐藤泰志コーナーに展示されていた、彼の中学生の時に書いた作文を見て、是非とも読んでみたい!と思ったら、「そこのみにて光輝く」に聞き覚えがあって、そういえば家のアマプラで見たマサキッスの出ていた映画だったと思いました。そこで映画をもう一度見直して、それから本書を読みました。
映画と原作の違いについては、映画のところでも書きましたが、拓司のイメージは菅田将暉とはかけ離れている人物のはずなのに、どうしても映画を先に見てしまったので、人物のイメージが映画の配役に引っ張られてしまいました。また、千夏も原作を読むと池脇千鶴というよりは、もう少し大人びた女性のイメージでした。但し、主人公達夫は綾野剛でぴったりだと感じました。
先に映画を見たせいで、第一部の「そこのみにて光輝く」を読み終えた時、あれ? これで終わり? と思い、いかに自分が映画の後追いをしようとしていたのかと感じてしまいました。こんなことでは「読書」したとは言えないと反省しました。
映画は映画で脚本も素晴らしかったのですが、そうは言っても、やはり2時間で表現できることには限界があり、原作の渇いた文章が、達夫の危うい存在自体を描き出しているのには感服しました。
映画のところでも書きましたが、取ってつけたような山の事故のトラウマなど、達夫の存在そのものの危うさに比べれば何ということもないと感じました。
私にとっては、本書で初めて出逢った「和江」の存在が素晴らしいと感じました。達夫は、(綾野剛が演じていることもあって)こちらから声をかけた女は必ず落とせると思っている節があって、昭和はそうだったかも知れないけど、令和の若者なら「断られたらどーしよー」などと思ってしまうのではないかなどとつまらないことを考えながら読みました。
映画では火野正平が演じていた松本ですが、原作の松本は、私自身がちょっと付き合ってみたくなるような魅力的な人物でした。
佐藤泰志は、今までどうして知らなかったのかと思うほど好きになった作家なので、これからは、先に原作を読み、それから映画を見ていこうと思いました。 -
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再読。本当に大好きな作品。
ひと夏の幸福な時間を描いているはずなのに、最初からずっと暴力的な予感がある。
「僕は率直な気持ちのいい、空気のような男になれそうな気がした」と言うように、「僕」は意識的に静雄や佐知子に自分の中を通り抜けさせているように思う。これは「僕」の話ではなく、「僕」から見た静雄や佐知子の物語なんじゃないかと思うくらい。
「僕」はバイト先の誰とも関わろうとせず、バーの飲み仲間ともつるまず、自分にも全然興味を持っていないのに、静雄にだけは心を開いている。
オールナイトの映画に連れ出されるシーンや、カンダタのくだりに見られるように、「僕」は生活の中で静雄に引っ張られたり影響を受けているところがかなりある。静雄がどんなに情けなくても、「僕」はずっと静雄に心を寄せ続けている。
そこに佐知子が現れて、2人が近づいていくごとに、「僕」の気持ちも、「僕」から見える静雄も変わっていく。
静雄が佐知子に「もう一度お休みを言ってくれないか」と頼んだときから、「僕」は佐知子を通して新しく静雄を知り続けているんじゃないかな。
静雄が持つ独特の愛嬌やナイーブさはとても魅力的だけど、静雄が主人公だと独り善がりの苦しい物語になっていたと思う。「僕」の目を通して初めて
静雄が憎めないキャラクターとして浮かび上がってくるのではないかなと思う。
そう考えると、「僕」の周りとの距離のとり方はすごく切ない。まるで「僕」自身に実体はなくて、静雄や佐知子やバイト先の人達といった周りの人たちとの関係によってゆらゆらと形作られた陽炎だと思っているみたい。
「空気のような男」になる必要なんてない、あなたの人生の幸福はあなただけのものにしていいのに。最後、悲劇に巻き込まれるのは静雄だけど、本当に悲しみの底にいるのは静雄も佐知子も失った「僕」なんじゃないだろうか。
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海岸沿いの北方の小さな街での孤独な男が百円ライターがきっかけで出会う貧困と堕落した家族との物語
この小説は2部構成になっており1部は造船会社でリストラに会って間もない孤独で無職の達夫と貧乏暮らしでバラック小屋に住んでいる拓児と姉千夏と母親、痴呆の父親の4人家族に出会って何故かこの家族に惹かれてゆく達夫、特に娼婦である千夏に愛情を抱き初める、千夏は離婚暦があり夜の仕事で疲れ果て家族だけの為に生きていると割り切っているが達夫の事が気になり始める。
そんな二人の心からの遣り取りが夏の海岸と相まって実に鮮やかに描かれている。まさに”そこのみにて輝く”のは社会的にはちっぽけな存在である千夏と達夫の小さな愛です。
2部では二人が結婚しつつましくも暖かい家族を築いてゆく、弟拓児にも慕われ、平和で単調な生活にある時から達夫は水晶を掘る山仕事に興味を持ち始める。
有名な作家ではありませんが、この小説は人と人の出会い、心の深層にあるもの、その描写が実に鮮明で輝いている。登場人物や背景に読者をぐっと惹きつける魅力が有ります。 -
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著者が生まれ育った函館市をモデルとした連作短編集。
海炭市に居住する人々の小さな日々の物語で18編が交錯しそこに生活する人間の場面場面が海炭市を浮かび上がらせながら小さな存在で何でもない平凡な登場人物の心を映し出す柔らかくも愛しい至極の作品です。
特に1編目の”まだ若い廃墟”は胸に響きます。冒頭で妹と思われる女性が下山してくる兄をひたすら待ち続けるシーンで始まる、、、父親を亡くし母親は失踪し貧しい暮らしを続けていた兄妹が正月を迎える前に共に失業し希望のない暗い生活を送っている。そんな大晦日に兄は全財産の2千数百円を持って初日の出を拝みに妹を誘いに近所の小さな山へロープウエイで登り売店で1本のビールを分け合いながら兎に角今この時間のみに乾杯する。。。
希望のない人生・炭鉱を主力とした魅力のない地方都市・貧困・暗く陰鬱な生活にピリオドを打つのが目的だったのか寡黙で男らしい兄の行動は何だったのだろうか、、、
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41歳で止まってしまった作者死後にまとめられた最後の作品集という。しかし、どうしてこんなにみずみずしいのだろうか。生前芥川賞候補に何回もなりながら受賞しなかったというが、これこそ芥川賞じゃないか!
文章リズムの若々しさと、雰囲気がえもいわれぬ。そして何しろ登場人物たちの会話がいい。エスプリとはこういうものを言うので。
例えば「夜、鳥たちが鳴く」の一節
(浮気をされた友人の妻が、主人公の借家に飛び込んできて同居する羽目になったのだが、友人妻のやけくそ行動に心穏やかならず、ついになるべくしてなってしまったその後に・・・)
・・・・・・・
「なんだ」
「あたし、どこかおかしい?」
男のことだとわかった。考えるふりをした。慎重に言葉を選んだ。まず、首を振った。それからいった。
「ただ、とっかえひっかえじゃ、疲れないか」
「かもしれないわ」
「それでいいと思っていたんだろ」
「ええ」
「俺ならしない」
「あんたはあたしじゃないわ」
「でも、自分でやっておいて、そんなことを喋ることはないだろ。違うか」
「かもしれないわ。・・・・・・・
収められている5つの短編がそれぞれ、言葉と言葉、文章と文章の間のきらめきを感じる。
古いところで長塚節氏「土」の文章と会話のリアリズムになぞらえてしまう。あれは俳句的な要素もあったが、ここでは現代詩的要素と言いたい。短編それぞれのタイトルがいいのは前にも言った。
またこの文庫本の堀江敏幸さんの「陽の光は消えずに色を変える」解説が抜群、すっきりとよくわかるこれ以上の解説はないと思う。(堀江敏幸さんは未読なのでぜひ読もう) -
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初めて読む佐藤泰志が、まさかの彼の遺作だった。
函館市をモデルにした"海炭市"に暮らす人々の話。
冷たくて灰色で、厳しい海炭市の冬。
まだ若い廃墟について。
「待った。ただひたすら兄の下山を待ち続けた。から始まる、冒頭のひと段落が、私は素晴らしいと思う。
過去のことを話しているんだろうな、と思いつつも、そのまま物語の中に入り込んでしまった。
もう全て決めてしまったから、あの態度だったのか。
ねぇ、なんで?どうして?と思ったが、そんなことしか思えないのは、私が未熟だからだろう。
「あやまらない。誰にもあやまらない。」と出てくるが、そこはもうロープウェイの待合室で1人待つ妹の姿を想像するだけで、何とも言い難い辛さが、少しずつ少しずつ近付いてくる。
ある時点で、もうとっくに妹も薄らではあるが、気付いていただろう。
そして兄も、そのことに気付いていただろう。
だけど、お互いに普段通りに振る舞うことの辛さよ。
そんな兄妹がとても悲しい。
その次の話で「あぁ、もう本当やめて」と思った。
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著者の未完の遺作となった連作短編。ついこないだ同じ著者の『そこにみにて光輝く』を読み、すくいようがないくらい閉塞感がありながらもその眼差し=筆致のやさしさに引かれて2作目を読んでみた。やさしさに引かれてと前述したけれど、多分に著者が自死した人であることを意識しているであろう自分。自死してしまうほど考えてしまうとともにやさし過ぎる人だったのだろうと思っている。
『海炭市情景』も閉塞感が関係している。地方の斜陽化しつつある街の市井の人々それぞれが1編ごとに描かれる。ヤクザのやさしさを見たりシレっと児童虐待があったり、小説だから当然といえば当然なんだけど一辺倒でない人の姿が描かれる。
といいつつ、とりわけ普通で何も起こらない「週末」という1編がよかった。路面電車のロートル運転手が、孫を生まんとしている娘のことを思い、きょうは事故など起こしたくないと思う話。こんな何気ないことが心をつかむストーリーになる。 -
Posted by ブクログ
やるせない、すくいようがないようでいながら不思議と清貧的なさわやかさがある小説だった。しっとりと読み応えのある小説らしい小説だった。
特に第二部「滴る陽のしずくにも」のほうがよかった。それはたぶん、気だるく無頼に生きていた達夫が、結婚し子どもをもってそれなりに生きている様子が描かれていたから。独り身が好き勝手に生きることなど簡単で、結婚したりして守るものができても守りながら自分を捨てずに生きている達夫の姿がよかった。
義弟の拓児を介して出会った松本と達夫のやりとりがなおよかった。どちらも世のなかがどういうものかを感覚的に知っている男どうしという感じで。そう、男のなかには若いうちから実体験がなくても、自分をしっかりもちながら感覚的に世のなかとうまく折り合いをつけていける人がいるものだ。