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著者が生まれ育った函館市をモデルとした連作短編集。
海炭市に居住する人々の小さな日々の物語で18編が交錯しそこに生活する人間の場面場面が海炭市を浮かび上がらせながら小さな存在で何でもない平凡な登場人物の心を映し出す柔らかくも愛しい至極の作品です。
特に1編目の”まだ若い廃墟”は胸に響きます。冒頭で妹と思われる女性が下山してくる兄をひたすら待ち続けるシーンで始まる、、、父親を亡くし母親は失踪し貧しい暮らしを続けていた兄妹が正月を迎える前に共に失業し希望のない暗い生活を送っている。そんな大晦日に兄は全財産の2千数百円を持って初日の出を拝みに妹を誘いに近所の小さな山へロープウエイで登り売店で1本のビールを分け合いながら兎に角今この時間のみに乾杯する。。。
希望のない人生・炭鉱を主力とした魅力のない地方都市・貧困・暗く陰鬱な生活にピリオドを打つのが目的だったのか寡黙で男らしい兄の行動は何だったのだろうか、、、
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映画を見て興味を惹かれたので手に取った。映画の雰囲気ほど暗くはない、独特の淡々とした文体で進行する18の物語は、ワインズバーグ・オハイオを想起させる。
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初めて読む佐藤泰志が、まさかの彼の遺作だった。
函館市をモデルにした"海炭市"に暮らす人々の話。
冷たくて灰色で、厳しい海炭市の冬。
まだ若い廃墟について。
「待った。ただひたすら兄の下山を待ち続けた。から始まる、冒頭のひと段落が、私は素晴らしいと思う。
過去のことを話しているんだろうな、と思いつつも、そのまま物語の中に入り込んでしまった。
もう全て決めてしまったから、あの態度だったのか。
ねぇ、なんで?どうして?と思ったが、そんなことしか思えないのは、私が未熟だからだろう。
「あやまらない。誰にもあやまらない。」と出てくるが、そこはもうロープウェイの待合室で1人待つ妹の姿を想像するだけで、何とも言い難い辛さが、少しずつ少しずつ近付いてくる。
ある時点で、もうとっくに妹も薄らではあるが、気付いていただろう。
そして兄も、そのことに気付いていただろう。
だけど、お互いに普段通りに振る舞うことの辛さよ。
そんな兄妹がとても悲しい。
その次の話で「あぁ、もう本当やめて」と思った。
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著者の未完の遺作となった連作短編。ついこないだ同じ著者の『そこにみにて光輝く』を読み、すくいようがないくらい閉塞感がありながらもその眼差し=筆致のやさしさに引かれて2作目を読んでみた。やさしさに引かれてと前述したけれど、多分に著者が自死した人であることを意識しているであろう自分。自死してしまうほど考えてしまうとともにやさし過ぎる人だったのだろうと思っている。
『海炭市情景』も閉塞感が関係している。地方の斜陽化しつつある街の市井の人々それぞれが1編ごとに描かれる。ヤクザのやさしさを見たりシレっと児童虐待があったり、小説だから当然といえば当然なんだけど一辺倒でない人の姿が描かれる。
といいつつ、とりわけ普通で何も起こらない「週末」という1編がよかった。路面電車のロートル運転手が、孫を生まんとしている娘のことを思い、きょうは事故など起こしたくないと思う話。こんな何気ないことが心をつかむストーリーになる。
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著者の故郷である函館市をモデルにした「海炭市」に住む
人々を描いた群像劇。
連作短編集の形式で、海に囲まれた北国の街を舞台に静かに
営まれる人々の生活を優しく淡々と描いている。
登場する人々の大半は、いわゆる「負け組」というカテゴリー
に分類されるだろう人々。その悲惨なところが客観的に冷静に
描かれているのに、読後感は包み込まれるようにとても暖かい。
読んでよかったと素直に思える一冊。
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続編ありと予告されていながら、作者の自殺によって本前編だけしか読めなくなってしまった訳ですね。この中でも前半と後半で若干色合いが異なっていて、前半はゆるい繋がりのある連作短編で、後半はほぼ独立した短編たち。どこかに憂いを抱いた人たちがそれぞれの主人公で、結末までは語られないこともあり、読者の想像如何で、物語が多彩な色合いを呈する仕様になっている。来ない荷物を寒い港で待つ話とか、子供と合える直前にガスボンベで怪我する話とか、休日の帰途に追い禁でつかまる話とか、そのあたりが印象に残りました。
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やがて春となり夏の初めとなるわけだが冬から始まるためか、切々と暗く寒い。真夏から秋は作者がいなくなってしまうのでない。暗いが身近に感じ温かさもある18編。気づけば海炭市の地図が頭の中に出来上がり自分もその叙景の中にいる。一話目の妹が今どうしているだろうかと読み終わっても気になる。
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文体の、何たる瑞々しさ。
熟した葡萄の皮に、
ぷちっと歯を立ててその果汁と果肉を味わった時の、
酸味、甘み、渋みのコントラストのような、
冷えた視線の中にある瑞々しい文体に、
何度もはっとし、
ひどく安易な言葉であるが、感動した。
その場所で、その時を全力で、
働きながら食べて、町を歩く人々に宿る、
絶望と、密やかな狂気。
いずれもが、私たちであり、
また隣りにいるあなたであるという、
果てない人間への愛が見える。
*
BSで特集が組まれた時に、
恥ずかしながら初めて知った作者。
映画が大変素晴らしかったので手にした原作が、
こんなにまでも秀逸な作品だったとは。
翻って、熊切和嘉監督による映像化が、
いかに原作の世界観を守りつつ、
独自の空気と色を染み込ませたのかがよく分かる。
原作、映像化、いずれも大いにオススメ。
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先に同名タイトルの映画を観ました。映画を先に観ることはあまりないのですが、この作品に関しては竹原ピストルさんが出演していたので我慢ならず。
物語は「海炭市」という北海道にあるという設定の架空のまちが舞台です。かつては造船や炭鉱で活気づいていた海炭市に生きる人々の生活が描かれています。
本作には第一章と第二章がそれぞれ九編の短編で構成されていて合計十八編が収録されています。各話が強くリンクしているわけではありませんが、さびれていく海炭市でどうしようもなくなってしまったり、それでも幸いにも自分の仕事がある人が誇りを持ち強く生きている様は統一されている感じがします。
季節は冬から春へと徐々に進みますが、続く夏と秋が描かれていたであろう第三章以降は存在しません。丁度折り返しだという第二章を書き終えて著者は自死を選びました。
先日読み終えた「きみの鳥はうたえる」もとても良かったです。全作読んでみたい作家さんです。
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[夢想的立上げ]三方を海に囲まれた架空の地方都市「海炭市」。その地を舞台に生きる老若男女18名をそれぞれに主人公にした短編連作です。地方都市の落着き・安らぎとの裏表の関係にある孤独と、なだらかな衰退感を総合的に立ち上げていくかのような作品。著者は、本書によって改めて評価が高まりつつあったものの、若くして自死を選んだ佐藤泰志。
全編をとおして安らかさが漂いつつも、冒頭の「まだ若い廃墟」に描かれた青年の死、そしてその死を印として刻み込まれてしまった山の存在が全体をどこか曇った空気で満たしているかのよう。そこにいる地に足のついた人々を描ききることにより、「海炭市」の存在が、そして同様の環境に置かれているであろう現実の人間の存在までもが立ちのぼってくるような錯覚にとらわれました。
不思議だったのが、佐藤泰志という1人の人物が書いているはずなのに、18名それぞれの語り口が微妙に、でも明確に異なっていたこと。男女とか老若といった点だけではなく、その者が土地のものか否かというところにまで考え抜かれて著された一文一文に、佐藤氏が本作を本当に心から愛していたんだろうなと感じずにはいられませんでした。それにしても、海に囲まれた土地に暮らすっていったいどんな気持ちになるんだろう。
〜この別荘地の下の、両側を木立ちにせばめられた道を抜ければ、太陽がいっきに彼の車を照らすだろう。そうだ。何も隠してはならないんだ。それはもう、じきだ。〜
でも心惹かれたのは首都から海炭市に一時期だけ出てきている大学生の話だった☆5つ
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短編集ではあるが、同じ時代、同じ街で起こる出来事が、各ストーリーごとにすれ違ったり、遠まきに絡んでいるところがあり、一冊でひとつの物語という感覚もあった。1本目のまだ若い廃墟がとてもよかった。冒頭から引き込まれて、短編ならではの切れ味があって楽しめた。
あとは、裂けた爪、猫を抱いた婆さん、昂った夜、が良かった。
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ずっと以前に読んでいるはずだが、静かな文章と味わいのあるストーリー、登場人物。村上春樹と同世代で、一時期は期待もされながらも評価されず失意のうちに自死したのは無念だったでしょう。
作品の舞台である函館に行き、その閉塞感や寂寥感に少しでも触れてみたい。
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20210917
海炭市叙景を読んで
函館の文学館の吉田さんの紹介で佐藤泰志の小説を読みたいと思って入りやすいと紹介された海炭市叙景を買った。
最初の章で出てくる函館山、あまり自分が見た光景が舞台になっている様子を見た事がなかったのでそれだけで感動した。不思議な感じだった。
吉田さんが佐藤ひさしの中高の1つ下という話も他の小説と比べて特別な感じがした。筆者が近いというか。
そんな特別な小説として読み始めて、1~18章を読んだ。
吉田さんは最初の話が暗くて辛いといったことを仰っていたが、私はそんなに暗く感じなかった。
何でだろう。
救いようがない兄妹であることは確かだけれど、その前に思いやりや幸せを感じていたからだろうか。
その他の人の事故の評価から私の中でも事故が風化したのだろうか。
淡々と書かれるそれぞれの主人公はありのままを描かれている。時にはひとつの物語の中で複数の視点が入ってより客観的になっていることもある。
ありのまま、客観的であるが故に救いようがないように感じる部分、自分が見ている自分と周りから見た自分のギャップが感じられて、痛々しく思う部分もある。
しかし不思議と納得できるというか、そういう人もいるよな、私もこうかもなみたいな考え方もできた。
2番目のあとがきの人が言っているように「職と人」を描かれているので、働くとは生きるとは何か、来年から社会人になる自分にとってはそういった設計プランも考えさせられた。
今とは少し違う時代の彼らがどのように人生を考えて生きていたのか、人間らしくて憎めない。一生懸命生きている。
折り返し地点、残り、続き、繋がりが気になる
しかしこれでいいのだとのこと
佐藤ひさしが大学進学と同時に上京し、後に1度故郷の函館に帰った期間があった。生まれ育った故郷と、1度離れてもう一度見た故郷で何か見え方に違いはあったろうか。
私は離れて故郷の良さに気がついた部分もある。自分が生きたい姿、本当に心躍るものは何かを感じられる場所。
海炭市はかつて栄えたものの、炭鉱の廃止、漁港の衰退により、かつての賑わいを失っている。
そういった経済的に暗い部分があるのは確かだ。
そんな中でも生きている人がいる。
私が故郷に感じる思いとも似ているのかもしれない。
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海炭市という北方の架空の街を舞台にした群像劇、となっている。
語り手は次々と変わっていき、それぞれの視線で街とそこに住む自分という存在が語られていくのだが、ぜんぶを読み終えてふと誰にも寄り添えきれなかったような気がしている。街という絶対的な共通項はあるのだけれど、転々ばらばらな感情であり、街を統合するひとつの感情としてこの登場人物たちをまとめることができなかった。
第一章の話にとても好きなのがいくつもある。ひとつひとつの掌編のクオリティがめちゃめちゃ高いなと思う。思えば先生に薦められたのもこの小説のいちばんはじめに書かれている「まだ若い廃墟」だった。前半の話のほうが、廃れていく街がすぐそこにあるという感じがする。この物語の形式上、話が進むにつれて街の発展もすすんでいってしまうからある意味自然な成り行きといえるのかもしれない。しかし今の僕はそれを良さとしてまだ捉えきれなかった。
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日本のどこにでもありそうな、しかしそれは架空の街。そこに住んでいる人々の暮らしと人生を物語る。一筋縄ではいかぬ人間を見つめる作者の目は張りつめている。(41歳の若さで自殺してしまった作者を想うとなおさら)
「まだ若い廃坑」「一滴のあこがれ」「夜の中の夜」など、ひとつひとつの短い物語のタイトルからして印象深い。(友人の書いた詩より拝借らしいが)何気ない普通の暮らし、あるいは切羽詰まった物語の淡々とした描写が光っている。
バブルもはじてけない時代1980年代に書かれたので、予言的だと解説にもある。つまりうまくいかない人生模様や人間の心は、すっかり現代にも通じるのだということ。
いえいえ、その前も後も世界情勢や景気や災害や疫病や、何もない時代なんてありはしない。
そんなに突き詰めて苦しまなくてもいいじゃないか、人生いろいろあるけれど前向きに考えよう、いつかは・・・。
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著者と私は同年生まれ。同じ國學院大學卒。ただし著者は3年遅れて大学入学(哲学科だからただの浪人とは違う?)なので実際に大学生として被っているのは1年間。学科も違うので接触はなかったはず。まあ私はその後職員として勤めていたので学内ですれ違ったことぐらいはあったかも。芥川賞候補の小説家としても残念ながら知らなかった。名前を知ったのは再評価されて映画がつくられた10年前ぐらい。
この本は昨年末に所沢に行ったときに古本まつりで購入したもの。どうも最近は「純文学」系を読む気がしないのでしばらく放置(^^;)。今回巣ごもり期間でようやく読む気になったもの。連作短編集ということで何とか読み切った。発表時に読んでいればまた違ったのだろうが、古稀に読むにはどうなのだろう。それでも叙景として切り取られた人々の姿は乾いた抒情とでも言ったものを感じさせる。
この作品が書かれた1980年代後半(あるいは90年代はじめだったか?)には当時函館市に住んでいた知り合いを訪ねて家族で一週間ほど滞在したことがある。そんな思い出もちょっと懐かしい。とはいえこちらは観光メインだったけど。
もし著者が41歳で自殺していなければ、院友会などで会う機会もあったかもしれない。古稀の著者はこの作品にどういう思いを持っただろうか?
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(01)
現在形で描かれた現代の物語たちで、舞台は比較的大きな地方都市に一定している。18の物語たちには、それぞれ数人の人物が登場し、なぜいまこの舞台にいるのかという背景や、あるいは、この場所にどのように流れ着いたのかという履歴を自ら語るものたちでもあるが、彼女ら彼らへに対する作者の位置は、揺れ動いている。登場人物を通じて語ることもあり、人物を離れて語ることもある。
18の物語は正月から初夏までの連続的な約半年に設定されている。物語たちの間には10日間ほどの開きが予想される。作者は登場する物語の主体間を揺動しながら(*02)、時間をじわじわと、それでも次々と進めている。
起こることがあり、起こらないことがある。起こりそうで、起こらないことがある。
例えば、第1話の兄妹は、もしかすると18編の短編の中で最も印象的かもしれない。読者が冒頭から素直に読み進めれば、最後まで彼女と彼の姿に引きずられる。妹は、彼女の小さな物語の中では、結局、兄の死を知ることはなく、「知る」ことは起こらずに締めくくられる。死の予感だけが残されて最初の短編は終わる。読者が兄の死を知るのは、次の物語が語られる船上であって、そこにはある婚約者たちという別の人物たちが別の事象を物語っている。そして、最初の短編の妹が主体としてまた語りはじめることは2度とない。
例えば、物語の中ではコンテナはいつまでも届かない、ありったけを注ぎ込んだ最後の馬券が当たることもはずれることもない、プラネタリウムの職員が妻を殴り倒すこともない。起こらない事ばかりの中で起こっていることもある。爪は裂けた、酒を飲み暴走した男は捕まった、朝野球チームの二人は少しだけ仲直りをした。
ここに予感されるのは、この海炭市(*03)に起こり、起こりつつあり、起ころうとしている、膨大な事象たちである。舞台の「市」がどのような経緯でそのような現在の風景を現わしているかについても作者は描いている。「市」は、これらの事象が起こったことの痕跡が積み重なった舞台でもあり、これから起ころうとすることの舞台ともなっている。この「市」にあるサービスや産業を組み立てている、個別の事象のありようが、この作品では、問題的に、そして寸止めでもあるように、叙景として現されている。
(02)
作者は、人物たちの間を漂流する一方で、ある定まった視点から「市」を観察している人物たちもいる。「週末」に登場する路面電車の運転手は、移動しつつであるが、およそ定まった路線を走る電車の運転席から「市」を観測し続けている。彼の現在の観測は、過去の事象や事情をも見透かしている。あるいは墓を観測する女性事務員が「ここにある半島」に登場し、「ネコを抱いた婆さん」は、立ちのきを拒否した豚屋から産業道路を見続け、「昂った夜」では空港のレストランから旅客を眺める女性が、そして「衛生的生活」では職業安定所のカウンターごしに職業が不安な人々と接し続けた男が描かれる。
彼女ら彼らの定点は、移動する人物たちとの対比として、また、作者の定まらない視点との比較として、興味深い。あまり動かないもの、留まろうとするもの、いつも同じところを動いているものたちは、「動くもの」とひとくちにいっても、それらの運動が描く風景が様々であることを告げている。動く動機も様々で、貧しさや豊かさなどの経済、出会いや別れなどの感情、老いや若げなどの経年など、いろいろであるが、それらの留まりを含めた動きの総体が「市」であり、また動きの過去と未来の軌跡も「市」を構成していることは、先の叙景においても述べたことであるが、ことのほかこの作品では重視されている。
(03)
それにしても「首都」は本作のなかで、独特な地位にある。海炭市という「市」との関係として、牽引力や排斥力をもって登場人物たちを動かしている。国家は解消され、ただ「首都」だけが「市」を動かしているようでもある。
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「海炭市」という架空の地方都市を舞台とした18の短編集。好景気に沸く「首都」の狂乱とは対象的に、主産業であった炭鉱と漁業が斜陽となった海炭市の叙情を18つの人間模様を添えて描く。閉塞感漂う街で人々が哀切を抱えながら日々を営む姿が印象的だ。各々の話に際立ったドラマめいたものも結論めいたものもない。息苦しさと諦めと縋る微かな希望がそこにある。端的に、詩的に、多少の粘度を含みつつ、ただただ淡々と時間が流れる。
本作品は秋冬をメインとした18編であるが、本当は春夏の季節を描いたものを含む全36編になるはずであった。次作を描く前に、著者の佐藤氏は自らの命を断ってしまった。本書を読むと非常に惜しい才能を亡くしたんだなと哀惜の念に耐えない。
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芥川賞の候補に5度選出されるもことごとく落選、三島由紀夫賞の候補に挙がるもこれまた受賞には至らず。20代の頃から自律神経失調症に悩まされ、1990年に41歳の若さで自ら命を絶った佐藤泰志。没後20年経ってから見直されるようになった不遇の作家。
「海炭市」は架空の町ですが、著者の故郷・函館市がモデル。やはり函館市をモデルにした『そこのみにて光輝く』と『黄金の服』に収載されている「オーバー・フェンス」、そしてこの『海炭市叙景』はそれぞれ映画化され、函館三部作と呼ばれるように。『海炭市叙景』は著者の遺作となった短編小説集です。第1章「物語のはじまった崖」、第2章「物語はなにも語らず」にそれぞれ9編ずつの合計18編。
第1章の最初の話に登場するのは、正月を前にして職を失った20代の兄妹。家の中をふたりして探し回って出てきたお金は2,600円。その全額を持って明るさを装い、初日の出を見に。ロープウェイで上ったはいいけれど、下りの分の金が足りず、兄は妹だけを乗せて、自分は歩いて下るという。待てども待てども戻らない兄をひたすら待つ妹。
こんな悲しすぎる話から始まり、第1章では海炭市で暮らす人びとの冬を綴ります。2つめ以降の話にも冒頭の兄妹や前話の人の影が見え隠れします。2つめの話では、崖に引っかかった兄の遺体を回収するという小さな新聞記事を目にしてから、そのことが頭から離れない男性が主人公で、以降も同じ町に暮らす者のつながりを感じずにはいられません。第1章だけなら個人的には★4.5。
ところが、春が描かれる第2章は、1話ずつが独立していて、それぞれのつながりを感じることができません。第1章と異なる趣にとまどってしまうほど。第2章は★3。
あとがきを読んで納得。もともとは全部で36編となる予定だった本作。夏9編、秋9編で完成だったはずが、著者の自殺により未完に。どこででも終われるように、途中で自分が死んでもかまわないように書かれた第2章だったのかと思うと胸が痛みます。冬から春へ、そして初夏の匂いも漂いはじめ、光が見受けられる文章だったのに、ここで命を絶ってしまったなんて。もっと読みたい作家です。
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時々この人の、逃げ場がないような胸が苦しくなるような作品を読みたくなる。
佐藤泰志の遺作にして、途中で途切れてしまっている短編集。
本来なら春夏秋冬4つの季節の作品群が出来上がる予定だったけれど、冬から始まって春を終えたところで途切れている。
舞台は“海炭市”という北海道にあるとされる架空の街。それが函館市なのだということは、この著者の作品をいくつか読んでいればすぐに分かる。
首都や都会とは違い、仕事も少なくどこか寂れている地方都市。海があり、雪が降り、冬は寒い。
文章を読んでいるだけなのにイメージはモノクロで、そこに住む様々な人間たちのリアルな生活が、痛々しいほどに描かれている。
首都から家族を連れて海炭市に戻ってきた男や、揃って仕事をなくした正月に初日の出を見るために登山する兄妹、前科持ちという過去を隠して偽名を使いながらも真面目に仕事をする男…男女の物語というより、泥臭い人間たちの物語。
希望が見えないわけではないけれど、出来すぎた嘘臭い希望ではない。普通に地道に生きた先にあるもの。
その途中で道を踏み外したり失敗することもあるけれど、そこで人生が簡単に終わるわけではないということ。
この物語を描いている途中で自死してしまった著者は、一体どんなことを考えていたのだろうと思う。
プロフィールを見たら父親と同い年だった、というのも、そう思ってしまう一因だったりする。
Posted by ブクログ
架空の「海炭市」を舞台にした、その土地に住まう人々を16の物語で描く短編集。海があり、山があり、造船や炭鉱で盛り上がり、今は廃れていく一方の、地方都市を、自分は、作者の生まれ育った函館と見立てて読んだ。
彼の存在を知ったのは、7月の連休、函館の親戚に会いに行くついでに旅行をした時のことだ。文学館へ入り、石川啄木がメインの構造を見物する隅の方で、「そこのみにて光輝く」の映画のパンフレットが置かれていた。そのすぐそばに、彼のブースはあった。生の原稿は全てカタカナで書かれており、他にも、内容は確か20代に芥川賞、40代にノーベル文学賞を取ることなどを目標と記したノートも飾られていた。印象としては十分だった。ちなみに、近くのブースには、辻仁成の名があり、当時中山美穂と離婚の問題で世間を騒がせていたことも、強く印象に残っている。
実は本書を、彼の名前を知る以前に既に購入をしていた。おそらく、タイトルと表紙に惹かれてのことだろうと思う。ただ、そのことを恐ろしく感じたことを覚えている。
冒頭の一篇で歯がゆい物悲しさを感じ、衝撃を得て、次々に物語を読んでいった。様々な人々を描いている本書は、幅の広さに驚かされた。一人の作者がこんなにも物語を書き分けられるものなのかと。正直な感想を言えば、「まだ若い廃墟」が最も良かったように感じられる。しかし、他もクセや空気は違うが、引き込まれるものがあった。辛くても生きる人々を描き、社会と通じている景色を写し、まさに叙景の数々が詰め込まれていた。退屈な物語も正直あったが、それも特別なものだと、この作品では言える。
Posted by ブクログ
おそらく函館辺りがモデルとなっている架空の「海炭市」が舞台の群像劇。一編20頁ほどの短編で、それぞれがゆるく繋がっている(というかそんなに大きな街でもなさそうだから繋がってしまっているという感じ)。
街で淋しく死ぬ若者、首都にあこがれつつも怠惰な日々を送る若者、どうしてここまで虚しいというか悲しい人物を描けるのだろうと感嘆してしまうようなおじさんたち。「まっとうな男」と「衛生的生活」の悲しさが良かった。若いのはまだいいよ、先があるからと思ってしまった自分もまたちょっと悲しい。
Posted by ブクログ
佐藤泰志、初めて読みましたが
亡くなられたのが悔やまれます。
他の作品を読んでいないのでわかりませんが
この人の文章に救われる気持ちになった人は
多いのではないかと思います。
Posted by ブクログ
昔の炭鉱町(モデルは函館)で暮らす市井の人々の暮らしをつづった連作短編です。
殆どが、ごく普通の日常を描いています。登場人物の関連はありますが、全体で一つのストーリーを作るような構成ではありません。一つ一つは独立した短編で、海炭市の住人たちの生活が淡々と描かれます。深い絶望感のようなものがある訳ではないのですが、全体に暗調で静謐な感じです。
ですから、途中で中断すると、少々沈んだ気分になりますし、再び手に取った時も、最初はちょっと気おくれのようなものがあります。
ところが読んでいる最中は、周りが気にならないほど、しっかりと引き込まれてしまうのです。
そういう意味で、不思議な感覚を味わった小説でした。
文章の力なのかな。
Posted by ブクログ
人々がITの世界に新たなそれを見いだすまで
現代とはフロンティアの失われた時代だと
思われていたかもしれない
しかし実際のところ、必ずしもそうではなかった
人々はノスタルジーの世界を破壊して、フロンティアの土台を作った
かつて人々の暮らしと男たちの誇りを支えていた炭鉱は閉鎖され
畜糞まみれの農村風景も潰されて、やがて郊外のそれへと変わっていった
しかしそんな都市の清潔さとひきかえに
人心はじわじわ荒廃していった
いかに都市化したとて東京にかなうわけではない
雪ばかり多くて、海炭市には夢がない
人々は…特に若いものたちは、幻想のなかの東京に憧れて
うわついていた
最初は、海炭市という架空の街を
変化する一つの生命体のように書こうとしていたのだろう
脳髄は物を思うに非ず
街が、一種の神なのである
しかしその試みは
作者の自殺によって中断されたのだった
ラストの一行が死のすべてを象徴しているようにも思えなくはない
つまり
ある絶望を隠そうとするなら死ぬしかないのだ、という…
佐藤泰志が死んだのは平成2年のこと
バブル真っ只中ではあったが
Posted by ブクログ
未完なのが残念。後半の作品では希望(諦念のなかの、だけど)を感じさせるだけに残念。
解説で『ワインズバーグ・オハイオ』との関連を指摘しているけれども、納得。郊外文学とでも言うべきジャンルがあるのかもな。
ふと、ビリー・ジョエルの『アレンタウン』を思い出したり。
再購入2012/07/22JPN350
処分日2014/09/20
Posted by ブクログ
18話からなる、架空の市に暮らす人々の物語。
新年から初夏までが描かれている。
作品の印象としては、
とにかく重たい。
重く、閉塞感の強い世界。
暗いエピソードばかりではないのに、鉛色の空みたいな負の空気が至る所に漂っている。
本来は全36話で、春夏秋冬ーー1年間が描かれる予定だったらしいが、半分を書き終えたところで、作者は自らの生を閉じてしまった。
未完でありながら、不自然さは感じない。
1話完結で物語が綴られているせいもあるが、
"未完"という事実が ある種、この作品を完璧な物にしている、という気すらする。
Posted by ブクログ
昭和60年代、バブルの頃。18の異なるストーリーが、架空の街「海炭市」で交錯する。舞台になってる海炭市が、作者の故郷である函館をモチーフにしてるのはすぐわかるから、情景を想像しつつ読み進んだ。優しさを感じる文章ではあるが、どうも救いが無い…。首都がバブルで賑わってた頃、地方はこの今の時代に通じる救いの無さを、もう味わってたのかも知れないな。なんかどんより。もっとも、今日は僕自身救いの無い1日だった。そんな日に読んじゃったからかな。また違う気分の時に読めば、変わるかな。
Posted by ブクログ
廃れ、変わっていく地方都市と
そこに生きる人々それぞれの人生。
一人一人に悩みや苦しみがあり、
ズレを感じ、時に小さな幸せがある。
それは私自身、
そして私の田舎にもあるように。
未完らしいのが残念。